第142話 大人の事情と渚のハイカラお嬢さん
蟹を食べてると、どんなにお喋りな人でも無言になってしまう。
あの後、浜で凍りつくクラーケンや蟹のことをやっぱりロマノフ先生に詳しく事情聴取されたけど、ネフェルティティ嬢の口添えもあって叱られることはなかった。
まあ、「危ないことはしちゃダメですからね?」とは言われたけど、どちらかと言えば「日頃の勉強や訓練の成果を出せましたね」と、誉めて貰えたくらい。
それは何でかって言うと、ネフェルティティ嬢の身の安全は無論のこと、人食い蟹が密集していたお隣にクラーケンに乗り込まれてたら、それはもう目も当てられないことになってただろうから。
蟹の対処だけで大怪我をしていたネフェルティティ嬢の護衛たちは、最悪手当てが間に合わずお亡くなりになっていた可能性すらあったそうだ。
偶然とはいえ、私たちはネフェルティティ嬢御一行の命の恩人という訳。
因みに、なんで護衛三人の手当てを私にさせたかと言うと、そこには大人の事情が絡む。
「いえね、ネフェルティティ嬢はやんごとないお家の出でいらっしゃって、そのお家にバーバリアンの雇い主である麒凰帝国の大貴族さんが貸しを作りたかったようで」
「更にそのワタシたちの雇い主に、ロマノフ卿は貸しを作りたかったのよね?」
「あー……なるほど、私の人脈作りですね。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。しかし、私が思うより遥かに大きな貸しを両者に作りましたね。上出来です」
モシャモシャと茹で蟹の足を鋏で切ると、綺麗に殻を外して渡してくれロマノフ先生は、やっぱり優しいだけじゃなくちょっと怖い面もある。
でもそれが私のためだと思うと、ちょっとにやけてしまうから、私も大概性格が悪いよね。
ぱきりとジャヤンタさんが割った蟹足の、中身を引きずり出して奏くんに渡す。
そのホカホカに焼けた身を美味しそうに頬張りながら、奏くんが首を捻った。
「えぇっと、ジャヤンタ兄ちゃんのやとい主は、ネフェル姉ちゃんのばあやさんとかを自分が治してやったことにしたいから、ジャヤンタ兄ちゃんたちに治せって依頼した……ってことか?」
「そういうことだ。しかし、私もウパトラも治癒魔術は不得意でな。やれないことはないが、まあ、うん……」
「んで、若さまを頼ったんだな。若さまが替わりに治してやったんだから、ネフェル姉ちゃんに貸しを作ったのは本当なら若さまだけど、若さまを紹介してやったって貸しをネフェル姉ちゃんに作った……ってこと?」
「奏坊や、それは『言わぬが華』ってやつよ」
うーん、大人の事情。
でもこの状況だと、帝国の大貴族さんの貸しとやらは極小さくなるような。
それを目で問うと、ロマノフ先生はニヤリと口の端を上げた。
「お隣さんにとって、どちらの家の貸しが大きいかは然して問題ではないんですよ。『帝国』がネフェルティティ嬢御一行に貸しを作ったことが大きいのです」
「ああ、そう言う……」
驚いた。
彼女が外交問題に関わるほどの家のお嬢さんだったとは。
やんごとない身の上だとは、立ち居振舞いで何となく察していたけれど、あれはやはり自分より身分が上の人間が少ししかいない故のものだったんだ。
「彼女はコーサラのやんごとない姫君だったんですね」
羊の氏族は、コーサラでは王族に近いってことかしら。
モシュモシュと蟹肉を頬張るレグルスくんの、ハムスターみたいに膨れた頬っぺたをつついて呟くと、ジャヤンタさんが首を横に振った。
否定するだけして蟹足にかぶりつくジャヤンタさんの言葉を、カマラさんとウパトラさんが継ぐ。
「確かに角はコーサラの羊氏族に似ているが、彼女は違うよ」
「羊氏族の角は子供の時は目立たないの。彼女の歳くらいなら、あんなに大きくはないわ」
「ははぁ……」
じゃあ、何処のお姫様なんだ。
貸しを作りたいということは、何らかの理由で帝国と揉めている国だろうか。
考え始めると、すっと口許に剥き身の蟹足が差し出された。
「にぃに、かにさんなくなるよ?」
「あ……」
気がつけばテーブルの上に山ほど盛られていた蟹足は、もう後数本。
因みに蟹味噌は一人一つ当たるようになってるから大丈夫な様子。
騒動の終息後、大人は大人で事後処理をして、私たちはネフェルティティ嬢と、滞在中、一緒に蟹を食べるのと遊ぶ約束をして。
宿屋さんとお隣さんからのご厚意で、私たちは遅めの昼食を楽しんでる。
やっつけた蟹とタコは先生のマジックバッグに凍らせたまま保管して、明日にでも食べられるようにしてくれる場所に連れていってくれるそうだ。
七輪ぽい道具で蟹味噌を焼いて、ふつふつしたところに宇都宮さんが確保してくれていた蟹の身を投入すると、凄く美味しそうな匂いがしてくる。
「蟹味噌は大人の味なんですよ、レグルス様」
「おとなのあじ……!」
「これが、じいちゃんの言ってた……!」
おめめをキラキラさせるひよこちゃん、可愛い。
奏くんもぱぁっと顔を輝かせてる。
私も焼けてきた蟹味噌に、茹でた蟹の身を付けると、パクッとお口の中へ。
うへぇ、美味しいー!
蟹食べてるときに難しいことを考えちゃダメだ。全部蟹に持ってかれちゃう。
和やかな雰囲気に、やがて不穏の色は褪せて、ゆっくり空気に溶けて消えたのだった。
翌朝。
バーバリアンの護衛していた大貴族御一行様は、同じ宿屋のちょっと遠いヴィラに居を移したそうで「帰りはおやつ時過ぎるかな」と言ってご出勤。
私たちは昨日の今日で海遊びもなんだからと、コーサラの観光に出ることに。
アロハとサルエルパンツも着なれて来た。
ロマノフ先生もアロハだし、宇都宮さんも色鮮やかなワンピースを着ている。
バカンス気分も再び盛り上がって来たところに、思わぬ来客があった。
それはネフェルティティ嬢にばあやさんと、昨日の軽傷だった護衛二人と、隊長と呼ばれた男性で。
ヴィラの応接間にお客様を招くとモジモジとネフェルティティ嬢が切り出した。
「その……今日はどこかに行くのか?」
「はい。コーサラの観光に行こうかと」
「そ、そうか……。その……ええっと……」
恥ずかしがってるのか、なんだか前髪で隠れている頬っぺたが少し赤いような。
ドレスの裾をイジイジするご令嬢を見かねてか、ばあやさんが少し身を前に乗り出す。
でも、それを隊長が制した。
「発言をお許しください。私は護衛隊長のイムホテップと申します。後ろに控えるのは部下のカフラーとジョセル。お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます。私どもは……」
名乗ろうとすると、イムホテップ隊長が首を横に降る。
もう名前は知っているし、昨日の大人の事情聴取でロマノフ先生から極太の釘を刺されたそうで、「エルフの大英雄がついているならこれより確かな身分保証はない」という判断から詮索はしないそうだ。
まあ、私は面倒にならなきゃ、別にいいけど。
それでこの訪問は、昨日のお礼とお願いのためだと言う。
「私は昨日の件の事後処理のため、話し合いに出向かねばなりません。私どもは昨日の襲撃で手負いになる体たらく。こちらの方々とご一緒する方が安全かと。厚かましいとは思いますが、我が主とのご同道をお願いに上がった次第です」
「……そうなんです?」
真面目に彫りの深い顔に苦悩を滲ませる隊長を見て、ネフェルティティ嬢に顔を向けると小さく頷く。
「で、でも、それだけじゃない。鳳蝶たちと一緒にいたら楽しいかと思って……その、迷惑なら断ってくれていい……」
「別に迷惑とは思わないですよ。ネフェルティティ嬢が私たちと遊びたいと思って下さるなら、歓迎しますとも」
私の言葉にレグルスくんも奏くんも頷く。
するとネフェルティティ嬢の口元が、ふわっと綻んだ。
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