第141話 波打ち際の攻防戦の裏側
回復魔術って、前世の外科手術みたいなもので、怪我の度合いが大きいほど、使う魔力は多量だし、被術者の負担が大きくなる。
しかも、骨やら筋肉を無理に再生させたり繋げたりするから、凄く痛い。
怪我の度合いが大きく、掛けられる魔術が高度になればなるほど、被術者は苦痛を我慢しなきゃいけなくなる。
だからお医者さんは、骨折とかしても余程のことがない限りは、軽めの魔術をかけて、後は自然治癒に任せるそうだ。
けれども魔術の使用者の魔素神経が発達しまくってて神経の太さも相当だと、初歩の魔術でも高度な魔術のような効果が出せる。
そう、一応上級付与魔術師な私なら、初歩の魔術でもかなりの効果が期待できると言う訳だ。
宇都宮さんやカマラさんが持ってきたシーツに、ジャヤンタさんが背負ってきた男の人を下ろすと、肩を組んで歩いて来た男性二人も、シーツに腰を降ろす。
肩で息をしてるんだから、結構な怪我をしているんだろう。
ネフェルティティ嬢がそんな彼らの怪我に怯えて、ばあやさんに一層しがみついた。
それを抱き締めて宥めていたばあやさんの身体が、ぐらりと傾ぐ。
「ばあや!?」
「……うぅ……」
苦しそうな声で脇腹を押さえるばあやさんの手を、ロマノフ先生がそっと取るとそこは血で真っ赤に染まっていた。
横たえられた人のお腹も赤黒くなっていて、猶予がない様子。
私は大きく息を吸い込むと、腹に力を入れた。
癒しのために選んだ曲は大いなる神の恩寵──アメイジング・グレイス。
身体に取り込んだ魔素が魔力に換わり、それを捧げる対価にあらゆる場所に揺蕩う精霊たちが、怪我人の傷を優しく撫でて癒していく。
そんなイメージを歌に乗せれば、彼らの傷口に光が降り注ぎ、赤黒かった腹が段々と元の皮膚の色に戻って、腫れも治まる。
意識のある人たちも、じょじょに傷が塞がったようで、痛みに歪んだ顔が少しずつ平静を取り戻そうとしていた。
歌が終わる頃には、もう大きな傷は誰の身体にもなく、倒れていた人の呼吸も平常に戻る。
ばあやさんも額に冷や汗をびっしょり掻いてたけど、痛みが消えたのか、ネフェルティティ嬢をぎゅっと抱きしめていて。
「ばあや、もう大丈夫なのか!?」
「はい……ええ……もうばあやは大丈夫ですよ……」
泣きそうなネフェルティティ嬢がばあやさんのお胸に顔を埋める。
そんな光景の傍らで、横たえられていたひとがの瞼がそっと開いた。
「ああ、気がついたようですね」
「ここは……?」
意識の戻った男の人は、彫りの深い顔を怪訝に歪めて、覗き込んだロマノフ先生に尋ねる。
それに軽傷だった二人が傅いた。
「隊長、大丈夫ですか!?」
「気が付かれましたか!?」
「ああ……お前たちも無事だったか……?」
隊長ということは、この二人の上司か。
無事を確かめあう三人に、バーバリアンの三人とロマノフ先生が事情を聞こうと、その側に腰を下ろした。
それは大体マリウスお爺さんが教えてくれたことと同じで、だけど彼らは蟹が大群で押し寄せた原因がクラーケンの襲撃のせいだとは知らない様子。
伝えようか伝えまいか迷っていると、ばあやさんとネフェルティティ嬢の姿が見えなくなっていて。
「ネフェルティティ嬢は……?」
「お嬢様はばあやさんのお怪我の確認のために私のお部屋に。レグルス様と奏くんがくっついてお世話してくださっていますので……」
「ああ、レグルスくん。何気にお世話好きだよね」
「はい。弱気を助けて、強きがいないから破落戸を懲らしめるのが、最近のご趣味です」
「え? ちょっと? 今なんか不穏なのが入ってなかった?」
「気のせいですよぉ。そういうゴッコが好きなお年頃じゃないですか~」
「ああ、ゴッコね……」
ゴッコか。
そうそう、前世では仮面やら被った英雄がいて、子供も大人も正義の味方のゴッコ遊びに興じる感じがあった……気がする。
レグルスくんもそんな歳だもの、英雄に憧れてそんな行動を取っても何にもおかしくない。
でも、うちには三人ほど本物の英雄がいるんだけど、誰の真似っこなんだろう。
あとで聞いてみようかな。
大人のお話は大人に任せて、私も宇都宮さんも、ネフェルティティ嬢とばあやさんの様子を見に行く。
パタンと扉を明け閉めする音に、レグルスくんとネフェルティティ嬢の顔が、私と宇都宮さんへと向けられた。
「ありがとう、鳳蝶……。どれほど感謝してもしたりない。本当にありがとう」
「どういたしまして。困った時はお互い様ですから。ところで、ばあやさんの具合は?」
話を向けると、ばあやさんはロッテンマイヤーさんを思わせる姿勢正しいカーテシーをした。
「お助けいただき、感謝の言葉もございません。私、ネフェルティティ様の乳母のメサルティムと申します」
「ご丁寧にありがとうございます、私は鳳蝶……」
「ああ、レグルスたちの紹介は済んでいる」
「そうですか。では私の後ろにいるのが宇都宮。当家のメイドです」
「宇都宮でございます」
水着姿ではあるけれど、いや、水着姿であっても、ロッテンマイヤーさん仕込みのカーテシーを、宇都宮さんは美しく決める。
使用人の態度は家の格を表すというから、宇都宮さんの姿勢の美しさは即ち菊乃井の家格なのだ。
逆にそれでも尊大さを維持してこちらに接するネフェルティティ嬢の姿もまた、家格を表している。つまり、どんな家の人間に対しても、そんな風に振る舞うことを許された家の出、王族なり大公家辺りが相当かな。
なんでもばあやさんとネフェルティティ嬢の話を、先に聞いてくれてた奏くんのいうことには、浜に蟹が現れた時にばあやさんはネフェルティティ嬢を守るために我が身を盾にしたそうだ。
「脇腹を鋏で引っかけられたとは思ったのですが……。それよりもネフェル様の方が大切ですもの。無我夢中でしたわ」
「ばあや……ありがとう。イムホテップ達も私のためにあんな大怪我をして……! 私はばあややイムホテップの言い付け通り、平常心を装うだけで精一杯で……」
「ご立派でした、ネフェル様。ばあやも隊長も、お二人も、ネフェル様がご無事なだけで充分……。後でお三方を労って差し上げてくださいまし」
「ばあや……!」
怖い思いをしたのはばあやさんも同じだろうに、痛みを忘れるほど一所懸命ネフェルティティ嬢を探していたのだろう。
連れて来た護衛の人たちも奮闘したけど、如何せん蟹の量が多すぎて止めきれず、垣根を越えたところでバーバリアンの三人が蟹の討伐に加わったそうで。
流石は三人、見る間に蟹の数を半分に減らしたところで、宿のひとからマリウスお爺さんが言ったように「景観が~!」って言われて思うように動けなくなったところに、ロマノフ先生が参戦したらしい。
「早く片付けないと『ギガントクラブはクラーケンの好物だから襲いに来る』とエルフのお方が仰っていらしたのですが、そのうち当家の護衛三人が怪我で動けなくなりまして」
「そんで、バタバタしてるうちにつららが二つ空から落ちたのが見えたんだって。若さま、おれたちのしたことぜったいバレてるぞ!」
「……うん、そう思う」
別に叱られたりはしないだろうけど、危ないことしたのには変わりない訳で。
いやいや、緊急事態だったんだから!
内心で言い訳していると、縁側の方向から豪快な笑い声が聞こえてきた。
『なんじゃこりゃ!? アイツらクラーケンまで仕留めてやがるぞ、先生!』
『ええ……殺れないことはないとは思ってましたけどね……ええ……あの子たちですから……』
どこか棒読みなロマノフ先生の声に、私と宇都宮さんは揃って遠くを見る。
ひよこちゃんと奏くんは、海に向かって「ふんす!」と胸を張っていた。
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