第129話 木の上に立って見守るひとではないけれど

 「若様、お話が御座います」

 「はひ……」


 あれから、取り急ぎ砦の兵士たちやシャトレ隊長の装備に「僕の顔をお食べよ」って、お腹を空かせたこどもに顔を差し出してくれる英雄のテーマソングでありったけの付与魔術を付けて。

 指示は後日、それまでは今の体制を維持するようにと申し送りをして、食料を届けに来たヴィクトルさんと入れ違いに帰ってきた訳ですよ。

 んで、エリーゼの報告を聞いたらしいロッテンマイヤーさんに取っ捕まって、お部屋に連行の上、パジャマに着替えさせられてベッドインなう。

 膝の上にはプンスコしてるレグルスくんがいて、石抱きの石のつもりなのか抱きついて離れない。


 「目眩を起こされたそうですので、手短に申し上げます」

 「はい」

 「明日から暫く、若様には休養をお取りいただきます」

 「えー……、大丈夫ですよ」

 「決定事項で御座います」


 ロッテンマイヤーさんの背中に、暗雲が垂れ込めている。

 めっちゃお怒りですよ。

 どうしたもんかなぁ。

 上手く誤魔化せないかと考える私の前に、眼鏡の蔓を押し上げると、ロッテンマイヤーさんが跪く。

 そしてそっと私の手を自身のそれで包み込んだ。


 「若様、今から少し厳しいことを申し上げますが、虚心にてお聞き下さいませ」

 「はい」

 「まず、先日のお話で御座いますが」

 「先日というと『アウレア・リベルタス』のことですか?」

 「左様に御座います。大奥様がご存命であらせられれば、若様がご自身のお考えと大奥様のお考えをあわせて昇華なさったこと、大奥様もさぞやお喜びになるでしょう。しかしながら、こうも仰る筈です」

 「はぁ……」


 きらりんとロッテンマイヤーさんの分厚い眼鏡のレンズが光る。

 

 「『甘い』と」


 ド直球です。

 いやー、思い当たる節しかなくって、思わず遠い目になっちゃったよ。

 そんな私を見たロッテンマイヤーさんは、咳払いをすると「ルイさ……サン=ジュスト様ともお話申し上げましたが」と前置きしつつ、言葉を紡ぐ。

 つか、なんで「ルイ様」って言いかけて言い直したし。

 そっちの方が気になるんだけど。


 「法で権力を縛ると言う考え方、或いは議会を召集すると言うのは、なるほど良いお考えかと存じます。しかしながら、若様の仰る『君臨すれども統治せず』の形は、国ならばいざ知らず小さな領地には適さぬもの」

 「まあ、そうですよね。政治を領民に任せてしまえば、領主の存在意義がなくなる。国ならば皇帝や皇族を国の象徴とすることも可能でしょうけれど」


 肩を竦めると、ロッテンマイヤーさんの手が強く私の手を握る。

 そのきらんと光る眼鏡には、私の姿が歪に映っていた。


 「それだけではありません。議会に全ての決定を委ねた場合、施行まで莫大な時間がかかりす。その点、今のままならば領主の声は天の声。何をおいても優先され、制度を施行する速度は議会を開くよりはるかに早い。その利点を手放すことは、今の段階では悪手かと」

 「独裁政治の利点は早さにありますから。しかし、独裁政治は為政者が人格的に問題があった場合、止められないんです」

 「無血では無理で御座いましょう。しかし武力がなくては、領主もその行使はできません。だから軍を議会の制御下におかれたいのは、私も解ります。ですが、それは今ではない筈です」


 そう、軍を率いる人を寝返らせたタイミングでは、まだ早い。

 それが解っているから、シャトレ隊長にはまだ上司がルイさんになることは言ってなかったりして。

 白旗をあげる意味でも両手をお手上げと降って見せると、ロッテンマイヤーさんにそのことを話す。

 すると「賢明な御判断です」と頷く。

 アウレア・リベルタスには結構な問題が沢山あって。

 そもそも国家単位で語る話を、小さな伯爵領に適用しようというのが、大分無理ある話。

 おまけにシビリアンコントロールも、実際問題、直ぐに首のすげ替えが出来る伯爵程度でやったとして、効果があるのかどうかっていうレベル。

 でも、やっておきたいのは、やっぱり選択肢を増やしたいからだ。

 今度はこちらがロッテンマイヤーさんの手を握る。


 「異世界では身分制度が撤廃されているそうです」

 「なんと……」

 「でね、そこに至るまでに沢山の血が流されたんだそうです。貴族も王族も処刑されたし、それ以前に貧困に喘ぎ、だからこそ自由と平等を手にしようとした平民たちが沢山亡くなったらしい」

 「貴族はともかく、王族まで手をかけるなんて……口の端に上らせるのも畏れ多いことです」

 「だけどね、それはそんな風になるまで民を追い詰めた結果なんだ」


 かのフランス革命で散った王妃は、実は伝わっていた話と違って国も民も愛し、彼女なりに良いように国が立ち行くことを願っていたそうだ。

 しかし大抵の貴族はそうではなくて、民に重税を課し、存在を踏みにじり、それを当たり前の権利と思ってもいた。

 私は「1789」というミュージカルで使われた、自身を神になぞらえた貴族が高らかに、自分の望みは天の望み、自分の言葉は神の言葉、平民は逆らえば生きてはいけないと歌う歌を口ずさむ。

 歌い終わった後見たロッテンマイヤーさんの顔は、眼鏡が邪魔してはっきりとは読み取れないけれど、明らかに困惑していた。


 「どう思います?」

 「異世界の貴族の歌で御座いましょうか……?」

 「お芝居に出てくる貴族が歌う曲ですが、あまりにも傲慢だと思いませんか? 翻って、帝国にもこんな歌を歌いそうな貴族がいるではありませんか」


 たとえば、うちのオカアサマとか。

 言外に含ませた言葉に、ロッテンマイヤーさんが息を詰める。


 「今、帝国は根腐れをおこしかけている。それは良識のある貴族なら、誰でも感じていることだとロマノフ先生より教わりましたが、その雰囲気が私は異世界の革命前夜に似ていると思うのです。平穏ではあるけれど、不平不満は静かに民に広まりつつある」

 「若様……」


 まだ菊乃井も帝国自体も盛り返せる所にあるらしいし、思想的にも自由だの権利だの平等だのいうものは根付いてはいない。

 しかし、領地に学問を広く敷くことになれば、その手の思想だって出てくるだろう。

 現状、一年や二年で革命に至ることはないだろうけど、五十年・百年後には解らない。

 その時にせめて菊乃井だけでも流血が避けられるようにしたいのだ。


 「私が生きている間に成し遂げるべきは、領地を富ませ広く領民に教育を受けられる制度を作り、健康で文化的な生活が出来るような下地を作ることだと思うのです。流血の伴った革命がおこれば、そういうものが壊されてしまう」


 なので今のうちにあまり不満の出ない政治体制に移行できるようにしておきたい。

 つまりその思想的な指針がアウレア・リベルタスなのだ。

 そう言いきった私の手を、頷きながらほどいて、ゆっくりとロッテンマイヤーさんが立ち上がる。

 そして、唇をそっと優しく引き上げて。


 「あもう御座います」

 「キビシー!!」


 ほほほと口に手を当てて軽やかに笑うロッテンマイヤーさんに、私は天を仰ぐ。

 ちぇ、上手く説明出来たと思ったんだけど、やっぱり勉強が足りないな。

 ぷすっと唇を尖らせていると、こほんとロッテンマイヤーさんが咳払いする。


 「サン=ジュスト様ともお話致しました。若様は遥か未来、身分制度の廃止を視野に入れてお話されていたのでは、と」

 「だから『帝政を否定するのか』って聞いたんですね」


 私の言葉に頷くと、あれからロッテンマイヤーさんはルイさんと二人で話し合ったそうで、その時の話をしてくれた。

 アウレア・リベルタスは穴が多い。

 しかしそれは私がまだ来ていない何か不穏の影を察知して、兎に角権力を法で制したいのと、暴力装置になってしまう軍をなんとか権力者──この場合領主だろう──から取り上げたがってると判断してくれたそうな。

 沢山の穴に関しては──


 「まだ幼年学校にも通える齢ではないのに、そこまで辿り着けたことをこそ素晴らしいというべきだ、と」

 「わぁ……」


 ってことは、私がイキり倒していたのを、大人は生温かく見守ってくれていたわけだ。

 恥ずかしー!

 羞恥で私がのたうつと、膝が動くからかきゃっきゃとレグルスくんが笑う。

 しかし、そんな私の肩をロッテンマイヤーさんがしっかり掴む。


 「若様、誤解なさいませんよう。私もサン=ジュスト様も皆様も、若様が理想とする未来を語ってくださったことは、とても嬉しいので御座います」


 しかしながら、如何せん経験が浅くて考えが甘い。

 でも、それだってまだ六つということを考えれば、未来をきちんと見ている方だとルイさんは言っていたそうだ。

 それはロッテンマイヤーさんも同じで、じゃあこれから勉強して経験を積んでいけば、より菊乃井に適した『アウレア・リベルタス』に辿り着くのではないか、と。


 「そのために若様には、おやりいただかなければいけないことが御座います」

 「勉強ですよね、もっと頑張らないと」

 「そうでは御座いません。今、若様のおやりになるべきは、お身体を休めることに御座います」


 「健全な肉体にこそ健全な魂は宿る」的な言葉はこちらにもあるらしく、それを鑑みると私はどや顔で未来を語るより、先に身体をどうにかすべきだそうで。

 去年からこっち、恐ろしいほど次から次に色々やってきたのが、ロッテンマイヤーは「怖かった」と言う。


 「ご無理はなさらないで下さいと何度も申し上げましたが、若様が目を輝かせてあれやこれやなさるのを見ると私も強くお止めするのは気が引けました。しかしながら、お身体に悪い影響が出るのであれば話は別に御座います」

 「や、でも本当に具合が悪い訳じゃないし、離魂症だって悪くはなってない筈です」

 「意識をなくすほどのことがおありでしたら、このアーデルハイド・ロッテンマイヤー、命を賭してもお止めしています」


 ロッテンマイヤーさんの眉が八の字に下がった。

 ロッテンマイヤーさんは私のすることは、基本的に止めないで動きやすいようにしてくれる。

 今回だってシャトレ隊長と話が通じるエリーゼを付けて、私が説得しやすい下準備をしておいてくれた。

 その人が強く止める。

 肩を掴む手は、ほっそりとして小刻みに動いていた。

 震えている。

 気付いてまた、私は恥ずかしくなった。


 「ごめんなさい、ロッテンマイヤーさん。私は随分心配かけたんだよね?」

 「若様……」

 「気付かなくってごめん。ちょっと休むよ。バーバリアンの皆さんに、服は少し待って欲しいこと、伝えて貰える?」

 「勿論で御座います……!」


 美しいカーテシーをすると、ロッテンマイヤーさんは柔らかく笑ってくれた。

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