第110話 展望、希望、要望

 「タリスマン」と言うのは古代の神事に使われる祭具の一種で、それを身につけて物語や歌を聞くと、聞いた人間が描いたイメージを幻として見せるのだとか。

 古来神様の声を聞いたとか、姿を見たとかいうのは、この祭具を用いて司祭たちがトランス状態になって見聞きした幻がほとんどだとか。


 「それにしてもロマノフ先生は、よくそんな物をお持ちでしたね……」

 「先生は冒険者歴が長くて、各地のダンジョンやラビリンスを巡っては、そんな珍しいものを入手したそうで、入手するまでの過程が楽しいのであって、その後はマジックバックに入れたら忘れるそうですよ」

 「まさしく宝の持ち腐れですな」


 祖母の使っていたサンルームで、ルイさんを招いて後始末の報告をしてたんだけど、まあ、相変わらず斬り捨て御免だ。

 くすりとロッテンマイヤーさんが、苦く笑う。


 「しかし、それが今回若様のお役に立った訳ですし……。若様が、ひいては菊乃井が侮られることがなくなるのでしたら幸いかと」

 「そう思います。お陰でバラス男爵は、私の名前を聞くだけで青ざめて震えだすらしいですよ」


 知らんけどな。

 この辺りの話は、私を一度家に送ってから証文を取りに行ったロマノフ先生が聞いた話だ。

 何でも先生が公爵邸にとって返した時にはもう、バラス男爵も気が付いていたらしいけれど、私の名前を聞いたら卒倒したそうで、執事達が粛々とお片付けしてたそうな。

 ルイさんも口ではバッサリやるけど、口角が僅かに上がっているところをみると、ちょっと面白がってるみたい。

 私としては侮られるのも御免だけど、余り警戒されるのもちょっと都合が良くないんだよね。

 親しみをもてるけど、でも怒らせると怖いから、敬意を持ってお互い接しましょうねってくらいが丁度良い。

 賭けのリザルトと、今後の方針を伝えるためにルイさんには来て貰った訳だけど、ロッテンマイヤーさんがいるのは彼女にも同じく方針を聞いていて欲しかったから。

 エストレージャたちには優勝決定戦が残っていて、ラ・ピュセルの結果もでていない。

 私たちには領地を富ませて識字率を上げるという目標があるのだから、止まってはいられない。


 「エストレージャたちには兎に角、対バーバリアン戦に全力を尽くして貰いましょう。彼らが得た賞金に関しては、彼らに全額支払ってください。故郷に錦を飾れるようにしてもいいし」

 「承知致しました。ラ・ピュセルの方は、ショスタコーヴィチ卿からは『故郷に帰るより、私たちの晴れ姿を見てもらいたい』と言っていたと聞いております」

 「でしたら、そのように。ご家族を菊乃井に呼ぶ手配を」

 「以前、ヴィクトル様よりご家族やお里の話は聞いて、連絡は取り合って御座いますので早速」

 「はい、よろしくお願いします」


 ロッテンマイヤーさんは本当にこう言うとこによく気が付いてくれる。

 そうだよね、年頃のお嬢さん、それも騙されて人買に売ってしまった娘さんなんだから、本当なら返して欲しいし、それが出来ないならせめて消息やら近況やらは知りたいよね。


 「本来なら私が気付かなくてはいけないことなのに。ありがとう、ロッテンマイヤーさん」

 「いいえ、そんな……。私の家族に大奥様がしてくださったことをしているだけで御座います。こういうことは一度気がつけば、次に似た様なことがあった時に活かせるもの。今回は大奥様が手本を示して下さっていたことを、私が若様にお伝えしたということになりましょうか」

 「ロッテンマイヤーさんを通じて、私は祖母から跡継ぎ教育を受けている。そう考えると、人の繋がりは面白いですね」


 「まさしく」と頷くルイさんの目線がロッテンマイヤーさんに注がれる。

 ルイさんは美形だけど、目がキツくつり上がってるからか冷たい印象が先に立つ。しかし、ロッテンマイヤーさんを見る目は、なんというか、こう、敬意を持って接してるからか、ちょっとこう……熱っぽい。

 加えて、見られてるロッテンマイヤーさんも、珍しく照れてる感じが私に伝わるくらい、ちょっと頬っぺたがピンク。

 そりゃ、面と向かって美形に誉められたりしたら照れるよね。私なんかロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんに誉められたら、照れで死ねるもの。

 さて、話の続きだ。

 私は今まで明確に領地をどうするって方針を、ルイさんには伝えて来なかった気がする。

 っていうか、私もザックリと経済回して識字率を上げるしか考えてなかったし。

 経済を回して識字率を上げる以外にも、必要だと思う政策はあるんだよね。

 そう告げると、二人はソファで紅茶を飲みつつ頷いてくれた。


 「だけど申し訳ない、私はやっぱりこどもで、何をどうすればその政策の施行に繋がるのか、ちっとも解ってないんです」

 「どのように予算を割り振るか、法律を整えるかを考えるのは、我ら役人の役割です。我が君におかれましては、どのような事を考えているかをまずお聞かせください」

 「それなんですけどね」


 経済を回せば景気が上を向く。景気が上を向けば、出稼ぎやらなんやらで人が増える。


 「ひとが増えれば当然食べるものとか消費が大きくなる。でも生産体勢が整ってなければ詰むし、農業やら畜産を奨励していかなきゃなって。食物自給率は下げたくないんです」


 農地改革というか、農法改革は奏くんのお陰で少し見えてきたから、魔術の使える食い詰めた冒険者さんの仕事としてギルドに依頼を出せば当面はしのげるかも知れない。

 でもそれだけじゃなくて、日照りや冷害に強かったり、より美味しく沢山収穫出来るような品種改良を重ねてもらう研究も必要だろう。なら研究者の育成が急務か。

 更に人の流入で起こる問題と言えば。

 

 「疫病の流行なんかも予想されるかな、と」

 「他所から来た冒険者や商人が、こちらにはない病気を運んでくる、と?」

 「うん。だから医者の質と量を上げないとだし、それをすると生存率と出生率もあがると思うんですね」


 腕の良い医者がいれば、それだけ助かる命が増えるし、出産に伴うリスクもかなり減らせるだろう。

 前世で「俺」が住んでた国だって、出生率が上がったのは医学が発展してからだ。

 ただ、医者の質と量を高めても、やっぱり薬が高価だったりするのは変わらない。

 それは薬草栽培とかまで事業を拡げられればなんとかなるかもだけど、それよりも医者の敷居をまず低くした方が早いだろう。


 「取り急ぎ出来るのは、医者代の補填をするから大事になる前に医者にかかりなさいってことだと思うんです。これは経済を回して領民が豊かになれば、吸い上げた税を元手にやれるかなって。えーっと、領民全てが税を納めることによって、皆が安心して医者にかかれるような相互扶助的な制度……?」


 確か、皆保険制度っていうんだっけ。

 完全無料にしてしまうと財源が心許ないから、一割か二割は自費を払うことにしてもらって。それでも一定金額までにその自己負担を定めておけば、余り大きな負担にはならないかと。

 それをボソボソ話すと、ルイさんが顎を撫でて、ロッテンマイヤーさんに視線を送る。


 「若様、医者を増やすと言うのは難しいかも知れません」

 「医者も少ないんですよね」

 「はい……。貴族の三男以下は医者を志す方が多く御座いますが、実を結ぶのは僅か。まして平民の出となると、余程優秀な者が運良くその地の権力者に見いだされるかくらいです。産婆などは弟子に知識を引き継がせることはあっても、専門的な医学の知識が必ずしもある訳では……」

 「おのれ、識字率! ここでも私の邪魔をするなんて!」


 なんて酷い奴なんだ、識字率!

 まあ、ヒスってても仕方ない。

 これはやっぱり皆保険制度の前に、教育の義務化をやらなきゃダメか。

 あと、医者への門が狭いのは、医者になるための教育にお金がかかるから、でもあるよね。


 「あーん、私が作りたいのは歌劇団と音楽学校と専用劇場なのに! そこまで辿り着くのに、どんだけ遠いのー!?」


 まあ、天を仰いで嘆いても、仕方ないことではあるよね。

 姫君様にも私が生きてる間に進められるのはちょっとだけだと思うっていってあるし、予想の範囲内ではある。

 とりあえず、やれることから始めよう。

 私は天井からロッテンマイヤーさんとルイさんに視線を向けた。


 「兎に角ね、教育の義務と無償化。それから皆保険制度。この二つは菊乃井が儲かったら確実にやりたいんです」

 「なるほど、確かにその二つを同時にやるには菊乃井には色々と足りていませんな」

 「そう思います。差し当たり一番足りないのはお金だと思うんですよね。EffetエフェPapillonパピヨンが軌道に乗ったとしても、その利益だけでは二つを叶えられる程の儲けにならない。菊乃井に投資を呼び込めたらまた違うんでしょうけど……」


 それもなぁ。

 呼び込み過ぎると出資者の意向を聞かざるを得なくなっちゃうから、匙加減が凄く難しいんだけど。

 眉間にシワを寄せていると、「はい」と淑やかにロッテンマイヤーさんが手をあげた。


 「どうしました?」

 「その辺りのことは、お隣のロートリンゲン公爵にご相談なさるのは如何がでしょうか」

 「閣下に?」

 「はい。お隣は領地も豊かだとお聞きしております。つまり、領地経営の何たるかを一番ご理解なさっているものだと。それならば先達として、若様に何かご教授くださるのでは?」

 「ああ……そうですね、それは良いかもしれない」


 頷くと、ルイさんがハッとしたような顔をして、それからまた元の無表情のような微笑に戻る。

 そういうの気になるんですけど。

 なので、聞いてみる。


 「ルイさんは、何か思い付いたんですか?」

 「……いえ、我が君にお話するほどのことでは」

 「意図して表情変えないようにしている貴方がそれをしたんだから、大事なことですよ。多分」


 言いたくなきゃ良いけど。

 匂わせながら首を傾げると、今度ははっきりと驚く。


 「見られていましたか……。いえ、ロマノフ卿が熱心にロートリンゲン公爵と縁付くように画策なさっていたのは、このためかと」


 このため……とは、なんだ?

 グルグルと思考を巡らせれば、ハッとする。

 そうだ。先生方は帝国の認めた三英雄。

 彼らの後ろ楯があれば、両親は私に手は出しにくい。それでも尚、ロマノフ先生はロートリンゲン公爵を味方に付けろと、今回の話を付けてくれた。

 それはロマノフ先生が私にはロートリンゲン公爵の存在が必要だと判断したから。

 ロートリンゲン公爵は、帝国では力ある貴族で領地経営も上手く行っている。

 つまり、ロートリンゲン公爵を貴族としての見本にせよ、と言うことか。


 「なるほど、領地経営の師匠を探して来てくれた訳ですね……!」

 「左様かと」


 ぐぬぬ、ロマノフ先生ったら!

 好き!

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