第109話 復讐の炎は地獄のように燃え盛る

 ちょっと泣きそうになるというアクシデントはあったものの、ロートリンゲン公爵は本当に近所のおじさんになってくれるようで。


 「これからは近所のおじさんとして話すがね、やっぱりお金はちゃんと受け取っておきなさい。何をするにもお金は便利な道具だし、あるとないならある方がいい。なに、支払いはうちの馬鹿な弟に間違いなくさせるから、うちのことは気にしなくていい」

 「そうだぞ、貰えるものは貰っておきなさい。弟に良いお馬さんを買ってやってもお釣りはくるだろう」

 「はぁ……いや、それならEffetエフェPapillonパピヨンに投資して頂く方が……」

 「そっちはそっちで別口で考えるから、貰っておきなさい」

 「はい……えっと、ありがとう御座います」


 さっきの交渉の時の雰囲気と全然違う。

 と言うか、さっきまでの私がガチガチに身構えてたように、公爵も鷹司さんもやっぱり構えていたのかしら。

 そういう戸惑いが顔に出ていたのか、公爵が咳払いをして眼を細める。


 「うん、まあ、我ながら手のひら返しが酷いと思うが……余りに見事に足を掬われたのでね。やはり私としては公爵家を守る立場として、ああいう対応にならざるを得なかった」

 「それは君もだろう? 君が対応を間違えたら、さっきも言っていたが守りたいものを守れなくなる。相手の真意が解るほど、我らは親しくはないし」


 敵は不理解と無知から現れる。

 まさしく私がいつかローランさんと晴さんに言ったことだ。

 ロマノフ先生を信用していても、目の前の大人が善良だと先生が判断していても、私自身が公爵を知らない以上どうしても怖さが勝る。

 相手の懐になんの準備もなく飛び込めるほど、私は豪胆にはなれなかった。

 且つ、或いは相手より優位に立つことを目的にすると、どうしたって相手の隙とかきずになる部分を突くことになる。それは相手の弱味につけ込むのと何が違うのだろう。

 交渉相手に意地悪してるだけなんじゃないか、とか。

 例えそうでも必要ならやるけど。

 そう思ってる時点で、自分の性格の悪さへの自己嫌悪なんて、自己憐憫に過ぎない。

 こくりと頷くと、公爵は顎を再び擦る。


 「正直な話をすると、君が賭けでせしめたバラス男爵家の身代を盾に、我が公爵家と何らかの縁を結びたいのかと思ったんだよ。うちは当代で第一王子の婚約者候補を立てることになっているからね。それを利用して中央に打って出る気なのだとばかり」

 「私やヴィーチャ、ラーラは否定したんですが、イマイチ信用して頂けなくて」

 「それは致し方ないだろう。四月朔日わたぬきに施行された職人保護法の後ろにいて、EffetエフェPapillonパピヨン商会をたった一人で興したと聞けば余程の野心家なのかと思うさ」

 「ましてその昔、『皇帝の命には従っても、皇太子の命には絶対従わない。悔しかったら皇帝になって出直せ』なんて啖呵を切るようなアレクセイ・ロマノフとかいう怖いエルフの秘蔵っ子だぞ? そりゃなんだかんだ警戒するだろう」

 「え、待ってください。今の話を詳しく!」


 なんなの、そんな話聞いてない!?

 思わずロマノフ先生の方を見ると、先生の視線が明後日を向いていた。

 これ、私がガクブルしながら交渉しなきゃいけなかったのって───


 「まあ、その、半分くらいは私のせい……ですかね?」

 「半分……?」


 そんなにか!?

 「うぇぇぇ」と驚きの声が漏れて、先生と公爵と鷹司さんを三度見しちゃったよ。

 でも驚いてるのは私だけじゃなくて、大人二人もそうで。


 「なんだ、知らなかったのかね?」

 「教えてくれなかったのか、この怖い家庭教師様は」

 「怖くはないですけど、そういうことは教えてくれなかったです。いや、怖いって……先生なにしたんですか?」

 「特になにも。家庭教師として精一杯勤めさせて頂きましたがね、その啖呵切らせた皇太子殿下にも」

 「まあ、そうですよね。じゃなかったら、その皇太子殿下が皇帝陛下におなりあそばした時に、ロマノフ先生無事じゃ済まないですもんね。ロマノフ先生の諫言を聞き入れられたんだから、その皇帝陛下は度量の大きな方だったんでしょう。師弟で凄く仲良しだったんですねぇ」

 「ああ、そういう評価になりますか。まあ、対外的に名君という評価ですしね。仲良しかは想像にお任せしましょうか」


 ごふっと鷹司さんが噎せて、公爵がなんだか笑いを噛み殺している。

 なんでだろう。

 見てるとわざとらしく咳払いして、鷹司さんが話題を変えようと言い出した。


 「さて、とりあえず男爵の件を片付けよう。アレの処遇は先程の取り決めで行くとして、公爵家は男爵領と屋敷を菊乃井家から買い取る。しかし、菊乃井家からの申し出もあり、適正価格からかなり低い値で買い取りを行う……としようか。収税権も申し出があり、公爵家へと返還。で、最後の公爵家の面子の話だが……」

 「それに関しては鳳蝶殿の話を採用させて貰おう。我が家の面子も立つし、君のご両親に対しても牽制になる……が、その証拠になる手紙を後日作って君に渡そう。ご両親に何か言われたらそれを見せなさい」

 「ありがとう御座います。でも手紙……?」

 「噂と君の話を聞く限り、君のご両親には公爵家に隔意があっても何か出来る人間ではあるまいよ。それこそ貴婦人なら、公爵家の圧力に伯爵家では対せぬことは知っている。だから君に折檻なりすれば、私が黙っていない、或いは告げ口されると解った時点で何もすまい。君にこういうのは良くないのかも知れんが、私には君が刺し違える覚悟で対さなければならないような、そんな価値がご両親にあるとは思えない。時が至るまで、私の名前でやり過ごしておくといい。それに……その……なんだ、陛下の御一族と同じく神様にご加護を頂いているなら、耳目を集めぬ方が平穏に暮らせるだろう。ご近所のおじさんとしても、今まで難渋していたのを無視していたんだからこれくらいはやらせてくれ。でないと大人というか、一人の父親として罪悪感が凄まじい」

 「そうだな、俺としてもそこは忸怩たるものがなきにしもあらずだ。だからこれを……」


 そう言って差し出されたのは黄金の懐中時計で、時計の蓋には透かし彫りで鳳凰があしらわれている。

 鎖まで金だから、どんだけ金が好きなんだろうか。

 受けとる謂れがないと断ろうとすると、ロマノフ先生がすっと受け取ってしまった。


 「これはね、私の賭けの対価ですから受け取ってください」

 「賭けの対価?」

 「そう、私も賭けをしていましてね。鳳蝶君が公爵家に対して、本当なら何も望む所はない。あるとすれば自分や弟や屋敷の人間、領民たち守るための力を欲するだけで、それも自分でぶんどれるから単に見守って欲しい。後はEffetエフェPapillonパピヨンの商品を流通させる許可くらいだって、自分で証明して見せられるか否か……とね。私たちも宇気比うけひをしていたんです。君の言葉に嘘偽りがあった時は私に呪いが降りかかるが、そうでなかった時は何も起こらない、と」

 「なんだってそんな危ないことするんですか……」

 「君と君の可能性を信じていて、私が君の先生だから、ですよ」


 「教師というものは必要なら教え子に命もかけるものです」と、微笑まれてしまって、頬っぺたが熱くなる。

 信用されてるってのは、気恥ずかしいけど嬉しい。

 でもこの時計って何か意味があるのかな。

 というか、鷹司さんは一体何者なんだろう。

 伺うように鷹司さんを見ると、ロマノフ先生が彼に目配せして。


 「それは公証人としての私の身分証明のようなもの。正当性を疑われたら提示するといい。それによって誰が公的文書を作成したか、直ぐに照会出来る」

 「ああ。うちの両親が賭けの結果に疑いを抱いた時の対策として、ですね。解りました、ありがたく頂戴します」


 なるほど、公証人からもそんな言質を取るためにロマノフ先生が掛け合ってくれたのか。

 私よりも石橋叩いてくれてるなんて、流石先生。

 なるほど、鷹司さんはこの時計を見せただけで鷹司さんだと解るくらいに、貴族の間で有名な公証人なのだろう。

 兎も角、これで賭けの件は一件落着だ。

 それぞれ取り決めた事をさっくりと鷹司さんが文書にまとめると、そこにそれぞれがサインをすることに。

 私や公爵が終わったあと、執事に連れられて再びバラス男爵が部屋に招き入れられた。

 そして喚こうとするのを、ロマノフ先生が魔術で口を閉ざさせて制する。

 それから私の肩に手をおく。


 「ところで、鳳蝶君は歌も上手なんですよ」

 「ああ、そうらしいな」

 「彼のマリア・クロウが唯一自分と同等と評しているとか……」

 「ええ、一曲お聞かせいたしましょう。ね、鳳蝶君?」

 「は、え?」


 なんでいきなり。

 口を魔術で塞がれても、耳はそうじゃないバラス男爵も、執事に押さえられながらもバタバタと暴れているし、公爵も鷹司さんもきょとんとしている。

 そんな状況に、ロマノフ先生が私にだけ聞こえるように「ちょっと怖い曲はありますか、それを」なんて囁いてきて。

 あるにはあるけど、こんなところで───?

 ちょっと考えて、私は息を深く吸い込む。

 歌い出したのはオペラ「魔笛」で、有名なアリアのうちの一つ「|Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen《復讐の炎は地獄のように我が心に燃え》」だ。

 華やかな曲調とは裏腹に、怨念めいてて結構歌詞が怖いの。

 私は前世の原文で歌ってるつもりなんだけど、こっちの人にはこっちの言語に聴こえるそうで、鷹司さんと公爵はジト目でロマノフ先生を見てる。

 バラス男爵はと言えば、段々大人しくなって、曲の終わりには顔色が土気色になってた。

 まあ、あれだ。

 母親が自分の娘に「私の敵を殺せ。殺さなければ勘当するぞ!」と迫る歌なんて怖いよね。

 私は別に両親を殺したいとか思わないし、邪魔さえしなきゃ別に幸せでいてくれても良いんだよ。私に見えなけりゃいないも同然なんだから。

 なんて、私が思ってることなんて知るよしもないのだろう。

 すっと最後の音を納めると、私は胸に手を当ててお辞儀する。

 「お耳汚しを」と言った瞬間、ばったりとバラス男爵が泡を噴いて倒れた。

 股間とその下の絨毯がなんだか濡れてる。


 「……ロマノフ卿から愚弟にそれとなくタリスマンを持たせてくれと言われた時は何事かと思ったが……なるほどな」

 「呪いと祝福は紙一重か……。なんにせよ」

 「「えげつないな」」


 重なった言葉に絶句してロマノフ先生をみると、笑顔がいつもより晴れやかな気がした。

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