第73話 寿ぎ、言祝ぎ
麒凰帝国では、毎月の最終日を
月の最初の日が
大晦日に一年の汚れを払うために大掃除をするのも前世と似ているけれど、普段からメイドさんたちが綺麗にしてくれているので、屋敷の中や私の部屋は凄く綺麗。レグルスくんのお部屋や、先生たちのお部屋も同じくで、私が気合い入れて掃除するところは本来全くない。
でもそれじゃ何か詰まらないからと、ヴィクトルさんとラーラさんが、魔術で屋敷の外観を整え始めて。
屋敷の外は雨風に吹かれるからどうしても埃っぽくなる。それを丸洗いして、塗料を塗り直すそうだ。ただし魔術使用。
で、後学のためにその光景を見せてもらったんだけど、窓や扉は結界で割れないように保護、局地的豪雨で埃を流して、局地的猛暑で乾燥させて、後に塗料を風で塗り塗り。
凄く雑なように見えて、魔術のコントロールがかなり難しいのだとは、ヴィクトルさんの解説より。
てか、あのエルフさんたちDIYとか園芸とか、物凄く好きよね。
お陰で凄く助かるんだけど、たまに畑から「泥遊びしてましたよね?」って格好で、レグルスくんや奏くんと帰ってくるから、宇都宮さんやエリーゼが黄昏てるときがあったり。
床掃除、大変だもんね。
それは兎も角、ピカピカに白くなった屋敷で新年を迎えられるって嬉しい。
それに大晦日は、こどもも夜更かしが許される。
日付が変わる少し前から変わった後暫く、隣の天領と公爵領ではお祝いの花火がうち上がるんだけど、それがとても綺麗なのだそうだ。
いつも早寝早起きを推奨するロッテンマイヤーさんも、それは起きてても構わないと言ってくれて。
だから私とレグルスくんは、おやつの後はお昼寝タイム。夜遅くまで起きるためには、お昼寝は重要なのだ。
何故か一緒のベッドでお昼寝するんだけど、最近レグルスくんは私のお腹をもちると、せつなそうにため息を吐く。
それから「にぃにがへった」って呟くんだけど、横じゃなくて縦に伸びるのはお気に召さなかったらしい。
でも仕方ないんだ、白豚から人間になりたいんだもん。
それにしても、やっぱり誰かと一緒に寝るのは緊張する。幅が減ったんだから押し潰す心配もなくなったんだけど、ね。
そんなわけで、お夕飯のギリギリまでうとうとして、起きたらお夕飯。
旧い年が終わるからと言って、特にご馳走を作ったりするよりも、家族の好きなものを沢山用意するのが帝国風の過ごし方で、我が家ではそれがカレーライスなのだ。
もりもり口の周りを汚しながらも、レグルスくんはちゃんと一人でスプーンを使っている。
来年はもう四歳だから、文字を書く練習を始めようか。最初はミミズののたくりでも良いし、象形文字っぽくなっても構わない。
そう思いながらレグルスくんを見ていると、スプーンを咥えた彼と目が合って。
口の周りにご飯粒を付けながら、にぱっと笑う顔が可愛い。
スケジュール的には夕飯の後は、少し休んでからお風呂に入る。
その後は、前に倒れてからお風呂上がりの習慣になっている、エステのようなマッサージをラーラさんに施して貰う。
これのお陰で肩こりは大分緩和されてるし、お肌の具合もどこかの貴婦人かってくらいぷるぷるのつやつやだ。
そうして身体のお手入れが終わったら、自分で作った保温やら耐寒やら防寒やらが付いたセーターを着て、時を待つ。
普段は早く寝かされるレグルスくんも、今日は夜更かししても良いから、暖炉がある居間に絵本を持ち込んでるし、先生たちもエルフの郷から持ち込んだお酒を楽しんでいる。私は編みぐるみ作ってるし。
と、ゆらりと空気が揺れて、暗がりから人の足が浮き上がって。
薄ぼんやりとした陽炎が像を結ぶと、マントを翻して氷輪様が立っていた。
目を見開いた私に、そっと口の前で人差し指を立てて沈黙を促す。見回すと誰も氷輪様に気がついていないようだった。
『今日は賑やかだな』
(大晦日なので、夜更かししても怒られないんです)
『何故だ?』
(隣の領地で新年を祝うために花火があがるんだそうです)
『ふぅん』
余り興味がないのか、少し目を細めるだけでリアクションが薄い。
神様は新年を祝ったりなさらないのかしらと思っていると、氷輪様が首を横に振る。
『特にそういうことはしないが、集まって酒は飲む』
(お酒ですか)
『ああ、
(ははぁ。姫君の桃から作られたやつでしたっけ)
『ああ、それだ。それから座興に力比べやらで賭けをして遊んだりするな』
(なるほど、私たちと余り変わらないんですね)
『当たり前だ。何せ人間は我らを形代に作られているのだから』
くくっと笑うと眉を愉快そうに上げられる。
なるほど、それなら私たちが好きなものを、同じように好きになってくれる可能性があってもおかしくないわけだ。実際姫君はミュージカルや菫の園にハマってくれたし。
『そういえば今年の賭けは、百華が艶陽に負けていたな。厄介なことを頼まれてたようだが、あれはどうなったんだろうか』
(賭け……)
天界にも色んな人間関係があるんだな。
氷輪様のお話を聞きながら、編みぐるみを仕上げていく。
シマエナガとヒヨコを模した編みぐるみで、これを駒にして陣取り合戦が出来るようにしたいんだよね。
先生たちが言うには、チェスだか将棋だかに似た遊びがあって、それはこの国や他の国でも人気の遊びらしく、出来なくても良いけど出来た方が付き合いが広がるそうな。
私はあんまり興味ないんだけど、奏くんが得意らしくてレグルスくんに教えてくれるそうだ。
だから二人で出来るように駒を作ってる訳で、集中してるときの私は大概喋らない。そんなだから、氷輪様と心の中でお喋りしてもバレなかったり。
私としては氷輪様がいらしてる事を隠すつもりはないんだけど、姿を余人に見せないように出てこられるって事は、氷輪様が騒がれるのを煩わしく思われてのことかしら、と。
編み上げたシマエナガに、別に編んでいた王冠とマントに飾緒に肩章を縫い付けたら、シマエナガ隊長の完成だ。
駒は隊長が一つ、副隊長が一つ、重装備兵が二つ、突撃兵が二つ、衛生兵が二つ、歩兵が八つの計十六個。それぞれ個性を持たせるために盾や剣を持たせるつもり。隊長は一番立派に飾らなきゃだ。
と、遠くで教会の鐘がなる。
新年へのカウントダウンが始まったみたい。
誰ともなく顔を上げると、ロッテンマイヤーさんがバルコニーに続く扉を開けた。
「若様、花火が始まります」
「あ、はい!」
座ってた椅子から立ち上がると、氷輪様と一緒にバルコニーに向かう。すると、レグルスくんが駆けてきた。
「にぃに、れーも!」
「うん、一緒に見ようね」
ぎゅっと腕に抱きつくレグルスくんと氷輪様とバルコニーに出ると、ぞろぞろと先生たちやロッテンマイヤーさん、宇都宮さんが着いてきた。階下を見るとエリーゼやヨーゼフ、料理長も庭に出てきていて、皆で花火をみられるみたい。
鐘が、もう一度鳴る。
『鳳蝶よ。思ったのだが、花火とやらは新年の祝いでもあろうが、領主から領民への新年の祝福ではないのか?』
(祝福……、そうなんでしょうか?)
『王は新年に祝いの席を設けて臣下を招くのだろう。領主はそれをせぬ代わりに花火とやらを見せてやるのでは?』
(ああ……そうなんですかね。うちの両親はしてないから、解んないですけど……それならやった方が良いですよね)
『……お前は領主ではないから、側用人も言わなかったのかも知れんが』
(私、こどもだし、あんまりそう言うのを気にしないで良いように、ロッテンマイヤーさんが気を使ってくれたのかも)
ちょっと聞いてみようか。
荘厳に鐘がなるのを聞きながら、ロッテンマイヤーさんのスカートの裾を少し引く。
「どうなさいました?」
「天領とお隣の領地で花火が上がるのは、領民への祝福やら振る舞い酒代わりも兼ねてるんですか?」
「……その要素も御座います」
ああ、やっぱりそうなんだ。
領主ってやっぱりこういう事にも気がつかなきゃいけないんだろうな。
領地の監督権が欲しいとかちょろっと考えたけど、言われてしかこういうことに気が回らないなら、やっぱり私も両親と目くそ鼻くそだよね。思い上がっちゃ駄目だな。
ちょっと落ち込んでいると、さわさわと頭を左と後ろから撫でられる。左は氷輪様、後ろは手の感じからしてロマノフ先生だ。
「そう言うのは大人になってからで構わないんですよ」
『言った手前なんだが、お前はまだ祝福を受ける側でいてよい歳だ』
「はい、ありがとうございます」
うん、何かやりたくても懐は寒いし、私はまだ何かもない。出来るのは歌うことくらいだ。歌には祝福が込められてるものも、そりゃあるけど。
『ならば、歌うか?』
(へ?)
『祝福を歌うなら、手を貸してやらんでもない』
そう仰有ると、氷輪様の薄ぼんやりした輪郭が、ハッキリと形を取る。
夜を染め抜いたような長い、黒とも紺ともつかぬ髪に、裾には蝶の羽を模したような模様をつけたマントを腕で払う。
いきなり現れた麗人に、はっと大人が息を飲むのが解った。しかし、そんなものに飲まれないのが一人。
「……にぃ……あにうえのおともらちですか?」
『ああ、氷輪という』
「いらっちゃいまちぇ」
『うむ』
やだー、レグルスくんたら天才!
いつの間に、こんな立派な挨拶が出来るようになってたのかしら。
男声のようにも女声のようにも感じられる静かな声に、最初に我にかえったのはロッテンマイヤーさんで、美しい所作で宇都宮さんを道連れに膝を折る。それに倣ってエルフの三人も、素早く膝をついた。
『仰々しくせずとよい。我はこれと語らいに来たに過ぎぬ』
「これ」と言われて抱き上げられる。すると、はしっとレグルスくんが氷輪様のマントを掴んだ。
不敬になるのではと一瞬びくっとしたけど、鷹揚に氷輪様はレグルスくんに目線を落とす。
「にぃに、どこにいくの?」
『ああ……連れていく訳ではないが……不安か。それならば』
「ぴえ!?」
片腕に私を抱いたまま、もう片方にレグルス君を抱える。見かけによらず、氷輪様は力持ちなようだ。
そのまま宙に浮くと、屋根より高い位置で止まる。
『座興だ。祝福の歌を歌うが良い』
それなら良いのがある。
何故だか日本で年の暮れになるとよく演奏されたり合唱される、それ。
「第九」或いは「歓喜の歌」と呼ばれる歌だ。
すっと大きく息を吸い込むと、腹の底から新しい年を迎える歓びと祝福を、詞に乗せて歌い出す。
私が歌を歌うとき、使う言語は前世の『俺』が覚えた歌詞に使われていた言葉だ。例えば日本語の歌詞なら日本語、英語なら英語、それ以外ならそれ以外。第九であればドイツ語だ。
だけど、それはどういう原理か、聴いてるひとには此方の言語で聴こえているらしい。
『もう少し盛り上げてやろう』
呟かれた声に首を傾げると、氷輪様に歌を止めるなと目線で告げられる。
レグルスくんも解らないながらに手を叩いてくれたり、応援してくれているようだ。
私とレグルスくんを抱えたままの氷輪様の頭上に、キラキラと光が集まって魔法陣が夜空に輝く。
それは見ていると緩やかに五芒星から形を変えて、色とりどりの花が咲き、かと思えば流星が雨のように煌めきとともに降り注ぐ様子を、まるで映画のように写し出した。
『お前の魔術の応用だ。いずれ我が力を貸さずとも出来るようになるだろう』
そうだと良いな。
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