第72話 菊乃井領の兄弟事情
もう、菊乃井さんの親子仲とか夫婦仲とか嫁姑仲が最悪なのは、お家芸とか血筋とかだと思おう。
アレ過ぎる身内の話で、私の気力はごりごり削られ、そのお陰でロマノフ先生の授業はそこで終了。
後は趣味と実益を兼ねた手芸と、レグルスくんと奏くんの読み書き計算の授業で一日が終わった。
翌日はエルフ三人衆はちょっとおでかけ、私とレグルスくんと奏くんは、売り物に使うための材料を、何がいくつあるか調べながら、帳簿を付けることに。
毛糸の束を丸くしたものを十個ずつ、一つの箱に入れたものを一セットとして、それが何個あるとか数えるのはレグルスくんにも出来るし、奏くんは字が書けるから箱に何が入っているかを書いて、更にノートにも何が、どこに、どんな名前で、どう収納されてるかを書き留めてくれている。
奏くんはレグルスくんと一緒に勉強するまで、自分の名前くらいしか書けなかったそうだ。
しかし今では村の子供たちにも教えてあげられるくらい、読み書き計算が出来るようになったと源三さんが嬉しげにしていた。
そのお陰で先日は街で、冒険者が余所から来た行商人にぼったくられるのを、値札を見て見破ったとも。
これはローランさんから聞いたことで、たまたま揉めているところにローランさんが呼ばれたそうだ。
大人に喧嘩を吹っ掛けるような無鉄砲を叱られはしたらしいけど、概ね誉められて「次は俺を呼んでから見破れ」と言われたと奏くんは口を尖らせていたけど。
この件で少なくとも街の人たちは、読み書き計算は出来ないより出来る方が良いとは思ってくれたようだ。
奏くんは以前自分にも出来ることはないかと尋ねてきたけど、立派に勉強の有用性を宣伝してくれている。頼もしい友達だ。
小さなことからコツコツと。
前世の『俺』が小さい頃、選挙に出たコメディアンがスローガンにこの言葉を掲げていたけど、これは政治でもなんでもに当てはまる言葉だ。
小さな変化がやがて大きなうねりに変わる。それを目指していかなくては。
「若さま、毛糸のしわけおわったぞ」
「にぃに、れーも!」
「はい、じゃあノート見せて貰えますか?」
「ほい。たくさんつかうのは前のほう、あんまりなのは後ろのほうにしまったから。使うときは戸だなを絵に描いてあるから、それ見てくれ」
「おお、凄い! 助かる!」
「そっか、よかった。ヨーゼフさんやらじいちゃんが、物をしまう時はそうやるんだって言ってたからやってみた!」
「へへっ」と鼻の下を指で擦って笑う奏くんに、「れーもやったのぉ!」とぴょんぴょん跳ねて自己主張するレグルスくん。
もう、凄く平和で和むわ~。
毛糸の仕分けが終ったなら、今度は布の仕分けがあるんだけど、和んだところで宇都宮さんがお茶を運んできてくれたからちょっと休憩。
お昼前だからお茶のお供は、クッキーが少し。
ぽりぽり行儀よく食べてるレグルスくんを見ながら、奏くんが肩を竦めた。
「紡のが小さいせいもあるんだろうけど、ひよさまみたいにきれいにクッキー食べられないんだ」
「ぼろぼろ溢しちゃうってこと?」
「うん。ぜんたいてきに何かきれいじゃない」
「れー、きれいにたべれるよ!」
紅葉のようなおててを挙げて、元気よくお返事するレグルスくん。
ふわふわの髪を撫でると「ふんす!」ってお鼻を得意気に広げてるのが可愛い。
「今は綺麗に食べられるよね、レグルスくん。お行儀よくしようって頑張ってるし」
「今はってことは前はそうでもなかったってことか?」
「そりゃあ、だって小さいんだもの。お匙を握るのだってお箸を持つのだって、小さいと何かと大変なんだよ。まだおててやお口が上手にご飯を食べられるように出来上がってなかったりするから」
「うまく動かせないで当たり前ってことか……」
そう言うと、クッキーを咥えたままちょっと考える。その目は自分の手とレグルスくんを行ったり来たり。
何やら悩んでる様子にレグルスくんと顔を見合わせる。と、レグルスくんが口を開いた。
「かなはぁ、おとーとにおしえてあげないのぉ? にぃにはれーに、おはしのつかいかたおしえてくれたよ?」
「それがさぁ、おれもはしの使いかたへたなんだよなぁ。だから紡におしえてやれないんだ」
「えー……そうだったっけ?」
奏くんと源三さんは、屋敷にくる時はお弁当持参でやってくる。だから私とレグルスくん、先生たちもお弁当にして貰ったりしてるんだけど、奏くんはお箸の使い方は悪かったろうか。
首を捻っていると、奏くんが種明かしをしてくれた。
「じつはべんとうのときはフォークで、マナーの勉強のときはロッテンマイヤーさんがこそっとなおしてくれてる」
「うっそ!? 気付かなかった!」
「かなもおはしへただった!?」
「それでも若さまをまねてたらだいぶんましになったって、じいちゃんが言ってたぜ!」
おぉう、それは知らなかった。
奏くんは一時期かなり紡くんと拗れてたみたいだけど、話を聞く限りはもうそれもないみたい。家でも面倒見てるみたいだし、ご両親とも溝はなくなったんだろう。
近況を尋ねてみると、意外なことに奏くんは首を横に振った。
「母ちゃんも父ちゃんも、やっぱり紡じゃなくておれにぶつぶつ言う。でもさ、おれがここはおとなになってやろうとおもって」
「おぉう……大人に……」
「そう。父ちゃんも母ちゃんもいそがしいんだ。おれはアニキだし、紡のイタズラくらいゆるしてやるのさ。だっておれは将来若さまのたよれる右うでになる男だぜ?」
「ふんす!」と鼻息を得意気に吐き出して奏くんは胸を張る。
なんだ、この男前は。
身内の大人はアレ過ぎて頼れないのに、血の繋がりがない大人の皆さんや友達の、なんと頼れることか。
感動していると、こそっと宇都宮さんが耳打してくる。
「宇都宮、ロッテンマイヤーさんから、奏くんもパーティーに招待するので都合の良い時間帯を聞いておいて欲しいって言われてるんですが……」
「ああ、うん。解った」
頷くと紅茶を飲む。
宇都宮さんもここに来た当初は美味しい紅茶が淹れられなくて、ロッテンマイヤーさんにとんでもなくしごかれたとか。
「奏くんもパーティーに来て欲しいんだけど、いつぐらいなら都合がつくかな?」
「おれも来ていいの!? 朝は家ぞくですごすけど、昼からはみんなとあそんでるから、朝以外なら!」
「ロマノフ先生たちにも聞いたんだけど、先生たちにも朝は王城に呼ばれてるけど夕方なら大丈夫って言ってたかな」
「夕方だと、じいちゃんといっしょならだいじょうぶと思う」
「勿論、源三さんにも参加して貰う予定だから」
「じゃあ、だいじょうぶ! さ、くれになる前にしごと終わらせようぜ!」
奏くんがにかっと笑うと、白い歯が見える。
ちゃくちゃくと新年へと向かって、時間が進んでいくのを実感しつつ、作業は再開されるのだった。
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