第46話 生の先達と書く理由(前)

 「そろそろね、来る頃だと思ってましたよ」


 あれから、姫君には「今日は終いじゃ」と袖を振られて、私はレグルスくんとおてて繋いで屋敷に戻って来ていた。

 歌を歌わなかったことでレグルスくんには食い下がられたけど、お昼寝の後で遊ぶ約束をすると、ちゃんとおててを離してくれて。

 それで私はロマノフ先生のお部屋を訪ねてみると、先生はにこやかに扉を開けてくれた。

 先生のお部屋はお客様用のお部屋で、寝室と扉でつながった書斎がある。

 先生は私の教師をしている以外の時間、ここで過ごすか、街に行くか、ダンジョンに潜っているそうだ。

 あるのはソファとライティングデスクに椅子、ベッドとその横にチェストとシェードランプ。

 あまりごてごてに飾り立てないで、自宅みたいに過ごせるようにというコンセプトなのだそうだ。

 入ってすぐに、ソファを勧められて座ると、斜め前に先生が座る。


 「そろそろ来る頃だと思ったっていうのは……」

 「君のことだから、姫君に昨日あったことを詳しくご報告してるかと思いまして」

 「お見通しでしたか」

 「それで姫君からどう言ったお話がありました?」


 穏やかな翠の目に見つめられて、そっくり姫君のお話を伝える。

 すると、先生は眉を八の字に下げて「流石、姫君」と呟いた。


 「姫君は先生があの桃の正体を知っていて、私がそれに気付くのを待っておられるのだと……」

 「うーん、そこは少し違いますね」

 「でも先生。私が桃を持ってた時、あれは『仙桃』だと仰ってましたよね?」

 「ああ、はい。よく聞いてましたね」


 今から思い返せば、確かに姫君が仰ったように、ロマノフ先生はあの桃に対してリアクションがちょっとおかしかった。

 あともう一人リアクションがおかしかった人がいるけど、それはちょっと置いといて。


 「あの桃に関して言うならば、最初は『仙桃』かどうか確信はなかったんですよね。何せ私も実物は見たことがありませんでしたから。姫君からの賜り物、それから効用、そして『桃』だから『仙桃』かと思い込んだ次第で。『仙桃』はだいたい百華公主からの賜り物と伝承にありますしね」

 「ああ……なるほど」

 「あとはソルベの時に、材料は『仙桃』って聞きましたし。それが決め手ですよ」


 組んだ足の上下を入れ換えるだけで、美形は様になる。

 私じゃ、足が太短いからそんなことしたら、後ろにスッ転びそうだ。

 そう思って桜島な足を見ていると、ロマノフ先生が真面目な顔でこちらを見ていて。


 「……アプローチの仕方を考えていたんです」

 「アプローチ、ですか?」

 「ええ、君にどうやって外の世界に興味を持って貰おうかと思って」

 「外の、世界……」


 ロマノフ先生と、最初にロッテンマイヤーさんから引き合わされた時、私はちくちくと刺繍に励んでいた。

 お客様だと聞いていたから失礼の無いように屋敷の中を案内して、家庭菜園をお見せして、一緒にお食事したのを覚えている。

 先生はその後数日、私の様子をこっそり見ていて、家庭教師をするか否か決めるつもりでいたのだとか。

 ロッテンマイヤーさんからの前評判は、正直良くなくて、でも「どうにか魔術や勉強を教えて欲しい」と懇願されたから、不思議に思ったそうだ。


 「だって、箸にも棒にもかからない子供のために、普通に考えて頭を下げたり出来るかという話ですよね」

 「ま、まあ、そう、ですよね」


 おおう、霞がかかったみたいに病気前のことは思い出せないけど、多少はやらかした覚えがあるから胸が痛い。


 「忌憚きたんなく申し上げますが、ご両親は君に全く関心がない様子が見てとれましたし、私が家庭教師を断ってもロッテンマイヤーさんが処罰されたりは考えにくい。なのに、何故そんなに必死になるのか……と」


 確かに。

 だから興味があるとしたら、その一点。

 その一点が何なのか知るために、私や屋敷の様子をずっと観察していたそうだ。

 私はそんなこととは露知らず、庭で野菜を育てて、それを馬小屋に持っていって馬に食べさせたり、鶏の世話を教えてもらいながら、つつかれたりしてたらしい。

 どこ見てるのさ、恥ずかしい。

 そのうち、『緑の手』やら『青の手』の片鱗を見つけて、試しにエルフに伝わる刺繍模様を教えてみたら、熟練したお針子さんでも難しい模様を刺繍出来たから、あらびっくり。

 更に前評判とは違って、五歳児にしては異様に大人しいし、話すことも筋道が立ってて論理的、だいたい字も数も大人でも読めそうもないのをスラスラ読んでいるではないか。


 「まあ、驚きましたよね。だからロッテンマイヤーさんに聞いてみたんですよ、何故私に悪い評判を聞かせたのか」

 「何故だったんですか?」

 「まあ、簡単に言えば『良い子に見えるけれど、過去そういうことがあった。だからこれからまたそんな面が出てくるかもしれない。それを覚悟の上で関わって欲しい。どうか変わってしまっても、見放さずにいて欲しい』ってことでした」


 あー……本当に申し訳ない。

 穴があったら入りたいって感じで、目を逸らす。

 フォローするように、先生がまた言葉を紡ぐ。


 「まあ、実際はまだそんな場面に出くわしてはいないわけですが。そう言われれば、注意して見てしまうのはエルフも人間も同じだと思うのです」


 だから私の一挙一動に気をつけて見ていたら、おかしな事に気づいたのだとか。


 「おかしな事……ですか?」

 「はい。私は君にとって初めて来た家の外からの客人です。しかし、君は私に屋敷の外の様子を聞きたがったり、興味を示したりすることが全くなかった。君の世界は屋敷の中だけで完結していたんです」


 言われてみれば、私は自分からロマノフ先生に屋敷の外の様子を尋ねたことは無かった。

 話してくれるから聞きはしたけれど、それはそれだけで、それ以上何を思うこともなかったような。

 普通かどうかは兎も角、ロマノフ先生が過去に家庭教師をしてきた子供たちは、大小はあっても屋敷の外に興味津々で、勉強そっちのけで街に出たがったものらしい。

 その中で私は街に出たいということもなければ、ロマノフ先生の冒険話に感化されて、庭で探検ごっこをするでもなく、淡々と屋敷の中で過ごしていた。

 勿論、インドア派な子もいたから、外遊びが好きじゃない子だっている。

 けれどそんな子だって、街の様子や、楽しいお祭りの話を聞けば、外に出掛けたがるのがほとんどで。


 「かと思えば大きな意味での世界、国政がどうのとか宗教がどうの。そんな話には食いついてくる。でもそれだけでした」


 そう言えばそんな話はよく聞かせて貰ったように思う。

 その頃は前世の知識と今の私の知識が中々噛み合わなくて、この世界がなんなのか理解することを優先させてたから、大きな世界の知識が欲しかったんだよね。

 日常生活はロッテンマイヤーさんやメイドさんたちが何とかしてくれてたから、そっちの情報は余り重要じゃなかった。今、そのつけが来てる気がするけど。


 「それでね、改めてロッテンマイヤーさんから話を伺ったんですよ。何故、君はあんなに外界に興味がないのか。そしたら大病で死の床につくまでは、外に行きたいと癇癪を起こしたこともあったとか」


 うーん、そんなこともあったような?

 何か、私の人格が残る代わりに、知識や常識を総入れ換えして、双方の記憶は楽しかった物しか残ってない。一勝一敗一分みたいな感じで、中々前の事は思い出せないんだよね。

 考え込んでいると、ロマノフ先生の手が伸びてきておでこに触れる。また眉間にしわが寄ってたらしい。


 「そう言うことを伺って、私なりに考えてみたんです。それで思ったんですよ。大病をしたとき、君は一度死んでしまったのかもしれないな、と」

 「ふぁ!?」


 な、なんですって!?

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