第45話 大人の領分、こどもの役得

 レグルスくんが出掛けるのに合わせて出ていくのは悪い案ではないようだけど、彼が帰ってくるまでにお家にいないとやっぱり具合が悪いみたい。

 コンサートに私が出掛けた後のこと、レグルスくんが先に課外授業から帰ってきて、最初にしたのは私を探すことだったそうだ。

 剣術の稽古先で綺麗に光る石を見つけたから、私に見せるんだと張り切って持って帰ってきたのに、当の私が出掛けていて留守だった。

 それに気がついて、脱走とギャン泣きが始まって。

 宇都宮さんとロッテンマイヤーさんで何とか宥め透かしていたそうだけど、レグルスくんが元気すぎてノックアウト寸前だったそうだ。

 幼児の体力、恐るべし。

 そんな訳で、あの後は先に土埃まみれだったレグルスくんとお風呂に入り、ご飯を一緒に食べ、何故か私の部屋のベッドで一緒に寝ることに。

 レグルスくんさー、ちゃんと一人寝できるんだからさー、一人で寝ようよー。

 私、重たいから潰しちゃったらどうしようかと思ったら、中々眠れなかったんだよね。

 ちなみに、レグルスくんが持って帰ってきた石ってのは、シーグラスってやつで浜辺や川べりとかに極々希に流れ着く、漂流して角がとれて丸くなったガラスのこと。

 緑や透明なのに混じって赤や紫、水色なんかもあって、あれでアクセサリーとか作ったら可愛いだろうな、なんて。

 寝不足でちょっとふらつく足でレグルスくんに手を引かれ、毎朝の習慣である姫君のもとへ向かう。

 案の定、姫君の目がつり上がった。


 「そなた、妾は健康に気を付けよと言わなんだかえ?」

 「あー……申し訳ございません。ちょっと色々ありまして」


 ヤバい、眉間にシワを寄せておられる。

 どう言ったもんかと考えていると、繋いでいた手を離してレグルスくんがとことこと姫君の御前に膝をついた。


 「れー……わたしが、あにうえのベッドでねたから、あにうえはよくねむれなかったのです」

 「ほう、なぜじゃ?」

 「いや、私、ほら、この通り幅が御座いますし、重みもありますから……。潰しちゃったらどうしようかと」

 「なんと……。そなた、見掛けによらず神経が細いのじゃな」


 うーん、そうなのかな。

 誰かと一緒に寝るって凄く緊張するもんだと思うけど。

 それはそうとして、姫君のご不快は治まったらしい。

 ついでだから、昨夜どうしてレグルスくんと一緒に寝ることになったかを、マリアさんの事件からかくかく然々とお話すると、姫君が大きく眼を見開いた。


 「そなた……妾がやった桃を皆で分けたとな?」

 「は、はい」


 あれ、もしかしてダメだったんだろうか。

 レグルスくんと分けて食べろと仰ったのは、文字通り二人だけで食べろってことだったのかな。

 それだったらまずかったかと、謝罪を口にしようとすると、姫君が首を横に振った。


 「詫びる必要はない。いや、どちらかと言えば、妾がそなたに詫びねばならぬ話やもしれぬ」

 「ふぁ?」


 なんで?

 驚きに瞬きを繰り返すと、至極真面目な顔で姫君は薄絹の団扇で口許を隠す。その表情は困惑というか、何だか動揺しておられるように見えた。

 隙間から垣間見えた紅い唇が、少し震えつつ開く。


 「鳳蝶。そなた、妾がやった桃が真になんであるか、もしや解っておらなんだのかや?」

 「えー……天界のお酒に使われる、滋養強壮に効く美味しい桃で、食べたら怪我とかすぐ治る凄い桃……じゃないんですか?」

 「……うむ、妾はそなたを少しばかり大人扱いしすぎておったようじゃ。わらべゆえ知らぬこともあろうに、うっかり失念しておったわ」


 むうっと唸ると、姫君が眼を伏せる。怒っておられるのではないようで、眉間にしわを寄せつつ、少しだけ長く間をとり、再び唇を動かされた。


 「あの桃はのう、『仙桃』と言って、人界では不老不死をもたらすとされておる」

 「ふ、不老不死!?」

 「然様さよう。実際は一口食さばたちどころに瀕死の重傷ですら治し、体力と気力を回復させ、秘められた才能を引き出す上に、少しばかり若返るだけで不死には至らぬ。しかし、桃を丸一個食したならば、たちまち自身の全盛期頃に肉体が若返るのじゃ。その作用が不老不死に見えたのじゃろう」

 「そ、そんな凄いものを頂いてたんですか!?」

 「天界には沢山あるゆえ気にせずとも良い。良いが……人界では、あれを巡って友人同士だったものが殺しおうたり、親と子が互いに騙しおうたりするようなものじゃ。それ故、妾は『ひよこも分けてもらえ』とは言うたが、それでもひよことそなたと二人だけで『仙桃』を食したのだとばかり思っておった」

 「私、そんな凄いものだと思わずに、美味しいからみんなで分けたらいいやと思って……その……」

 「咎める気はないのじゃ。妾にとってあれは、そなたに説明した以上の意味は持たぬ。しかし、妾は人間にとっての『仙桃』がどんな価値を持っているか、よく知っていた。だから、そなたがひよこは兎も角、他の輩に分けてやるなど想像もせなんだ。つまるところ、妾はそなたを侮っていたのよ。人間にとって貴重な桃を、誰かに分けてなどやるはずもない、と。」


 つまり、不老不死の効果を持つような桃なのだから、普通独り占めするだろうってことかな。

 そりゃあ、知ってたらやったかもだけど、知らなかったら単に滋養強壮の効果を持つ美味しい桃でしかない。

 皆で分けて食べてもおかしくない……筈。

 姫君の美しい額に、不似合いなシワが深く深く刻まれる。


 「や、それは、ほら! 私、そんな凄い桃だとか、知らなかったですし! 知ってたら、もしかしたら独り占めしたかもですよ!」

 「うむ。そうやもしれぬし、それでも皆で分かち合ったやもしれん。しかし、それでも今回は、妾が無意識に『人間とはそのようなあさましき者』と言う偏見を持っていて、そなたにそれを適応させていたことは変わりはない。許せよ、妾はそなたを侮っておった」


 いや、別に謝られるようなことされてないし。

 どうしようかとアワアワしていると、「じゃが」とため息混じりに姫君が団扇で私を指す。


 「そなたは危うい」

 「あや、うい?」

 「さとく、大人と対等に渡り合い、時折大人でも舌を巻くような智者ぶりを見せるのに、その知識は足りず欠けることが多いのじゃ」

 「それは、私が何か生意気な口をきいて、ご不快になられたと言うことでしょうか……?」


 周りの大人も姫君も、私の話をきちんと聞いてくれる。もしかして、それに甘えすぎて私はいつの間にか生意気な口をきいてたんだろうか。

 モジモジとブラウスの裾を弄れば、困ったようなお顔で姫君は首を横に振る。


 「そう言うことではない。寧ろ、大人にこそ非のある話よ。妾はそなたが余りにこちらの話をきちんと解するゆえ、そなたがまだ五つの童であるのを忘れて『仙桃』がどういったものか知っていると、勝手に思い込んでしもうた。故に、そなたを無意識に侮ったのじゃ」


 えぇっと、何か誉められてるような?

 でも、そこが良くない的なニュアンスを感じて、何だか混乱してくる。

 いつの間にか姫君の前から戻ってきたレグルスくんが、きゅっと私の手を掴んだ。

 下から見上げてくるレグルスくんの眼に、困った顔の私が映る。


 「大人は聡明であるゆえに、そなたがまだ五つの童であることを忘れて、そなたに自分たちと同じ行動を求めてしまう。しかし、そなたは矢張り童なのじゃ。大人と同じことなど出来ぬで当たり前。じゃが、聡明であるが故に、そこに目隠しがされてしまう」

 「目隠し……。大人扱いされるのが、目隠しになる?」

 「そうじゃ。そのさかしさが、そなたがまだ童であるのを隠してしまう。だから大人はそなたに、同じ五歳の童には求めぬことを、求めるようになるのじゃ」


 そうだろうか。

 私は別段、五歳以上の働きを求められたことはないような。

 考えていると、姫君が重々しく頷かれた。


 「そなたの周りには、善良な大人が集まっておるのだろうよ。証拠にそなたは、他者と何かを分かち合うことを知っている。何より、妾とこうして毎日会っていたとしても、誰にも騒がれず、静かに暮らしているではないか」

 「あ……そうか……そうですね」


 私は常識に疎いところがあるって言われるけど、神様にはそんなに会えるものじゃないってのは解る。

 だけどこんなに毎日会ってて、知ってるひとは私が神様の加護を受けているのも知ってるのだ。

 騒ぎにならないのは、それが珍しくないからでないのなら、周りのひとたちがあえて口を閉ざしてくれているからで。

 知らないところで、私は守られていたのだ。

 はふっと姫君の唇から、再びため息が出る。


 「気付いておらなんだか」

 「はい、恥ずかしながら少しも」

 「よい、そなたはまだ童。気付かぬのが当たり前なのじゃ。だが、それが危うさのもとよ」

 「気づかなかったことが、ですか?」


 「違う」と姫君は首を振られた。

 じゃあ、なんだろう。

 首を捻っても答えが少しも出てこない。


 「気づかなかったのは、そなたが矢張りまだ童であると言う証拠よ。だが、当たり前だと妾は言うたな?」

 「はい」

 「周囲を深く観察する力なぞは、長く生きている者の方が、他者との関わりがある分高いのじゃ。経験則というのもあるでの。しかるに五年しか生きておらぬものが、二十年近う生きていさえしても気付かぬことに気付くほうが異常なのじゃ」

 「えっと、私の今の反応は、五歳児としてはおかしくないってことですか?」

 「そうじゃ。しかしの、大人としてなら少しばかり思慮にかけるのではないかえ?」

 「ああ、確かに……って、んん?」

 「目隠しの意味が解ったか」


 周囲に守られていたことに、言われて初めて気付いたのはおかしなことではないし、人間観察力が圧倒的に不足しているのは、私が五歳児だからで、姫君から見ても子供だから当たり前の範囲。

 だけど大人ならば、他者のその気づかいに気が付かなかったらアウト。

 私の反応は五歳児としては当たり前だけど、大人としてはダメダメで、私は何だか過大評価されてるっぽいから、五歳児の反応をしたら周りから呆れられるかも、ってことか。

 でも姫君は、それで呆れられたら、それは大人の方がおかしいって仰って下さってるわけで。

 私の周りのひとは、そんなことで呆れたりはしない気がするけども。

 私の考えを読んだのか、姫君が団扇を振る。


 「そういったことをわきまえた大人が沢山おるのであろうよ。大事にするがよいぞ」

 「はい!」


 わーい、ロマノフ先生、ロッテンマイヤーさん、皆も、姫君が誉めて下さったよー!

 じゃ、なくて。

 では、危うさというのは何だろう。

 考える。

 危うい、危険、それは一体何に起因するのか。

 私は『仙桃』と言うものを知らなかった。だから皆で分けてしまった。それ自体は悪いことではないと姫君は仰った。

 しかし、それは『危うい』こと。


 「なら、危ういのは知らないこと……?」

 「そうじゃ」


 ぱしりと姫君が薄絹の団扇でご自身の手を打たれる。

 それからひらりと団扇で私を指すと、艶やかに笑みを浮かべて。


 「此度はそなたが皆に食させた『桃』の正体が分からなかったから、騒ぎにならなんだ。しかしの、そなたの周りにもしも妾が思う『あさましき者』がおったとしたら……。それは非常に危うきことだったと思わぬか?」

 「『仙桃』を手に入れるために、私を利用するものがあったやも知れない……そういうこと、ですね」

 「うむ。そなたは聡いが、上には上がおるものよ。甘く優しい顔で近付いてきて、そなたの物知らずに付け込まぬとは限らぬ。此度は良かった。しかし、次も同じ様にいくとは限らぬ。それを防ぐにはどうしたらよいか、解るかえ?」

 「勉強する……とか?」

 「そう。しかし、それだけでは片手落ちじゃ」

 「学ぶだけではいけない……」


 ならば、私はどうすれば。

 疑問に眉をしかめていると、レグルスくんの指が眉間に出来た溝を擦る。

 レグルスくんといいロマノフ先生といい、眉間にシワを作ると必ず伸ばそうとしてくるのは何なんだろう。

 儀式?

 私の知らない儀式なの?

 お返しにレグルスくんの手を取ると、ふにふにと小さな手のひらを揉んでやる。

 きゃらきゃらと声をあげて笑うのが可愛い。

 和むわー……じゃないくて。

 もう、分かんない。

 私は白旗をあげる事にした。


 「姫君様、私はどうしたらよいのでしょう?」

 「それじゃ、その様にすればよい」

 「……は?」

 「『は?』ではない。解らねば聞けば良いし、相談すればよいではないか。童のそなたが出来ぬなら大人に丸投げすればよいのじゃ。幸いそなたの周りは善良な大人のようじゃし、頼ればよい」


 なんだ、それ?

 唖然としていると、ふんっと姫君が鼻を鳴らす。


 「そなたは人間は植物と似たようなもんじゃと言うたな? 植物は実を付けるために、母体から様々ものを吸い上げる。ならば人間の童が大きゅうなるのに、母体、この場合は大人じゃな。そこから肥やしになるものを吸い上げて、何が悪いのじゃ」

 「わ、悪い? いや、悪くは……ない、のかな?」

 「悪いわけがなかろう。でなくば、育つものも育たぬのじゃから。まあ、母体が死んではもとも子もないゆえ、植物はその辺りの加減はしておるがの」

 「えぇ……」


 姫君こそ、身も蓋もない仰りようじゃないですか、やだー。

 余りな言葉にちょっと引いていると、こほんと咳払いを一つして、姫君が団扇で口許を隠す。


 「だいたい、そなたにはエルフの師がおるではないか。あやつらはの、長く生きる分だけ知識も経験も山ほど溜め込んでおる。導き手に選ぶなら、これほど最適な存在はおらんだろうよ。ただし、性格には難があるがの。奴ら鼻持ちならんところがあるゆえ」

 「姫君、今、さらっとエルフを酷評しませんでしたか?」

 「致し方なかろ、奴ら慇懃無礼と傲慢不遜が服を着て歩いておるような種族なのじゃから。兎も角、エルフは人間を格下と思っておる故、押し並べて木で鼻を括るような対応しかせんものよ。それなのにあのエルフ、そなたには随分と礼を払っておる。そなたの家の事情を知るまでは、妾は余程そなたは親から可愛がられて育っておるのだと思っておったわ」

 「それは……何故かお聞きしても?」

 「知れたことよ。エルフは数が少ない。更にその中で人間を軽んじぬ者はもっと少ない。それなのに、そんなエルフを探し当てて来たのじゃ。生半可な苦労ではなかったろうよ。それだけのことをするのじゃ、我が子可愛さ以外に何がある?」


 知らなかった。

 本当に、私は何も知らなかったのだ。いや、知ろうとさえしていなかった。

 私は確かに両親には愛されてはいない。しかし、それ以上に愛情を注いでくれる人が、側にいたのに。

 何一つ、分かっていなかった。

 心臓を打ち抜かれたような衝撃に、私はブラウスの胸元を強く強く握りしめた。

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