第43話 不死鳥は薄氷の上から羽ばたく
「これを……」
ヴィクトルさんとマリアさんが最後のレッスンを終えた後、私はウエストポーチから姫君から頂いた布で作ったつまみ細工の髪留めをマリアさんに手渡した。
薄いピンクの小花を散らしたそれを、くるくると回したり光に翳してみたりと、珍しげにしたかと思うと、マリアさんはおもむろにそれを髪に挿す。
「可愛い髪飾りですわ、大事にいたします」
「素人の手慰みで申し訳ありませんが」
「いいえ、珍しいものをありがとうございます」
美しいカーテシーを披露するマリアさんは、これから出番まで精神統一をするらしい。
邪魔になるといけないからと、衛兵に警備を引き継いで控え室を三人で辞す。
マリアさんの出番までは、ピアノやバイオリンやフルート、そんな楽器のコンサートがあって、マリアさんがトリを勤めるのだそうだ。
バタバタしていたお陰で開演まで、気づけば後僅か。
ヴィクトルさんが預かった招待状を見ながら、馬蹄型の客席を案内してくれて。
ベルベットの緞帳と、タッセルで飾られた舞台が眼下に広がり、天井にはキラキラと煌めくシャンデリアが見える。
豪奢な空間に、集まった人々の熱気と活気が劇場を満たしていた。
が、あんな事件の後だけに。
「……シャンデリア、落ちて来たりしないですよね」
「やーだー!?怖いこと言わないでよー!?僕も思ったけど!」
「うーん、無くは無い……かもですよね」
やっぱり。
何となく気になってシャンデリアを三人で眺めていると、ざわざわと階下や他の客席がざわめいた。
すると第二皇子の来臨を告げるアナウンスがされて、ファンファーレが鳴り響く。
観客の視線が馬蹄の中央、舞台のよく見える二階の一際広い客席に集まると、一人の少年が姿を現した。
眩しい銀の髪、青と黒の軍服めいた服、肩に着いた飾りから金のモールが豪奢に垂れ下がっているのが遠目にも見える。
私たちの席は皇子のいる貴賓席からは舞台よりの端に配置されていて、お顔はよく見えない。
拍手喝采で迎えられた皇子は、手を振りながら中央、左右と見回す。
一瞬こちらを見て、動きを止めたような気がしたけれど、気のせいかな。
ともかく、拍手を収めるよう合図すると、皇子は用意された豪華な椅子へと腰を降ろす。
その姿を確認してから、私たち下々のものは着席しなければいけない。
で、座ったは良いんだけどやっぱりシャンデリアが気になる訳で。
「……落下防止の魔術でもかけておきますか」
「あー……うん、そうする」
そう言うとヴィクトルさんが、シャンデリアを見上げながら指を弾く。
彼ほどの魔術の使い手ならば、ある程度詠唱を省いて魔術を行使できるそうだ。
先ほどのマリアさんの騒動は、それほど時をかけずに終わったと言うのに、この劇場にいる全ての人間に既に伝わっているらしく、ロマノフ先生とヴィクトルさんの耳には、ごちゃごちゃと色々聴こえてくるらしい。
伝わるのが早いのは、意図的に拡散している人間がいたからだろう。
しかし、マリアさんは無事に舞台に立てるのだ。二の矢が放たれていてもおかしくはない。
毒を盛って喉を焼くなんてまだるっこしいことをせず、シャンデリアを落として事故に見せかけて亡き者にする方が面倒がなくていい。
前もって犯人を作り上げておくような奴等なら、そう考えてもおかしくないだろう。
首を吊っていた犯人だって、本当に犯人だったかどうだか。
疑いだせば切りがない。
マリアさんが立っているのは国立劇場の床だけでなく、薄氷の上でもあるのだろう。
怖くはないんだろうか。
考えて、首を振る。
『わたくしを、引いてはわたくしの後楯である殿下を貶めようとした輩に、目にもの見せて差し上げましてよ!』と、マリアさんは叫んだ。
あの人は知っているのだ、自分のいる場所がどれだけ危険な場所なのかを。
その上で、自身と守るべきお方の誇りをかけて、身一つで己の戦場───舞台に立っているのだ。
なら、私に出来るのはマリアさんの無事と舞台の成功を祈ること、それから惜しみ無い拍手を贈ることだけ。
「どうか姫君様のご加護がありますように」
こんな時に私が祈る神様は、矢張りあの方しか浮かばない。
人間にも少しは目をかけてやると、姫君は仰って下さったのだ。
手を組んでお祈りしていると、ふと視線を感じて頭をあげる。
ロマノフ先生とヴィクトルさんが私を見ていた。
「あーたん。姫君様の加護って言うことは、やっぱりあの髪飾りは普通の髪飾りじゃなかったんだね」
「ヴィーチャも思いましたか」
「そりゃ、あれだけ精霊が集ってたら、普通の髪飾りじゃないと思うでしょ。何か魔術にブーストかかるだけじゃなく、状態異常無効とかついてたし」
「状態異常無効……?」
なにそれ。
きょとんとしていると、ロマノフ先生の白い指先が頬に触れてきて、そのままむきゅっと摘ままれる。痛くはない。
「あの髪飾りに使った布、もしかして姫君からの賜り物ですか?」
「あい、ひょうれす」
「あー……それで精霊がマタタビに酔った猫みたいにとろんとろんになってた訳だ」
「ほー」だか「へー」だか言いつつ、ヴィクトルさんが頷く。
それよりも精霊がマタタビに酔った猫みたいになったり、髪飾りに集ったりするってなんなの?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。
ヴィクトルさんとロマノフ先生の解説によると、精霊と言うのは普通では見えないのだけれど、呪具を使ったり、或いは特別な眼の持ち主だったりすると、見えるのだそうで。
その特別な眼の持ち主のヴィクトルさんが見るに、マリアさんに差し上げた髪飾りには、精霊が我先にと触りにいき、触ったら触ったでマタタビに酔った猫みたいにメロメロになっていたそうだ。
精霊が魔術の行使を手伝ってくれるのは、魔力が使われる時に出る光を精霊が好むからで、姫君の布からはそれと同じ光が出ているという。
尚、状態異常無効がついているのが解ったのは、ヴィクトルさんが【鑑定】のスキル持ちだから。
不意に、ざわめいていた客席が静まり返る。
階下では指揮者がタクトを持ち上げたのに合わせて、奏者たちが楽器を構えていた。
すっとタクトが振り下ろされて、ファンファーレが華麗に劇場の空気を震わせる。
華やかなコンサートは、その裏側に不穏な空気を孕みながら、幕をあけるのだった。
一言で言うならば、コンサート、特にマリアさんの歌は圧巻としか言いようが無かった。
毒を盛られたと言う情報ばかりが先行していたせいで、マリアさんが舞台に立った瞬間、客席がどよめく。
しかし、そんな観客たちの動揺を他所に、マリアさんは堂々と、ドレスの裾を摘まんで一礼すると、すっと背筋を伸ばして。
胸を張ってマリアさんが立つと、初めてあった日に聞かせてくれた歌の前奏が流れる。
スポットライトを浴びて輝く歌姫の、麗しい唇が開かれて、その喉から妙なる美声が音楽に乗って溢れ出た。
ヴィクトルさんの家で聴いた時よりも、遥かに研ぎ澄まされ透明度の増したそれは、聴き手の心に深く深く染み込む。
誇らかに、強かに。
不死鳥というものが人の形を取るならば、今まさにマリア・クロウという女性として現れているに違いない。
そうして蘇った彼女の声は、マリアさんを傷付け、その後楯である『殿下』を貶めようとした者を焼くのだろう。
すっと旋律の終わりと同時に、美しい歌声も終わり、桃色の唇が閉ざされた。
えもいわれぬ心地好さに包まれていた客席が、一瞬静まり返った後、瞬きする間に万雷の拍手に包まれる。
打ち鳴らした自分の手が真っ赤になっても気にならないほど、誰もが帝国一の歌姫に立ち上がって喝采を贈っていた。
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