第42話 死に至る病を覆すもの

 その水は、第二皇子からの贈り物と称して、今朝からこのキューポラ《屋根裏部屋》の控え室で衣装合わせやリハーサルに詰めていたマリアさんの元に届けられたそうだ。

 以前よりコンサートの前に、第二皇子から上等なお水がマリアさんには差し入れされていて、これに関してメイドさんは不自然に思わなかったらしい。

 結論を先に言えば、マリアさんの飲んだ水には毒が仕込まれていた。

 ただし、命を損なうほどの毒性はなく、被害は喉が焼けたくらい。

 しかし、マリアさんは歌手。

 喉が焼けるなんて、彼女の命を奪うのと同義だ。

 あれから何があったかというと、喉を掻きむしるように身悶えるマリアさんに、まずヴィクトルさんは【解析】の魔術をかけたらしい。

 マリアさんの身に何が起こったのかを正しく知り、打てる手段を探すためだ。

 それと同時平行してロマノフ先生が防御のための結界を張ったそうで、解析結果が出た瞬間、防音の結界も重ねて張ったとか。

 解析の結果、マリアさんは「毒」を盛られ、喉にかなり大きなダメージを受けているのが解ったから、これをヴィクトルさんが解毒魔術で解毒。マリアさんは喉を焼く毒からは解放された。

 この間にロマノフ先生は駆け付けてきた衛兵に、ヴィクトルさんが解析した情報を渡していたらしい。

 でも、マリアさんの容態は全く良くなくて。


 「喉が焼け爛れたのと、一時的なショックで声が出ないみたいだ……」

 「そんな!?」


 呆然としているマリアさんに、メイドさんが「私のせいで」と泣き崩れる。

 こんな時に回復魔術は余り効かないと言うか、回復魔術は無理に傷口を塞ぐものらしいので、予後に後遺症が心配されるときはやらないのがセオリーなんだとか。

 ヴィクトルさんは流石、世界で十指には入る魔術師らしく、その解析で毒を入れた犯人まで特定して、それはもう捕まったらしい。

 犯行の動機はよくある嫉妬。

 マリアさんの立場に成り代わりたいひとは沢山いるそうだ。

 しかし、犯人は捕まる前に首を吊って死んでいたと言う。


 「犯人をヴィーチャが割り出してから捕まるまでのスパンが短すぎますね。半時間も経ってない」

 「そんなの……元々仕組まれてたんだろうさ。バレた時は『かくあれかし』ってね」


 大人二人の会話は物騒だけど、つまりこの件は単にマリアさん個人を傷つけるためだけに起こったとは言い難い。

 そう結論付けられるような事情が、私の知らないところにあるんだろう。やっぱり大人って怖い。

 でもそれより、私はマリアさんの身体が気になる。

 ほろほろと寝かされた簡易ベッドの上で涙を流す彼女は、まるで陶器で出来たお人形のように真っ白で、あの強い光を湛えて魅力的だった狐目にも、全く力がない。

 涙を拭うためにハンカチを差し出しても、少しもこちらを見ずに泣き続けるのが胸に痛くて、お節介かと思いつつ、その目尻にハンカチを当てる。

 零れ落ちる雫でハンカチはどんどん色が変わるけれど、それより驚いたのは触れた頬の熱さで。


 「いけない……。マリアさん、お熱が……」

 「解毒はしたけれど、喉は酷いことになってるからね。そのせいで熱が出てきたのかな」

 「魔術で氷を用意しましょうか……」


 私の言葉に、慌ててメイドさんは「お医者様を呼んできます」と、部屋から飛びだして行った。

 歌手にとって喉は命。しかも今日は一世一代の晴れの舞台。

 そんな日に、こんなに酷いことをされなければいけない理由ってなんなんだろう。それは彼女を痛め付けるに値する理由なのか。

 唇を噛み締めると、ぶつりと皮膚が割れたようで、僅かに口の中に鉄錆びの味がする。

 その味で少しだけ頭が冷えた。今、私がすべきは怒ることじゃない。

 ガサガサと持っていたウエストポーチを漁ると、お土産に持ってきた氷菓子を取り出す。

 熱が上がってきたなら、冷ました方がいいだろう。

 そう思って箱をあけると、はっとした顔でロマノフ先生がこちらを見た。


 「マリア嬢にも持ってきてたんですか!?」

 「え、あ、はい。あの、喉を冷やすのに使えませんか?」

 「あーたん、風邪とは違うから……」


 止めておいた方が、と止めるヴィクトルさんに、ロマノフ先生が首を横に振った。


 「貴方も食べたソルベですけどね、あれに使われている桃は、やんごとなきお方からの贈り物ですよ」

 「え……は……はぁ!?」

 「あれには『仙桃』が使われてます。もしかしたら、或いは……」


 ヴィクトルさんの声が大きくて驚いたのか、マリアさんが肩をびくりと竦める。宥めるように背中をさするとやっぱり熱くて、熱がかなり上がってきているようだ。

 ちょっとでも熱が下がればと、付属のスプーンでソルベを掬ってマリアさんの口許に持って行く。


 「マリアさん、少しだけでも……」


 得体の知れないこどもの持ってきたお菓子なんて、こんな時に食べる気にならないかもしれない。

 しかし、こくりと頷くとマリアさんはスプーンを口の中へと招いてくれた。

 少しずつ喉が動いて、ソルベが飲み込まれるのを見守る。こくりと嚥下音が聴こえたのを見計らって、もう一度ソルベをスプーンに乗せると、今度は匙を私から受け取り、自分の手で口に運んだ。

 すると、かっとマリアさんの瞳が見開かれる。


 「……たく、ない!」

 「へ……?」

 「のどが、いたくないわ!」


 叫んだ声は以前に聞いたまま、爽やかに美しく力強い。涙の止まらなかった眼にも生気が戻ってきて。


 「……これが『仙桃』の力なの?」

 「ええ。畏れ多いことですが、これで鳳蝶君が『仙桃』を頂戴したのは二度目なのですよ」


 ぼそぼそと外野でヴィクトルさんとロマノフ先生が話してるけど、そう言えば姫君の桃は、確か滋養強壮に効くし怪我もたちまち治るとか言うありがたい桃だったっけか。

 何は兎も角、マリアさんの喉は治ったらしく、ぎゅっと掴まれた手は余り熱くなくて。


 「あ、熱も下がったみたいですね」

 「ええ、何だか毒を盛られる前より、体調が良くなってる気がしますの!」


 横たわっていた簡易ベッドから脚を降ろして立ち上がると、くるりとその場で一回転、それから世にも美しいカーテシーを決める。そんなマリアさんに、三人で拍手を送っていると、バタバタと大きな足音が二組。

 息急ききって飛び込んできたのは、マリアさんのメイドさんと、手を引かれながら肩を激しく上下させている白衣の男性───お医者さんだろうか。

 立ち上がって胸を張るマリアさんに、メイドさんが飛び上がらんばかりに驚く。


 「お、お嬢様!?」

 「エルザ、心配をかけたわね!わたくしは大丈夫!」

 「ほ、本当に……!?」

 「ええ、わたくしの小さなお友達が治して下さったのよ!貴女からもお礼申し上げて?」

 「は、はい!ありがとうございます、このご恩は一生忘れません!」


 がばっと涙ながらにエルザさんが最敬礼する。

 このメイドさんはマリアさんと似たような年頃だろうか。

 そばかすと赤毛が印象的だけど、マリアさんと並んでも遜色ない美人だ。


 「いえ、そんな……私が何かした訳ではなくて……たまたまお薬になるような物を持っていただけの話で」

 「あーたん、偶々で万能薬持ってる人なんかいないからね?」

 「だって貰い物ですし、美味しいものは皆で食べた方がいいです」

 「鳳蝶君も中々厄介な持病がありますからね、それで頂いたんでしょうけど……。一人で食べないで分けたと知られたら、今度こそ叱られませんかね」

 「まさか。そんな理不尽なお方ではありませんよ」


 ぷすっと膨れると、空気を抜くようにヴィクトルさんとロマノフ先生の手が、両頬をふにふにと揉み倒す。

 その光景に呆気に取られたお医者さんが、兎も角とマリアさんの診察を始めた。

 結果は健康そのもの、喉にも異常は見られないそうで。

 ロマノフ先生とヴィクトルさんがいたことで、何かを察したお医者さんは、それ以上は何も言うことなく「お大事に」と一言だけで去っていった。


 「さあ、ショスタコーヴィッチ卿。最後のレッスンを致しましょう。わたくしを、引いてはわたくしの後楯である殿下を貶めようとした輩に、目にもの見せて差し上げましてよ!」


 階下の舞台を見つめるマリアさんの眼差しは、燃えるような強さを放っていた。

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