第59話 月に吠える
†
夜の城内は静まり返っていた。
犠牲者の国葬を終えたといっても、やるべきことは残っている。
シェルとの外交、ルフラン王女達の処遇、騎士団の職務割り振り、その他後始末。
王室付き騎士は、強化された護衛や哨戒任務のために出払っている。一番ひどい怪我をしたジル・レオンだけが静養のため非番扱いとなっていた。
王子が意識を失っていたときの人事は全て白紙となり、暇を出された者達が呼び戻されている。執務フロアは慌ただしい。夜を徹しての会議は珍しくなくなった。
ベッドを抜け出し、ククリを手に、カンテラを揺らしてリハビリがわりに城内を歩いている。
足を向けたのは王子の居室だった。
なぜなのかは分からない。
自然と夜間警護の癖で、向かってしまうのだ。
申し送りを専属騎士から受け、控えの間で一人警戒にあたる。書面のことが圧倒的に多かったそれが、女流騎士との数少ない接点だった。
もちろん、王子は今壮絶に忙しいはずだから、眠ってはいないだろうけど。
見慣れたフロアに差し掛かったとき、空気が乱れていることに気がついた。
「……トマさん?」
目元にくまをこさえた先輩騎士が落ち着きなく歩いている。
「レオン、殿下を見なかったか?」
シフトを確認してはいないが、王子の専属騎士代行はアズナヴールが担っているはずである。
「いえ、すれ違いはしてないです」
「…………殿下がいなくなった」
嫌な予感がした。
王子は脱走の達人だ。抜け出すためなら薬を盛ることさえやってのけるが、夜に騎士を撒いたことは一度もない。
女に狂うはずもなく、臨時の会議でも騎士に知らせないのはおかしい。
「……このことを知っているのは」
「アズナヴールさんの他は俺だけだ。大事にするなと言われている。今俺は部屋周辺を見回って、アズナヴールさんが探しに行ってる」
「俺も探します」
「助かる」
踵を返し、女性の居住フロアへと急ぐ。
幸いにして、誰にもすれ違わなかった。
今では部屋主が不在となった個室の前で、深呼吸する。
ドアに触れるも、いつかみたいに、簡単にあいてしまった。
「………………」
きれいに整頓された部屋。本が多く、装飾品の類いはかろうじて小さな絵くらいしか見受けられない。
吸い込んだ空気はわずかな残り香を含んでいた。
痕跡は今日には消えてしまうだろう。それくらい、ラ・メール=イスリータの存在証明は薄まっていた。
カーテンが揺れていた。
机の上には、一冊の本が残されている。
王子から、なにかのときには彼女に渡すようにと言付かり、実際に無理を通して渡した本だ。
捜索に入られてもいいように、本棚に突っ込んだはずだ。
間違いなく、王子はここにいた。
「…………っのバカ王子は!」
どうして気づかなかったのだろう。
自責の念にかられていたはずだ。
意識がなかったとはいえ、剣を折り、除名し、監獄にぶちこんだのは王子本人だ。直筆のサインが物語っている。
例えば命を絶とうと考えていないと、どうして言い切れる。
まだ見つかっていないとしたら、一人になりたいのだとしたら。
ジル・レオンは、階段をかけ上がった。
――大きな月が出ている夜は、少しだけ夜風が寒かった。
カンテラの灯が揺れている。
肩で息をしながら、少しずつ歩みを進める。
「………………殿下」
そのまま溶けてしまいそうな王子は、振り返らなかった。
遠くで狼の遠吠えが聞こえている。
ノイアの苑あたりだろうか。
「ーーーーーー!」
地に伏して、声にならない慟哭を。
大きな風が吹いた。
傍らに置かれた本のページが繰られていく。
車は海へ、舟は山。
そして貴方からのメッセージ。
捉え方をどうすれば良いか、正直私には分からなかった。
だから心のままに、動きましょう。
例え誰かを殺めるとして、傷つけるとして
それが貴方を守るなら、私は迷わずそうします。
ーーきっと貴方は咎めるでしょう。
けれど私は向き合いましょう。
気持ちに変わりはありません。
例え立ち位置が変わったとしても、
荒波は受けてたちましょう。
共に背負い、歩きましょう。
昼なくして夜はこない。
夜が明けなければ昼はないのです。
昼は夜を待ち焦がれます。
夜のない日は立ち行かない。
願うのは、夜半の静けさ。
なんでもない日々の繰り返し。
海から、雨へ。
横をすり抜け飛ばされた紙片を反射的に掴んだ。
破られたページと、押し花の栞。
「俺を許すな、ラメル」
月が隠れ、雨が降り始めた。
泣いているような風雨にさらされても、動くことはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます