第57話 夜の帳

 †‡†

 自分を守り、初めて誰かを守れるのだ。

 そう教えてくれたのは、ラメルより前の専属騎士だった。

 帯刀こそしていなかった。けれど、刷り込みのように、レインは 舞踏会の侵入者からルフランを守ろうとした。

 幸いにも、優秀な専属騎士が会場内に残っていた。

 手際よく、敵を倒して。被害者はゼロだ。

 けれど彼女は、ラメルのことを人殺しだとつぶやいた。

 感情が無になった。

「レイン!!」

 そういって抱きついてきた、隣国の王女を半ば義務感で抱き止めたときだった。

「…………あの騎士が、貴方の大切な人かしら?」

 意思に反して瞳孔が開く。

 囁きは獲物を見定めた勝利宣言だった。

「…………今夜、二人だけで話しましょう」

 ゆっくりと、ヒュースにアイコンタクトを送る。

 目が合い、専属騎士を示すと、心得たように微かに目を動かした。

「……わかった」

 何をされるのか分かったものではない。

 向き合うのだ。

 たった一人で。


「……だから舞踏会の後、ラメルさんを部屋で待機にしたと」

「そう。それで、レオンを護衛につけたんだ。間違ったとは思っていない。けれど、最良だったかはわからない」

 ――舞踏会の騒ぎから離れ、アズナヴールを供につける。

 ルフランは2、3歩あとをうつむきながら歩いていた。

 高官達が気を回し、美女を部屋へ向かわせてきたことは何度かあった。アズナヴールが当番の際は、あらかじめ通すなと言い含め、そうでない騎士の場合は追い返すよう指示をした。

 誰かと夜を過ごすことを、アズナヴールは何もいわない。

 きっと誰にもいわないだろう。

 これがジル・レオンであったなら、主従であっても蹴り飛ばされそうだったけれど。

 案内された空き部屋に、まずルフランを押し込む。

 万が一にも、目撃者は作りたくない。

 自分も入ろうかとしたときに、微妙な気配を感じた。

 微かに違う息づかい。

「どうした、アズナヴール」

 少しだけ、表情が変わっていた。

 錯覚だったのか。

「いえ、変わりはありません」

「そうか。昨日に続いて寝ずの晩を頼んで、悪いな」

「いいえ、殿下の眠りをお任せされ、恐悦至極に存じます」

「……あとは頼んだ」

 そしてドアを、静かに閉めた。


「単刀直入に言うわ、レイン。既成事実を作ってよ」

 にっこり笑った年上の姫に、返すことばが見つからなかった。

「貴方にとっても私にとっても、悪い話じゃないでしょう?」

「……脅迫のつもりか」

「そうとりたければご自由にどうぞ」

 ベッドに腰かけるルフランは挑戦的だった。肩が白く光っている。

「俺にはそのつもりがない」

 離れた椅子に座り、ルフランに背を向けた。

「…………据え膳食わぬはって、存じ上げない?」

「安売りはいただけませんよ、姫」

「……貴方がそのつもりなら、別にいいけれど」

 ルフランは一人ベッドに寝転んだ。

「――そして、明くる日には、ルフランと俺は婚約者という立場になっていた」


「ルフラン、これはどういうことだ」

「あら?一夜を共にしてなにもなかったとでもおっしゃるの?」

 言葉に詰まる。

 年頃の女性に軽々しく手を出すものではない。倫理的にも、立場的にも。

 特に相手が他国の姫ならば、責任問題となる。

「貴方はあんなことがあった夜、他国の姫を連れ込んで、そのあと何事もなかったように振る舞うわけね」

「事実そうだろう」

「あら、部屋にいたのは私たちだけよ?本当のところはどうなのかしら」

 見聞きした者がどうとるかは、想像に固くない。

 部屋のなかで起きたことと違っても、噂が独り歩きした段階で事実になる。

「……何が望みだ」

「婚約者としての立場」

「そんなにまで欲するのか」

 窮屈な王族の立場など、どうして進んで求めるか。

「あなたにはわからないでしようね」

 真っ向からにらんできたルフランに屈した。

 屈してしまった。


「身の安全を確保するのと、何から話していいのかと。だから俺は、ラメルを外した。そしてレオンと組ませた」

 危険から遠ざけるために。守るために。

「結果として、それがあいつを深入りさせた」




「脱走は得意分野ですね、レイン様」

 ルフランが滞在し始めて一週間。息抜き先に、ラメルが先回りをしていた。

  久しぶりに見た微笑みに、悩まされていた頭痛が少しやわらいだ気がした。

「過保護な騎士達が多かったから自然にな。いつの間に木登りなんて覚えた」

「お戯れを。レイン様が率先して登っていたでしょう」

 ラメルはひらりと木から飛び降り、果樹を一つ寄越した。

  靄がかかっているように、そんな過去があったかと首を捻りながら果実をかじる。

「いかがですか」

「ああ、かわりない。ラメルも食べろ」

 果物はほどよい熟れ具合だった。

「アズナヴールさんとはどうですか」

「問題ない」

 専属騎士ではないものの、付き合いが長い。空気のように当たり前にそこにおり、当たり前のように粛々と仕事をこなす。そういう意味では、信頼している。

「ラメルはどうだ」

「……新鮮です。今までずっとお側にいたので」

「そうか」

 今思うと、ラメルは思い詰めた顔をしていた。そのときは、気付けなかった。

「…………私を遠ざけているのは、レイン様ですか」

「どうしてそんなことを?」

  本心からそう聞いた。

「説明もなく専属騎士代行が置かれ、レイン様の護衛計画ですらまともに話がまわってこない。騎士達でさえ私に本当のことを言おうとせず、遠ざける。こんなことを命じることができるのは、レイン様くらいでしょう」

  自分がそうしていたことさえ忘れ去っていた。

  他でもない自分が、暗殺の危険から、ラメルを守るために外したのに。肩書きはそのままに、業務から外す。

 頭痛がひどくなっていた。薬でも、盛られたか。

「……なあラメル」

「……はい」

「いくつになった?」

「……16です」

「縁談、きてるだろ。まともなやつが」

 これ以上は、置いておけない。

「それがどうしたと」

「ヒュースの立場も考えてやれ」

 だから円満に離れてくれ。取り返しのつかなくなる前に。

「縁談を断ってばかりのレイン様に言われたくありません!」

「でも俺にも妃候補ができたよ」

 きっと傷つけるのだろう。

「……それは、よきことです」

  実際にそんな顔をしていた。

「ラメルもそういう年だろう」

「私は女である前に騎士です」

「けれどお前は男じゃない」

 しまいには、彼女の努力では、どうにもならないことを言った。

「私は、もう必要ないと、そうおっしゃるのですか」

「………………」

 正直に打ち明けるなら、ここが最後のチャンスだった。

  薬を盛られているようだと。ラメルを外した理由は傷ついてほしくないからだと。

  ただ、そうしたら、無駄になってしまう気がした。

 だから、なにも言わずに離れた。

  痛みをこらえた顔をした彼女を一人残して。

  それが、記憶が確かな最後の日だった。


「たとえ傷つけても、生きてほしかった。そのわりには、専属騎士として頼った。全部、裏目に出た」

「……絵の裏に書き付けたのは、王子ですか?」

「車は海に舟は山、か。俺だよ」

 嫌ったわけではない。だからわかってくれと、ラメルへ宛てたメッセージだ。きっと。

あのとき書いたときの気持ちが、よく分からないのだ。

「……そして、ラメルさんは、それをSOSと受け取った、と」

「恐らくは」

  なぜ、王子がいきなり仕事を外したのか。そしてそんなメッセージを書いたのか。疑問に思うのは当然だ。

「そしてラメルさんは、怪しいのがシェルと勘づいた。だからこそ誰にも言わずに、一人で行動し、本格的に危うくなったときに、暗号で伝えたんです。朝の海。シェルでの思い出になぞらえて」

「――俺は、ラメルを見誤った。あいつは、黙って命令に従うタマじゃない。よく間違える俺を、なぜかと問いかけ、糺す騎士だった。本当に遠ざけるなら、強烈に、突き放すべきだった 」

「…………殿下は、ラメルさんを不審死から救いました。そして、国も救いました」

  折れたツヴァイヘンダーの破片が鈍く光っている。

「お互いに守ろうとしただけなんです。ただ、守りかたが違っていただけだ」

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