第56話 セイカンシャ

 ラ・メール=イスリータが、死んだ。

 無音の空間に放り込まれる。

 伏しているのに浮いているような感覚だ。

「アズナヴールさん、悪い冗談はよしてくださいよ」

 声が届いたのかは分からない。

 それほどまでに、聞こえた声はかすれていた。

「俺だって、何度も嘘であればいいと思った」

 目を覚ました廃教会で、本音を吐露した先輩騎士から聞かされたのはそんな報せだった。

 一緒に戦って、別れて、さあ合流だと思ったら袋叩きにされ。

 返り討ちにして満身創痍。それでも集団が廃教会へ向かっていくのを削がねばと、一人倒したところで視界が真っ暗になり。

 そして目が覚めたら全てが終わっているなんて。

 そんなことって、あるのだろうか。

 視線をさまよわせると、枕元には血を拭われたククリが置いてある。

 頭に包帯を巻いたアズナヴールは、思いの外軽傷のようだった。

 対して自分は身動ぎするのも激痛が走る。

 痛みを感じることができる。できてしまう。

 呼吸するだけで苦しい。

 手に馴染んだ刃物を渇望する。倒したい者がいる。

 だから動け。

 この一瞬だけでいい!

「ジル・レオン……!」

「ーー俺は死ねといったか?」

 空を裂く呟きは、喉を掻ききろうとした手を止めた。

 憔悴しきった王子は、それでも威厳を保っていた。

 礼服についた染みは赤い。

 その血が巡っていた人は、きっと今にも河を渡りきってしまうだろう。

「お願いします!けじめを、つけさせてください……!」

 狙いがぶれる。自分は命を拾ってしまった。

「守れなかったんです……」

 誰よりも大切な人を、守って死ぬことすらできなかった。

「だめだ」

 ククリが手から離される。

「お前は、生きろ」

 重みのある言葉だった。

 こんなのを、どうやったら受け止められる。

「命令だ」

「……貴方の、命令を守れなかった俺は」

「だからこそだ。最後の生還者」

 アズナヴールをみやると、沈痛な表情を浮かべていた。

 何人、戻ってこれなかったんだろう。

「今夜任務を言い渡す。それまで休め。アズナヴールも苦労をかけるがよろしく頼む」

 王子は一人、裾を翻し出ていった。

 一人で進む道のりは、隣に誰もいない大きな穴は。

 王子が誰よりも、感じているはずだった。



 身体を引きずり指定の場所へ赴くと、体温が急激に下がった。

 室内では、身体を清められた専属騎士の亡骸が、寝台に寝かせられている。

 遺体安置所は、もう少し離れた場所にあるはずだった。

「ラメ、ルさん…………」

 香りがたかれ、ろうそくの炎が揺らめく暗がりを、ふらふらと歩いていく。

 青い瞳は閉じられていた。

 見える範囲には血も拭き取られていた。

 短くなった髪の毛は鈍く輝き、けれど触れた頬は冷たかった。

 目の前の事実が、紛れもない現実だと示していた。

「よく、来てくれたな」

 びくりとして振り返ると、うごめく布の塊がある。

 敵意は感じない。

「カンテラの灯りが切れたんだ。今つける」

 言うがはやいか、オレンジに暗がりと同じ髪が照らされる。

 眩しさに目が眩んでも、溶けるような髪色は見間違えるはずがない。

「ラメルの不寝番に付き合ってくれないか」

 命令ではなく、心からの問いかけだったのだろう。

「俺で、よければ」

 王子は微かに微笑んで、タオルケットをジル・レオンに手渡した。

 ーー死者の傍らで親族や隣人が夜を明かすのは、ノイアで広く浸透した風習だ。死者に悪さをする存在がいないように。そして、息を吹き返したときに真っ先に気づけるように。

「ラメルはきっと目を覚まさない」

 首もとまですっぽり埋まった王子は言う。何度も言い聞かせたような声だった。

「考えてしまうんだ。奇跡が起きるなら、と。生きていたら、残務をしろと、あいつは急かす。だから」

 ずり落ちたタオルケットをかけ直す。

「これは最後のわがままだ」

 炎が揺らめいた。

「ーーヒュース騎士長は」

「親代わりだが、騎士長だからな。夜を徹しての仕事だろう」

 ずっとついては、いられない。

「……そう、ですか」

 死んでからも一人ぼっちなんて、そんな真似は、したくなかった。

 そういうところだろうか。

「おまえは俺とここで不寝番だ。生きてることが奇跡的なんだ。くれぐれも他の騎士と同じように動こうなんて思うな」

「…………善処します」

 彼女のように、守り死んで終わる。

 そんな願望を持ってしまったのを見透かされたのかもしれない。

「これは返す」

 ククリを押し付けられる。取り上げられていたものがこうもあっさり返されるとは。

「もうバカな真似はしないな」

「………………」

 生きることを許されなかった人を前にして、生を捨てられるのか。

 ジル・レオンは、また迷っている。

「手放すのが、遅すぎた」

 王子は死者のみを見据えていた。

「レオンの言うとおりだった。先延ばしにせず、答えを出すべきだった。例えば、暇を早く出していれば、こんな風に死ぬことはなかっただろう」

「…………騎士にとって、殉職は可能性のひとつです。自分が、ラメルさんを守れなかったことに責任があります」

「いや。レオンはよくやってくれた。辺境騎士団に飛ばしたようだが舞い戻り、加えてシェルの第二波を外交面、国境警備の切り口で食い止めてくれた。もちろん到着したあとも活躍した。機転が利かなければ、被害はもっと出ていた」

「………………」

「俺は、一体どこから間違ったんだろうな?」

 ジル・レオンは、深呼吸する。

「……一体どこから、記憶が曖昧なんですか」

 それによっては、意味合いが変わる。

「…………うん、懺悔をしようか」

 夜はとっぷりと更けていく。

 蝋が一滴垂れた。

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