第55話 うしなったもの

 国王は、毎年必ず公務を入れない日を作る。その日のスケジュールは真っ白だ。王はいつも書き置きを残して城を抜け出してしまう。そして騎士をつけず、たった一人で青い花一杯の野原へと向かうのだ。そこで起きた惨劇を、観光スポットと化した花畑の様子からうかがい知る事はできないだろう。過去に多量の血を吸った地面は、今では一面の青い花が風に揺れ、ところどころに石造りの墓がある。墓標に花が絶えることはない。空との境目が分からなくなるほどの空間で深呼吸したあと、レインはまず一目散にある場所を目指した。


 廃教会の一室に、赤いラメルは横たわっていた。

 医師はレインに首を振り、涙がとめどなく落ちるルフランの肩を叩いてともに病室を出た。

 ラ・メール=イスリータはかろうじて生きている。だがもう目を覚ます事はないだろう。ベテラン御殿医の診断だった。

 そのときを見据えてみな席を外したのか。レインはラメルのそばに行き、ほとんどぬくもりのない手を握った。

「ラメル、ラメル……」

 お願いだから目を覚ましてほしい。

 話したかったことがたくさんある。

 まだ伝えていないことがある。

 一緒にやりたかったことだって、数え切れないほどあるんだ。

 目を覚ましてくれるなら命だってやる。

 与えられるものならなんでも与える。

 ほかにはいらない。

 信じるものがなかったとき、小さなラメルはそばにいてくれた。

 その子だけが、真実だったんだ。

 笑わなかった女の子を、笑わせることに必死になった。

 計算しなくても構築できる人間関係に癒された。

「ラメル……」

 レインが目を閉じたとき、手のひらのなかでかすかに動きがあった。

 凝視した先で、ゆっくりとまぶたが開かれる。

「レイン……さま――」

 胡乱げなラメルは、首だけを動かした。

「ラメル、よかった……」

 ぼやける視界に映ったのは、悟った笑いだ。

 その意味するところを、読み取ってしまう。

「……待て、ラメル。やめろ」

一人に、しないでくれ。

 言い足りなかったが、口を緩慢に開き、震える声を絞り出す様子をみてそれ以上はやめた。

「私は、あなたの、そばにいたいと思っていました。私は、そばにいられるなら、騎士でよかった。でも本当は、本当は――」

 騎士になる際の誓いの文言は、王国に伝わる伝統の婚姻の誓いと重なる。

 ただ最後の文言が、違うだけだ。

「俺も、俺もだ。ずっと好きだった。だからそばにいてくれ。俺の専属騎士はラメルしかいない」

 彼女はしばらくなにも言わなかった。

 どんな物音がしても、二人の前では無意味だった。

「実は、騎士になるときに自分に、誓ったことが、ある――です。私は、貴方を、あいさ……ないと。でも」

 瞳が潤んで、声が震えていた。かすれた声で、つぶやいた。

「もう、無理です……」

 レインが口を開く前に、耳を近づけなければ聞こえない程度の声で、切れ切れに最後まで伝えた。

 レインは全てを聞いた後、時間が残されていないラメルに微笑んだ。

 俺も、誓うよ。

「大好きだ、ラメル」

 痛みで冷や汗が浮かんでいる少女は、目を開けて心の中を表現する。

「愛してます……レイン」

 笑顔のまま、彼女は眠った。

 無表情にそれを見届けて、背中が寒くなって、目が熱くなった。

 唇が震えてどうにもならなくなり、手を握りながら彼女に崩れ落ちた。

 真っ白な肌に水滴が吸い込まれていく。

 自分が一人なのだと思い知らされてしまう。

 もう少しだけ、触れていたい。

 もう少しだけ、温かさを感じていたい。

 

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