第45話 水底に言葉が沈む前に

 †

「殿下、一体これは」

 朝方早く、王子はいつもの場所で剣を振るっていた。

 それが日課の鍛練であることを、王室付き騎士は誰もが知っている。

 徹夜明けの頭に、第六感が働いて来てみたらこれだ。波乱のあった舞踏会明けでも、ルーティンワークは欠かさないつもりらしい。

 そこに常の練習相手はいない。

 他の騎士もだ。

「……お一人でいるのは」

「危ない、か。アズナヴールやヒュースみたいに言う」

 どことなく雰囲気の変わった王子は、達観か、諦観か。

 どちらとも言えぬ表情に、少なからず戸惑った。

 王子は初めて、夜を異性と過ごした。

 シェルをはじめとした諸国外遊や、国内視察でラメルが護衛についた少ない機会を除いて。

 意味するところが分からないような子供ではない。

 何をいうべきか、口が乾きそうなときだった。そこだけ明けていないかのように、夜は動いた。

「予定が狂った。だが命令に変更はない」

 感情を圧し殺したような王子に、かける言葉なんてない。

 昨夜のことは、意に沿わないが避けられなかったことなのだ。

「昼の海を守れ、レオン」

 それだけが真実ならば。

「……御意」

 過程が違っても、結果が同じなら。

 結局は良しとしようじゃないか。

 自分は不器用な人達を、守り抜くだけだ。



 ラメルは部屋で一人机に向かっていた。

 本棚から本をいくつも出し、目立たないように、後輩が突っ込んでいった本をそっと開く。

 夜、一人静か。

 見張りも部屋の外にいるのみだ。

 それでも音をたてないように繰る。灯りに照らされたのは、海の絵だった。

 画集にある絵は、どこかシェルでみた海のようだ。タッチは部屋の絵や、かつて控えの間にあったものと似ている。

 懐かしさに浸りながら、味わうように進んでいった。

 けれど全編文字もない。あっという間に終わってしまう。

 最後の頁をめくった。

 奥付きには、作者の名前も、出版年も書かれていなかった。

 ただ、ブルーブラックのインクで手書きの文字が踊っていた。


 ーーきっとお前は怒るから。

 書き散らして俺は逃げる。

 嫌いになったわけではない。

 役目を果たせないと思ったわけでもない。

 これ以上、役目を負わせたくないと考えた。

 その結果だ。

 何にも巻き込みたくない。

 そして背負わせたくない。


 昼なくして夜はこない。

 しかし同時に来ることはない。

 夜は昼に憧れる。

 だから、明けない日々は、願い下げだ。


 願うのは、昼日中の平穏。

 血に染まらない海。


 22手前から、16へ。


 ラメルは本を閉じ、本棚へと戻した。

 蔵書に紛れ、自分でもどこにあるかが分からなくなる。

 専属騎士を、一体なんだと思っているのか。

 王子も、自分も。

 守れない騎士は、いらないのだ。

 ラメルは物音を立てないように、スクワットを始めた。






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