第43話 密約
†‡†
「久しぶりだな、ジル・レオン」
リラックスしたような体の王子は、珍しく年相応に見えた。
黒に近い青のインク壺が整然と机に並んでいる。書類はきれいに積み上げられていた。
「基本的に城にいませんから」
「ラメルとは正反対だな」
任務の特性上、若手の騎士は両極端な場所にいる。出没頻度が違うのは当たり前だ。
なのに控えの間を通り、部屋を見渡しても、王子の専属騎士は姿が見えない。
「ラメルさんを遠ざけてまで、呼んだ理由はなんですか」
単刀直入に問うと、上位者のまとっていた空気が変わる。
「ラメルのことで話がある」
本人不在で話す事柄なんて。
正直なところ、心当たりはあるにはある。もちろんお互いになにもないし、王子の怒りを買うような真似もしていない。
一方の先輩騎士は、入ってくる縁談をこれでもかと断り続け、思うところある見習い騎士のやっかみを全て実力で叩きのめし、へし折っている。世間一般の感覚では、とんでもないじゃじゃ馬だ。
騎士になったばかりの頃は、ラ・メール=イスリータではなく、「嫁」を欲された縁談ばかりだったと聞く。
実力も認められ、今ではいい条件の話も来ているらしい。
なのに相も変わらずで、加えて仕事上、敵を作るが味方の騎士を作る機会に乏しい。
それを後輩として何とかしろと言われる線が、なくはない。
聖人君子でいろとは言わない。でも敵は少ない方がいい。
顔を合わせる機会は少ないが、ジル・レオンの指導係はラ・メール=イスリータの他にはいない。これでも騎士の中では彼女と接する頻度は多いのだ。
「…………ラメルへの気持ちは変わっていないか」
「もちろん」
顔色を変えずに即答する。年月を重ねても、揺らぎはなかった。
「婚姻が叶うとしたらどうする」
「騎士を続けるというのなら道を探しましょう。城に勤めたいなら他の仕事を。守りたいならばギルドへの加入を。ここから離れたいというなら、共にモルボルヘ」
「……お前は騎士を辞めることも厭わないと?」
一旦得た身分を捨てられるのか。男の階層移行は全くといっていいほどチャンスがない。
「元々しがない平民です。騎士として誇り高く、騎士であろうとする気持ちが強いのは、誰よりもラメルさんですよ」
「そうだな」
もしもの問答を、意味もなくするような人だろうか。
考えていると、鋭く細い音が響いた。
「剣をとれ、レオン。見極めるときがきた」
隅に控えるヒュース騎士長は、なにも言わない。
「…………真剣で、いいんですか」
「もちろん」
ジル・レオンは、腰の刀を抜いた。
三拍置いて、軽く攻めこむ。
様子見の攻撃はいなされ、押し返されそうになった。
力を出しきらなければ。
相手は王子。怪我をさせたら懲罰ものだ。
だが、負けるわけにはいかない。
お前には覚悟があるのかとでも言いたげに突き付けられる刃を、籠手で弾いた。
反対に王子の首へ、切っ先を向ける。
吐息が漏れた。
「……さすがだな。負けた。お前なら、ラメルを守れる」
「………………」
剣をおろし、鞘へとしまう。
望んでいた結果だったのに、祭りの後のような物悲しさ。
「ジル・レオン。おまえを見込んで頼みがある。聞いてくれるか」
「…………できることなら」
「なにかあったときは、ラメルを守れ」
王子の実力は相当だ。しかし専属騎士のほうが腕がたつ。
「…………それは」
「俺やヒュースは立場上、ラメルを表だって守ることが難しいときがある。だから、おまえだけは、ラメルの味方であってくれ」
それは、もちろん味方でいるつもりだ。
「ラメルさんは、そんなに、危うい立場なんですか」
王子は否定をしなかった。
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