第36話 中庸の騎士
†
「少しお時間よろしいですか」
感情のない声は、ラメルにかけられている。騎士の顔を作って振り返ると、実質的な専属騎士がたった一人で立っていた。
「アズナヴールさん……」
「殿下はいませんよ。別の騎士が警護していますから」
先回りして与えられた回答に、別の疑問がむくむくとわく。
王子は今何をしているか。
専属騎士が主人の側を離れるケースは限られる。
機密事項で聞く必要のない会議、自身の外せない打ち合わせ。異性の場合は手洗いや身支度時なども加わる。
そして、人にもよるが、寝所でのあれこれは専属騎士を遠ざける場合が多い。
今がそうだと、あり得ない話ではない。
そうでもないと、彼がここに一人でいる理由が説明できない。
「場所を変えましょうか。久しぶりに図書館のほうへでも行ってみましょう」
目元にクマを作っているアズナヴールは、疲れた素振りも見せず、軽やかに歩きだした。
「殿下はお元気ですか」
「ええ、かわらず」
「よかったです。人事異動が多く、身の回りが行き届いているかと気になっていたんです」
「確かに、多かった」
のらりくらりと話すのがアズナヴールだ。
相手の質問に絶妙な角度で答え、言質をとらせない。
王家の内情を外に漏らさないという点で、王室付き騎士の受け答えの鏡とまで言われている。
そんな当たり障りない相づちだったのが、明確な同意となって、ラメルは驚いた。
「少し、私の話をします」
雷に打たれたような衝撃だった。
革命以前から騎士であり、今もそのままの身分である人間はアズナヴールを除いてほぼ存在しない。
最初期の革命ーーラメルの父親について粛清されたか、前王について命を落としたか。生き残って、自主・強制に関わらず騎士の身分から外れたか。前王家次代からの騎士の進退は、この三種類に大別される。
そしてアズナヴールが自らの過去を誰かに話したことはない。
ラメルは続く言葉を待った。
「私が昔から騎士であることは、知られていると思います」
「……シャルル・アンリ=アズナヴール。アズナヴール家当主が、代々名乗るお名前ですね。記憶違いでなければ、専属騎士を多く輩出し、アズナヴールさんは先代から仕えていらっしゃる」
「ええ。アズナヴールは古くからノイアに仕えた家系です。専属騎士を出し始めたのは制度が出来てからのこと。それ以前は大臣や秘書官となるのが常でした。実際に、私の母も、秘書官の娘です」
「……アズナヴールさんが他の騎士と違っていた理由が、ほんの少し判った気がします」
抱いていた違和感。
冷静さを欠かず、武人らしからぬ振る舞い。
「腕に自信を持ち武を尊ぶというよりも、必要であったから剣術を学び騎士となった。アズナヴールは知識を蓄え守っていく家ですからね。騎士であるまえに、まず秘書であれ。何代か前の当主が残しています」
「秘書というと、身の回りの世話をするものですか?」
「ええ。ですが身の回りの世話は他の者にもできる。なによりも、秘密を守るものであれ、と」
「……………」
「私が未だに王家に近いところで仕事をしているのは、疑問に思ったことがありませんか?」
アズナヴールの経歴は輝かしい。レインの専属騎士相当、もしくは代行。その前は王太子ケヴィー・エド=ノイアの専属騎士。
前王家側ととられてもおかしくない。
「……考えたことがないというのは、嘘になります」
「そうですね。きっと気になる騎士も多いでしょう。……アズナヴールは王家よりも王家に詳しい。王家に仕えるというより、国に仕えるというほうが正しいニュアンスです。革命が成功し、フィルプが王家になるにあたって、困ったのは祭事やしきたりに詳しいものがいないことでした。そこでアズナヴールに白羽の矢がたった。もちろん、当主である私以外は、騎士の身分は返上し、下級文官となったり、その妻になる形になって家は小さくなりました」
「………………」
「私の立ち回りがうまいという人もいます。しかし、秘書としてあっただけです」
「きっと、それだけ大切なものを守られてきたのでしょう」
「先祖はその言葉を聞いて、きっと光栄に思うでしょう。しかし、私は近頃思います。秘密を守り、両陣営どちらにもくみしない。それは、糺すことをしないということだ。中庸の騎士。見方を変えれば、傍観者です」
アズナヴールの二つ名は、尊敬が込められている。
争わず、権力争いにも我関せず、実務と武の両方を兼ね備える。
「私はあなたを気に入っているんです」
隣には、無表情なままつぶやくアズナヴールがいる。
「私はノイアに仕えるが、あなたはまさしく殿下に仕えている。国よりも、王家よりも、自分の主人に忠誠を尽くしている」
「……王室付き騎士として、あるまじきこと、ですか」
「いいえ、専属騎士はそのほうがよいと、私は思います。仮にお家騒動があっても、騎士がその表舞台にたち主人を裏切るのはいかがかと思うのですよ」
……矛盾、しないだろうか。
まさしくそれは、せんだって起きたことだ。
「騎士は国に、王家に、主人に仕える。しかし全てを遂行できないとき、私は国を、ラ・メールは間違いなく主人を優先する。あなたの行いは、主人を糺せるということです」
アズナヴールは、自身の主義とは違うラメルを、認めようとしている。
「私は子供を望めません。ラ・メールが望むなら、養子にします。誰か夫を迎えればいい」
「……ご冗談を。とびきり優秀な方が縁戚にいらっしゃるのでは」
「専属騎士まで登り詰めたんです。生きながらの退官は例がない。アズナヴールは悪くないと思います」
騎士は罷免されない限り騎士である。
専属騎士もまたしかり。
「王室付き騎士、専属騎士は王家の秘密をはからずとも知ってしまう。王家に不利な存在となった騎士はどうなるのか。……天寿を全うした騎士を除き、半ばで退官した騎士の理由を知っていますか」
はっきりとした物言いは、ラメルを逃げられなくさせた。
病死、事故死、稀に家庭の事情。専属騎士の交代理由はこんなところだ。
消されると、暗にほのめかしている。
いくらヒュース騎士長が後見人だといっても、王家から消せと言われたら従うしかない。
もしかしたら、なんらかの便宜ははかってくれるかもしれない。
けれど影に逃げると、そこで人知れずチェックメイトだ。
アズナヴールは、影響力と注目度が比例していない。
目立たない実力者。欠けば国の司祭が傾くほどの家。
「……少し、考える時間を」
「わかりました。殿下も、あなたもお疲れのようだ。朝の海を見に行くのはいかがです、気分転換に」
図書館はもう目の前だ。人通りも増えてきている。
「……アズナヴールさん、1つ聞かせて下さい。知っていますか。車は海に船は山」
ふむ、と知性の固まりは数瞬考える素振りを見せる。
「ことわざですね。そこまで頻出しない言い回しですが。ーー物事が逆さまの例え」
「ええ」
「それでは、私はこれで」
アズナヴールは自然な足取りで、城のほうへと戻っていった。
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