第25話 船出の準備

 †

「ラメルは海だな」

 チューターから出された課題にいそしんでいると、レインはぽつりと漏らした。唐突だったから、私は手を止めて、顔をあげた。

 年上だけれど、レインはときどき課題をする手を止めている。今日もそうだった。

「私の名前のこと?」

「それもあるんだけど」

 レインは羽ペンを置き、大きく伸びをした。

 暗色の髪がつられて動く。

「ラメルの目は青色だろ?それに金髪だから、昼の海みたいだなって」

 私は首を捻る。

 知識としては海を知っているけれど、実際に見たことはない。

「青色の大きな水溜まりかあ」

 なんだかなあ。

 ストレートな感想に、レインはくくっと笑う。

「そう言われると、情緒がないな。けど、見たら分かるよ」

 そこまでいうのなら、きっといいものなのだろう。

「レインは、見たことはある?」

「あるよ、昔」

 それ以上は、聞いてはいけない気がしたのは、寂しい色合いを映していたからだ。

「……いつか私もみたいなあ」

「そうだな」

 私の正面には、机を挟んでレインがいた。

 繰り返し、私は綴りかたの練習をする。

 内陸のノイア王国では、海を見た人はほんの一部だ。

 外遊ができる貴族か、遠くまで商いをする商人か、旅の一座。

 けれどいつか、レインと一緒に海をみたいと思う。

 そして、今みたいな穏やかな日々が、ずっと続けばいいのにと。

 贅沢にも考えてしまうのだ。


 ‡

 通用口近くで待っているのは、待ち合わせをしていた相手だった。非番でリラックスしているのだろうか。

「待たせましたか」

 かなり近付いて声をかけないと、こちらには気づかなかった。

 スイッチが入ったようにいきなり動き出す。

「いえ、全然……」

「どうしました?」

 かと思えば固まっている。

 仕事でやり残したことでもあったのだろうか。

「…………今日は非番ですよね」

「そうですが」

「……城下に出るにはかたすぎません?」

 ジル・レオンは、肌触りの良さそうなシャツにベスト姿だ。

 平民が着る服の中でも、あつらえのよさそうなものだった。

 刀は見当たらない。腰に刺しているククリが申し訳程度の武器か。

 対してラメルの服は、騎士の軽装だ。刀も忘れずに持っている。

「修道院に視察へ行きますし」

「仕事じゃなくてプライベートでチーズ買いにいくんっすよ!」

 それはラメル自身も分かっていた。だから迷った。

「………………隣を歩くの、騎士と、ちんちくりんな男女(おとこおんな)、どっちがいいですか?離れて歩く手もありますが」

「…………もしかして、ラメルさん、外行きの服が」

「ええ、持っていません」

「………………どんだけプライベートがなかったんですか」

 やっとの思いで絞り出したような言葉に、ラメルは笑ってやり過ごした。

 シンプルな乗馬服、鍛練の際のラフな服、寝間着。服のレパートリーなんてこんなものだ。

 選択肢はなかった。

 それに、ラメルの体格では、誰かに借りようにもサイズが合わない。

 今まで必要性も感じなかったのだ。

「この服でいきます。今さら女物の服を着ても変でしょう」

「そんなことは」

「さあ、行きますよ」

 警備をしている騎士に軽く手を振り、ラメルとジル・レオンは城下へと繰り出した。


「賑わっていますね……」

「収穫もあらかた済んで、ちょうど運ばれてますからね」

 久しぶりの城下は、賑やかなものだった。中心部は農村で収穫された果物や野菜のマーケットが並び、馬車も多く行き交っている。

 ここまで込み合っている場所に出るのは久しぶりだった。

「ラメルさん、危ない」

 ぐいっと引っ張られ、ジル・レオンの方へと身体が吸い寄せられる。

 抗議しようとすると、大きな荷物を抱えた商人があわただしく走っていった。

 ぶつかっていたら怪我をしたかもしれない。

「ありがとう、助かりました」

「どういたしまして。……っと、パンありますね、買ってきます。チーズ挟んだらおいしいと思うんですよ」

 ジル・レオンは屋台へ並び、ラメルは一人残された。

 人々は忙しなく、だが確実に日々を生きている。

 手持ち無沙汰に見ていると、古着を扱っている店もあった。

 思わず足が向いてしまう。

「いらっしゃい」

 女物もいくつかある。

 この機会に買っておくのもいいかもしれない。

 ラメルが服を手に取ろうとしたときだった。

 視界の端で、見慣れた色が動く。

「…………?」

 伸ばしかけた手を止める。

 確かに一瞬、城内で働く使用人が着用しているエプロンドレスの裾を見た。

「――あれ、ラメルさん、服見繕ってるんすか?」

 紙袋をもった後輩が、いつの間にか隣に立っている。

 雑踏のなかに見知った顔は紛れていない。

「……ええ、まあ」

「あんた、女の人かい?」

 店主が目を丸くする。

 ――まあこの格好だから。

 しゃべらなければ、男のままだと思ってくれただろうか。

「そうなんですよー。この人にあう女物の服、見繕ってください。またあとで来ますんで!」

 手を引かれ、ラメルはその場から連れ出される。

 掴んできた手のひらはラメルのものより大きい。

「ラメルさんは女の人ですよ」

 こちらがついてこれるスピードで、ジル・レオンはずんずんと歩く。

「俺にはそうとしか見えません」

「……ジル・レオン」

先程の店主の言葉をかき消すように、いつになく強い。

 人がまばらになったところで、ジル・レオンは足を止めた。

「レオンってよんでくださいよ、ラメルさん」

 手は握られたままだった。

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