第22話 過ぎ去った時間
ああ、おさえていたはずなのに、その実なかったことにはできていないのだ。
‡
「勝者、ラ・メール=イスリータ! 」
見習い騎士との試合は、ラメルの全勝で幕を閉じた。
王子の専属騎士として、誰にも負けるわけにはいかない。
連続戦闘で後半は圧勝とはいえなかったけれど、面目を保つことはできた。
「ラメルさん、お疲れっした!」
「お疲れ様です」
ジル・レオンは、何かと声をかけてくる。
自由になる時間は増えたが、思いの外、一人でいる時間はない。
「ラメルさん、次の巡回まで時間空いてますよね?一緒に稽古しません?」
「ごめんなさい、少し用事があるので、次の機会にしましょう」
総当たり戦で出ずっぱりで、疲労はたまっている。
「分かりました。じゃあ、3時に広間で!」
あっさり引き下がったジル・レオンに手を振り、ラメルは早足で演練場を出た。
自分の部屋へ戻り、最低限の身だしなみを整える。
細長く息を吐き、部屋を出た。
仕事が変わって以来、ヒュース騎士長とも、レインとも、一度も顔を合わせていない。
ラメルが王族、特にレインが立ち入らないフロアの巡回ばかり割り当てられているのは明らかだった。
朝の鍛練だって、早朝の門番勤務が嫌がらせのように入っている。いつもの時間に行けないように画策されているかのようだ。ーー今の時間、レイン王子は執務室にいる。
ラメルは最短距離を進んだ。
エルーのような使用人は、持ち場が決まっている。城内でも滅多なところに立ち入ると咎められてしまう。
一方、王室付き騎士にはその制約がない。城内警備がある以上、仕事かそうでないかの判別をつけることはほぼできないためだ。
「ラ・メール」
呼び止めたのは、ヴァルテルミー副騎士長だ。
「どこへ行くつもりだ」
ーー例外は、騎士の行動予定を把握している上級騎士くらい。
不要な徘徊は褒められたものではない。
「……サー・アズナヴールへ会いに」
「何用か」
「殿下の警護の件で相談を」
目をつけられたくない人物に鉢合わせてしまった。
ヴァルテルミー副騎士長とラメルは、ビジネスライクな関係だ。
ラメルに関する人事に、ヴァルテルミーは全て否定的な見解を示している。序列を重んじる古参の騎士だ。一足飛びに昇進した形のラメルとその主である王子に正面から思うところを申す騎士は、ラメルを抉る。そして他のガスを抜く。
「アズナヴールへ任せておけばよい。去れ、イスリータの娘」
「……承知しました」
ラメルは引き下がり、素直に立ち去った。
別ルートで執務室へ向かおう。そう気を取り直したときだ。
「ラ・メール、どうした」
今度は巡回中のトマだ。ラメルは笑みを浮かべる。
「アズナヴールさんの様子を見に行こうかと」
「あー、今は寝てるんじゃないか?一人で警護してるしな」
「では今は、どなたが殿下の警護を?」
トマは狐につままれた顔をする。
「……予定、ラ・メールが組んでるんじゃないのか?」
王族の護衛メンバーは王室付き騎士全体が把握する。しかし、ラメルには誰が護衛に当たっているかわからなかった。今まで王子の警護案を組んでいたのは、専属騎士であるラメルだったにも関わらず。
「……アズナヴールさんが代行してから、私は殿下の警護にあまり関わってはいなくて」
「……そうか。まあ、アズナブールもそっちは慣れてるだろうしな。……多分、今警護してるのは騎士長かカルマンだとは思うんだけど」
詳しいシフトはメンバー外は知るところではない。
「いえ、ありがとうございます。それでは騎士長に挨拶をしてきます」
「あっと。こっから先は王室付きでも通すなって言われてる。悪いけど、アズナヴールや騎士長への言付けなら預かるから、強硬突破なんかしないでくれよ」
「しないですよ。アズナヴールさんにはまた改めてうかがいます」
「わかった」
ぺこりと一礼し、ラメルは元来た道を歩く。
トマは隠していたつもりだったけれど、誰も通すなと誰かに命令されていた。
きっと、彼もレインの警護の補助を行っている。
ーー思ったよりもガードが固い。まるで、騎士達が一丸となっているみたいに。
これでは蚊帳の外だ。
ラメルは早足で騎士の居室フロアへと向かった。
「ラメルさん、俺に会いに来たんっすか?」
「寝言は一人で言ってもらえますか」
ジル・レオンの横をすり抜け、ラメルはアズナヴールの部屋を探す。後ろから少し遅れて足音がついてきた。
「もう、昼間だからいいですけど、男所帯にずかずかくるの、風紀的によくないですよ」
「前科持ちのあなたがよくいいますね」
従者達のエリア、特に王室付き騎士達の個室が並ぶフロアにラメルはいた。
騎士といえど、雑事は見習いが行い城の使用人は関知しない。
男しかいないここには、女性は近付かなかった。
逆も然りだ。
「あー、あれは業務上仕方なくです」
「私も後ろに同じです。任務の引き継ぎに話にくるくらいがなんですか」
「んー、談話室で話せばいいじゃないっすか。取り次ぎくらいなら、俺やりますから」
「忙しい人に出向かせるのははばかられます。アズナヴールさんも満足に休めてないでしょうし」
「……アズナヴールさんですか?今日は日中警護じゃないですかね」
足を止める。トマは寝ているはずだと言った。
てっきり夜間警護明けなのだと。
「……戻ってないんですか?」
「俺の部屋、アズナヴールさんとこと近いんで、戻ったらわかりますよ」
「……レイン殿下の警護、誰が入っているか分かりますか」
「アズナヴールさんは確定でしょ。騎士長とかですかね。あとはヴァルテルミー副騎士長もたまに入るとか。基本ラメルさんのときと同じで、前日夜とか、当日の朝になって分かるんです」
「夜間も、持ち回りで誰かが入っているというわけですか」
「多分」
頭が痛くなる。
「……ジル・レオン、申し訳ないですが、3時には間に合わないかもしれません」
「え、どうしたんすか?」
「失礼します」
ラメルはその場から脱兎のごとく走り去った。
「脱走は得意分野ですね、レイン様」
木を見上げた王子は、薄く微笑んだ。
「過保護な騎士達が多かったから自然にな。いつの間に木登りなんて覚えた」
「お戯れを。レイン様が率先して登っていたでしょう」
ラメルは木から飛び降り、果樹を一つ主人に渡す。
敷地に生えている果樹を執務の合間に食べるのが、王子の楽しみの一つだった。
危ないと再三いわれているのに、自分で木に登ってしまう。
最近は従者がおやつを執務室に運ぶので、めっきり調達にはでなくなってしまったけれど。息抜きに抜け出して足を運ぶ場所の一つがここだった。
読みは当たった。
レインのそばには誰もいない。
「いかがですか」
「ああ、かわりない。ラメルも食べろ」
ちくりと胸が痛む。
私は、戻ってきてほしいと言われたかったのだろうか。
果物をかじると、まだ青く、味が薄かった。
「アズナヴールさんとはどうですか」
「問題ない。ラメルが騎士になる前は、アズナヴールが来ることが多かったからな」
専属騎士ではないものの、王子が比較的むげにせず、実力も十分な騎士がアズナヴールだ。何か問題が起きるとも思えない。
そのあたりの心配は、正直していなかった。
「ラメルはどうだ」
「……新鮮です。今までずっとお側にいたので」
「そうか」
レインの顔を盗み見ても、感情は読めない。
下剤か睡眠薬か。
盛ったにしても、抜け出せる時間はそう多くない。
言葉少ななレインは、自分から言うつもりはないのだろう。
「…………私を遠ざけているのは、レイン様ですか」
果物の芯を、ラメルは投げる。
「どうしてそんなことを?」
「説明もなく専属騎士代行が置かれ、レイン様の護衛計画ですらまともに話がまわってこない。騎士達でさえ私に本当のことを言おうとせず、遠ざける。こんなことを命じることができるのは、レイン様くらいでしょう」
自己の護衛について、最終決定権はレインにある。
今まで我を通してきた以上、専属騎士一週間の不在を、レインは看過しないだろう。
知らないはずはない。
知っていたなら、あえて私を任務から外したのだ。
「……なあラメル」
「……はい」
「いくつになった?」
忘れるはずはない。けれど答えるのが従者だ。
「……16です」
「縁談、きてるだろ。まともなやつが」
かっとなる。言外の意味するところに。
「それがどうしたと」
「ヒュースの立場も考えてやれ」
それを言われるとラメルは弱い。
けれど。
「縁談を断ってばかりのレイン様に言われたくありません!」
「でも俺にも妃候補ができたよ」
それは、ルフラン王女のことだろうか。
姿は見ていないが、まだ帰ったとは聞かない。
「……それは、よきことです」
「ラメルもそういう年だろう」
「私は女である前に騎士です」
「けれどお前は男じゃない」
どうして。
レインはそんなことを言う。
「城勤めにこだわるなら、そうだな。ラメルだったら、女性初の文官としても通用するだろう。誰かを守りたいのなら、レティ修道院。女性で護衛ができる人材は貴重だ。どちらにしても俺から口利きを」
「レイン様は!」
こんな遠回しなことを言う人ではなかった。
「私は、もう必要ないと、そうおっしゃるのですか」
「………………」
背中にずっしりとした重みを感じる。
ツヴァイヘンダーを振り回してきたラメルは、女性としての生き方を知らない。
王子も芯を放り投げ、無言で立ち去ろうとする。
「レイン様!」
立ち止まった王子は、振り返ろうとはしない。
「…………」
至らない点があったか。なにがいけなかったのか。
「髪を伸ばせ。……騎士としての姿より、花嫁衣装のほうが、ラメルは似合う」
話は終わりとでもいうように、王子は立ち去った。
思考が追い付かない。
足が縫いとめられたようで、追いかけることもできない。
私は、邪魔だったのか。
女である私は、仕え続けることすら許されない。
レインが許してくれていたから、必要としてくれていたから、私は騎士として傍にいられた。
では、必要とされなくなったら。
私は、一体どうすればいい。
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