第20話 本音と建前

 手に入らないことは苦しい。

 見える位置に、伸ばせば触れる距離にあるのに、どうやったって届かない。


 ‡

 ざわめく食堂は、騎士や文官達でいっぱいだった。

 王室付き騎士の一団が、がやがやと去っていく。

「ーーラメルさん、傷、治ってよかったです」

 ジル・レオンが、わざわざ他の騎士達が去ったあとに神妙な顔でつぶやいた。

 もしかしたら、ずっと気にしていたのだろうか。あれは試合でついた傷で、仕方のないことだったというのに。

 ラメルは匙を置く。

 一週間前の模擬試合で受けた傷は、ほとんど目立たなくなっていた。

「エルーがくれた薬のお陰です。もう少ししたら完全に消えるでしょう」

「さっすがですね!エルーさん、できる人」

「ええ、とても優しい人ですよ」

 控えめで、目立たない。だから取り立てて話題にはのぼらないけれど、気遣いができる城勤めの鏡だ。

「エルーさんって、めっちゃかわいいと思うんですけど、いっつも頭巾かぶってるじゃないですか。もったいないなーって。とればいいと思うんすよ、仕事なら仕方ないけど」

 ジル・レオンに目をつけられたのは、幸運か、それとも。

「……それ、絶対に本人に言わないように」

「………?」

 気づいていないのか。であれば、他の騎士もそうなのか。

「ーー顔にやけどのあとがあります。革命のときにできたものです。他言無用ですよ」

 革命の際は、民間人が犠牲になった。命を拾っても、辛い思いをしている人間はたくさんいる。

 身体に傷を負った女性たちもそうだ。エルーはひどいやけどを負い、御殿医の治験の一環で塗り薬を毎日使っている。

 効き目はあるものの、長年そのままにしていたため跡は完全には消えていない。

「孤児院の女の子の進路は、嫁入りが一般的です。ただ、彼女はここに来た」

 その意味するところを察せられないジル・レオンではない。人並みの女性より、婚期が遅れるかもしれないということだ。

 王家は革命時の怪我で結婚が難しくなった女性を、使用人として受け入れている。エルーもその一人だ。

「……そういうの、なんかいやだ」

「あなただって、私の顔の傷、やけに気にしていたでしょう。それとなんら変わりませんよ」

 騎士の傷は、戦いの勲章として称賛される。

 しかし、ラメルの場合はどうだろう。

 きっと男性とは違い、マイナスに働いてしまう。ラメル自身が気にしなくても周りは放っておいてくれない。

 平和になっても、まだ国内は生きづらい。

 それを変えるのが今の王家なら、ラメルの仕事は命を懸けて王族を、レインを守ることだ。

「……話変わりますけど、ラメルさんだいぶ打ち解けてきて嬉しいです」

「私もジル・レオンとの業務に慣れてきました」

「俺と話すのもそうですけど、他の騎士と話してて、新鮮ですよ。みんな言ってます」

「私もです。いいものですね」

「単独行動の極みでしたもんね」

 食事は王子執務室の控えの間で。もしくは簡単なものを厨房に作ってもらって空き部屋で。

 執務室で王子と食事をすることもあった。

 仕事以外では誰かと会話する時間も、機会もなかった。

 それでいいと思っていた。

「……思えば、狭い世界でしたね」

 王子と、ヒュース騎士長と。この三人で完結した世界だった。

 仲がいいエルーも、仕事で多く接するアズナヴールも、しっかりと向き合えていなかったのかもしれない。

 気づかせてくれたのは、後輩だ。

「ジル・レオンには、いつかお礼をしなければいけません」

「あ、じゃあ今度城下に行きましょう!修道院で作ってるチーズがおいしいって評判です」

「レティ修道院ですね。私も視察に行きたいと思っていたところです」

 資金調達のため作ったチーズが、大当たり。

 孤児の雇用にもつながるかもしれないと、王子も興味を持っていた。

「じゃあ今度の非番の日に、よろしくお願いしますねー!それじゃあ午後演練場で、また!」

「わかりました」

 一人残されたラメルは、はたと気づく。

 非番なんて、専属騎士時代にはあり得なかったことだ。

 それが非番があることを前提として話が進んでいる。

 専属騎士とはいえ、実務はアズナヴールがメインで行っているし、アシスト要員としてもお呼びがかからない。

 ぐっすりと眠れ、余暇があり、ゆったりとした時間が流れる。

 私は専属騎士に戻れるのだろうか。

 穏やかな日常への慣れと、離れていく今までが、どうしてだか不安で、怖い。


 ‡

「なあラメル」

「はい」

「俺に対して忌憚のない意見を言ってくれないか」

 昼下がりの執務室、羽ペンを置き、頬杖をついたレインは言った。

 ラメルは控えの間なら呼び出され、執務室の片隅で本を読んでいたところだ。

「……と、申しますと?」

「改めたほうがいい点だ。王位第一継承者ゆえ、甘やかされたと感じてる」

「今さらですか」

 読みかけの本にしおりを挟んで立ち上がる。

 王子は21となった。鍛練に励み、勉学も努力し、帝王学も学んでいる。

 しかし何かが違っている。

「王子は王子らしくありません。見合いを拒否し、騎士と同じように稽古をする。暗殺の危険も省みず外遊を繰り返し、一人で出歩くのだって日常茶飯事。正直もっとじっとしておいてほしいですね」

「早速辛口だな」

「ヒュース騎士長だったらこの程度ですみませんよ」

 恐らく10代だったら黙認されていただろう。

 けれどレインは20を越えた。

 日に日にボンクラと影口を叩かれていることは、耳に入れないようにはしている。

 知識も体力もある。ただし、王子としての自覚が足りない。

 国を率いる覚悟がない。

 ーーラメル自身も、薄いながらも感じていた。

 自覚が出てきたようで、なによりだ。

「んー、王位返上しようか」

「ーー誰がノイアを護るんです。冗談でも言ってはいけないことがありますよ」

 間違って強い酒でも飲んだのだろうか?

 それにしては匂いもしない。

 普段の王子は鉄面皮。ラメルの前では軽薄で、息抜きゆえと黙認していたが、今日の王子は輪をかけてひどかった。

「……あと、名前を覚えていただけると、嬉しいと思います」

「名前?」

「はい。他の騎士の」

「ラメル、ヒュース、アズナヴール……」

「レイン様付きの騎士と、まともに話したことはありますか?」

「そもそもそんなにいないだろ。固定はラメルとアズナヴールくらいで」

「レイン様が他の騎士をいれたがらないからでしょう!」

 ラメルは王子付きの騎士をまとめる立場にもある。

 年齢や経験からアズナヴールも補佐してくれるが、護衛の割り振りはラメルが行う。

 必要でない限りは、誰かを日中警護に加えることは首を縦にふらない。交代ももってのほかだ。

 レインは手痛く裏切られた経験をしてから、限られた人間しか、信用していない。

「俺はラメルだから、安心して執務ができるんだ」

「……光栄です。ですが……」

 もっと他の騎士のことも、信頼を。

 その言葉は音にならず、飲み込まれた。

「ラメル、おまえが信頼に足る、あるいは俺の護衛に適任と思う騎士をあげてくれ」

 思ってもいなかったことにフリーズする。

 複数名をあげられるほど、ラメルは同僚の事情に明るくない。

 これではイスリータ班の長はお飾りだ。

「……面白い新人が入ったとは聞いています」

「ラメルより面白い新人がいるのか?」

 苦し紛れに放った言葉に、思いの外レインは食いついた。

 女流騎士かつ史上最短、最年少での専属騎士抜擢。

 いまだ酒の肴にされ、なにかあれば揶揄される。

 そんな自分が話題の中心からそれたことに、ほっとした。

 そして、レインが他者に興味を持ったことも。

「……今年は、平民出身からも門戸を広げ、セレクションを開催しましたよね」

「ああ」

「そこから一人、王室付き騎士が生まれました」

「……それは、面白いな。前例ラメルがいるから会議も通ったろ」

 平民出身でいきなり王室付き配属というのも、異例だ。

 私みたいな異例尽くしがいたから、反対派もそこまで苛烈ではなかったとヒュース騎士長は言っていた。

「……名前は?」

「ジル・レオン=ルセーブル。刀鍛冶の息子です。年は17」

「……ラメルがいいと思うなら、また教えてくれ」

「わかりました」

 ラメルは一礼し、控えの間へ戻っていった。

 ーーレインには、腹心の友がいない。

 アズナヴールは年が離れているし、同年代の騎士はなかなか警護に許可がでない。

 王子は、とてつもなく孤独だ。

 だからこそ、今離れるわけにはいかない。

 ラメルは裏返していた縁談話が書かれた手紙を畳む。万年筆を手にとって、断りの文章を書き出した。

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