第16話 騎士の嫁

 †

「ラメル、仕事には慣れたか?」

手合わせのあとの休憩で、レインはなんてことのないように問う。

「おかげさまで。ヒュース騎士長やアズナヴールさんに良くしていただいています」

「そうか。アズナヴールは間違いないから、何かあったら頼れよ」

 騎士となって一年。ラメルは他の騎士と遜色ない腕前となり、レインの日中警護を任されるようになっていた。それもこれも、こうして早朝にレインと剣の稽古をしているからかもしれない。

 誰かに稽古を、しかも私が負けているところでも見られたら、即座に専属騎士からはずされてしまうだろう。

 そう考えると、強くならなければならない理由はすぐに増えた。

「なにかあったら俺にも言ってくれ」

「殿下は過保護ですなあ」

 ひょいと顔を出したのはヒュース騎士長だ。

背後からひっそりと近づいていたので、レインは気づかなかったらしい。

「ヒュース、いつから!」

「殿下がラ・メールに仕事に慣れたか聞いたところから」

「最初からじゃないか!」

 頭を抱えたレインに思わず笑みがこぼれる。

 きっとレインは、終生ヒュース騎士長に敵わない。

「それで、用向きはなんだ?ヒュース」

「ああ、少しラメルをお借りします」

顔には出さないが、思い当たることはない。

この時間に呼び出されたことも。

「わかった。ラメル!話が終わったら稽古するぞ!」

記憶の検索中断。顔がひきつる。それは、今から一人で稽古をするということか。

私が口を開くよりも、ヒュース騎士長のほうが先だった。

「殿下は今からお部屋へ戻って支度をしてください!王室付き騎士に送らせますので」

「成人男子に過保護だぞ」

「殿下は自分のお立場を分かっておられるのですかっ!?城内といえど無闇に一人でいるものでありませんぞ!」

朝の鍛練だって、相手が専属騎士であるから目こぼしされているようなものだ。ラメルが専属となる前は、レイン一人で自主練習。と見せかけ王室付き騎士が交代で遠くから警護をしていた。レインはそのあたりの事情を知らない。

 ヒュース騎士長はとって返し、早番の王室付き騎士を一人捕まえて戻ってきた。

「じゃあラメル、あとでな」

 余所行きの顔をして、レインはゆっくりと去っていった。

姿が完全に見えなくなってから、私は口を開く。

「ヒュース騎士長、お話というのは」

「……ここじゃあなんだ。部屋まで来てくれ」

 まさか配置転換だろうか。

 心臓が早鐘を打つ。

 私は黙ってついていくしかなかった。


「ーー縁談、ですか?」

「そうだ。カルマン家、クライトマン家、ラヴァーニュ家。可能ならすぐにでも婚約したいとのことだ」

 ヒュース騎士長が口にしたのは、いずれも騎士の家系だ。

 配置転換でないことにとりあえずは安堵する。

 ただ、また別の問題がむくむくと膨らんでいたなんて。

「……そんな立派なところに、孤児の私など釣り合わないのでは」

「イスリータ家最後の一人。しかも王室付き騎士で、久方ぶりの女流騎士。殿下の専属騎士を務める実力、出自ともに申し分はないと先方は言っている」

「……それは」

 選ばなければならない、ということだろうか。

 立場としては、ラメルが下だ。

 守ってくれる家がない以上、従うしかないのか。

「こちらのことは考えなくていい。私はラメルの後見人だ。意思を尊重する」

 ほっとしたら、肩に入れていた力が抜ける。

「ありがとう、ございます」

「……私としても、騎士を一年務めて嫁ぐというのは残念だからな。だが、もちろん嫁ぎたいというのなら、縁談は責任を持って進める。そうでないならしっかりと断るとも」

 力強い言葉は父のようだった。

「……それではお言葉に甘えて。ヒュース騎士長に、お願いがあるのです」



「縁談?俺にか?断っておけとーー」

「ラメルにです」

 派手に書類が落ちる。

 人払いを済ませた王子の執務室では、ヒュース騎士長が一人報告を行っていた。

「……あいつ何歳だよ」

「14です」

「早いだろ、おい」

「そうでもありませんよ。王族や貴族ならこの年で婚約、婚姻は珍しくもなんとも」

「王族や貴族の結婚時期からは離れろヒュース、耳が痛い」

 王子は大きくため息をつく。

王子が信頼している数少ない人間の一人は、優れた後見人だ。

「ラメルはなんて?」

「考えさせてくれと」

「そりゃそうだろうな。騎士になったばっかりで、いきなりの話だ」

 王子は書類を拾い集める。

「出自もヒュースが後見人ならそれで相殺されるし、専属騎士の箔もついている。考査も最高点で突破した才媛だ。器量もいい。話がきても不思議じゃない」

「そうですな」

レインは深く腰かけて、机の上で手を組んだ。

「…………話を持ってきたのはどの家だ?」

「カルマン家、クライトマン家、ラヴァーニュ家です」

「……あ?」

 2オクターブ低い声は、おおよそ王族が発していいものではない。ドスのきいた短い問いは、ならず者のそれに近かった。

「俺の記憶が正しければ、跡継ぎができず妻を取っ替えひっかえしている家と、先代の女遊びが原因で跡目争いにぎやかな家と、養子が騎士不適合のボンクラだった家だが」

「殿下の記憶に間違いはございません」

束の間の沈黙。

「こんな縁談ラメルに話すな!俺の専属騎士を不幸にする気か!ラメルの不利にならないように注意して、丁重に、だがはっきりと断れ!いくらヒュースでも俺は怒るぞ」

「承知しました。……ただ年頃ですし、これからも縁談話は舞い込むと思われますが」

「ラメルを人とも思っていない縁談は次から断れ。判断に困るものはラメルに話す前に俺のところへ持ってきてくれ。いいな」

「はっ」

口から唾を飛ばしそうな剣幕にものともせず、騎士の長は承服する。

「…………なんだ、言いたいことは言ってくれ」

「殿下はラメルの結婚にはどう思われますか?」

先程までの熱はぴたりと鳴りを潜め、王子は息を吐いた。

細く長い息だった。

「………………ラメルが、望むなら俺には止める権利がない」

「そうですな」

「けれど、誰かの妻になるのなら、幸せになってほしいと思う。ただし幸せになれないと分かっているのなら、俺はラメルが望んでも、どうやっても止める」

 ヒュースは黙礼し、執務室を後にした。執務室の前には、控えの間がある。そこにはラメルがいた。

 二人揃って廊下へと出る。

「……ありがとうございました。ヒュース騎士長」

 ラメルは先だって、ヒュース騎士長に頼んだのだ。

 縁談について、王子はどう思うのか、と。

「あれはまごうことなく殿下の本心だ」

「はい」

「これからも、よろしく頼む」

「……はっ」

扉から漏れ聞こえた王子の言葉を、ラメルはそっと胸にしまった。


「……私は、まだ嫁ぎたくありません。ですがレイン様が望むなら、私は嫁ぎます。望まれないのであれば、まだしばらくは、レイン様の騎士でありたい」


 年齢の壁、性別の壁。

 困難はあるけれど、限界まで、私はレインの騎士でいたかった。


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