第3話 なんてことのない日

「お戻りになりましたか、レイン殿下」

 そう口を開いたのは、ヒュース王室付き騎士統括長だ。肩書きが長いので周りでは騎士長ということで浸透している。城勤めは長く、伝統にも明るい。そんな城内きっての常識人を前に、レインはなにかととぼけている。

「ああヒュース、なにかあったかな?」

「今日は舞踏会ではございませんか。婚約者を決める大事な式典。殿下もそろそろ――」

 レインはにこにこと聞き流す。そしてあろうことか体ごとこちらに向き直った。

 王族と従者が会話する場合、会話を切っていいのは王族だけだ。例え従者が話を振ったのだとしても。逆に王族に話しかけられると、急いでいても答えなければならない。しかしこの切り方はいかがなものか。王族云々の問題ではなく、人として。

「ラメル、出ないか?他国の姫や貴族、公爵、伯爵、男爵、子爵、財閥の娘と踊るのは疲れるんだよ。マナーも面倒くさいし言葉も気をつけなきゃいけないし、あいつらに下心があるのは分かってるんだ。俺も笑顔浮かべて応対するのぶっちゃけしんどいし。でも気をつけないと女って怖いからな。あ、ラメルは別だぞ?」

 これは本音か冗談か。笑顔で隠され分からない。

第一、今日の舞踏会ではラメルはレインの警護を外れ、城内と会場巡回の仕事を行うよう指示されている。

 ラメルが口を開く前に、拳を震わせたヒュースの叱咤が飛んだ。

「真面目に将来のことをお考えください!殿下は御歳22ですぞ!子をお持ちになっていてもおかしくありません」

「なあ、出ないとだめか?」

「当たり前です!暗殺の危険性から夜這いのないことはまあいいでしょう。しかし女性の影があまりにもなさすぎます!今日決めろとは言いません。言いませんが引きずってでも出席いただく所存です。今回は国内だけでなく、他国の姫君も――」

こうなると、ヒュースはしばらく治まらない。

 王位継承者は首をすくめてラメルに目配せした。

「レイン様、あまりヒュース騎士長を困らせないでください」

 向けられたほうは同調せずに、ため息をついてみせた。

「わかったよ、ラメル」

レインもふうとため息をつく。

「今日の舞踏会、出席しよう。ヒュース、俺の主警護はラメルに任せる。警護案はそれに基づいて作成してくれ」

すでに警護の案は作成され、滞りなく連絡がなされている。それをまた組み直せだなんて。

「殿下!またそんなワガママを――」

「俺の騎士はラメルだけだ。ダメなら出ない」

「でーんーかー!」

 こんな掛け合いもいつもの事だ。

けれど、ヒュース騎士長はなんだかんだと要求を飲む。

そして私はいつも仕方ないという風な態度を見せ続けている。

 内心はくすりと笑って、いるのかもしれない。



 夕刻、私は姿見の前に立った。いつもの騎士の服で今日の舞踏会に出席する。もちろん王子の護衛としてだ。

 だが関係者であっても王子の近くに女性の影があるとまずいので、男装しての出席となった。幸い私は髪が長くない。また胸も小さく、背も女としては高いほうだ。冷静に分析してみると、これでいいのかと思うが、戦う分には有利だ。それに、女である前に私は騎士だ。別に憂う必要もない。騎士としての正装は男性と同じ。これは普段の式典でも着用しているので違和感なくなじむ。少しだけ伸ばしている髪を結って制帽の中に入れておく。そうしておけばばれないだろうとヒュース騎士長からも太鼓判をもらった。

 いくら騎士でも王子の隣に女性はまずい。だろうなと、私も思う。妾にでも見られたらレインにとっても、王家にとっても不利益だ。

他国の子女が来る舞踏会ならなおさらだろう。だからこそ、舞踏会で私は遠ざけられる予定だったのだ。結局、レイン王子が私の出席を押し通してしまったけれど。

 彼は何がしたいのだろう。今までも縁談をことごとく断っている。いったいどれくらいの書類が捨てられたのかは考えたくない。他国の姫との縁談を断ったときには外交問題にまで発展しそうになった。

 もしかして。そんな思いをかき消した。

 私は騎士。向こうは王子。

 騎士は主人の影であり盾。それ以上でもそれ以下でもない。

 ――不意にノックの音がした。

「ラメル?入るぞ」

 返事も聞かずに王子が入る。踊る衣装に身を包み、けれども表情は普段と変わらない。

「おっ、綺麗だな。似合ってる」

 王子は笑顔でそう言った。

 私は思わず目を逸らし、かすかな動揺を見せないようにいつもと変わらぬ調子で苦言を呈す。

「レイン様、そのようなお言葉は貴婦人の方におっしゃってください。そしてお言葉をかえすようですが、似合っているというのは私が男のようだという事でしょうか?確かに騎士という立場と職務内容、この容姿上否定はしませんが……」

「違うよ」

 落ち着いた声ではっきりと遮られる。いつになく真剣な表情。だがそれもすぐに消えた。

「いや、なんというか、――――麗人?そういう風に感じた。っと、そろそろ時間だな、行こうか」

 そう促され、そろって歩き出す。普段は騎士が先を歩くのに今日はなぜか王子が前だ。

ドアを開け、どうぞと言われ。

 からかわないでくださいと、小さな声で言い返すのが精一杯だった。

 まるで舞踏会にいざなわれるような錯覚を抱いた。そんな妄想を持ってしまった。許されなくとも、少しでいいから味わってみたかった。

 王子と踊るのは私じゃない。他の人と話すのをそばで見るのが苦しくて。どこかの美しい姫と踊るのをみるのが悲しくて。誰かと笑いあうのが寂しくて。

 怖くて行きたくないと願ったけれど、当の王子が邪魔をした。

 だけど私は嫌じゃない。むしろ逆。矛盾しているのに。分かっていた事だったのに。だけど昔これ以上は望まないと自分に誓った。

 だから私は距離を開けて隣を歩く。これからも矛盾を抱えて生きていく。

 不自然ではないほどに。けれどけっして縮むことはない間。

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