第5話 世間知らずの高枕

                 1


 私は生まれた時から恵まれていました。

 大きなお家、優しい両親、たくさんの家政婦さん。

 色んな人の愛情と不自由のない環境に囲まれて育ててもらってきました。

 そんな風に日々を幸せに過ごしていた私ですが、ある日ちょっとした変化がありました。

 小学五年生になってしばらくした頃、私のお世話係として新しい家政婦さんがやってきたのです。

『どーもー、初めまして。今日からお嬢様の御付きに任命されました倉町円(くらまちまどか)です』

 その人は今まで私が接してきた人達とは違う雰囲気をまとっていました。

『お嬢様、物は相談なんですがちょっとお嬢様のベッドに寝転ばせてもらっても良いですか? あ、いい? では失礼して……おおー! すっげぇ! 今まで感じたことない柔らかさ! 体全体が包まれる!』

 周りにいる家政婦さんたちとも、学校のお友達とも違う距離感。

 当時の私にとってそれはとても物珍しく、心地の良いものでした。

 なので私が倉町さんに懐くのもそう時間はかかりませんでした。

『くーらまーちさん! あーそびまーしょ!』

『はいはい、お呼びですかお嬢様』

『はい! 今日はかくれんぼに付き合って下さい!』

『学校から帰ってきたばっかなのに元気ですねぇ。いいですけど今度は屋根の上とかにはいかないで下さいね? また旦那様と家政婦長に怒られちゃいますし』

 放課後に外で遊ぶことは禁止されてたので、屋敷に帰ってきたら倉町さんに遊んでもらうのが私の日課になっていました。

 かくれんぼや鬼ごっこ、バドミントンやトランプなど色んな遊びをしていましたが、私が一番楽しみにしていたのが倉町さんの昔話でした。

『倉町さん倉町さん、前のお話の続きを聞かせて下さい!』

『いいですよー、どこまで話しましたっけ?』

『文化祭の準備をサボってる男の子たちに、倉町さんがけりを入れたところまでです!』

『そうでした、……今更ですけどこれお嬢様の情操教育に良くない気が』

 倉町さんのお話はどれも刺激的で、いつもわくわくしながら聞いていました。

『それでですね、とうとうヤっちまったかと思ったんですけど、床に広がったのはそいつが持ってた血のりだったんです。いやー、あの時は焦りましたね……』

『ふふふっ、それがわざとならその男の子も策士ですねっ』

『お嬢様するどい、わざとだったんですよ。そいつあたしが焦るの見て、めっちゃ笑いこらえてましたからね』

 倉町さんも楽しそうにお話してくれて、いつしか私もそんな生活が送りたいと思うようになっていました。

『お父様! お母様! 私、公立高校に進学したいです!』

 倉町さんは自分の昔話を普通の高校生活と言っていました。それならば私もお嬢様学校と呼ばれる所ではなくて普通の高校に行けばそんな経験が出来るのではないかと考えたのです。

 両親は優里がやりたいことをすればいい、と私の意思を優先してくれたのですが、倉町さんにその事を話したら反対されました。

『あー、それはやめといた方がいいと思います。多分お嬢様は、今の系列校にそのまま進学した方が楽しく過ごせる気がするんですよ』

 今思うと、一番冷静に状況を判断していたのは倉町さんだったのでしょう。    

 私はその発言の意図を深く考えず、そのまま一般の高校に進学することにしたのです。

 楽しいイベント、破天荒なクラスメイト、冗談を言い合える友達、仲の良い男の子。

 そんな生活の中に私も足を踏み入れるんだ、と気持ちを高ぶらせながら入学式を迎えました。

 しかしそれが実現することはありませんでした。私はここで初めて現実は甘くないという事を学んだのです。自分のことながらとんだ箱入り娘です。

 いろんな方に話しかけました。家の話や会社の話、ブランドの話など今まで自分が培ってきた話題の限りを尽くしました。しかし、どなたに話しかけても、どのような話題で話し始めようと、私に友達と呼べる方は出来ませんでした。

 人というのは異物を排除する機能があります。そう、その場に置いて私は紛れもなく異物だったのです。きっと倉町さんはこうなる事を危惧して、私の事を止めてくれていたのです。

 どうにかして馴染もうとした私でしたが、15年間の積み重ねと言うのはそう簡単に覆りません。彼ら、彼女らと私の間のどこにズレがあるのかも分からない程です。

 こんな私にも話しかけてくれる方はいましたが、どなたもいずれ立ち去ってしまいました。それが当たり前、なのだと思います。同じ言語を話しているのに言葉が通じない分、外国の方相手よりコミュニケーションをとるのが厄介ですので。

 普通の生活がどういったものか分からず周りの方との会話に齟齬が出る毎日。倉町さんにご教授してもらうのが一番なのだとは思いましたが、今の状況を倉町さんに言ったら絶対に心配をさせてしまいます。私のわがままのせいで、誰かに心労を与えてしまうのはやってはならないことです。

 そして、誰とも話さない日々が続きました。

 倉町さんから聞いていた夢のような高校生活は、確かにすぐそばにありました。クラスメイトの方々は本当に毎日楽しそうで、見ているだけでこちらも楽しくなってくるようでした。でも決して、私が輪の中に入る事は無かったのです。

 決して無視されていたり、いじめられていたりしていたわけではありません。ただ、気づいたら極力私には触れないのが暗黙の了解になっていただけです。

 周囲と自分とのズレを認識しても自分のことだけ考えて、話しかけるのを諦めなかった報いが訪れたのでしょう。

 もちろん、両親や倉町さんにはそうなっている事は話せません。そのため、家ではいかにも楽しく学校生活を過ごしているように話していました。矛盾や違和感を感じさせないように話を練る必要があったので、毎日お昼休みを全て使って家で話す出来事を必死に考えていました。ですが半年も経つと、両親や倉町さんに話す虚構の学校生活にも限界を感じ始めていました。

 そんなお昼休み、私を訪ねてきてくださった方がいました。

『藤ヶ谷優里という生徒はいるか?』

『はい。私が藤ヶ谷ですが……』 

『おお、噂に違わぬ美少女だな。初めまして、私は高井静。君と話がしたい、少しついてきてもらえるか?』

 その方は高井静さん。生徒会副会長を務めていらっしゃる彼女はとても有名で、そのような方が私にどういった用事があるのだろうと、身構えながら彼女に着いていきました。

『わざわざ着いてきてもらって申し訳ない、ここの方が何かと話しやすくてな』

 着いていった先にあったのは生徒会室でした。

 初めは軽い雑談をしてお互いに親交を深めていました。いえ、会話中に高井さんが反応に困っている節があったので、親交を深めたと思っていたのは私だけかもしれません……。

 それはともかく、生徒会室にきてしばらく経ち、会話も途切れ途切れになってきた頃、高井さんが本題に入ろう、と言いました。

『ここに連れてきた時点で察しているかもしれないが、話というのは生徒会に関することなんだ。単刀直入に言おう。君に、生徒会会計をやってもらいたい』

 その本題とは、生徒会へのお誘いでした。私としてはそのような事、想像もしていなかったので理由を問うと

『私が来年、生徒会長になった暁にはやりたいことがある。それを為すために多角的な視野が必要だ。そう考えながら、全校生徒の事を調べていると、君を見つけた』

 高井さんは私が今までいた環境や、現在クラスに馴染めていない事、全てを承知の上で私を勧誘して下さったそうです。

 しかし私は、自分は生徒を代表する組織に所属するにはふさわしくない人間です、と食い下がりました。そうすると、高井さんは私にこう言って下さりました。

『……多少他人と違うくらいでそんなに自分を卑下するな。君は、この学校にいる大多数の人間と別の感性を持っている事で、苦しい思いをしてきたのだと思う。だが! 私はそんな君が必要だ! 他人と違う? それがどうした、それは個性というものだ! その個性を、私は欲している!』

 その言葉を聞いた時、私の心は決まりました。 

 この学校で異物な私の事を必要だと言ってくれたのです。こんなに嬉しい事はありません。もし高井さんが男の方だったのなら、私は絶対に恋に落ちていました。そう言い切れるほど、私にとっては、心が救われた言葉でした。

 生徒会会計藤ヶ谷優里、その称号を貰った時、私はやっとこの学校の一員になれた気がして自室で一晩中喜びを噛みしめていました。


                 2

 

 学校生活4日目。本日の成果、クラスのグループラインに加入成功。

 


 クラスメイトが、後グループ入ってないの誰だっけ、みたいな話をしてる時にそっちをガン見してたら入れてくれた。プライド? 初めて聞く言葉ですね……。

 まあ、誰とも喋ってるの見たことないし、あいつも入ってないんだろうなーとか思ってたクラスメイトも既に入ってたし、余計に自分のクラスでの浮きっぷりが露わになっただけな気がするけど気にしない。……気にしないんだ!

 これで俺も友達が出来るだろうし、グループに誘ってくれたあのイケメンに感謝だな。……名前覚えてないから、後でラインで確認しよう。

 しかし入学して4日でクラスの中心に立ち、ぼっちにまで気を回すなんて、俺にはとても真似できない芸当だ。いや、俺が最終的に目指すのはそんな人間なんだけど、目の当たりにしたら道のりの険しさを思い出させてくれる。

 でもまずは、一人でも友達を作る事だな。どんなに話題が無くても話しかけることで、少しずつ話したことがある人は増えてきた。どの人とも2,3回キャッチボールをしたら会話が終わるから、とても友達とは呼べないけど、繰り返してたらいずれ友達もできるはずだ。

 ……友達、友達か。作る事に躍起になりすぎて深く考えたことは無かったけど、友達の定義とは何だろう。

 どこからが知り合いで、何をしたら友達になるのか。さらに言うと親友と呼べるのはどのラインからか。

 小学生の頃には確かに友達はいたけど、卒業してから遊んでないし、今会っても昔みたいに話すことは出来ない。そうなるともう、友達とは呼べない気がする。顔見知り程度だ。

 そう考えると現在の俺に友達はいない。生徒会の先輩たちは先輩だし、あいつも自信を持って友達と呼べる存在ではない。

 うーん、友達がいないやつが、友達とは何かと考えて答えが出るわけがないよなぁ。帰ったらググるか本でも買って調べようか。友達の定義を調べないと分からないなんて、なんだか自分がとても悲しい人間に思えてきた……。

 ちょうど生徒会室に着いたし、これ以上は考えずに、気分を切り替えていこう。

「こんにちはー」

 挨拶をして中に入ると、すでに副会長が座って仕事をしていた。

 俺だっていつも授業が終わったらすぐに生徒会室に向かってるんだけど、全然一番乗り出来ないな。

「おう、今日も今日とてちゃんと来たのか」

「来るなって言われない限りは来るつもりですよ」

「見上げた心がけだな。それで、昨日は敷島か藤ヶ谷とは会えたのか?」

「敷島先輩とは会えましたけど、藤ヶ谷先輩は家で用事があったらしく休んでました」 

「敷島が来てたのか……、道理でガラクタが増えてると思った」

 副会長は俺が座った椅子の後ろにあるロッカーを見てため息をついた。

 昨日会長に怒られた後、敷島先輩が買ってきた商品をあのロッカーの中に押し込んでいた。ついでに中を覗き見てみたら、用途が分からない商品が所狭しと並詰め込まれており、きっと副会長もその惨状を確認したのだろう。

「あれらって何かに使ってたりするんですか?」

「ああ、主に暇な時の遊び道具や藤ヶ谷をからかう道具として、役立ってはくれてるな。その時ばかりは普段、俺に敵対的な敷島もノリノリだ」

「まだ会ったこともないのに、藤ヶ谷先輩がどんどん不憫に思えてきました」

 敷島先輩は藤ヶ谷先輩と仲が良いって言ってたけど、疑わしく思えてくる。

 もしかして仲が良いとは敷島先輩視点のみの話なんじゃないだろうか。

「大丈夫だ、むしろその心配は会ってないからこそのものだ。前も言ったが、藤ヶ谷だって大概変人だから、会えばそんなこと考えなくなる」

「それはそれで別の心配が出てくるんですけどね」

 藤ヶ谷先輩ではなく自分の心配だ。

 今の所何とかなっているが、俺は本来変人どころか普通の人とさえコミュニケーションをとるのが苦手な男だ。最後に会う生徒会役員が超ド級の爆弾だった場合話せる気がしない。

 そして藤ヶ谷先輩と話すときのシミュレーションでもしとこうかと考えていたら、生徒会室の扉が開いて、誰かが室内に入ってきた。

「おはよう諸君! 今日も元気に頑張ろう!」

 一瞬藤ヶ谷先輩が入ってきたのかと身構えたが、そこにいたのは会長だった。

 副会長は会長の姿を見て訝し気に首を傾げる。

「今日は見回りの当番じゃなかったか?」

「藤ヶ谷と藤村の顔合わせが済んだらすぐ行くさ。私がいた方がスムーズにいくだろうからな」

「なるほどな、確かに」

「ここは確かにと言うより、何か反論をしてほしかったのだがな……」

「反論も何も、事実を言われてるだけだからなぁ」

 会長と副会長の話を聞きながら、藤ヶ谷先輩が来た時の事を考えていると、入り口の方から物音がした。

 今度こそ藤ヶ谷先輩が入ってきたのだと思い、入り口に注目すると、どこかで見覚えのある人が入ってきた。

 どこかで会った気がする人だな……、ていうか相手も俺を見て口をあんぐり開けてるし確実に知り合いだろうけどすぐに思い出せない。

自力で思い出そうとしていたが、ちゃんと思い出す前に相手が口を開いた。

「貴方はあの時の!」

「あ」

 そしてそんな相手の反応で俺も思い出した。春休みの時に会ったあの人だ。

 以前から知り合いだった風の俺達を見て、会長は意外そうに目を丸くする。

「なんだお前たち知り合いだったのか?」

「はい、少し前にちょっと……」

 会長に聞かれてその時の事を思い出す。

 春休み。友達がいない俺は1人でふらふらと街中を歩いていた。何か目的があったわけじゃなく、ただの暇つぶしだ。

 そうして散歩してると、明らかに困ってる人が目に入ってきた。その人は地面を見つめて、道路をうろうろしていた。誰がどう見ても落とし物をしたのだと分かる挙動、それを見て俺は、他人と話すリハビリと暇つぶしを兼ねてその人に話しかけた。

 話を聞いてみたら案の定、スマホを落として探してるとの事だった。闇雲に探しても見つかる気がしなかったので、電話番号を聞き俺のスマホからその人のスマホに電話を掛けた。すると、どうやら親切な人がスマホを拾ってくれていたみたいで、そのまま電話で落ち合う場所を決め、無事スマホは持ち主の元の帰ったというわけだ。まさかあれが藤ヶ谷先輩だったとは。

 そう、ただこれだけの話。劇的な出会い方をしたわけでも無いし、命を助けたわけでも無い。

 だから、俺には分からない……! 藤ヶ谷先輩が生徒会室の扉を開けたまま微動だにせず、俺の事をキラキラした目で見てくる理由が……!

 なんでだ、○の名はレベルの運命的な再開ならその反応も分かるが、俺たちの再開なんてそれとは比べるのもおこがましいぐらいのものだ。

 いや、キラキラした目なんて俺の勘違いで、もしかしたらあれが通常運転なのかもしれない。もしくは俺の眼球の濾過機能が優秀過ぎて、綺麗な幻覚を見てるかのどっちかだ。

 会長と副会長が、こっちを面白い事が起きそうだとでも言いたげな目で見てるのもきっと気のせいだと信じたい。

 まあ、とにもかくにも挨拶だ。話しかけたらこの状況がきちんと把握できるかもしれない。

「久しぶりです、まさかここで会うとは思ってもいませんでした。凄い偶然ですね」

 さあ、どうでる。俺は最大限無難な挨拶をしたぞ。

「偶然? いいえ、違います。違いますとも! これは、これこそが運命という物なのですね!」

 藤ヶ谷先輩はそう言うと、急に距離を詰めてきて、俺の手を両手で包み込んできた。

 待って下さい! いい匂いがする! いや違う! 目が大きい! 違う! 胸も大きい! だから違う! 

 女の人にこれほど接近されたのは初めてで、思考が全くまとまらない。

「あ、あの、運命とは」

 かろうじて出せたのはそんな疑問だけだ。もっと他にも聞くことがあるだろう俺。

「運命、人の意思をこえて幸・不幸を与える力、元から定められている巡り合わせの事を指す」

「そんなことを聞きたい訳じゃなくて!」

 藤ヶ谷先輩に話しかけてるのに横から会長が口をはさんでくる。

「違いますよ高井さん。ここで言う運命とはこの方と私の出会い、ただそれだけを指す言葉です」

 藤ヶ谷先輩は俺の手を握りしめたまま、笑顔で会長に訂正する。

 ……ちょっと何言ってるのか分からない。

 変わってると言われていた敷島先輩が案外普通の人だったから、何だかんだ藤ヶ谷先輩も言うほどだろうと油断していた。

「いやー……、そこまで大層なものでもないでしょう。俺なんて、ちょっと落とし物を探すの手伝ったくらいのやつですし、運命はもっと良い人のために取っておくとか……」

「そんなことを言ったら藤ヶ谷が可哀想だろう。藤ヶ谷は君と運命を感じているのに、安易に否定するものじゃないぞ」

「ちょっと会長は黙っててくれませんか!」

 にやにやしながら言われたって説得力が無いんですよ!

 申し訳ないけど会長はとっとと見回りに行ってほしい。これ以上いられても場をかき乱されるだけな気がする。

「そうです、貴方こそ私の運命。貴方といえどそれは否定させません。ところで貴方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 藤ヶ谷先輩は小首を傾げて、俺の名前を尋ねてくる。

 名前も知らない相手によくこんなグイグイ来れましたね!

「その前に私の自己紹介がまだでしたね、失礼しました。私の名前は藤ヶ谷優里、生徒会会計を務めておりまして、将来的に貴方と結婚をする予定の者です」

「あ、どうも。俺は藤村佳、一応、今は生徒会の仮役員という立場です。……いや、あの最後凄いこと言ってませんでした?」

 普通に自己紹介されたので咄嗟に返したが、聞き捨てならない事を言ってた気がする。

「そうですね……、私が生徒会会計とは信じられませんよね。確かに、いつも皆さんにご迷惑をかけています。ですが、私もいつかちゃんと胸を張って生徒会会計を名乗れるように……」

「いや、そっちじゃなくて!」

 いきなりそんなことを聞く後輩とか嫌な奴すぎるだろ。まだ仕事をしてるところを見てすらいないのに。

「そちらではないとは? 他に私、何かおかしなこと言いましたか?」

 不思議そうな顔で斜め上を見上げながら、自分の発言を思い出そうとしている藤ヶ谷先輩。

 え? これボケじゃなくて素? とは怖くて聞けそうもない。色んな意味で。

「あの、結婚とかなんとか」

「ああ! そちらの事ですか! 私としては普通の事を言ったつもりなのですが……」

「…………ほ、本気じゃないですよね?」

「嫌ですねぇ、本気に決まってるじゃないですか」 

 藤ヶ谷先輩は左手を口元に持っていき上品に笑う。

 人生で初めて告白(?)されたのに、胸が全くドキドキしない。恐怖的な意味ではドキドキしてるかもしれないけど。

「中々面白い事になってきたな。敷島はまだ来ないのか? 今日もサボりだとしたら惜しい事をしたな」

 副会長は副会長で完全に他人事として楽しむ感じだし!

「案ずるな、会長としてちゃんと報告義務を果たしているぞ」

 会長はそう言ってこっちにスマホの画面を向けてくる。

 ラインが起動された画面には、生徒会室の状況を簡潔に説明した会長の文面に対する敷島先輩の返信が来ていた。

『えー!? 何それ超楽しそう! 私も見に行きたい! o(^^o)(o^^)o』

「画面からうるささが伝わってくる!」

 どうやら敷島先輩は典型的なSNSではやたらとテンションの高い人種だったらしい。

 ありがちすぎてもはやギャップを感じない。

「藤村様、挙式はいつにしましょうか?」

「藤村様!?」

 藤ヶ谷先輩は周りの騒ぎを意にも介さず、マイペースに話を進めていく。

 しっかし、様付けで呼ばれるとか生まれてこのかた経験した事ない。びっくりしすぎて声が裏返ってしまった。

「挙式の話もあれですけど、その前に呼び方を違うものにしてもらっていいですか?」

 相手が年上だろうと年下だろうと、日常生活で様付けで呼ばれ続けるとかもはや罰ゲームだ。慣れなさすぎる。

「藤村様がそう仰るのであれば……、では藤村さんと呼ばせていただくことにしますね」

 ニッコリ笑顔でそう言われるが、さん付けもさん付けでなぁ……。

「そこは諦めろ藤村。藤ヶ谷は誰に対しても呼び捨てにすることは無いし、ついでに敬語を外すことも無い」

 俺が歯がゆく感じているのを察してか、会長がフォローを入れてきてくれる。

 ありがとうございます、でもそのフォロー力もっと違う場面でも発揮してほしいです。

「そういや高井はそろそろ見回りに行かなくていいのか?」

 会長に素直にお礼を言うのをためらっていると、その前に副会長が俺がずっと言いたかった事を言ってくれた。

「そうだな、そろそろ私の代わりも来るだろうし、そしたら行くよ」

 そして、ちょうど会長がそう言ったタイミングで生徒会室の扉が開き、本日最後の生徒会メンバーが到着した。

「……お待たせしました。自宅から舞い戻ってきた、敷島です」

「絶対そのバイタリティー普段無いでしょ!」

 一度帰ったのにわざわざ来たのか! 昨日は買い出しに行くのすら嫌がったくせに!

「よし、では私は行ってくるが、後は頼んだぞ」

「……任せて下さい。面白おかしく場を盛り上げてみせます」

 会長は敷島先輩に言葉をかけ、敷島先輩の返答に満足したように頷くと、そのまま生徒会室を出ていった。

 あの人結局、今日生徒会室に来た意味あったのだろうか。

「……さて、では続きをどうぞ」

 自分の席に座りながら、こちらの発展を促してくる敷島先輩。

「いや、続きも何も無いですよ。少し落ち着いたことですし、藤ヶ谷先輩もご自分の椅子へとどうぞ」

 現在の変な空気を変えるために、敷島先輩の事はスルーして、藤ヶ谷先輩にも一旦離れてもらうことにする。

 藤ヶ谷先輩は名残惜しそうにしながらも、素直に席へとついてくれた。

 良かった……、これで冷静に話が出来そうだ……。

 ちなみに席順は俺から見て左前が副会長、正面が藤ヶ谷先輩、そして左に敷島先輩だ。

「……そうだね。まあ高井先輩から軽く話は聞いたけど私もきちんと話を聞きたいな。……まずはお二人の馴れ初めから」

「変な言い方しないでくれますか」

「そうだな、俺も気になる。2人が結婚するまでに至った経緯を」

「至ってないんですけど!」

 気持ち的な事は全て置いておくとしても、年齢的に不可能だ。

「分かりました! ……あれはちょうど桜が見頃になっていた時期でした。私はスマートフォンを落としてしまい、途方に暮れていました。そんな私に声をかけて下さったのが藤村さんです。藤村さんは言って下さいました『どうしたんだい? 何か困ってる事があるなら俺に話してみなよ』と」

「「うわぁ……」」

「そんな王子様ムーブとかしてませんでしたから、二人とも引かないで下さい」

 実際はいつも通り噛み噛みのキモオタムーブだったはずだ。

「そして私が藤村さんに悩みを打ち明けると、即座にその悩みを解決に導いて下さりました!」

 美化された昔話を聞いてる二人が俺の事を感心した目で見てくるけど、あれは俺よりスマホを拾ってくれてた人の方が貢献度高かったと思う。感心の目が気持ちいいから言わないけど。

「その後、藤村さんは助けたことを恩に着せ無いようにするためでしょう。名前も告げず、即座に去ってしまったのです」

 もちろん、そんな意図は一切ない。ただ久々に、初対面の人間と何人も会ったことで、俺の精神のキャパシティーに限界が来てただけの事だ。

 家に帰った後、その時の事を思い出して失礼なことしたなー! と後悔していたのだが、まさかそんな都合のいい解釈をしてくれてたとは。

「私としては家に招き、盛大におもてなしをさせていただきたかったのですが、名前も知らないのでは探すのも困難でした。もうあの方とは会う事は出来ないのかと悶々としていました」

 たかだかスマホを見つけただけでそこまで考えてくれていたのか。浦島太郎もびっくりだ。

「しかし、諦めかけていた所で生徒会での再開! まさに運命! 私、こんなにも気分が高揚したことは初めてです!」

藤ヶ谷先輩は両手を組んで俺を見つめながら、話を締めくくる。

話を聞き終わった二人は、目を閉じて何かを考え込んでいる様子だ。

 多分、どこまで本当の話だったのかを考えているのだろう。まあ、俺の事を少しでも知ってたら違和感だらけだっただろうし、残念ながら当然と言うやつだ。

 そして、目を開けると敷島先輩は

「……おめでとう」

 なんて言葉を吐いてきた。

 祝福のつもりで言ってくれてんのかなぁ……、違うよなぁ……。

「完全に煽ってきてますよね」

「……えー、そんなつもりないよー? あんな美少女から強烈アプローチとかラノベ主人公ばりの役得だよ? ……しかもお嬢様、これを断る男はいないでしょ」 

「感情が全く追いついてこないんですよ!」

 俺は元から他人とはゆっくり距離感を詰めるタイプなのに、F1カー並の速度で迫ってこられても困惑するだけだ。

「そうだぞ。藤ヶ谷と結婚したらもう一生働かなくてもいいだろうし、ちょっとずれてるとはいえ外見も中身もいい。敷島の言う通り断る理由なんてないだろ。彼女でもいるならともかくいないだろうし」

「何でこの生徒会の人達は俺の人間関係を決めつけてかかるんですか! いませんけど!」

 副会長も敷島先輩に乗っかってくることにしたのか、俺と藤ヶ谷先輩の関係を進める方向に舵を取るつもりらしい。

「考えてもみてくださいよ、自分の部屋にいきなり100万円が置かれてたら不安になるでしょう? 使っても良い金だと言われたとしても、しばらくは手を付けづらいですよね」

 俺が置かれてる状況が分かりやすく説明して、三人を見渡し、反応を待つ。

「100万か、全部競馬に突っ込むな。万が一返せって言われても倍にして返す自信がある」

「……使っても良いって言われてるならすぐ使う。多分二日もしたら使いきってる自信がある」

「100万円でしたら何をするにも中途半端な額ですし、確かに私は手を付けず置いておくと思います!」

 …………俺が小心者なのか、三人が常軌を逸しているのか。

 場の全員から否定されるとさすがに自信が無くなってくる。藤ヶ谷先輩は同意してくれてるように見えて、一番俺の意図からかけ離れてるから否定に分類する。

「何か、どれだけ言葉を尽くしても無意味な気がしてきました」

 どっちが間違っているかはともかく、俺にとっての常識とこの人達の常識が違う事だけは分かったし、言葉での説得は諦めたくなってくる。

「……失礼な事を。……大体、お金に例えるなんて優里に失礼だから。こんなに可愛いんだし、その価値はプライスレスでしょ」 

「まったくだ。常識が無いという事に目を瞑れば、生徒会どころか学校随一のスペックを持つ奴だぞ」

「いやですわお二人とも、照れてしまいます」

 藤ヶ谷先輩は二人の言葉を聞くと、頬に手を当て、満更でもなさそうに首を振る。

 二人が言う事も分かる。確かに藤ヶ谷先輩は稀に見る美少女だ。性格だって変わってるが、悪い人でもないのだろう。

 だからと言って、二回しか会って無い人の求婚を受け入れるほどの度量なんて俺にはない。

 藤ヶ谷先輩も偶然の再開にテンションが上がってるだけだろうし、しばらくしたら落ち着いて、俺の事なんてどうとも思わなくなるだろう。

 そのために今必要なのは……!

「ところで先輩方、今日は生徒会の仕事ってないんですか?」

「話を逸らしたな」

「……逃げた」

 そう、この会話を終わらせることだ。

「必死な所悪いが、今日の仕事はもう俺が終わらせてしまった」

「……あったとしてもこの話を止める気はないから安心して」

「そもそも挙式の日取りがまだ決まっていません!」

 だが、俺の目論見は失敗に終わった。

 ……何故誰も俺の意を汲んでくれないんだ。この不毛な話し合いを終わらせたくはないのか。

「藤ヶ谷先輩、とりあえずその話を進めるのは待ってて下さい。そして副会長と敷島先輩、ちょっとだけこっちに来てもらえますか」

 話題の転換は不可能だと分かったので、まずは外野二人と生徒会室の端っこで話をつけることにした。

 二人とも何も言わず端に来てくれたので、藤ヶ谷先輩に聞こえないように小声で話を始める。

「わざわざすいません」

「……ほんとに。武上先輩はともかく、この私を立ち上がらせるなんて君も偉くなったもんだね」 

「お前がどれほど偉いと言うんだ、その台詞はどっちかっていうと副会長の俺が言うべきだろ。で、藤村は何の話をするつもりなんだ?」

「そうですね……、話の大前提として、二人は藤ヶ谷先輩が言う結婚とかはどこまで本気だと思ってますか」

 俺の問いに二人は顔を見合わせてから、すぐ答えてくれる。

「「間違いなく全てが本気」」

 ……本気かぁ。雰囲気的にそうだとは感じてたけど、もしかしたら、という希望も完全に断たれたな。

「やっぱり本気なんですね……。けどあの感じだと、俺に幻想を抱いてるだけだと思うんですよ」 

「まあ、否定はしきれないな」

「……世間知らずな子だからねぇ」

 よし、ここで同意を得られて良かった。

「だからですね、しばらくこの話から遠ざけて、冷静になってもらう事が必要だと思うんです。下手に振ったら逆に燃え上がる可能性もありますし。それを二人にも手伝ってもらえないかと」

 あっちも俺なんかに振られたなんて黒歴史を残したくないだろうし、これがベストな選択のはず。

「どう思うよ」

「……いいんじゃないですか。熱くなりすぎてるのは事実ですし、一度頭を冷やさせるのも」

「そうするか……、このまま藤ヶ谷と藤島がくっつくのも面白そうだったんだが」

「……そうなんですよ、面白そうなんです。……どうしよう、そっちの方が見たくなって」

「じゃあ二人とも手伝ってもらえるんですね! ありがとうございます!」

 不穏な方向に行きそうだったので、話を強引に打ち切る。

 危ない危ない、この人たち享楽的過ぎるだろ。他人の人生だからしょうがないけど、もうちょっと真剣に考えてほしい。

「じゃあ席に戻りましょうか」 

 俺が席に戻ると、二人ともしぶしぶ着いてきてくれて、元の位置につく。

 あまり納得してないように見えるけど、きっと大丈夫だろう。大丈夫だ。……大丈夫だと信じる。

「お待たせしてすいません」

 待たせてしまったことを謝罪してから話を変えていこうと思ったが、その前に藤ヶ谷先輩が険しい瞳をしている事に気づいた。

 まあ、一人だけこうも露骨に仲間外れにされたらそりゃ不機嫌にもなるよな……。

 なんて謝ろうかなと考えてると、藤ヶ谷先輩が驚くべきことを言ってきた。

「お話は聞かせてもらいました」

 …………

「も、もしかしてさっきまでの聞こえてました……?」

 同じ部屋にいようと聞こえないくらい小声で話してたはずなのに……!

「いえ聞こえてはこなかったです。ですが私、読唇術も嗜んでいますので」

 すごいな! さすが上流階級の人は持ってるスキルが違う。

 だが、これは予想外だ。さっきまでの会話が本人に筒抜けとなると……

「先ほどの事で、皆さんが私の想いを甘く受け止めていらっしゃることは分かりました。こうなりましたら、私がどれだけ本気かを皆様に示す必要があります!」

 やっぱり燃え上がっちゃったよ! 

「い、いや全員想い自体は本気だと感じてましたよ……?」

 だから余計に今は触れないでおこうという話になったのであって。

「さしあたっては藤村さんを私の両親に紹介するところから始めようと思います!」

 藤ヶ谷先輩は胸の前で拳を握り締め、決意を込めた瞳でそう宣言する。

 俺の話は聞こえてないのだろうか。

 なんで聞いてほしい時は聞かず、聞いてほしくない時は聞いてしまうんですかと問いたい。

「藤村さん! 本日のご予定は!」

「え、生徒会が終わった後は特に何も……」

 しまった! 藤ヶ谷先輩の勢いにのまれて正直に答えてしまった! ここは嘘をついてでも藤ヶ谷先輩を避けるべきだったのに!

「では今から私の家に行きましょう! 元より先日のお礼にお招きする予定でしたし、ちょうどいいです」

「いえ、あの、ほら生徒会の時間もまだ残ってますし、今からっていうのは」

 最後のあがきとして、少しでも時間を稼ぐために適当なことを言う。

そして副会長と敷島先輩にも時間稼ぎを後押ししてもらおうと、二人の方に助けを求める視線を向けたのだが……。 

「いや、こっちの事は気にするな。さっきも言った通り、仕事は終わってるんだ。無理に居ることは無い」

「……私なんて本当は帰ろうとしてたんだよ? 細かい事は気にしちゃだめだよ」

 どちらも面白くなってきたと言わんばかりの目をしている……!

 信じてたのに一瞬で裏切られた……! ていうかあんたら本当は仲良いだろ!

「ありがとうございます! それでは私たちはお先に失礼します! 藤村さん行きましょう!」

「待って! 待って下さい!」

 やはり俺の悲痛な叫びは聞こえないのか、藤ヶ谷先輩は俺の手を引いて生徒会室を出る。

 全力で抵抗してるのにズルズル引き摺られる! 藤ヶ谷先輩が強すぎるのか俺が弱すぎるのか!

 再度、生徒会室にいる二人に助けを求めたのだが、二人は呑気に手を振っているだけだった。

「達者でなー」

「……お土産話期待してるねー」

 くそっ! 一切期待できない!

 ……もしもあの二人がおんなじような状況に陥ったら、絶対に見捨ててやると心に誓って、藤ヶ谷先輩に引き摺られるまま俺は生徒会室を後にした。


                 3


 噂に聞いたことはあった。金持ちは車で学校の送迎をしてもらうものだと。

 だけど、自分の生活圏内でそんな金持ちの姿を目にする事があろうとは夢にも思っていなかった。

 現在、俺の目の前には車に詳しくない俺でも一目で分かる程の高級車とその運転手であろうスーツのお姉さんがいる。

 藤ヶ谷先輩に引っ張られ、校門にまでたどり着いた俺は、そんな現実味の無い光景に呆然としていた。

 家に行くって言ったら歩きか自転車のどちらかとばかり……、これが生活格差……。

「お嬢様、いつもより早いですがもうお帰りですか? 後、そちらの方は?」

「はい、今日は用事が出来たので生徒会を早退させてもらいました。そしてこちらの方は私の旦那様である藤村佳さんです!」

 藤ヶ谷先輩はお姉さんに俺の事を聞かれて、主観に満ちた紹介をしてくれる。

「待って下さい! これ以上そのプロフィールを広めないで下さい!」

「あはは、またまた。あ、藤村さんにもご紹介しますね。こちらは私が小学生の頃から、私のお世話係をしてくださっている倉町円さんです」

 必死に意見を通そうとしたが、笑って流された。

 いや、藤ヶ谷先輩の家の人にまで誤解が広まったら本気で取り返しがつかなくなるし、ちゃんと聞いてほしいんですけど!

 しかもそんな前から藤ヶ谷先輩の家で働いてる人に、そんなことを言ったらどんなリアクションをされるか……。

 戦々恐々としていた俺だったが、お世話係であるという倉町さんの反応は思いのほか薄いものだった。

「あー……、それでお嬢様はそちらの藤村クンをこれからどうするおつもりで」

「私の家にご招待するのです! そしてお父様とお母さまにも旦那様として紹介するつもりです」

 藤ヶ谷先輩の言葉を聞いた倉町さんはため息を一つ吐く。

 ちなみに俺は息を吐く余裕もなく固まってます。

 両親にもいきなり旦那って紹介するつもりなんですか。マジですか。

「お嬢様……、昨日から大叔父様と大叔母様が来てるの忘れてませんか」

「覚えています、昨日はそのために生徒会を休ませていただいたんですから」

 藤ヶ谷先輩は首を傾げ、それがどうかしましたか? と倉町さんに聞く。

「良いですかお嬢様。いくら将来的には一緒になると言ってもね、最初っからそんないっぱい親類と会わせるのはダメです」

「そ、そうなんですか?」

「ええ、藤村クンも気後れするでしょうし、誰と話していいのかも分からなくなるでしょう」

「そう言われればそんな気もします!」

「はい。なので藤村クンを家に呼ぶのはもうちょっと機を見てからにして、今日の所は藤村クンを彼の家に送るくらいでどうでしょう」

「そうですね……、分かりました。これからいくらでも機会はあるでしょうし、藤村さんをご招待するのはその時にします」 

 ……しばらく黙って聞いていたが、なんか話が都合のいい方向に転がっていってないか?

 もしかして、藤ヶ谷先輩の家に行かなくてもいい流れか? 

「藤村クンもそういう事でいいですか」

「はい!」

 倉町さんに意思確認されるが、異を唱えるはずもない。

 ほぼ諦めて覚悟していたご両親への挨拶ルートは回避された! 倉町さんありがとうございます! 

「よし、では藤村クンとお嬢様、後部座席へどーぞ」

 倉町さんが車のドアを開けてくれたので俺と藤ヶ谷先輩は言葉に従い、車に乗り込む。

 何かもう至れり尽くせりだ。

「藤村クン、住所を教えてもらっていいですか」

 倉町さんに尋ねられ住所を伝えると、倉町さんはそれをカーナビに入力し、車を発進させた。

「じゃ、シートベルトしてくださいねー」

 ふぅ、安心した。一時はどうなるかと思ったが、無事家に帰れそうだ。

 藤ヶ谷先輩が嫌だなんて言うつもりは毛頭ないが、あのままいったら誰も幸せにならない未来しか見えなかったし。

「藤村さんすいません、私の都合で色々と振り回してしまって……」

 柔らかいシートに背中を預けて一安心していると、藤ヶ谷先輩が申し訳なさそうに話しかけてきた。

「あまり気にしないで下さい。驚きの連続だったのは確かですけど、学校から家まで車で送ってもらうなんて、貴重な体験もさせてもらえましたしね」

 終わり良ければ総て良し、今日ほどこの言葉を実感した日は無い。

 色々あったけど、最後は落ち着くところに落ち着いたんだ。文句なんて無いに決まってる。

 そんな俺の言葉を聞いた藤ヶ谷先輩の顔に笑みが戻る。

「藤村さんさえ良ければ、毎日でも車で送迎いたしますよ!」

「い、いえそれは大丈夫です」

 極端から極端に走る人だな……。

 藤ヶ谷先輩の猛アプローチにタジタジになっていた所、倉町さんから声をかけられる。

「お話し中すいません。ちょっとね、聞きたいことがあるんですけど、一体二人はどこで会ったんですか?」

 至極、もっともな疑問である。

 お嬢様がいきなり旦那なんて言う男を連れてきたら、そりゃ気にしますよね。

「以前、親切な人に町で助けていただいたことは話しましたよね? その時の親切な方がこちらの藤村さんだったのです」

「あー、言ってましたね。そしてずっと探してましたね。藤村クン、その節はお嬢様がお世話になりました。そしたら偶然学校ですれ違ったとかですか?」

「いえいえ! なんと藤村さんも今年の生徒会役員にスカウトされた人材だったのです!」

「それで生徒会で再開した、と。なるほど」

 倉町さんは何かを納得したようにうんうんと頷く。

「話は分かりました。まあ、お嬢様が盛り上がるのも分かります」

「そうでしょう! もうこれは運命ですし、そうなると結婚するのが当然というものですよねっ!」

「そこはノーコメントで。それよりお嬢様、そろそろ藤村クンの家に着きますし、その前に何かあれば今のうちですよー」

 倉町さんの言葉を聞き、外の景色を見てみると確かに家のすぐ傍まで来ていた。

やっぱり車だと早いな、普段は歩いて20分かかるが今日は5分で着いた。

「もう着いてしまうんですね……、楽しい時間と言うのはすぐ過ぎてしまいます……。でしたら藤村さん、最後に連絡先を交換して貰えないでしょうか?」

 そう言って藤ヶ谷先輩は、おずおずとスマホを差し出してきた。

 結婚の話をしてる時はあれだけグイグイ来るのに、何故今はこんな控えめなのだろう。

「もちろん、良いですよ」

 断る理由は無いので俺もスマホを取り出し、ラインの交換をする。

「ありがとうございます、家宝にしますね」

「いや、連絡ツールとして使いましょうよ」

 連絡先を家宝にするってなんだ。スマホを額縁にでも飾るのか。

 そんな事をしていたら俺の家に着いたようで、倉町さんが車を停めドアを開けてくれる。

「それでは着きましたので、お嬢様お別れの挨拶を」

「名残惜しいですが仕方ないですね……、藤村さん今日は楽しかったです。これからも末永くよろしくお願いいたします」

 膝に手を置き、丁寧にお辞儀をする藤ヶ谷先輩。

 別れの挨拶にしては言葉が重い気がするが、気にしないことにする。

「はい、俺も楽しかったです。ではまた明日からも生徒会でよろしくお願いします」

 俺がそう言って車から降りると、倉町さんは車の中にいる藤ヶ谷先輩に声をかける。。

「お嬢様は少し車で待っててください、私は藤村クンと話したいことがあるので」 

「え、それなら私も」

「ダメですよお嬢様、いくら夫婦になると言ってもずーっと近くにいたら嫌になることもあります。適度に距離を保って生活するのが夫婦円満のコツです、なのでこんな時くらいお嬢様はじっとしていて下さい」

「そういうものなのですね……、勉強になります。ところで倉町さんは結婚していないのにどうして夫婦円満のコツを知っているのでしょう?」

 藤ヶ谷先輩の疑問には答えず、倉町さんは車のドアを閉めた。

 藤ヶ谷先輩……、最後のはわざとなのですか、それとも天然で煽ったのですか。

 藤ヶ谷先輩の言葉に気を悪くしたのではないかと倉町さんの様子を窺うが、特に気にした様子は無かった。

「すいません、そんなに時間は取らせないので」

「いえ、どうせ家に帰ってもやることないですし大丈夫です」

 あ、でも仕事から帰ってきた親が、家の前に高級車があるのを見たら取り乱しそうだからそれは避けたいな……。

 父親の帰宅は夜遅いから良いとして、母親がパートから帰ってくるのは何時くらいだっけ。

「煙草、吸っても良いですか? 携帯灰皿は持ってますので」

 親の帰宅時間を考えていると、倉町さんが懐から煙草を取り出し断りを入れる。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます、では失礼して」

 倉町さんはそう言って、煙草に火をつける。

 はー、長身の女性が煙草を吸うと絵になるなー。スーツ姿も相まって凄い

格好いい。

「今日はお嬢様がすいませんでした」

 今まで見たことないタイプの格好良さに見惚れていたが、倉町さんが話を始めたことで我に返る。

「えーと、何の事ですか?」

 なんとなく察しはついてるが、間違ってたら恥ずかしいし、ちゃんと聞いておくことにする。

「運命、とか結婚、とか言われてた事についてです」

「ああ……」

 やっぱりその事か。

「お嬢様の事だから一人で勝手に話を進めて、藤村クンはめっちゃ困ったと思います」

「はい、そうなんですよ……」

 初めて同情的な言葉を掛けて貰えたことに感動し、思わず涙ぐんでしまう。

 そう! 本来はこうなるのが普通の反応だと思う! なのにあの先輩たちときたら……!

「まさか私もこんな事になるとは思って無かったので……、まずは謝罪したかったんです。まあなんとか私以外には広まらないよう手を尽くしますので、そこは安心してください」

「助かります……、お願いします……」

 ほんっとうに倉町さんが常識的な人で良かった。この年で将来が完全に決まってしまうのは個人的には歓迎できない事態だったし。

 気が軽くなり考える余裕が出来たことで、ふと素朴な疑問が出てきた。

「あの、今までも今日みたいに藤ヶ谷先輩が夫候補を連れてきた事とかってあるんですか?」  

 俺程度の縁でああなるくらいなら、以前に同じことがあってもおかしくないと思う。

 そんな気持ちから出た質問に倉町さんは苦々しい顔をして答えてくれる。

「いや、こんなことは今日が初めてです。お嬢様は今まで女子高しか通ったことが無かったんで男と接点を持ったことすらありませんでした」

「なるほど」

 男に免疫なかったらあそこまで惚れっぽいのも不思議ではないのか? 

 そう思い今日の藤ヶ谷先輩の言動を思い返すが……、うん、やっぱりおかしいな。 

「あー、お嬢様は何と言うか、夢見がちな所がありましてね。この高校に入学したのもそれが原因でして」

「こんな普通の高校に夢を見てたんですか?」

「はい、普通だからこそです」

 違う世界に憧れる、みたいなものだろうか。

「私のせいな所もあるんですけどね。お嬢様の家の中で私だけが一般の家の出なんですけど、それが物珍しかったようでよく私の学生時代の話とかをせがまれました。それで興味を持っちゃったんでしょうねぇ」

 倉町さんは煙草の煙を吐きながら物憂げに空を見上げる。

「倉町さんからしたら藤ヶ谷先輩が今の高校に進学するのは反対だったんですか?」

「まあ反対っちゃあ反対でしたかね、多分ですけどお嬢様ってあんまり学校に友達いないでしょ?」

 ……これは俺が勝手に答えていいものなのか。会長以外の生徒会役員は浮いてると聞いているが、家族とかそれに近しい人に知られたくはないだろうし。

 少なくとも敷島先輩とは仲良いらしいけど……。

「あー、いいんです、いいんです。察しはついてますから」

 どうやって答えたものかと悩んでいると、倉町さんが苦笑して手を振る。

 考えてみれば答えに窮した時点で言い訳は不可能だった。俺はいつも判断が遅い。

「お嬢様は必死に隠してますけどね、雰囲気とかでなんとなく分かるんですよ。常識がずれてたり、車で送迎されてたり、孤立しても不思議じゃない要因もいっぱいありましたし」

「じゃあまず送迎をやめる所から始めてみたりは……」

「そこは面倒なものでして、登下校時は結構危ないので安全の事を考えるとそうも言ってられないんですよ」

 そう言って倉町さんは肩をすくめる。

 きっと一定以上の金持ちともなるとよからぬことを考える輩に狙われたりするんだろう。そう思うとお金があるというのも良し悪しだ。

「そんなわけで、正直お嬢様が孤立するのは目に見えてたんで私は反対しました。でもお嬢様があまりにも高校生活に夢を持ってたもので強くも言えなかったんです。で、入学して一年、お嬢様は元気がありませんでした」

「元気が」

 今日一日見た限りはとてもそうは思えない。

「訝しむ気持ちは分かります、でもそうだったんですよ。よく見ないと気づけない程でしたけどね。お嬢様からそんな陰が見えなくなったのは、生徒会に入ったって聞いてからですね」

 倉町さんは歯を見せて笑いながら言う。

「あの時は嬉しかったですね、とうとうお嬢様も学校生活を楽しめるようになったんだって。そしてとうとう男を連れてきた」

「その男ってのはもしかして俺の事ですか」

「そうです、さすがに旦那とか言い出した時は頭が痛くなりましたが、彼氏くらいは作ってほしいと思ってましたから良い傾向ではあります。恋愛ってのは学生の醍醐味ですからねー」

 でも連れてきたのがどこの馬の骨とも知れないこんな男なんだけどそこは良いんだろうか。

「ま、私としてはお嬢様が楽しそうなら何でもいいんですけどね。おっと、結構話し込んでしまいましたね」

 倉町さんは腕時計を確認すると、吸い終わった煙草を携帯灰皿にいれる。

 言われて俺もスマホを見てみると確かに結構時間が経っている。

 車にいる藤ヶ谷先輩もそろそろ待ちくたびれたようで、車の窓に張り付いて、まだですかーみたいな視線を送っている。

「すいません、謝罪だけのつもりだったんですけど、つい。井戸端会議が長くなるとは私も年をとりました。藤村クン、お嬢様の暴走にはこっちからもブレーキかけていくんでどうかこれからもお嬢様と仲良くしてあげて下さいね」

「こちらこそ、です」

 笑顔の倉町さんにつられて、俺も笑う。

 仲良く、か。

 俺が怖いのは、藤ヶ谷先輩の中の理想の俺と現実の俺のギャップが酷すぎて藤ヶ谷先輩の不興を買うことだ。そうなったら最初の期待値が高い分余計にがっかりさせてしまい、コミュニケーションをとるのが難しくなるかもしれない。

 そうならないためにも仲良くして下さいとは俺の台詞である。恋愛沙汰になるかはともかく、学校の先輩後輩として仲良くしてもらいたいという気持ちはあるし。

 倉町さんが藤ヶ谷先輩を心配しなくていいよう、そして俺自身楽しく生徒会を全う出来るよう、せいぜい俺も努力していこうか。

「じゃあ今度こそ私たちも帰ります、それではまた」

 新たに決意をしていると、倉町さんが別れの挨拶とともに運転席へと向かっていく。

「はい、また」

 そして車に乗る直前振り返って、ウィンクしながらこんなことを言ってきた。 

「あ、もし藤村クンもお嬢様と結婚する気になったら協力するんでいつでも言って下さい」

 その姿はまるで友人の恋愛事情をからかう女子高生みたいで、思わず胸が高鳴る。

 さっき年をとったとか言ってたけどまだまだ現役で通用しそうな若々しさじゃないですか。

 しかし倉町さんも冗談で言ってるのだろうが、俺もその気になったらとは考えすらしなかったな。断る事というか藤ヶ谷先輩に冷静になってもらう事に全力を注ぎすぎていた。

 今の年齢では結婚とか実感は湧かないが、将来的にどうなるかは誰にもわからない。

 だから倉町さんの冗談を無理に否定することも無いだろう。それに……

「はい、その時はよろしくお願いします」   

 そうなったらそうなったで楽しい毎日が待ってそうだと思いながら、俺も笑ってそう返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る