第3話 覆水盆に返らず

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『昔は悪だった』


 そんなことをさも誇らしげに、まるで過去の栄光を語るみたいに言うやつがいるが、俺にはとても理解できない。

 これを言うやつは被害者の気持ちを考えず、周りの目をものともせず、自分が気持ちよくなりたいだけのただの自慰中毒者だ。

 だが、俺は俺でそんな奴らを一方的に非難出来るような立場ではない。

 俺も昔は悪だった。悪だったし馬鹿だった、さらに言うと馬鹿は現在進行形だ。

 昔の俺は人よりも体の成長が速く、周りより力が強かった。両親はそんな俺を見て、才能があると思ったのか、小さい頃から柔道をさせていた。

 俺としても柔道はそこそこに楽しく、積極的に稽古をしていた。だけど柔道をしていて、とてもストレスを感じる瞬間があった。それは、相手に負けた時だ。

 練習だろうと試合だろうと、相手に負けて自分が畳に転がせられている時、自分の中でどうしようもないほどイラついていた。

 きっと俺は生来非常に負けず嫌いで、それがいい方向に働けば選手として良い成長したのだと思う。実際に成功しているスポーツ選手は負けず嫌いな性格をしている奴が多いし。

 しかし、俺の場合はそれが悪い方向に働いた。

 小学六年生のある日、稽古帰りにカツアゲ現場に遭遇した。被害者も加害者も中学校の制服を着ていて、幼心に年上のくせに何やってんだこいつらと思ったものだ。

 俺は気まぐれでそこに介入した。確か、カツアゲなんてカッコ悪いぞとか言った覚えがある。もちろん、そんなことをしていたやつらがガキの言う事なんて聞くはずもなく、追い返そうとしてきた。その際、相手が暴力で対応しようとしてきたため、こちらも暴力で返した。……これがいけなかったのだろう。

 相手は年上だったが体格はあまり変わらず、何年も柔道をしていた俺は、自分で想像していたよりも簡単に勝ってしまった。

 そして理解した。カツアゲをしていた中学生の気持ちを、弱い者いじめをする快感を。

 そこから堕ちるまでは早かった。自分が負ける可能性がある相手と戦う必要なんてないと思い道場を辞め、学校での態度もでかくなり、思い通りにならなかったら暴力を振るうようになった。中学生になるとさらに加速し、カツアゲをしたり、パシリをさせたり、意味もなく人を殴ったりしていた。

 漫画に出てくるような硬派な不良などではなく、正しく不良。良くない人間だった。

 もちろん色々と表沙汰になる問題も起こしていたため、その度に親には泣かれ、教師には怒られていた。しかし当時の俺は周囲の反応なんて気にせず、ただ自分がやりたいことだけやっていた。

 そんな日々が続き、周りに良くない仲間も集まり始め、まともな人間が自分から離れていってしばらくしてから思うようになった。

『俺は何をしているんだろう』

 何かきっかけがあったわけでは無い。本当に突然そう思った。簡単にひっくり返った価値観は、また簡単にひっくり返った。

 それからは贖罪の日々だった。今までやってきたことに対する罪悪感をやっと覚えた俺は、被害者たちに出来る限りの償いをしようと思って、そう行動しようとした。カツアゲしてきた奴には金を返そうとし、殴ってきた奴には謝罪に気の済むまで殴ってほしいという一言を添えていった。

 しかし、自分の心が多少変わろうと周りに簡単に伝わるわけがなく、一般生徒からしたら俺はまだ恐怖の対象だった。金を返すと言っても裏があると思われ受け取ってもらえず、謝罪をしても逃げられる。さらに、急にそんなことをやり始めた俺を気味悪がり、だんだん不良仲間も近くからいなくなっていった。

 当たり前だ。自分が急に変わっても、周りがそれを受け入れられる訳がない。俺は、そんなことにすら気づくのに時間がかかるほどの馬鹿だった。

 独りになってから馬鹿なりに考えた。どうすればいいのかと、どうすればこの罪を償えるのかと。そして思いついたのが、普段から困っている人を助け、いずれは人を助ける仕事に就こうというものだった。

 傷つけた人より多くの人を救おう。それで俺が今まで傷つけた人達が、傷つけられた過去を払拭できるわけではない。それでも俺にはそれしか思い浮かばなかった。

 その未来を実現するために必要なのはまず勉強だと思い、しばらくは勉学に励み、そこそこの高校に入学できた。もちろん地元の高校であったため、同じ中学のやつらも何人か進学してきており、俺の昔の悪評もすぐに広まった。

 誰かを手伝おうとしても避けられ、中学の時のように独りの日々が続いた。こうした状況を作り出したのは昔の俺であり、今の俺だった。『昔は悪だった』奴がそのなりを潜め、積極的に人助けをしようとしたり、真面目に勉強に取り組んだりしている。その歪さが余計に人を遠ざけていた。言い訳のしようもなく、全てが自分のせいだ。

 そういった自責の念に囚われ、もはや強迫観念にも等しい気持ちで人を助けねばと思いながら毎日を過ごしていた時、変な女が俺に会いに来た。

『お前が武上真悟(たけがみしんご)だな? 私の名前は高井静、来年には生徒会長になる女だ!』

 そいつの事は知っていた。生徒会副会長で元剣道女子日本一、他学年にすら名前が広まっている有名人だ。同学年ということもあり、何度かニアミスしたことはあったが、話すのはこれが初めてだった。

『ああ、俺が武上だ。俺に何の用だ? ……一応言っておくが生徒会長になりたいなら、俺みたいな奴あまり話さない方がいいぞ』

 俺は忠告のつもりでそう言った。生徒会選挙が行われる三月までまだ半年はあるといえ、評判の悪い生徒との不必要な接触はこいつの不利になるだろうと思っての言葉だった。

『俺みたいなやつ、か。随分と卑屈だな。来年から生徒会副会長になる男がそんなことでどうする。もっと自信を持て!』

 だがそいつは俺の言葉など意にも介さず、よく分からない事を言い放った。

『は? 生徒会副会長?』

『そうだ、この学校の生徒会の仕組みは知っているな?システムに基づき、少し早いがお前をスカウトしに来た』

 高井のその言葉を聞き、周りで聞き耳を立てていた生徒たちに動揺が広がっていった。当たり前だが、その場にいる中で一番動揺しているのは俺だった。

 選挙を待たずして会長になった後の行動を始めているこいつの自信の深さにも驚きだったが、副会長に俺を指名するのは驚きを通り越して不可解ですらあった。

『……どうして俺なんだ、俺の評判は知ってるだろう』

 俺は、スカウトの言葉を聞いてから不安や怯えを目に宿している周囲を見渡しながら言った。

『お前の評判ならもちろん知っている、生徒の情報を集めるのも生徒会の仕事だしな。だから本当に色んな評判を知っている。だからこそのお前なんだ、武上。私は生徒会長になったらやりたいことがある、その時にお前の力が確実に必要になる。だからどうか生徒会に入って、私を助けてくれないか』

 高井は不安や怯えなど一切なく、ただ真摯な瞳で俺と向き合ってきた。

 それに対して俺は、周りの目は一切無視か、とか結局スカウトの具体的な理由を話してないじゃないか、とかいろいろな感情が頭を駆け巡ったが答えは一つしかなかった。

 助けてくれ、人助けに飢えていた俺がそんなことを言われたらそれ以外に答えがない。

『……分かった、俺にお前を助けさせてくれ』


 こうして俺は生徒会副会長になった。


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 昨日は色々あった、というか普段が色々無さ過ぎて何か一つでもイベントが起こると色々あったと思ってしまうんだけど。

 まあ、そんなことを差し引いても色々あったと言っても過言ではない一日だったと思う。

 入学式に、新しいクラス、漫画でしか見たことないような不良(っぽい人)に絡まれてる女の子との出会い、……そして生徒会へのスカウト。 

 思い返しても俺の人生の中で、昨日より濃い一日を過ごしたことは無かったと断言できる。

 そしてそれから一日過ぎ、放課後。俺は昨日の返事をするべく、生徒会室へと赴いた。

 今日も今日とてクラスでは友達を作れなかったし、ここで昨日と今日の全てを挽回する勢いだ。

 さあさあ考えろ俺、生徒会役員の人達に好印象を与えるにはどんな自己紹介が最適か。

 やはり元気のいい後輩らしいキャラが良いだろうか、それとも少し変わったキャラを演じて面白いやつだと思われた方がいいだろうか。

 ……どちらにしろ失敗する未来しか見えないな。例え最初は多少ばかり上手くいっても、確実に後からぼろが出る。

 これはあんま考えすぎない方がいいな。普段通りに普段通りの俺で行こう。それで失敗したら失敗した時考えればいい。失敗なんて今まで何度もしてきているし、それが一つ増えるだけだ。

 そうして、ネガティブなのかポジティブなのか自分でもよく分からない気持ちになりつつ、俺はとうとう生徒会室のドアをノックした。

「し、失礼します」

 扉の鍵が開いていたので、そのまま中に入ると部屋には男が一人座っていた。

 座っていても高いと分かる身長、広い肩幅、威圧感のある鋭い目。

 こ、怖い。何も悪いことしてないけど謝りたくなる。この人もこの部屋にいるってことは生徒会役員なんだろうけど、正直不良にしか見えない。

 もちろんそんなことは思っても口に出せるはずはなく、出来るだけ当たり障りの無い言葉を選んで話しかけることにした。

「は、初めまして。俺の名前は藤村佳と言います。生徒会長に誘っていただいた生徒会に参加したいと思い、今日はここにき、来ました」

 失礼にならないよう、腰をしっかり曲げてお辞儀をしながら自己紹介をする。

 一応言葉は選んだつもりだが、緊張からかつっかえながらしか話せない上、どこか日本語もおかしくなってしまった。

 もっとはきはきと喋れ! とか声が小さい! とか言われたらどうしよう……。ここで泣き出すか、すぐに部屋から逃げ出すかしてしまう……。

 そう身構えて相手の方を窺ったが、想像していた険悪な雰囲気は無く、微笑みながら話しかけてくれた。

「そうかしこまらないでくれ、お前の事は会長から聞いている。見どころのある一年を見つけた、とな。まさかこんなに早く来てくれるとは思っていなかったが」

 よ、良かった。見た目ほど怖い人ではなさそうだ。やはり見た目で人を判断してはいけないな。

 そして考えてなかったけど、昨日の今日で来たんじゃ会長から話通ってない可能性もあったんだな。基本臆病なくせに、たまに勢いで動いてしまう癖もどうにかしていかないといけない。

「俺の自己紹介がまだだったな。俺は三年の武上真悟、一応副会長をやっている。見た目がいかついのは自覚してるが、そこはあまり気にせず接してくれると嬉しい。ずっと立っているのもしんどいだろう、適当に座ってくれ」

「は、はい」

 適当にか、こういう所って普通それぞれの固定の席があるんじゃないだろうか。本当に何も気にせず座っていいんだろうか。

 生徒会室に置いてある椅子は五つ。部屋の真ん中に置いてある二つの同じ長机をくっつけたもの左右に二つずつ。入り口横のホワイトボードの前に一つ。

 ホワイトボード前のやつは会長用だろう。副会長がその席から見てすぐ左の席に座っている。

 そうなると残りは3つ、さらに言うといきなり初対面の人の真横に座る度胸も目の前に座る度胸もない。

 よし、後から来た人がいつも座ってる場所だったらその時退くとして、今は副会長の斜め前に座ろう。

 とりあえず、といった感じでおずおずと椅子に座ると、ちょうどそのタイミングで勢いよく扉が開かれた。

「おはよう諸君! おお、副会長はいつも早いな。どうやったら毎回一番乗りできるんだ? ホームルームが終わり次第、全力ダッシュでもしているのか?」

「諸君ってお前……今日は敷島も藤ヶ谷も巡回で俺しかいないのは分かってるだろ。それにダッシュなんて非常識な真似はしてない、単純にお前よりも放課後に話しかけてくる奴が少ないから早いだけだ」

 入ってきたのは俺が生徒会で唯一知り合いの生徒会長だった。

 ああ、初めて来た場所で知ってる顔を見ると安心する……。まあ会長も昨日知り合ったばっかりなんだけども。

 しかしさっきの会話を聞くに、今日は残りの生徒会メンバーはもう来ないのだろうか?

「相変わらず友達がいないのか、そんな顔で周りを威圧してるのが原因だぞ。前に私が言った案はちゃんと実行したのか」

「それは常にセロテープで笑顔を固定し続けろっていう、頭の悪い案の事を言ってんのか? そんなことしたら今より人が遠ざかるに決まってんだろ。リコール待ったなしだ。いや、そんなのはどうでもいいんだ。ほら、今朝お前が言ってた一年が来てるぞ」

 副会長はそう言って俺の方に顔を向けた。

 二人の会話を聞きながら、所在なさげに縮こまってた所為かそれまで会長の視界に入っていなかったらしい。

「おお! 来てくれたのか! ちなみに今日は見学か? それとも入る事をきめてくれたのか?」

「は、はい。もうこれから生徒会に参加していきたいと」

「少し待ってくれ」

 入室した時と同様に参加の気持ちを会長に伝えようとしたら、途中で副会長に遮られてしまった。

「藤村は参加してくれる気持ちでいるらしいが、それはちょっと考えてからの方がいいと思う。……そうだな、まず生徒会役員全員と会って生徒会がどんな活動してるか知ってからでも遅くないんじゃないか」 

「いや、私としては早く参加してくれる方が嬉しいんだが……」

「今二人は勢いで決めてしまおうとしてるだろう? だが入ってしまったら一年は続けなきゃならないんだ。そこまで急いで決めなきゃならない理由も無いんだし、少し様子を見てもらってからでも遅くないだろう」

「まあ……そうだが……、いきなり副会長にこんなに仕切られたら私の会長としての威厳が……」

 そう言って会長はしょんぼりしながらホワイトボード前の椅子に腰かけた。

 な、なんか昨日の堂々とした様子とは打って変わって弱気な所を見ると、副会長には頭が上がらないんだろうかと思ってしまう。会長なのに。

 しかし、確かに副会長の言う事ももっともだ。俺はこういう事は勢いで動かないと、ずるずると何もしないような性格だからすぐに来たが、一度冷静になった方がいいのかもしれない。

 うーん……、本当に俺は影響されやすいな……。

「……よし、決めた! では藤村は一ヶ月仮入会という形にしよう、一ヶ月間生徒会に参加してもらい、生徒会の仕事や役員の様子を見てからその後に改めて答えを出してほしい」

 俺が思い悩んでる内に会長はしょんぼりモードから立ち直り、昨日と同じ雰囲気に戻っていた。

「……分かりました。俺も早々と決めてしまおうとしてましたが、そんな軽く決めれる事でも無かったですし、そうさせてもらう事にします」

 そうして会長が出してくれた案に賛成の意を表明して、この場は決着となった。

 副会長もこの結果に異論は無さそうだし、これから俺の立場は生徒会役員(仮)か。

「さあ諸々決定した所で話を次に進めよう。まずは藤村に生徒会活動の説明をしていこうか」

「よろしくお願いします」

俺が返事をした後、会長は椅子から立ち上がりホワイトボードに『1、生徒会とは! 2、生徒会役員について! 3、悩み相談!』と書いた。

「一つ目、生徒会がどういった組織かということから説明していこう。生徒会とは生徒による自治組織、主な活動としては朝の挨拶運動、体育祭などのイベント運営、募金活動、生徒たちの要望を教師に伝達するといったものがある。その活動内容から教師と生徒の橋渡し役と呼ばれることもあるな」

「それ以外にも教師のパシリ、中間管理職、内申点稼ぎとかと呼ばれることもあるぞ」

「……次は生徒会役員について話そう。生徒会の役職には会長、副会長、書記、経理、庶務の5つがある。その中で君が会っていないのは書記の敷島遥と経理の藤ヶ谷優里の2人だな。今日はその二人に生徒会活動の一環として、通学路の見回りをしてもらっているから会うのは明日以降になるだろう。二人とも人が良いからきっと藤村もすぐ仲良くなれる」

「まあ、悪いやつらじゃ無いが、どっちも学校で鼻つまみ者になってるくらいには変わってるからなぁ。慣れるのには時間がかかるかもしれないな」

「…………最後にここの生徒会で一番重要な活動について話そう。最初に言った活動ももちろん重要なのだが、私個人としてはこれに一番重きを置いている。その活動とはここに書いてある通り生徒の悩み相談だ。生徒会室前に置いてある箱に悩みを書いた紙を入れてもらうか、生徒会役員の誰かに直接話してもらうかという形をとっている。……学校という特殊な空間は人の悩みを生み出しやすい、それを少しでも多く解消して、より良い学園生活を送ってもらう事が生徒会の役目だと私は思っている。これからは君にもそれを手伝ってもらいたい」

「その悩み相談だが今年に入ってから件数が激減した。何が言いたいのかと言うと、そいつがカッコつけて言うほど生徒は今の生徒会を当てにしているわけではないってことだ」

「………………」

 会長と副会長による生徒会トークが一時中断し、生徒会室に沈黙が訪れる。

 初めの方はウキウキしながら、生徒会について講釈をしてくれていた会長も今では親の仇を見るような目で副会長を睨んでいる。

「副会長、お前はそんなに私の邪魔がしたいのか。喧嘩を売っているならそろそろ買ってもいい頃かと思えてきたぞ」

「いやいや、俺は教えておくべきことを言ってるだけだ。お前だけに説明を任せると笑顔の絶えないアットホームな職場ですと広告を出してるブラック企業みたいになる」

「わ、私はそんなつもりで言っていたのではないのだが……、そうも聞こえてしまうのか……」

 しかし睨んでいたのもほんの一瞬で、副会長の言葉に圧された会長は先ほどと同じように椅子に腰かけてしまった。

 イメージと違って本当打たれ弱いなこの人!!

「いえ、あの、会長の説明も副会長の説明もとても分かりやすかったです! なんとなく生徒会の事が分かってきました!」

 どうにもいたたまれない気持ちになってしまった俺は、この場の空気を変えるためにも必死にフォローに入ることにした。

「そうか! 今ので大まかにでも分かってくれたのなら良かった。……まあ実際、副会長の言う通り良い事ばかりじゃない面もあるが、そこも含めて君がどうしたいかをこれから考えていってくれ」

「はい、そうさせてもらいます」

 ……なんというか思ったよりもずっと早く復活してくれた。いや、落ち込まれ続けるよりも全然良いんだけど切り替えの早さが尋常じゃないな。

「さて、一応こちらからの説明は以上になるが質問等は何かあるか?」

「質問、ですか……」

 色々聞きたい事はあるけど、俺の性格的に一番気にすべきはやっぱり人間関係の事だよなぁ。副会長は変わってる人達って言ってたし、普通の人とすらまともにコミュニケーションが取れない俺はしっかり事前情報を仕入れとかないと挨拶すらできないかもしれない。

「先ほど話題に出た他の役員の方々は次ここに来るのはいつくらいになるのでしょう? それと参考までにどんな雰囲気の人達かを教えていただきたいかなと……」

「おい副会長。お前のせいで藤村がまだ見ぬ役員たちに怯えてしまったではないか、どうしてくれる」

「何の覚悟もなしにいきなりあの二人に会うより良いだろ、まあ俺のせいだと言うなら俺が説明するよ」

「いや待て、お前に任せると何を言い出すか分からないから私の方から言おう」

「そんなに信用無いのか俺は……、それにそこら辺は言い出されて困る事が多々あるあいつらの方が原因じゃねぇか」

 な、なんだ? そんなに地雷に近い質問だったのだろうか? ていうか本当にその二人はどんな人達なんだ。

 俺が軽く不安になってきたのを見かねたのか、会長は副会長に茶々はいれるなよと釘を刺してからこちらに向きなおって説明を始めてくれた。

「そんなに不安そうな顔をしないでくれ。さっきも言った通り二人とも人は良い。少し、いやかなり分かりづらいが何だかんだ人は良い。確かに変わった所もあるがそこは信じてくれ」

「はぁ……」

 めちゃくちゃ念を押してくる。

「ああ、その前に二人がいつ来るかだったな。明日はどちらも見回りは無いが、藤ヶ谷は用事があると言っていたから藤ヶ谷が来るのは明後日だな。敷島の方はきちんと明日来るはずだ。……恐らくな」

「えーと……、敷島先輩? は来ない可能性もあるってことですか?」 

「有体に言ってしまえばそうだな.。敷島は引きこもりがちなところがあってな、たまに学校自体休むからいつ来るか分からないところがあるんだ」

「たまにってどれくらいの頻度なんですか?」

「まあ、週に2~3回くらいだ」

「そ、それはもちろん土日を含まずにですよね?」

「残念ながらそうだ」

 要するに学校には半分くらいしか来ないって事か。なんというかそのプロフィールだけでも癖の強さが出てるな。

「それでも生徒会で仕事が割り振られてるときはちゃんと来るから、近いうちに会えるとは思う」

 そう言ってから会長は言葉を選ぶように視線を宙に踊らせ、少しずつ二人についての説明を再開してくれた。

「……まず敷島の方から話そうか。敷島は先ほども言ったように引きこもり体質でな、無口で無愛想、世間一般で想像されている引きこもりのイメージをそのまま具現化させたような人間だ」

 会長がさっき言葉を選んでいたように見えたのは錯覚だったのだろうか、もし言葉を選んでこれなら副会長に任せてたらどんな説明になったのだろう。

「一応、引きこもり気味になったのも理由があるのだが……仲良くなるにつれ、あれはもうなんというか生まれついての性質みたいなものに思えてくる」

 会長のその言葉に副会長も腕を組みながら、うんうんと頷いている。

「そして物静かではあるが、感情表現は豊かだ。一度、校長が持ってきてくれたお菓子を藤ヶ谷が敷島の分まで食べてしまったことがあるのだが、それから一週間の間敷島は藤ヶ谷を睨み続けていた。……藤ヶ谷は気づいていなかったが」

「あの時は俺たちの方が気まずくて生徒会に来るのが億劫になってたなぁ……」

 会長も副会長も過去を思い出すように、遠い目をしてしみじみと語ってくれる。

 いやそれ感情表現豊かっていうか、ただただ執念深いだけなんじゃないでしょうか!?

「だから敷島は結構分かりやすい部類の性格をしていると思う。どちらかと言うと藤ヶ谷の方が分かりづらかったりするな」 

「無表情だったり、あまり会話が多くなかったりってことですか?」

「そういうのともまた違ってなぁ……、一言で言うと藤ヶ谷はお嬢様、,なんだ」

 お嬢様。お嬢様というと左手に豪勢な扇子、背後に執事、語尾にですわ、さらにはどうしようもない世間知らずというアニメで一人は出てくるあのお嬢様だろうか。

「君がどんな想像しているかは分からないが、こちらも敷島と同様に世間一般で考えられているお嬢様のイメージとそう大差ない」

「本当にそんな人いるんですね……」

 今まで生きてきて上流階級の人間とか会ったことなかったから、空想上の生き物みたいに思ってた。いや、春休みに世間離れしてそうな人には会ったな。あの人もお嬢様だったりするんだろうか。

 ……藤ヶ谷先輩ってカップラーメンとか食べたら感動したりするんだろうか。

「ちなみに興味本位でカップラーメンとかファストフードとか食べさせたこともあったが、基本的に味が濃いとしか言われなかったぞ」

 頭にふと浮かんだ疑問を副会長がすぐに解消してくれた。やっぱり皆気になりますよね。

「お前は面白半分でそんなことばかりしてるから藤ヶ谷に避けられるんだ、ただでさえ顔が怖いんだから自重しろ」

「いや、俺は俺なりにコミュニケーションをとろうとしてだな……」

「逆効果だ。まあいい、とにかく藤ヶ谷はそのように今までカップラーメンすら食べたことなかったお嬢様だ。それゆえかなり他の生徒と常識がかけ離れている」

 そりゃうちなんて周りより多少偏差値が高い以外は普通の学校だし、そうなるのも仕方ない。

 でもそうなると何でそんなお嬢様がこの学校に来たんだろうか? 普通、中高一貫のお嬢様学校に通ったりしそうなもんだが。

「藤ヶ谷先輩がこの学校を選んだ理由とかはあるんですか?」

「ん? ああ、もっとそれらしい学校に学校に行ってないのは不思議に思うよな」

 まさにその通りです、という意を込めて頷く。

「中学校までは有名な女学院に通っていたそうなんだが、一般家庭の暮らしを知りたいという本人の強い要望によりここに来たらしい」

「あー……、なるほど。中々変わった理由ですね」

 お嬢様特有の好奇心というやつか、その動機で入学したとなると確かに学校で浮きそうだ。藤ヶ谷先輩が『一般家庭の暮らし』をどんな風に考えていたのかは知らないが、理想と現実のギャップは小さく無かったんだろうなというのは想像に難くない。

「さっき分かりづらいといったのもそういった認識のずれの部分が大きくてな。お互いに常識としている所が違うから、話がかみ合わない時が多いんだ」

「……日常会話もそうだが一番困るのは経理の仕事の時だな、気がついたら全ての予算の桁が一つ二つ大きくなってるなんてざらだしな」

 経理するには一番向いてない人材に聞こえるんだけど何でその役職になったんだろう。不思議だ。

「私的に一番驚いたのはあれだな。生徒会室で勉強していた時に、私が悩んでいた問題を横から少し見ただけで解かれた上に懇切丁寧な解説までしてもらった事だな。……感謝はしているんだ。だが後輩に勉強を教えてもらう状況というのは思っていたより衝撃的だった……私だって勉強は出来る方なのに……」

 ああ……、お嬢様学校とかって勉強が進むスピード早いって言いますもんね……

「……まあとにかく、二人の大まかなプロフィールはそんな所だ。結構、話し込んでしまったな。今日はそろそろお開きにしようか」

 生徒会室に設置されている時計を見たら、ここに来てからもう二時間も経っていた。どうりで腹も減ってきてるわけだ。

「すいません、俺の質問だけでこんなに時間を使ってしまって……」

 今更ながら、自分のためにこれほど長い時間をかけてもらったことが申し訳なくなり自責の念がわいてきた。

 しかし、当の二人はそんなこと一切気にした様子が無いように笑顔を向けてくれる。

「気にすることはない、後輩の教育も立派な生徒会活動のひとつだ」

「そうそう、それに今日は大した仕事も無かったしな」

 ……副会長のほうは笑顔に慣れていないのかすごいぎこちない顔になっているが。

「藤村の家はどの辺りにあるんだ?」

「あ、一丁目のほうです」

「それなら副会長と一緒の方向だな、どうだ親交を深めるため一緒に帰るというのは」

 え?

「……確かにちょうどいいかもな、藤村が嫌でなければだが」

 そう言って二人はこちらに顔を向け、俺の返答を待っている。

 たまに考える。自分より立場が上の人に何か物事を頼まれたときに、ノーと突きつけられる人間はどれだけいるのだろうか。

 例えば教師に『昨日配ったプリント、後で集めて職員室に持ってきて』と言われて『嫌です』とは言えないと思う。

 もちろんそのとき用事があったり、教師に反抗的な生徒なら言うだろう。加えて言うなら嫌なことは絶対に嫌と言う確固たる意思を持つ生徒だったり、周りからの評価を気にしない生徒も言うと思う。そもそもそんな生徒に教師も頼み事をしないだろうが。

 そんな一部の人間以外は、目上の人の頼みは多少嫌なことだろうがためらいながらも聞く。悲しい日本人の性と言ってもいい。

 そして中学生の時ならいざ知らず今の俺はとても流されやすく、周りの目を気にする人間である。

 つまり何が言いたいかというと俺に残された返答は一つしかなかった。

「はい、喜んで……」


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 下校イベント。

 それは文字通り誘うか誘われるかといったプロセスを経て、下校時に一緒に帰るイベントである。

 アニメやゲームでは、学園のアイドル、病弱な先輩、ボーイッシュで活発的な同級生、小悪魔な後輩、今朝曲がり角でぶつかった転校生、昔からの親友、親友の妹等々……様々なキャラと仲良くなれる可能性を秘めている夢のイベントである。

 中学生の時は、クラスの誰より早く帰ることを信条として一人でさっさと帰っていたが、

 ちょっとした意識改革があってからは高校ではどうなるのだろうと、少なくない期待をしていた。いや正直少なくないどころではなく、めっちゃくちゃ期待していたのだ。

 そんな高校初の下校イベントを、俺はというと強面の先輩と進めている。

「あー、こうして生徒会以外のやつと帰るのも久々だな」

 夢見ていたことは自覚している。現実はそんなに甘くないなんて知っている。だが……! それでも俺は夢を見ていたかったんだ……! 

 副会長が悪いわけではない……、むしろ俺なんかと一緒に帰ろうと言ってくれたことには感謝しかない。しかし夢と現実のギャップを改めて感じると、どうしようもないやるせなさを感じてしまう。

 まあそれもこれも自分のコミュ力のせいだけど。

「にしてもお前、勧誘されたとはいえよく入学して二日目で生徒会に入ろうなんて思ったな。普通こういうのはもっと学校に慣れてからやりたいって思うもんじゃないのか?」

 ちなみに会長は俺たちとは逆方向で、校門を出てから『仲良くやるんだぞー』と言う言葉をのこしてすぐに別れた。

 昨日帰り道で会ったのは、通学路の見回り中という偶然だったらしい。その偶然が無かったら俺は生徒会と接点を持つことなく、そもそも殴り倒されて学校にしばらく来れなかっただろう。偶然に感謝だ。

「……お前、話聞いてる?」

「は、はい! 聞いてます!」

 やっばい、普段一人で帰ってる時の癖でつい考え事にふけってしまっていた。

 とっさに聞いてるって返したのはいいものの、実際ほぼ聞いていない。コミュ力以前に、人としてどうなんだってレベルの失礼さである。

「えーと、あれですよね。学校生活に不安は無いか……的な」

 言葉を繋ごうと考えて答えあぐねてる内に、副会長の視線がどんどん険しいものになっていったので何とか無難な答えをひねり出したものの視線は険しいままだ。

 うん、まあ、当たってる訳ないですよね。ごめんなさい。

「全く……、聞いてなかったなら聞いてないって言え」

「すいません……」

 呆れたように副会長は嘆息する。

 都合が悪い時に、とりあえず取り繕おうとするのも俺の悪い癖の一つだな……、早く直さないと。

「改めて聞くが、何でお前はこんなすぐに生徒会入りしようと思ったんだ? そこまで高井に急かされていたわけでもないんだろ?」

「あー、変な所で勢いづいてしまうといいますか……動くなら今しかないな、と思ったんです」

 時間が経てば経つほど、逃げ場や言い訳を作ってしまうのは自分が一番よく分かってたし。

「そうか、じゃあどうしても生徒会に入りたいって理由があるわけじゃないんだな?」

 副会長にそう問われて自問する。 

 今まで深く考えてこなかったが、確かにそう言われるとすぐに返答するのは難しいな。

 俺は生徒会という場所よりも、憧れの人に似ている会長の近くにいることで自分も何か変われると思って入ろうとした。俺もいつか自分を好きになれるように行動しないといけない、と思って動き始めた。

 自分にとってそれはどうしても生徒会に入りたい理由になるのだが、これをそのまま言うと完全に会長目当ての不純な動機として捉えられそうだよなぁ……。もっと会話スキルがあれば上手く伝えられるんだろうけど人ってそんなすぐには成長出来ない生物だし……。

 どう答えたものかとうんうん悩んでいると、しばらく答えは出ないと思われたのか、副会長が少し立ち止まって話し始める。

「そこら辺に部活帰りの奴らがいるだろ、あいつらから何か妙に見られてる気がしないか」

 そう言われて横目で確認して見れば、確かに同じ学校と思しき人達から奇異の視線を向けられている。そちらの方向を見れば露骨に視線をそらされるし、これを勘違いだと思うのは少し厳しい。

「これがうちの生徒会の現状だ、生徒からの支持率は歴代でもぶっちぎりで悪い。高井以外はどうしようもなく学校のはみ出し者だ。教師陣からも、高井が問題児たちを更生させてるようにしか思われていない」

 副会長は笑いながら自嘲する。

「確かに少し変わってる人達みたいですけどそこまでなんですか」

 会長はいわずもがな、副会長も最初こそ怖く見えたが、話してみると普通に優しい先輩だし、そんな二人と一緒に活動してる人達も良い人であるのに疑いは無かったのだが。

「そこまでなんだ。不登校、公立高校には不釣り合いなお嬢さま、そして俺は元ヤン。まあ、元ヤンなんて俺がそう言ってるだけで周りからは今でもヤンキーだと思われてるだろうが」

 不良だったのかこの人。そんな過去があってこの風貌だったら正直、避けられるのも分かってしまう。

「高井が何を思ってこの三人を集めたのかは分からない、だが俺たちはそれぞれ納得して生徒会に入った。入った結果、どうなるかもある程度分かっていた。だけどお前は違う、お前はまだ順風満帆な高校生活が送れる場所にいる」

 う、うん。副会長には悪いけど、最後の言葉にだけはとても反論したい。生徒会とは関係なく、順風満帆な高校生活とやらは、既に俺の手からは遠く離れて羽ばたいてしまっているんです。過去改変でもしないと、とても取り戻すのは難しい。

「もし生徒会に入ったら、お前が何もしてなくても悪評が立つだろう。学校なんていう狭い世界じゃ、悪い噂はすぐに広まるしそれを解消するのも難しい。だから、生徒会に入らないといけない理由がないなら、お前は明日以降来ない方がいい」

「…………」

 まさかこんな話になるとは思って無かった、生徒会室で副会長がちょうどいいって言ってたのは、会長がいない所でこの話がしたかったからだろうか。

 副会長は俺の返答を待ってくれている。というか、恐らく俺が生徒会入りを辞めるという返答を待っている。

 普通、入学二日目で生徒会にどうしても入りたい奴なんていないだろうし、副会長のこの忠告はとても正しいのだろう。だけど俺にはどうしてもなりたい自分がいる、嫌われ者が多いなんて理由だけで生徒会に入るのを辞めたら、そんな自分にはなれるはずもない。

「お話、ありがとうございます。副会長が俺のために言ってくださったのは分かります、でも俺はやっぱり生徒会に入りたいと思います。どうしても生徒会じゃないといけない理由は無いんですけど、自分のやりたいことを考えたら生徒会に入るのも決して間違いじゃないはずです。……それに、こんなにも配慮してくれる副会長がいる生徒会を悪い場所だなんて思えないですし」

 ああ、そうだ、こうして会長、副会長と話して二人の事を良い人だと思った。そんな二人と一緒に活動出来たら楽しいだろうとも思った。だったらそれで十分じゃないか、深く考えなくても俺の中で答えはとっくに出ていたのだ。

 俺がそう言うと、副会長は苦虫を噛み潰したような顔をした後、再び歩き始めた。

「……一応、まだ仮役員だからな。嫌になったらいつでも言ってくれ、後悔しない内にな」

「まあ確かに俺は流されやすいですし、そうなる可能性も無くは無いですけど、多分今回は大丈夫だと思います」

笑いながらそう言うと、副会長は後頭部を掻きながら少し早足になった。まるで照れた顔を見せたくないかのように。

 ……そんな訳ないか。


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