神官長殺人事件10
「な、なにをいってるの!? わたしが女神様なわけないじゃない!」
目を見開いて驚くクレアの足下、そこにしがみつく小さな体から叫び声が発せられた。
「ああ、やっぱり君だったのか」
女神は力を失っていること。クレアにだけ女神の力が使えたこと。そばでその力を感じるといっていたこと。
わかっていたとはいえ、所詮は推測だった。
だからこうして確証がもてて氷室は内心でほっとしていた。
リリィが吠えるように声を荒げる。
以前に会ったときからは想像もできないような剣幕だった。
「なにをいってるの? あなたが私のことを女神様だとか不敬なことをいったんじゃない!」
「えっ、そうか? 今そんなことを言ったっけ?」
「なにを今更とぼけてるの? そう言ったのをハッキリと聞いたわよ。ねえみんな?」
たずねる。が、周りの者は顔を見合わせるだけだった。
リリィが戸惑うように首を巡らせる。
「……どうしたの?」
「いや、どうしたもこうしたも……リリィにはあの余所者の言葉がわかったのかい?」
「……え? それはどういう……」
リリィが呆けたように声を漏らし、やがて顔色を変えていった。
氷室は自分の口元がゆるむのを自覚した。
「どうやら気づいたようだな。いやあ、まさか参ったよ。普通異世界召喚って言葉の問題は融通を利かせてくれるんだけどな。なのに俺の言葉は全然通じなくて、会話すらできないんだから」
氷室はここに来たばかりの頃を思い出した。
『俺は犯人じゃない! 信じてくれ!』
「なにを訳の分からないこといってやがる! 大人しく捕まれ!」
『くそっ、全然話が通じない……!』
あのとき氷室は日本語で、男はこの世界の言葉で話していた。
お互いまったく別の言語で叫びあっていたのだ。
会話が成立するわけがない。
「おかげでこの世界の言葉を覚えるのに苦労したよ。理系の俺に英語は苦手だったんだが……人間死ぬ気で頑張れば何とかなるもんだな。まあヴェルヌの魔法のおかげでもあるけど」
「あなた、まさか……」
「そうだよ。どうやら俺のスキルに気を取られて気づかなかったみたいだが、俺はさっき日本語で話しかけたんだ。『貴女が女神だろう』ってな」
「……ッ!」
リリィが幼い顔で唇をかみしめる。
「この世界で日本語を理解できる人に会ったのはヴェルヌに続いて二人目だな。さすがは女神様。日本から勇者を転生させるために、日本語も完璧にマスターされてるんですねえ」
「だっ、だから、わたしは女神様なんかじゃないっていってるでしょ……!」
「だったら説明してくれないか。どうして日本語が分かったんだ? この街では日本語を話せる人がいないことはクレアさんにも確認している。教えてもらうことはできなかったはずだ」
それは厳密に言えば間違っている。クレアは他に話している人を聞いたことがないというだけで、他にいないとまではいっていなかった。
しかし氷室はあえて言い切ることで押し切った。
そして動揺するリリィもまた、それを信じてしまった。
「それは……っ、日本から来た、勇者たちに教えてもらって……」
「戦争は十年前に終わったのに? 君は5、6才。どうみても10才には見えない。勇者の生き残りはいないと聞いてるが、誰にどうやって教えてもらったんだ?」
「……ッ!」
女神が反論してくるだろう内容は事前に予想していた。だから氷室は即座に反論する。
氷室の反論にも穴はある。
そこを突かれればすぐに矛盾が露呈するだろう。
だからこそ、その穴を突かれる前に糾弾の言葉を畳みかけた。
「本当のことならすぐに答えられるはずだ。迷うということは、嘘を考えているということ。そうだろう?」
論理的であるからこそ反論の余地がない。
これが無関係な信者であれば、女神様がそんなことするはずがないと感情的に反論しただろう。
だが犯人だけは違う。
氷室の言葉が正しいと知っているからこそ、とっさに嘘を考えなければならない。
その一瞬の思考が、結果として致命的な沈黙を生んでしまうのだ。
「俺の<強調表示(オーバーライト)>は言葉を強調するスキル。聞き逃すことも聞き間違えることも許さない。俺の問いからは逃げられないぞ。さあ答えてもらおうか。【神官長を殺したのはお前だな】?」
「……!」
リリィの目が見開かれると、すぐに強気の口調に変わった。
「な、なんでそんなことに答えなければいけないのよ!」
「おっと、そんなに動揺してどうしたんだ。まるで真実を言い当てられて驚いたように見えるけど」
「あなたが適当なことを言うからでしょ!」
「だったらどうしてすぐに否定しない? 根も葉もないホラ話なら否定すればすむことだ。殺したのは私じゃない、とな。
だがお前はそれをせずに話をそらした。俺の<強調表示(オーバーライト)>のせいで動揺してしまったんだ。それが真実であったから」
「ば、バカを言わないで……! そんなことあるわけないでしょ……! ねえ、みんなもそう思うでしょ!?」
すがるように周囲に助けを求める。
しかしその声はむなしく響くのみだった。
「……っ!」
女神の瞳がはっとして見開かれる。
周囲の視線がリリィ一人に注がれている。
誰一人として擁護しようともせず、恐れおののくような目をしていた。
この場の誰もがリリィの言葉を疑っている。
それはつまり氷室の勝利を意味していた。
「魔王側の戦力になるのを避けるため、最も無能な俺を呼んだんだろう。だがその俺にあんたの策略は全部見抜かれた。あんたは負けたんだ。無能な俺よりもさらに下ってことだよ!」
「くっ……!」
リリィが唇を強くかみしめた。
言い返そうと口を開き、しかしわななくばかりで言葉は出てこない。
結局口にしたのは感情に任せた一言だった。
「この……っ、ゴミスキルしかない無能者のくせに……っ!」
思わずこぼれた呪詛の言葉に、ヴェルヌが邪悪な笑みを浮かべる。
「
「……! しまっ……」
「魂に隙ができているぞ! <ソウルイーター>!」
リリィの胸から白い光の玉が浮き上がる。
神々しいほどに眩い光を放つそれを、ヴェルヌの細い手が鷲掴みにすると、そのまま自分の口へと放り込んだ。
魂を失い抜け殻となったリリィが倒れる。
だけど誰もその瞬間を見ていなかった。
全員の目が、恐ろしいほどに美しい一人の女性へと向けられている。
「ククク……ハハハハハ……」
小さくもれるような笑い声は、やがて爆発的な哄笑へと変わった。
「アーハハハハハハハハハハハッ!! 百年にもわたる我らの戦いが、まさかこんな終わりを迎えようとはな! かつては世界を滅ぼすほどの大戦を引き起こしておきながら、今やこんな地の底で、自らが呼んだ無能力者に寝首を掻かれるか。いやいや、案外これこそが人でなしな我らにふさわしい末路といえるのかもしれんな!」
ヴェルヌの声が高らかに響く中、クレアが蒼白となった表情で座り込む。
「ああ、そんな……まさか、そんな……」
女神が死に、魔王が復活した。
この世界的にはどうやらそういうことになったらしい。
教会に集まっていたシスターたちは皆一様に崩れ落ち、涙を流している。
その光景を見ながら、氷室は世界から隔絶されるような感覚を覚えていた。
泣き崩れるシスターたちにまったく共感できない。
人の死に涙を流すという普遍であるはずの感情が、まったく理解できなかったのだ。
氷室はこの結末を予想していた。それどころか願ってすらいた。自分の無実を証明するにはこれしかないと。
自分はこんなに冷酷だっただろうか。それともどこかの誰かに感化されてしまったのだろうか。
女神も一人殺しているのだから、こちらも一人殺したってプラスマイナスゼロだろう。
そんな足し引きで人の命を考えていいはずがないのに、氷室にはその考えがおかしいとは思えなかった。
だが、その計算が正しいとするのなら、氷室にもまた憎しみの連鎖は戻ってくるのだ。
クレアがふらつく足で立ち上がると、手にしたナイフをヴェルヌの背中に突き刺した。
「<悪
スキルが発動し、刺したナイフから幾筋もの黒い光があふれる。
憎しみの分だけ力を増す漆黒の光がヴェルヌの体内をズタズタに切り裂き、飛び出した光が氷室の体を貫いた。
「……ッ! が、は……ッ!」
喉の奥から熱い液体があふれ出し、視界が赤く染まる。
クレアは引き抜いたナイフを反転させると、今度は自分の胸に突き刺した。
「女神様……わたくしもお側に……」
祈りの言葉を残してリリィの上に倒れる。
氷室もまた力を失い地面に倒れた。
「ほう、死ぬのか小僧」
自分も全身から血を流しているのに、倒れることなく笑みすら浮かべて見下ろしてくる。
血の気を失い青冷めたその死に顔すらも美しいと、氷室は思ってしまった。
しかし答えることはできず、代わりに血の泡を吐いた。
傷が深い。にもかかわらず痛みがない。熱い液体が壊れた蛇口のように流れ出し、体温が急速に下がっていく。
「我の目的は達した。もう小僧に用はない。生きていれば褒美でもくれてやったが、死ぬのであれば必要ないか」
「そう、かよ……。自分も死ぬってのに、余裕だな……」
負け惜しみにそれだけを口にする。
しかしヴェルヌは口元にいつもの笑みを浮かべた。
死を前にしてよりいっそう妖しさを増した、愉悦の笑みを。
「我を誰だと思っている。何度死んでも蘇る、それが魔王のスキル<転生>の力だぞ」
「くそったれ……。これだから……チートは嫌いなんだよ……」
「だが今は気分がいい。それに約束したからな。何でもいうことをひとつ聞いてやると」
「助けられる、ってのか……?」
「いいや、小僧は死ぬ。自分でもわかっているだろう。もう助からないと。魂がそれを受け入れた以上、できることは何もない」
「じゃあ、何の願いを叶えるってんだ……」
「ククク……。その様子だとやはり気づいていないか。ならば教えてやろう。我はヴェルヌ。ヴェルヌ=ミズ=オーロレライ。死神と悪魔の血を引いた魂食いの魔人にして、死者の魂を操る<転生>の王。小僧の世界からも何度も勇者を呼び寄せているぞ」
薄れる意識の中で氷室はその言葉を聞いた。
そして、その意味を理解する。
「はっ……ははっ……ぐは……っ……はは……」
血反吐を吐きながら氷室は笑う。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
自分の無能さに嫌気が差す。
全部最初からヴェルヌがいっていたことではないか。論理的に考えれば答えなどわかりきっていたのに。
「なにが、帰る方法はないだ……この嘘つきめ……」
ヴェルヌは日本を知っている。おそらくは女神も。
その気になればいつでも帰れたのだ。
「目的があるほうが力を出せる。それが人間というものだろう。それよりも、もうじき小僧は死ぬぞ。無駄口を叩いて果てるのも無能な小僧らしい最期といえばそうだが、我に一言助けを乞えば、小僧の望む場所に転生させてやろう」
ヴェルヌの甘い声が脳裏に響く。
氷室の答えは決まっていた。
薄れゆく意識を振り絞り、最期の力で声を絞り出す。
「助けてくれ、なんていうと思ったのかよ死神め……。どうせ俺の魂を食うのが目的なんだろう……」
ヴェルヌに助けを乞うことは、ヴェルヌに負けを認めるようなものだ。
美しい瞳がきょとんと見開き、やがて弾かれたように笑い出す。
「クハハハハハハハハッ!! そうかそうか、小僧も存外やるではないか! 腹の足しくらいにはなると思ったのだがな! やはり貴様といると退屈しない。最後の最後まで我を笑わせるとは。いいだろう。その根性に免じて願いは必ず叶えると約束しよう。
さあ願いをいうがいい。どこに転生したいのだ?」
「どこって、そんなの決まってるだろ……」
当然のように答える氷室に、ヴェルヌが少しだけ、ほんの少しだけ表情をかげらせた。
まるで別れるのが惜しいとでもいうように。
──はっ、この悪魔にそんな感情がある訳ないか。
心の中であざ笑い、氷室はポケットに手を入れた。
取り出したスマホの電源を入れようとするが、起動する気配はない。
あんなに大切にしていたはずなのに、いつのまにかバッテリーが切れていたことにも気がつかなかったらしい。
──そんな余裕もなかったしな。
それくらいめまぐるしくて、メチャクチャで、退屈しない時間だった。
この地獄ともようやくお別れだ。
やっとあの日常に帰れる。
毎日くだらない話を繰り返し、聞きたくもない授業のために同じ通学路を往復する、だからこそかけがえのない日常に。
──どちらを選ぶかなんて、そんなの決まってるよな。なにしろ俺は……。
手の中のスマホを強く握りしめると、地面にむけて手放した。
「【俺は年上が好きなんだよ】」
どこかで誰かの笑い声が響いたが、そのころにはもう氷室の意識は残されていなかった。
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