神官長殺人事件9
この世界には魔法もスキルも特殊能力もある。
何でもありなこの世界で信じられるのは自分の思考だけ。
論理的であるかどうか。
それ以外に犯人を追いつめる方法はない。
◇
室内にざわめきが響く。
神官長の館には多くの人が集まっていた。
全員、ヴェルヌに頼んで呼んでもらった人たちだ。
これから自分がすることを考えて、氷室は心臓が早鐘のように鳴りはじめるのを感じていた。
「小僧の要望通り集めてやったぞ。この中に本当に犯人がいるんだろうな」
神官長が死んだと思われるとき、館の周辺にいた人たちを集めてもらったのだ。
「ああ、間違いない。それは間違いないんだが……」
「どうした。歯切れが悪いぞ」
心配するような言葉でありながらも、ヴェルヌは底意地の悪い笑みを浮かべている。
氷室が置かれた状況を楽しんでいるのだろう。
そのことには今更腹も立たない。ヴェルヌがそういう奴であることは知っている。
そんなことより、氷室自身が緊張でどうにかなりそうだった。
犯人が誰かは分かった。この中にいるのは間違いない。
しかしそれでも絶対とはいえない。確実な証拠は見つからなかった。
まず間違いないだろうという予感はあるものの、あくまでも状況証拠を積み重ねた結果、浮かび上がってきただけなのだ。
まだ確実ではない。
そして確実に犯人であるといえなければ、自分の無罪を証明できない。
だから、これから最後の大芝居を打たなければならないのだ。
ヴェルヌに関係者を集めてもらったのはそのためだ。
失敗すれば死ぬという緊張感に、胃液が逆流して吐きそうになる。
「クックック。小僧にこれほどの度胸があるとは思わなかったな。やはり我を楽しませてくれる。助けた甲斐があったというものだ」
「だったら少しくらい手伝ってくれよ」
「その問いに意味がないことは自分でも理解しているだろう。我が手を貸したのでは意味がない。小僧が一人で行うのだ。
我が看破しても今更なにも思わないだろう。だが小僧は違う。貴様は真に無力でなんの力もない。人としてはおよそ最弱といってもいいだろう。だからこそ意味がある。我が相手では負けて当然だが、貴様に負けるなど地を這う蟻に噛み殺されるよりも屈辱的なことだからな」
「え、そこまで?」
さすがの氷室も少し傷ついてしまう。
「そこまでだとも。だからこそ、成功した暁には誇るがいい。蟻が象を噛み殺したことになるのだからな。これほどまでに痛快で屈辱的なことがあるだろうか! その際には我からも褒美をくれてやろう。何でも好きなことをひとつしてやるぞ。どうだ? 童貞の小僧にはたまらなく魅力的なご褒美だろう?」
自らの肉体を見せつけるように挑発してくる。
ヴェルヌが本気で言ってるわけではないとわかっていても、顔が熱くなるのはどうしようもない。
氷室は無言で顔を背けた。
「クックック。予想通りの反応だな、やはり小僧を弄ぶのは面白い」
上機嫌に笑うヴェルヌの声を聞きながら、氷室は少しだけ緊張が解けるのを感じていた。
そのためにわざと軽口を叩いた、なんてことはヴェルヌに限ってはあり得ないだろうが。
「ヴェルヌ様。ご指示通り全員が集まりました」
手配を終えたガーベインが報告にくる。
「そうか。ご苦労。聞いての通りだぞ小僧。時間だ」
ヴェルヌの声が楽しげに響く。
氷室は覚悟を決めて館の一番奥、全員を見渡せる場所へと進み出た。
何事かと視線が集まる中で、身につけていたローブと帽子をはぎ取る。
「あっ! あいつは……!」
魔王派の一団から声が挙がる。
神官長の館から逃げた少年であると気がついたのだろう。
もう後には引けない。
真犯人を見つければ助かり、見つけなければ殺される。
氷室の一世一代の大博打がはじまった。
◇
最初にいう言葉は決めていた。
「犯人はこの中にいる!」
人生で言いたい台詞ベスト10に入る言葉を言えて密かに感動する氷室だったが、集まった人たちはポカンとするばかりだった。
どうやら高度すぎるギャグだったようだ。
ヴェルヌだけはクツクツと笑いを堪えていたから、それで良しとしよう。
咳払いをして改めて話をはじめる。
「知ってる人も多いと思いますが一応自己紹介をしておきます。俺はこの世界に強制召還の魔法でやってきた異世界人、氷室結城です。そして神官長を殺した犯人として追われてもいます」
何度も練習していたにも関わらず、緊張で喉がカラカラになる。
糾弾するような鋭い声があがった。
「お前はあのときの! よくも堂々と出てこれたな!」
魔王派の一団から声があがる。
今すぐにでも飛びかかってこないのは、そばにヴェルヌがいるからだろうか。
そのことに密かに感謝しつつ、氷室は声の主へとまっすぐに視線を向けた。
「俺は逃げも隠れもしません。だから俺の話を聞いてほしいんです」
「今更命乞いをするつもりか?」
「そうです。なぜなら、神官長を殺したのは俺ではないからです。真犯人は別にいます」
氷室の言葉に騒然となった。
ヴェルヌがその様子をニヤニヤとしながら眺めている。
手助けしないといっていた通り、口を挟むつもりはないらしい。
いいだろう、と氷室は胸の中で覚悟を固める。
失敗すれば自分の命はないのなら、最後までやりきってやるだけだ。
「神官長が死んだのは、強制召還の魔法が暴走したからだと聞きました。そうですよねガーベインさん」
「その通りだ。そのことは私以外にも確認しているから間違いない。そして神官長殿が失敗することはあり得ない。何者かによる妨害で命を落としたと考えられる」
「強制召還は非常に高度な魔法で、妨害するのも難しい。俺にそんな高度なことができないのは、わかる人ならわかるでしょう。見ての通り魔力に対する適正はまったくないようですから」
氷室の言葉を聞いて、ざわめきがわずかに変質した。
驚くような声から、戸惑うようなものへと変わっていく。
何人かが顔を見合わせるのも確認できた。
魔力適正がないことはヴェルヌやクレアからも聞いている。
二人のように一目見ただけで見抜くということはできなくても、じっくりと観察すればやはりわかるようだ。
魔法が使えなければ召還の妨害もできない、という理屈には一定の説得力はあるだろう。
とはいえこれでは無罪の証明にはならない。
ここまでの話は、話を聞いてもらう土台を作っただけ。
本題はここからだ。
「お前が犯人じゃないというなら、誰が犯人なんだ!」
当然の声があがる。
見覚えがある顔だなと思ったら、氷室が逃げる際に股間を蹴り上げた男だった。
目の敵にされるのも無理のないことだろう。
「神官長様が殺されたとき、部屋の中にいたのはお前だけだ。それは他の者も見ている。どうやったのかは知らないが、お前が一番怪しいことに変わりはないだろう!」
その叫びには多分に私情が混ざっていたが、状況的に自分が第一容疑者であることは氷室は自覚していた。
同じ状況なら自分だって自分を疑うだろう。
だからこそ真犯人を見つける必要がある。
それになにより、自分に罪をなすりつけた真犯人がのうのうとしているなんて許せない。
殺人の罪はしっかりと償ってもらわなければ。
「ではこれから、俺が犯人ではないということを証明しましょう。
ですが、この世界には魔法もスキルもあります。そのすべての可能性を考えていたら埒があきません。なので、分かっている事実から論理的に考えを詰めていくべきだと思います。
といっても難しいことはなにもありません。今回の事件は色々あったせいで複雑に感じますが、結局は、どうやって召喚を妨害したのか、それだけが問題だったんです。
今わかっている中で、疑いようのない確実なことは二つ。神官長は強制召喚の魔法を行っていたこと。そして魔力の暴走によって死んだことです。
神官長は他殺の可能性が高いでしょう。では犯人はなぜ殺したのか」
「それは、きっと召喚を妨害する為なのでしょう……」
答えたのはクレアだ。
その事実はクレアにとって最も辛いはずだったが、あえて自ら口にしたのが彼女の優しさを示しているように思えた。
氷室はそんなクレアの思いに答えるためにも、はっきりと言葉を口にする。
「そうです。普通に考えれば召喚を止めるため。そして召喚を止めたい理由があるとすれば、それは女神派の人間でしょう。神官長は周囲にも、戦力を増やすために勇者を召喚すると話していたらしいですし。そうだよなヴェルヌ」
自分は関わりたくないといって答えない可能性も考えていたが、ヴェルヌは口の端を歪ませて答えた。
「そうだな。我もその話は聞いていた」
質問には答えるらしい。
これも最低限の手助けに含まれるということなのだろうか。
ついでに、とばかりに続けて言葉を放つ。
「確かに戦力を呼ぶといっていたが、単に神官長に恨みがあったから殺した、という線はないのか?」
これは助け船なのか、あえて意地悪な質問をして氷室がうろたえるのを期待しているのか、判断が難しいところだった。
いずれにしろ、その質問がくることは氷室も予想していたためすぐに答える。
「ないとは言えない。けど、神官長は魔力の暴走によって命を落とした。動機が何であれ、魔法を妨害された結果死んだことにかわりはない。
問題は、どうやって妨害したのか、だ。
神官長を殺せば召喚は止まるのかというと、実はそうではない。用意周到だった神官長は、たとえ自らが死んでも魔法は発動するようにしていた。そうですよね?」
ガーベインが生真面目にうなずく。
「そうだ。強制召喚の魔法が暴走すれば、世界崩壊の危機さえある。それだけは絶対に起こらないよう、細心の注意を払っていた」
「それは犯人も避けたいでしょう。女神派を守るために世界が滅んでしまっては本末転倒ですから。
そして、最初に述べた二点とは別にもう一点、疑いようのない事実があります」
「なんだそれは」
「俺がこの世界に召喚された、ということです。
つまり、犯人は召喚魔法を妨害しようとしたが、それは失敗したということ。召喚魔法は発動し、俺がこの世界に呼び出された。強制召喚は成功したんです」
「……待て、それはおかしい」
ガーベインが慎重に口を開く。
「神官長は暴走した魔力によって死亡した。それは召喚が失敗したからだ。召喚が成功したのなら、神官長は死んでいないはず」
「その通り。そしてもう一つおかしなことがある。それは俺を見ればわかるでしょう」
その場に集まる者たちが訝しげな視線を向ける。
そのうちの一人が疑問を口にした。
「……お前、本当に神官長様に召喚されたのか? その割にはあまりにも弱すぎるように見えるが」
「そう、俺はあまりにも弱いんです。なにしろ魔法適正はなにもなく、スキルもヴェルヌから大笑いされるほどのゴミスキル。勇者どころか、この街で一番弱い。
強制召喚は対象を限定して行われると聞きました。つまり俺は偶然召喚された訳ではなく、選ばれたということです」
「神官長様がお前を選んだだと?」
疑いの声があがる。当然だろう。
わざわざ氷室を選んで召喚する必要はないのだから。
「なら神官長が召喚を間違えたのか? しかし話によれば、半年も前から入念な準備をしていたそうです。しかも、魔王派のために戦力を召喚するといっていた。神官長が俺を呼んだという可能性はほぼないでしょう」
「それではなぜヒムロ様を?」
「それに答えるために、順を追って今までの話を整理しましょう。
神官長は勇者を召喚するために強制召喚の魔法を使った。
しかし犯人の妨害にあい、魔力の暴走を受けて死亡した。
だが召喚魔法は止まることなく発動した。
呼び出されたのは予定されていた勇者ではなく、なんの力もない俺だった。
ここまでくればわかるでしょう。最初にいったはずです。問題は、どうやって妨害したのか、だと。そして今の話から導ける結論はひとつしかない」
「なんだそれは」
「召喚対象を書き換えたんですよ」
「ばかな! そんなこと不可能だ!」
すぐに否定する声が上がる。
「強制召喚は非常に高度な魔法だ。そう簡単に書き換えられるものじゃない」
「そうらしいですね。でもこの世界はなんでもありの世界です。もしも可能だとしたらどうですか?」
答えたのはガーベインだった。
「可能ならば確かに筋は通るだろう。魔法を強引に書き換えたとなれば術者に反動が来てもおかしくはない。だがそんなことは不可能だ。仮定する意味がない」
「本当ですか? 一人だけいるでしょう。強制召喚に誰よりも詳しい人物が」
「まさか、神官長本人だといいたいのか? それこそあり得ない」
「そうですね、ありえません。神官長が召喚先を変える理由がないですから。それよりも、もっと詳しい人がいるはずです。強制召喚を手足のように操れる人が、この世界に一人だけ」
「手足のように……? それは、まさか……」
「そうです。女神様ですよ。
強制召喚の魔法は女神のスキル<転移>を模倣して作られたそうですね。強制召喚の魔法を綿密に練り上げれば練り上げるほど、それはオリジナルであるスキルに近くなっていったはず。女神にしてみれば自分の手足のように操れたでしょう。強制召喚の対象を変えることも簡単だったということです」
スキルは本人の中に根ざしたものであり、自分の手足のように操れる。それは氷室自身も実感していたことだ。
そして同じものは二つと存在しない。
つまり強制召喚を書き換えられるのは女神しかいないのである。
「そんな、そんなことあるわけないでしょう……!」
ヒステリックに叫ぶ声が響く。
女神派の一団にいた、老婆のシスターだった。
「女神様がそんなことなさるはずがない……!」
自分たちの信じる女神様が殺人を犯したというのだから、反発するのも無理のない話だろう。
氷室は冷静に事実を告げる。
「俺がこの世界に召喚されたこと。それこそが、神官長を殺した犯人が女神様だったという証拠に他ならないんですよ」
すぐに反論がこなかったのは、氷室の推理を一瞬でも認めてしまったからだろう。
やがて口を開いたのは悲痛な表情のクレアだった。
「もし本当に女神様が召喚対象を入れ替えたのなら、ヒムロ様ではなく、もっと優れた方にすればよかったのではないでしょうか……」
それは彼女なりの精一杯の反論だったのだろう。
女神様を信じていたい。その一心が口を開かせたのだ。
「そのところの理由は俺にはわかりません。魔法についての詳しい知識もないので推察しかできませんが、たぶんできなかったんでしょう。十年前の大戦で力を失ったらしいですし」
ヴェルヌが半笑いの表情を浮かべる。
「そもそも女神は死んだという噂もあるが」
「じゃあ噂が間違っていたんだろ。死んだと思っていた者が生きていたのなら、つまりはそういうことのはず。そういったのはヴェルヌだったじゃないか。
そして、話はこれで終わりではありません。むしろここからが本題です」
最後の言葉は集まっている者たちに向けて言った。
ざわめきがさらに大きくなる。
「まだなにかあるっていうの?!」
「最初にいったでしょう。
「……は?」
間の抜けた声が老婆のシスターからもれる。
「それはつまり、この中に女神様がいるっていいたいの……!?」
「そうです」
あまりにもあっさりと答えたため、老婆のシスターは二の句が継げなかった。
「そもそも、女神はどうして魔王派の戦力が増えることを止めたかったんでしょう。
女神は信仰を糧とする天使族の一人だそうですね。失った力を取り戻すため、信仰を得て力を回復させている可能性は十分高いと思います。
魔王派が優勢になればその分だけ女神派の信仰が減る。おそらくはそのあたりが動機でしょう。ちょうどここは世界でも最大の都市らしいですし、最も信仰を集めやすい場所だった可能性はあります。
そして、信仰を得るために女神がこの都市にやってきたということは、信仰は近くにいなければ得られないということ。つまりこの街で最も信仰が得られる場所に女神はいるということです」
その場にいる者の視線が一点に集中した。
女神の信仰が集まる場所。クレアを中心としたシスターたちの一団へと。
氷室は言葉に力を込める。
『つまり、【貴女のことですよ】。女神様』
声が力を持って響きわたる。
驚くシスターたちの中で、ビクリと一人だけが体を震わせた。
「な、なにをいってるの!? わたしが女神様なわけないじゃない!」
目を見開いて驚くクレアの足下、そこにしがみつく小さな体から叫び声が発せられた。
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