神官長殺人事件8

「ヴェルヌ、地上に出ることってできるのか?」


 戻ってきて早々に言った氷室の言葉を聞いて、ヴェルヌが楽しそうに振り返った。


「できるが、なにを考えている」


「別になにも。見てみたくなっただけだ」


 この世界の地上は人の住める場所ではなくなった。

 話には何度も聞いていたが、実際にその目で確認したわけではない。

 女神派も魔王派も、互いに強く恨みあっているという。そこが氷室にはいまいち共感できなかった。それはきっとこの世界のことを知らないことも関係しているだろう。

 今更地上を見たところで当時のことはなにもわからないだろうが、もしかしたら何か感じるものはあるかもしれない。


「いいだろう。ついてこい」




 ヴェルヌ連れてこられたのは、街の外側、岩をくり抜いて作られた地殻の端だった。

 荒く削り取られた岩壁に、爆破されたあとのような穴がひとつ開いている。


 中を見ても真っ暗だったが、視線を上に向けると、はるか彼方にぽつんと小さく明かりのようなものが見えた。

 どれほどの距離なのか見当もつかない。

 ビルの高さでいったら百階とか二百階とか、そんなレベルだろう。


「まさか、あそこが地上への出口か?」


 愕然と見上げる氷室に、ヴェルヌが底意地の悪い声を漏らす。


「クックック。そうだ。もっとも、この道を愚直に登ろうと考えるのは小僧くらいだろうがな」


「どういう意味だよ。近道でもあるのか」


「どうもこうもあるか。この世界をなんだと思っている。こうするんだよ」


 ヴェルヌが急に氷室を抱き寄せた。

 突然のことに驚くひまもなく、ヴェルヌが地面を蹴る。

 そのまま矢のような勢いで真上へと飛び上がった。


 悲鳴を上げる暇もなかった。

 長い縦穴をあっという間に行き過ぎ、明かりの漏れていた場所へと着地する。

 解放された氷室が、ふらつく足取りで地面に降り立った。


「そういやこの世界には魔法があるんだったな……」


「空を飛ぶ程度のことなら今の我にもできるからな」


 氷室は光が射す方へと視線を向ける。

 その先は一面の荒野だった。


 大地にはどす黒い土と石が転がっているばかりで、草のひとつも生えていない。

 遠くには暴風が荒れ狂い、真っ黒な砂嵐があちこちに発生している。

 空の色は斑に濁っており、青いところもあれば、赤いところもある。

 照りつける日差しがあまりにも強烈で、氷室は思わず顔をしかめた。


 見渡す限り荒れた大地と空しかない。

 生き物の気配どころか、山のひとつも見あたらなかった。

 この世界はまさしく滅んだのだと、氷室は否応なく実感させられていた。


「世界をどこまで行ってもずっとこの景色が続く。海は蒸発し、山は消し飛び、空はひび割れて青さを失った。元の状態に戻ることは永遠にないだろうな」


 ヴェルヌがどこか他人事のようにつぶやく。

 もっとも、常に妖しげな微笑みをたたえている彼女が無感動につぶやくということが、ことの深刻さを物語っているともいえた。


 氷室は乾いた土の上を静かに歩き出す。

 女神と魔王の戦争といわれても未だに実感がわかないが、百年にも及んだという大戦の影響は十分に理解できた。


 現代にも核兵器はあった。

 世界が保有する全兵器を使用すれば人類は簡単に滅ぶだろう。

 しかしそれでも、世界をここまで破壊し尽くすことはできるだろうか。


 改めて異世界召喚の凄まじさを思い知る。

 これだけのことをなした女神と魔王も、彼らによって呼ばれた勇者たちも、とてつもないチート共だったのだろう。

 だからこそ、氷室はこれまでにない違和感を抱えていた。



 なぜ自分が召喚されたのだろう。



 乾いた大地の上を歩く。

 歩きながら、これまでの話を頭の中でまとめていく。


 確かに俺はここに呼ばれた。

 でも俺は勇者でもなんでもない普通の高校生だし、手にしたスキルもゴミだ。

 こんな戦争で活躍できる才能なんかひとつもない。

 強制召喚は対象を限定して行うといっていた。

 つまりあえて俺を選んだということだ。

 わざわざ半年もかけて準備をして、なんのために呼んだのか。


 結局何ひとつわかっていない。

 しかし、なぜだかあと少しのところで手が届きそうな気がしていた。

 必要な情報はすべてそろっている。

 自分が気付いていないだけ。

 そんな気がする。


 踏みしめた土が乾いた音を響かせる。

 吹きすさぶ風の音が世界を埋め尽くそうとしている。

 にも関わらず氷室の耳にはなにも聞こえていなかった。

 犯人の目的は何だ。召喚を失敗させることだ。それは間違いないだろう。

 ……本当にそうか? そもそもの前提から間違っているのではないか?



 人は歩くことで脳が活性化される。

 思いがけないことが突然ひらめき、まったく無関係と思われていたことを結びつけて新しいアイディアを生み出す。

 たったひとつのピースが、すべてをひっくり返してまったく新しい景色を作り出してしまうことだってある。



 

 



 その瞬間、すべてが閃光のようにつながった。


「そうか……。そういうことかよ……」


 ヴェルヌの言う通りだった。

 答えは最初からわかっていた。

 それこそ氷室がこの世界に現れたその瞬間から明白であったのだ。

 なにしろ、この犯罪は世界でもたった一人にしか行えないのだから。

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