神官長殺人事件7

「すみませんちょっといいですか」


 氷室が声をかけると、祈りを捧げるシスターたちが顔を上げた。

 老婆から小さな子供まで年齢はバラバラだ。

 女神を信仰しているというだけあって、急に話しかけられたにも関わらず皆穏やかな表情をしている。


 しかし、氷室の横に立つヴェルヌを見ると豹変した。


「悪魔の手先め……! なにをしに来た!」


 憎悪の感情を隠そうともしない。特に小さな女の子は親の仇のような表情で睨みつけていた。

 さすがの氷室も呆れてしまう。


「なにをしたらこんなに嫌われるんだよ」


「なにもしていないぞ。人気者は辛いな」


 飄々と答えるヴェルヌ。

 たぶんこいつには人の血が流れていないんだろうなと思い、そういや人間じゃなかったなと氷室は心の中で思い直した。


 憤るシスターたちのあいだを抜けて、一人のシスターが歩み寄ってきた。

 一人だけ色の違う修道服を着ており、地位の高さが伺える。


「なんの用ですかヴェルヌ。教会は死者を悼む場。お互い不干渉を貫くことは協定で決まっています。貴女ならわかっているでしょう」


 厳しい口調でありながらも、どこか聞く者を落ち着かせる声音だった。


「言われるまでもない。用があるのは我ではなくこの小僧だ」


 ヴェルヌが氷室をシスターへと突き出す。

 ヴェルヌらしくない乱暴な行動に驚く氷室だったが、シスターの方も驚いたようで、まじまじと氷室を見つめてきた。


「この方は、もしかして……」


「そういうことだ。訳あってこっちに来た。基本的なことは教えたが、こっちの知識だけじゃ偏るからな。女神の教義とやらはお前等に任せるよ」


「は? ヴェルヌはどうするんだよ」


「こいつらの傍にいると気分が悪い。家に帰るから用が終わったら戻ってこい」


 そう言い捨てると、本当に帰って行ってしまった。

 相変わらず自由なヴェルヌに唖然とする氷室に向けて、シスターがやわらかな笑みを浮かべる。


「はじめまして<転移者>さま。わたくしはこの街で女神教会のシスター長をしておりますクレアと申します。突然のことで混乱していると思いますが、困ったことがあったら何でも相談してくださいね」


 ヴェルヌとは真逆の優しい言葉に、氷室は思わず涙しそうになった。




「ヒムロ様に女神様のご加護がありますように……」


 クレアがひざまづき、両手を組んで祈りを捧げる。

 氷室は頭の上から暖かな光のようなものが注がれるのを感じた。

 しかし見上げてみても何もない。

 心地よい光に包まれる幸福感だけが心を満たしていった。


「これは……?」


「わたくしの魔法です。女神様の力をヒムロ様に分け与えました」


 簡単に言われたのでヒムロは少し驚いた。


「女神様の力って、そんな簡単に使えるものなんですか。もういなくなったと聞きましたが」


 驚く氷室に、クレアが微笑む。


「そういわれていますが、わたくしには女神様の力が身近に感じられるのです。かつての大戦で姿は見えなくなってしまいましたが、きっと今もどこからかわたくしたちを見守ってくれている。そう感じるのです」


「この魔法は他の人も?」


「いえ、わたくしだけのようです。そのためシスター長も任されています」


 その言葉に嘘偽りはないのだろうと、氷室は直感した。

 この人は心の底から女神を信じていて、たぶん氷室のことも本気で案じている。

 だからこそこういう魔法が使えるのかもしれなかった。


「ひとつ聞きたいことがあるのですが……」


 そこで氷室は周囲に聞かれないよう声をひそめた。


「クレアさんは俺のことをすぐに転移者だとわかりましたよね。それはどうしてなんですか?」


「実は、わたくしは他の方よりも少しだけ魔力を見る力に優れているようなのです」


「魔力を見るというのは、魔力紋のことですか?」


「魔力紋は魔力に残された痕跡のようなものなのですが、ヒムロ様の理解でおおむね間違っていません。

 この世界の人と、他の世界からきた人では魔力の質がまるで違います。特に魔力がない世界からきた人はまったくの別物といっていいのです。ですから見れば一目でわかります」


「それは、クレアさんだけが特別ということですか?」


「魔力を見る力は修行すればある程度は得られるものですが、わたしはそれが他の方よりも優れているようなのです。女神様の力を感じられるのもそのおかげかもしれません。

 ですから一目でヒムロ様がそうだとわかりました。他の方ではそこまではわからないでしょう。できるとすれば、あとはヴェルヌくらいかと思われます」


 その言葉を聞いて氷室はほっとした。

 もし自分が転移者だと簡単に見抜かれてしまうのなら、いずれ殺人犯として見つかってしまうことになる。


「魔力が感じられるということなのでついでに聞きたいんですが、俺ってやっぱり魔法の才能がないんですか」


 たずねる氷室に、クレアがニコリと笑みを浮かべた。


「誰でもはじめは初心者です。ヒムロ様も練習すればきっと扱えるようになりますよ」


 やんわりと否定されてしまった。

 もっとも、真正面から爆笑したヴェルヌと比べれば雲泥の差だ。


「この街で今騒ぎになっていることは耳にしております。ヒムロ様は強制召喚で呼び出されたのでしょう。

 突然このような状況に巻き込まれてしまえば、普通は絶望してしまうものでしょう。しかしヒムロ様は強い目をしておられます。まるで何かの目的があるかのように。よければお聞かせ願えないでしょうか」


 氷室としても情報はほしい。

 そしてなによりも、この気持ちを聞いてほしいという欲求にあらがえなかった。

 胡散臭いヴェルヌでは心が安まらない。

 誰にもいえない秘密をずっと胸の内にため込んでいたことで、氷室自身も気がつかないうちに多大なストレスを受けていた。


 氷室は自分の境遇について話した。

 異世界から強制召喚されたこと。

 そのせいで殺人犯として追われていること。

 ヴェルヌのおかげで助かったが、捕まると殺されかねないため、真犯人を捜していること。

 魔法やスキルのせいでそれがすごく難しいのに、ヴェルヌは手伝うどころか自分の見た目を利用してからかってくること。いつもいつも人に無茶振りしてそれをニヤニヤしながら見ていること。いつか絶対仕返しをしてやると心に誓っていること……。


 クレアの雰囲気にほだされて、ついつい話す予定のなかったことまで話してしまった。

 クレアは静かに聞いていたが、氷室が話し終えるとクスクスと笑みをこぼした。

 今の話のどこに笑うところがあったのかと氷室は首をひねる。


「ふふ、申し訳ありません。ヒムロ様が思ったよりも元気そうで安心いたしました」


「元気といえば、まあ、元気ですけど……」


 少なくともケガは負っていない。そういう意味では元気だろう。

 だけど安心するならともかく、あんなふうに穏やかな笑みがこぼれるだろうか。

 クレアはもう一度笑みをこぼしたあと、ですが、と悲しげに目を伏せた。


「この世界に来た途端そのようなことに巻き込まれてしまって、ヒムロ様も大変だったでしょう……」


「ほんとうにそうですね。普通、異世界転移っていったらもっとチートで無双するものなんですが……」


「チート? 無双?」


 クレアが首を傾げる。


「ああいえ。こっちの話です。気にしないでください」


 どうやらその言葉は知らなかったらしい。

 そのとき、氷室の頭に不意に閃くものがあった。試す価値はあるかもしれない。


『チートと無双です。俺の言ってることがわかりますか?』


 クレアは再度首を傾げた。


「えっと、今のはどういった意味なのでしょうか……」


「今の俺の言葉がわかりませんでしたか?」


「申し訳ありません。初めて耳にした言葉でした」


「そうですか。街で他に知ってそうな人とかに心当たりは?」


「ごめんなさい。わからないです。他の方が口にしているのも聞いたことがありませんでしたので……」


 どうやら本当に知らないらしい。この様子では聞いたこともなさそうだった。

 なるほど、と氷室は心の中でうなずく。

 ひょっとしたらこれは使えるかもしれない。


「ところでクレアさんのスキルってなんですか」


 優しいついでに聞いてみる。

 クレアは困ったように微笑んだ。


「申し訳ありませんが、それにはお答えできないのです」


「やっぱりそうですよね。こんなこと聞いてすみません」


「いえ、ヒムロ様が悪いのではありません。わたくしのスキルは、その、女神様に仕えるシスターが持つには少し恥ずかしいものでして……」


 意外な告白に氷室はなんだかドキドキしてしまう。

 シスターが持つと恥ずかしいスキル……。いったいなんだろう……。


 気がつくとクレアの足下に小さな子供がしがみついていた。

 幼い瞳でじっと氷室を見上げてくる。

 邪な考えを見透かされた気がして思わず視線を逸らしてしまう。女の子は、その幼さに似合わない無感情な声でたずねた。


「あなた、だれ?」


「えっと、氷室結城だ。君は?」


「………………」


 幼い瞳がじいっと氷室を見据える。

 答える様子はないみたいだった。


「大丈夫、悪い人じゃありませんよ」


 クレアが優しい声でいうと、幼い瞳はようやく氷室から視線をはずし、クレアを見上げた。


「……ほんとう? こわくない?」


「もちろんですよ。ヒムロ様はとてもいい人です」


「ん。クレアが言うなら信じる」


「ごめんなさいリリィ。今はヒムロ様と大事な話をしているところなのです。また後で来てくれる?」


「ん」


 リリィと呼ばれた女の子は、小さくうなずくと駆け足で離れていった。


「今の子は、クレアさんの子供ですか?」


「いいえ、あの子は孤児なのです。大戦の影響で家族も失ってしまったらしく、どこからか一人でこの街にやってきて……。

 そのせいなのか警戒心が強くて、わたくし以外には心を開かないのですが……。もしお気を悪くしてしまったのならごめんなさい」


「ああいえ、それは大丈夫ですけど」


「あの子がいた街では魔王派が多数を占め、女神派の人たちは迫害されていたそうです。詳しいことは話してくれませんが、たった一人でこの街まで来たのです。それは大変なことだったでしょう」


 クレアの目に涙がにじむ。


「だからなのか、魔王派の人々を憎んでいるようなのです。特に魔王派筆頭とされているヴェルヌに対しては、明らかに敵対心をむき出しにしておりまして。

 確かに先の大戦では女神様と魔王は争っていました。お互いに恨みあい、殺し合いにまで発展してしまいました。

 ですがそれはもう終わったこと。残ったわたくしたちまで争う必要はありません。なのにあんなに小さい子が、今も憎しみに囚われているなんて……」


 氷室は黙ったまま聞いていた。

 あの時、ヴェルヌを見上げたリリィの瞳は、思わず身震いするほどの憎悪に燃えていた。

 いったいどんな地獄を見れば、あれほどの感情を瞳に宿らせることができるのだろうか。


「女神様はこのような状況を望んではおられないでしょう。しかしわたくしにできることは、あの子を保護してあげることくらい。憎しみに囚われた心を癒すことまではできないのです。

 あの子だけではありません。この街にいる方々はみな憎しみに囚われています。戦争で家族を奪われた。故郷を滅ぼされた。大切な人を殺された。みな心に傷を負っているのに、わたくしにはその傷を癒すことができないのです」



「ヒムロ様はこの街の状況をご存じでしょうか?」


「女神派と魔王派に分かれて争っていると聞いていますが」


「その通りです。もし殺された方が魔王派の戦力を召喚しようとしていたのなら、その目的は召喚を止めることだったのでしょう。つまり犯人は女神派の誰かということになります」


 それは氷室も考えていた。

 しかしそれが女神派筆頭のクレアの口から出るとは思っていなかったので驚いた。


「わたくしは女神様を信仰しておりますが、魔王を憎んでいるわけではありません。ましてや魔王派と呼ばれる方々はなおさらです。今のように分かれて争う必要はないのです。

 わたくしたちの仲間にそんなことをする人がいるはずない、と信じたいのですが、人類はこんな地下に閉じ込められるようになってもなお争いを止められません。女神様もこのようなことを望んではおられないでしょう」


「でも、その女神様も戦いに参加していたんですよね」


 氷室は疑問を口にしただけだったのだが、クレアは悲しげに瞳を伏せた。


「そうですね……。もしかしたら女神様も、わたくしが思うような人ではないのかもしれません……」


「あ、いえ、すいません。そういうつもりじゃ……」


 慌てて謝ったが、クレアはゆるやかに首を振った。


「いいのです。女神様を信じる人たちが魔王を恨んでいるように、魔王を信じる人たちは女神様を恨んでいます。そしてきっと、どちらも正しいのです。

 憎しみを捨てることは簡単ではない。それはわかっています。憎しみがあるからこんな世界でも生きる力になっている。それも否定できないことです。

 ですが、だからといって諦めてしまったら、憎しみのない世界は訪れません。

 もしかしたら女神様はわたくしが思うような人ではないのでしょう。ですが、女神様は必ずわたくしたちを救ってくださいます。今は力を失ったとされていますが、わたくしたちの信仰が女神様の力となり、必ずや荒廃したこの世界を救ってくださいます。わたくしはそう信じています」


 そう語るクレアの目には、狂気に近い信仰の光があった。

 信じているというよりは、信じたいと思いこんでいる、とでもいうような。


 氷室はヴェルヌの言葉を思い出す。

 人はすがるものがなければ生きていけない。異世界から転移してきた勇者と呼ばれる者たちですら、女神や魔王の僕となって戦ったのだという。

 屈強な勇者たちですらそうだったのだ。

 聖女のようなクレアもまた、その業からは逃れられないのかもしれない。


 手を組みなにかに祈りを捧げるようにつぶやく。


「ですが、こうも思うのです。

 リリィの住んでいた街は女神派が迫害され、追い出されたのでしょう。それはとても悲しいことです。ですが同時に、その街ではもう争いは起きないでしょう。女神派と魔王派。どちらかだけとなった街には平和が訪れるのです」


 そうつぶやいたクレアは目を伏せたままで、どんな表情で語っているのか氷室にはわからなかった。

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