神官長殺人事件4
数時間後、読み終えた氷室は本を閉じた。
同じようになにかの分厚い本を読んでいたヴェルヌが目を向ける。
「読み終えたか。どうだ、この内容は理解できるか?」
試すような言葉に、氷室はどうにか答えた。
「ああ、なんとかな」
ヴェルヌが口の端を持ち上げる。
「ほう。やるな。意外と素質があるようだ」
「ヴェルヌがいうように死ぬ気で覚えたよ。人間やればできるもんだな。まあ、日本といろいろ同じところが多かったおかげもあるが……」
「この世界には日本人も多かったからな。それにその本には我が魔法をかけてある。すぐに覚えられたのはそのせいだろう。もっとも、それをふまえても小僧には見込みがある。貴様のように望まない転移転生者は何度も見かけたが、多くは諦めてしまうからな。どんなに我が魔法をかけたところで、本人にやる気がなければ効果はない。小僧のように立ち上がれる者は多くないのだよ。
それで、これからどうしたい」
突然問いかけられて氷室は答えに詰まった。
「どうしたいって、なにがだよ」
「真犯人を見つけなければ小僧の命はない。そのためにはなにをする?」
「なにっていわれても……」
急に言われても何も思いつかない。
そもそも氷室は普通の高校生であり、探偵でもなんでもないのだ。
詳しいことはなにもわからない。
しかたなく、マンガでみたミステリーやサスペンスの展開を思い出そうとしてみた。
普通こういう時にすることといえば……。
「犯行現場を見たり、とかか……?」
よくはわからないが、犯行が起きた場所を見ることで犯人のトリックを暴いたりするはずだ。
「なるほど。いいだろう。ではこれを着ろ」
ヴェルヌが投げてよこしたのは、男たちが着ていたのと同じ黒いローブと帽子だった。
「その服は目立つからな。隠しておいた方がいい」
氷室は自分の姿を見下ろした。
確かに制服姿のままだったら、この世界では目立ってしまうだろう。
とはいえ。
「なんでこんなのを着るんだ」
困惑する氷室に、ヴェルヌは当然のように答えた。
「犯行現場を見に行くために決まっているだろう」
◇
ヴェルヌの後に続いて家を出た。
彼女の胡散臭い態度は信用できなかったが、今はその後ろをついていくことしか氷室にはできなかった。
「本当にこんなんで大丈夫なのかよ」
渡されたのはローブと帽子だけだ。ぱっと見の姿を隠せるとはいえ、よく見れば正体は分かってしまうだろう。
しかしヴェルヌは自信があるようだった。
「心配するな。任せておけ。こう見えて我はかなり偉いからな」
最初は心臓が破れるかと思うほどビクついていたが、何人かとすれ違っても氷室に気がつく様子がないとわかると、次第に落ち着いてきた。
どうやらヴェルヌの言うとおり本当に平気らしい。
落ち着くと同時に周囲の様子が目に入ってくる。
空を見上げると、変わらずに岩の天井が覆っていた。
「なあ、ここはどこなんだ」
「この街か。確かに説明が必要だな。この街が生まれるには長い歴史があるのだが、有り体にいってしまえば、この世界は滅びたのだ」
「……は?」
聞き間違いかと思ったのだが、ヴェルヌは説明を続けた。
「かつて世界には魔王と女神がいた。絶大な魔力を持っていた二人だったが、特にスキルが秀でていてな。スキル<転生>を操り異世界から勇者を転生させる魔王と、スキル<転移>を操り異世界から勇者を転移させる女神の戦いは、およそ百年も続いた。そしてつい十年前、戦争は共倒れという形で終結した。
勇者と呼ばれる者たちは、一人一人がその世界で最強の力を持っていた。そんな奴らを何十人、何百人と呼んで行われた戦いだ。一つの世界の中で行われるには苛烈すぎた。
世界は修復不可能なほどに荒廃し、地上に人類の住める場所はなくなった。今ではいくつかの地下都市が点在するのみだ」
「すると、ここが……」
「そうだ。この街はその地下都市の一つ。地殻都市エルカディア。世界最大の地下都市にして、魔王派と女神派が別れて暮らす街だ」
「なるほど、地下都市か」
大岩をくり抜いたような天井と、頂点で灯る太陽のような光の玉。
いわれてみれば確かにここは地殻都市の名にふさわしい。
「人間に陽の明かりは必要だからな。といっても昼夜で明かりを切り替えるほど融通はきかないがな。一日中明かりを灯し続けるだけだ」
「それで窓のない家が多いのか。ここはどれくらい深いんだ?」
「詳しくは知らないが、およそ2000メートルらしい」
石造りや泥で造られた家が多いのもそれで納得がいった。
それほど深いのなら木なんて手に入らないだろう。石や泥くらいしか材料がないのだ。
それにやけに体が重いのも理由がわかった。おそらくは純粋に酸素が薄いのだろう。
「魔王と女神の戦いは痛み分けという形で終結した。両者とも長い戦いの果てに力を失い、今では生きてるのかどうかさえ不明だ。好き勝手に転移転生しまくることがなくなったおかげで、かつての大戦が再び起きる心配はないことだけが救いかもな。
しかしいくら広いとはいえ、空もない閉鎖空間では人間はまともでいられないらしい。今も魔王や女神を信仰することで精神の均衡を保っている者は多い」
「ヴェルヌもそうなのか?」
常に人を食った態度を取っている彼女は、とても精神が病んでいるようには見えない。
ヴェルヌが感情の読めない妖艶な笑みを浮かべる。
「我は宗教を作った側だからな。いわば教祖のようなものだな。興味がないので断っているが」
「本当かよ。いかにも人を支配するのが好きそうに見えるけどな」
「わかってないな小僧。はじめから従順ではイジメがいがないだろう。思い通りにならない奴を力で屈服させるから楽しいのだ」
そういって口元をニヤリと歪ませる。
美しい顔を台無しにする邪な笑みに、ああやっぱりこいつはこういう奴なんだなと、氷室は認識を新たにした。
「そのわりにはずいぶんと心酔されているようだったけどな」
「結局、人は何かにすがらなければ生きていけないんだろう。思えば魔王のため女神のためなどといって戦っていた勇者共も、その言葉に酔っていただけかもしれん。自分は魔王、あるいは女神に呼ばれたのだから、そのために戦うのは当然、敵は殺して当たり前、というようにな。
しかし戦争は今も形を変えてこの街で続いている。この狭い都市は中央で二分されていてな。魔王派と女神派で分かれて暮らしており、一色触発の状態にある。こんな閉鎖空間で暴動が起こればタダではすまないことがわかっているから住み分けているだけで、なにがきっかけでこの均衡が破れるのかはわからないというわけだ」
「それって意外とヤバい状況じゃないのか」
「その通りだ。まあそんなわけだから、この街は緩やかに滅亡へと向かっている。放っておいても遠からず滅ぶだろう。そんな中で起きた殺人事件だ。しかも被害者は神官長。魔王派でもかなり地位の高い人物だ。一歩間違えばこの街全体の戦争に発展してもおかしくないぞ」
そういってヴェルヌがクツクツと喉を鳴らした。
氷室はげんなりと肩を落とす。
「全然笑えないんだが……」
「このことはこの街に住むものなら誰でも知っている。にも関わらず今回の犯行は起きた。犯人はよほどの人でなしなのだろうなと思ってな」
そういって再び喉の奥で笑う。
そんなヴェルヌの笑みを、氷室は不気味とも嫌悪ともつかない、複雑な感情で見つめていた。
やがて氷室が召喚されたあの家に戻ってきた。
逃げ出したときはわからなかったが、こうして目の前から眺めてみると、かなり大きな家だった。
地位が高いというのも本当だろう。
館の入り口には見張りの男が立っていた。
氷室は思わず体を固くしたが、ヴェルヌは気にすることもなく平然と近づいていく。
その姿に気がついた見張りが急に背筋を伸ばした。
「これはヴェルヌ様! ご苦労様です!」
「お前もご苦労。神官長が殺されたと聞いてな。中を見に来た」
「はっ! ご足労感謝いたします!」
「それとこいつは我の連れだ。一緒に中に入らせてもらうぞ」
ヴェルヌが軽く氷室を手で示す。見張りの男が氷室に目を向けた。
氷室は鼓動が早くなるのを感じた。
この近さではいくら何でもバレるのではないかと緊張したが、見張りはすぐにヴェルヌへと視線を戻した。
「了解しました。ご自由にどうぞ」
結局何事もなく館へと入ることができた。
「小僧の話だと地下だったな」
平然と歩くヴェルヌの後を慌てて追いかける。
「あんた、いったい何者なんだ」
「いっただろう。奴らの教祖みたいなものだよ」
地下への階段を下りた先にある、重い鉄の扉を開く。
そこにあったのは、忘れようとしても忘れられない光景だった。
思わずひるんで足を踏み入れられない氷室だったが、ヴェルヌは気にすることなく中へと入っていく。
「どうした小僧。怖じ気付いたのか」
氷室の心を見透かすような、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「……くそっ。うるせえな」
氷室も遅れて後を追いかけた。
中は記憶のままだった。
違う点があるとすれば、召喚師である神官長の死体がなくなっていたことだ。
「今頃は埋葬されているだろう。魔王派の奴らは転生を信じている。魔王に仕えた神官長は死後転生し、再び魔王の側近として生を得ると思っているのだ。だから火葬などにすることもなく、元の姿のまま教会へと運ばれる。体を失っては転生できないからな。もちろんそんなのは迷信だが」
皮肉混じりの言葉を、ヴェルヌは楽しげにつぶやいた。
「魔王とか、転生とか、本当にあるのか……」
「異世界転移してきた本人がなにを言っている。魔王も女神も転移も転生も、この世界には何でもある。小僧にひとつだけアドバイスするなら、貴様の世界の常識は忘れることだ。常識ではなく理屈を信じろ。できるかもしれない、と少しでも思えたのなら、この世界ではできてしまう」
「どういう意味だよそれは」
「では問題を出そう。貴様がとある男を殺したとする。しかし次の日、その男は生きていた。なぜだかわかるか?」
「……は? そんな意味分からない状況、わかるわけないだろ」
「なぜだ。簡単なことだろう。殺したはずの男が生きていたのなら、答えはひとつしかない。生き返ったんだよ」
「なっ……! そんなの……」
「ありえない、か? だがそれは小僧の世界の常識だ。この世界ではあり得る。常識ではなく論理だけを追って考えろ。この世界で信じられるのはそれしかない」
氷室は押し黙った。
ペテンにかけられた気がする一方で、ヴェルヌの言葉は限りなく真実な気もしていた。
この世界には魔法もスキルもある。
出来る、といわれてしまったら氷室にはそれを信じるしかないのだ。
ヴェルヌが声に出さない笑みを浮かべながら、床に描かれた魔法陣に手をふれる。
「やはり強制召喚の魔法陣だな。魔力紋も神官長のもので間違いない」
「……その魔力紋っていうのはいったい何なんだ」
「この世界には二つの能力がある。それが魔法とスキルだ。そのうち魔法とは、世界に満ちる魔力を使用することによって行使される。その際に空間に魔力の跡が残るのだ。それが魔力紋。それは使用者によって違うため、誰が魔法を使ったのか特定する材料になる」
「指紋みたいなものか」
「そうだな。この世界では意味のないものだが」
「そうなのか?」
「姿を変える魔法は何度こそ高いが珍しくはない。指先だけを他人に変える程度なら、修行すれば誰でもできる」
「マジかよ……。異世界ってのはやっかいだな」
「だからこそ魔力紋は重要だ。使用する魔法によって残留時間は異なるが、だいたい半日程度で消えてしまう」
「だからなるべく早くここにくる必要があったってわけか」
「そうだ。そして魔力紋は神官長のものしか感じられない。ここで魔法を使用したのは神官長だけだな」
そのことを氷室は自分の中で反芻した。
ここに来たとき、部屋には鍵がかかっていた。
中にいたのは自分と神官長だけ。
そして自分を召喚したのは神官長で間違いないという。
ということは、つまり……。
「俺が召喚される直前まで神官長は生きていた……?」
ヴェルヌが笑みを深めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます