神官長殺人事件2
『やっぱり、ここは日本じゃないのか……?』
『それを知るには小僧の答えが必要だ』
『だが、俺もどうやってきたのかはわからなくて……気がついたらここに……』
『それで良い。見たものを最初からすべて話せ』
そういわれて、氷室はついさっきのはずのことを思い浮かべた。
『最初は、いつものように普通に歩いていたんだ。そしたら突然目の前が真っ白に光って、次の瞬間にはあの部屋にいた』
『あの部屋とは?』
『わからない……。暗くて狭い部屋で、床には魔法陣があって……そして……』
そこから先を思い出そうとして、氷室は思わず吐き気を覚えた。
暗闇の中でもわかる真っ赤な血だまりと、むせかえるような血の臭いが記憶の中にこびりついている。
『……男が一人、死んでた……。床一面に真っ赤な血が溢れてて……』
ぼそぼそと語る氷室の言葉を、ヴェルヌは興味深そうに聞いていた。
『なるほどなるほど。一応聞くが、死体の様子はどうだった? 誰かに殺されたような形跡はなかったか?』
『いや……そんな余裕はなくて、確認してない……。すぐにあいつ等が入ってきて俺も逃げ出したし……』
『そうか、わかった。では最後の質問だ』
ヴェルヌが口元を妖しく歪める。
『女神には会ったか?』
質問の意図が分からずに氷室は困惑した。
『……どういう意味だ? たぶん会ってないと思うけど……』
答えた瞬間、ヴェルヌが弾かれたように笑い出した。
『あはははははははっ!! そうか、会ってないか! やはりそういうことか! こいつは面白いことになってきたな!!』
お腹を抱えて大笑いしている。
突然の奇行に氷室は理解が追いつかず、ベッドの上で笑い転げるヴェルヌを見つめていることしかできなかった。
やがて笑いやんだヴェルヌが、目尻に浮かんだ涙を拭う。
『ああ、すまない。あまりにもおかしすぎてな。いやはやまったく、長生きはするものだな。
そうそう。一応念のために聞いておくが、その死んでいたという男は小僧が殺したわけではないんだろ?』
『違う! 殺したのは本当に【俺じゃない】んだ!』
叫んだ瞬間、氷室は自分の言葉に違和感を覚えた。
声の一部分が妙に耳にこびりついて離れない。
自分の言葉なのに自分の言葉ではないような、不思議な感覚だった。
『クックック。小僧はとことん我を楽しませるな。今のはお前のスキルだ』
『スキル……? 今のが……?』
『この世界で生きる者は皆一人ひとつの固有の能力を持つ。それは異世界から来た者でも変わらない。来た瞬間にスキルを習得する』
いきなりの話だったが、氷室はそれをすんなりと受け入れることができた。
確かに不思議な感覚ではあったが、自分の中から沸いてきたという実感がある。
『とはいえさすがに急すぎるか。ひとつずつ説明してやろう。……いや、その前に』
ヴェルヌがなにかを言い掛けて言葉を止める。
同時に外から複数の足音が聞こえてきた。
足音は明らかにこの家を目指していた。
『やばっ! まさかバレたのか……!?』
部屋の中に調度品は多かったが、隠れられそうな場所はない。
『今見つかるのは得策ではないな。小僧こちらに来い』
ヴェルヌの態度はどうにも胡散臭くて信用できなかったが、時間がないのも確かだ。
結局はヴェルヌの言うとおりそばに近寄る。
細い腕が氷室の体を抱き寄せた。
『しばらくここに隠れていろ』
『──……っ!?』
豊満な体に押しつけると、そのままベッドの中に潜り込む。
ほぼ同時にドアを開く音がした。
「ヴェルヌ様! 大声が聞こえましたが、いかがされましたか?」
「ただの思い出し笑いだ。気にするな」
「そうですか。了解しました」
生真面目な声が響くが、そのやりとりを氷室はほとんど聞いていなかった。
なにしろ絶世の美女と抱き合いながら布団の中に潜り込んでいるのだ。
健全な男子高校生としては意識するなという方が無理なシチュエーションに、頭の中はパニックに陥っていた。
「クックック。小僧を弄ぶのも悪くないな」
「ヴェルヌ様……?」
「ああ、気にするな。こちらの話だ」
「そうですか。ところでこの辺りで怪しい服を着た少年を見ませんでしたか?」
「心当たりはないな。その少年というのは何者だ」
「正体は判明していませんが、神官長を殺害した容疑かかけられています。魔力紋もないことからまだ付近に潜伏している可能性が高いかと」
「それで騒々しかったわけか。少年の件はわかった。見かけたら捕らえておこう」
「お手を煩わせて申し訳ありません。では失礼します」
生真面目な声を残して扉の閉まる音が聞こえる。
氷室はほっと息を吐いた。
会話の内容はわからなかったが、ひとまず助かったらしいことだけは理解できる。
もう隠れている必要はないはずだ。
なのだが、なぜかヴェルヌは抱きしめた腕を放さなかった。
『お、おい。もういいだろ』
『なんだ小僧、我のような美人に抱かれるのは不満か?』
『──……っ!』
いきなり言われて氷室は自分の体が熱くなるのを自覚した。
『いい反応だな。さては童貞か』
『う、うるせーな! いきなり抱きつかれたら誰だってびっくりするだろ!』
振り払うようにベッドから飛び降りる。
ヴェルヌの腕は思ったよりもあっさりと氷室を解放した。
『ククク……。どうした小僧、ずいぶん慌てているではないか。年上が好みなのか?』
『どうでもいいだろそんなことは』
照れを隠すように言い捨てたが、ヴェルヌは薄い笑みを浮かべたままだった。
『まあ小僧の性経験については今はいいだろう。それよりも別のことだ』
ヴェルヌはベッドから降りると、本棚へと向かった。
『実をいうと小僧のような者は少なくない。さし当たってまずはこれを読め』
一冊の本を放り投げる。
慌ててキャッチした氷室は、本の表紙に目を通した。
『よくわかる異世界生活~日本編~』
『なんだよこれ……』
『結論からいおう。小僧は日本と呼ばれる世界から、我らの世界へ転移してきたのだ』
『……ッ!』
いきなり告げられた衝撃の事実に、氷室は言葉が出なかった。
何となくそんな気はしていた。
これはいわゆる、異世界転移というやつではないのかと。
それでも、もしかしたら、という思いは頭の隅に残っていたのだ。
もしかしたら違うかもしれない、もしかしたら夢かもしれない、もしかしたら……。
『異世界からこの世界に来る方法は三つある。転生と転移だ』
『二つじゃねえか……』
かろうじて口にした声はかすれていた。
『まあ最後まで聞け。
転生は文字通り死んでこの世界に生まれ変わることだ。だが転移には二種類あってな。女神による選別と、魔法による強制召喚の二種類がある。そして小僧は女神には会っていないのだろう?』
『ああ、その女神ってのがなにかはわからないけど、誰かに会ったりしたことはなかった……。本当に気がついたら突然だったからな……』
『なら間違いない。魔法による強制召喚だ』
その不穏な響きに、氷室は胃が捻れるような痛みを感じた。
『……。なあ、ひとつ聞いていいか』
自分の言葉が震えるのを自覚する。
これからたずねることは自分の人生を左右するくらい重大なことだ。
そして、先ほどから心臓が破れそうなくらい嫌な予感がしている。
聞くのが怖い。しかし聞かなければ何も始まらない。
恐怖で言葉を続けられない氷室に変わって、ヴェルヌが穏やかとすらいえる口調で伝えた。
『どうせその本に書いてあることだ。だから教えてやろう。
小僧はこう聞きたいのだろう。日本に帰る方法はあるのかと。そして答えはノーだ。強制召喚された者を元の世界に送り返す方法はない』
その予感はあった。なのに、氷室は自分の視界が真っ黒に落ちていくのを感じた。
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