6章 君は街に帰るけど

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 急がないと……

 わたしは旧館から脱出し、警察に見つからないように周囲に気を配りながら、大通りへ転がり出た。

 バレたのか……?

 わたしが、誰なのか……

 あれだけわたしを捕まえることに拘った茅島ふくみが、あの廃墟から仲間の助けで逃げ出すなんて、何かがおかしい。そんなの、あの女らしくない。精密女とかいう奴がやってきた際に、何かを吹き込んだのだろうか。

 茅島ふくみが、わたしを諦めて逃げるなんて……?

 その文章が、頭の中で、どうしても繋がらなかった。

 不味い。絶対に不味い。逃げるなんて選択肢、あの女にはない。加賀谷彩佳を優先的に逃しような女だ。逃げようと思えば、一緒に逃げられたはずだ。そうしないだろうとわたしは算段していたのに、完全に外れた。

 きっと、わたしが犯人だという確証を得て、わたしの自宅で待ち伏せているに決まっていた。

 呼吸を乱しながら、満員の電車に乗った。駅のトイレで確認したけど、幸い服はそんなに汚れていないが、念のため爆弾と一緒に鞄へ詰めておいた着替えと取り替えた。

 そのまま、本当に家に帰るべきか……?

 茅島ふくみに張られているかも知れないのに。

 なにか対策をするべきか……?

 いや、家なんて放って、このまま電車で遠いところへ逃げれば良いんじゃないか。

 だけど、お姉ちゃんを放って置くわけにもいかなかった。おねえちゃんがいないところで生活するなんて、わたしには考えられない状況だった。想像しただけで、不安で涙が出そうだった。

 それに、自宅にはまだ切り札も設置してある。

 正真正銘、最後の……。

 自宅へたどり着く。階段をゆっくり上がる。一歩一歩、あの女に監視されているような感覚が拭いきれない。荷物が重い。捨ててしまおうかとも思ったが、それも出来なかった。

 何もありませんように……

 この生活が、茅島ふくみに脅かされませんように……

 それだけを祈りながら足を持ち上げた。エレベーターは、使う気になれなかった。心の準備期間というものが、わたしには必要だったからだ。

 自宅の前。見慣れたはずの、無機質なドア。

 誰も居ない。誰も居ないことに、煙草を一本吸うような安心を覚えた。

 だけど、窓を見る。

 割れていた。

 なんて女だ。不法侵入で訴えてやろうかとも思った。

 緊張。初めて人を殺した時の緊張なんて、今に比べれば大した質ではない。

 鍵を開けて、中に入る。

 そうしたら真っ先にお姉ちゃんの様子を確認して――

「こんにちは。いいえ、こんばんは? それともおはようがいいかしら? 妙な時間に帰ってくるんですね」

 そこには、悪魔がいた。

 わたしが、必死で殺そうとした女。わたしから逃げた女。

 茅島ふくみが、眠っているお姉ちゃんの隣で、わたしを待っていた。

 加賀谷彩佳の姿はない。何処へ行った。父親の部屋か……?

「何の用? 勝手に入って、警察に言うよ」

 わたしは、強い口調で彼女に呪詛を投げた。

 彼女は、意に介さなかった。

「警察を呼ばれると不味いのは、あなたでしょう?」

「なんで? わたし、何もしてないよ。わたしを何だと思ってるの?」

「爆弾魔」

 ……。

「図星ですか?」

「何言ってんのよ。証拠なんてないでしょう」

「ええ、証拠は希薄。だけど私の当て推量を聞いてくれますか?」

 茅島ふくみは、眠っているお姉ちゃんを見下ろした。

 いつもと同じように、なんて安らかな寝顔なんだろう。

「やめて。ここでは、お姉ちゃんに迷惑よ。部屋を移しましょう」

「駄目ですよ。あなたの……お姉ちゃんにも聞いてもらわないと。ねえ、彩佳」

 彼女が、友だちの名前を呼ぶと、私の後ろからその女が現れた。

 地味で、暗い女だ。近くで見ると、ますますそう思う。手には護身用なのか、どこで拾ったのかわからない鉄パイプを持っていた。

「……あなた、だったんですか……」

 加賀谷彩佳は、わたしの顔を眺めると、失望を流すように呟いた。

「なによ、勝手に決めつけないで! わたしが犯人だって証拠があるなら出しなさいよ! ないんでしょ!」

「では、私の話をよく聞いてくださいね」

 茅島ふくみは、お姉ちゃんの隣から動かない。

「変なことをしたら、このお姉ちゃんがどうなるか、わかってますよね?」

「卑怯だよ……! 脅迫って言うんだよそれ!」

「脅迫で結構。あなたに言われたくないんですが」

 ふふふ、と茅島ふくみは、お姉ちゃんを撫でた。

 やめろ。その手で触るな……

「では、何処から話しましょうか。最初の事件? ガソリンスタンド? いえ、最初にあなたが尻尾を出し始めたのは、私を襲ったときですね。ホテルを爆破した事件です。私が夕食を摂っている時に、邪魔をしてくれましたね。あの事件での重要な因子は以下のとおりです。閃光弾を炊いたことと、あのホテルにいたこと。閃光弾を炊いたという事実は、私の機能のことを知っている、という境界条件に繋がります」

「…………」

「そして次は、スーパー爆破事件。ここでは彩佳が事件に巻き込まれました。容疑者は、五十田さん、田久さん、土堀さん。得られた因子は、時間どおりに爆発しなかった爆弾、言い争っていた人物。そして土堀さんが機能を使っていたと証言していること。ここで判明するのが、いままで時限式だろうと思われていた爆弾が、どうもそうではないという事実」

「…………だから?」

「話は最後まで黙って聞いてください。次に情報屋で得られた事柄。犯人は機械化能力に精通しており、メンテナンスが自分で行えること。家族ないしそれに類する存在がおり早く帰らないといけないこと。爆弾の知識や仕入れ方組み方の情報を情報屋から仕入れていること。つまり情報屋を利用した過去のある人物が、群を抜いて怪しくなるわけですが、これはあとで考えましょう。次です」

 つらつらと、頭でずっと考えていたのかもしれない文章を、淀みもなく口にする女。

「ホームレスから得られた情報。メンテナンスに誘う怪しい人物。その噂。行方不明になっているホームレス。代替品の腕。そして私達を襲った、爆弾を括り付けられたホームレス」

「それが、何の関係があるの」

「今にわかります。次は警察署ですか。土堀さんに関しての情報ですが、久喜宮刑事からのタレコミだったか忘れましたが、彼女は外部メンテナンスに出した履歴もありますし、故にメンテナンスの知識はない。まあ嘘をついている可能性もありますが、今は保留にしましょう。他の三人は、アリバイすら成立していない。五十田さんは買い物行っていて、田久さんは家に居た。下方さんは休憩中だった。そして最後に……」

 茅島ふくみは、わたしを憎むように睨みつけた。

「彩佳を襲う理由。彼女の情報。被害者、行方不明者共に機械化能力者。そしてそのパーツが現場から無くなっていること。無くなったパーツを集めると、ほぼ人間一人分になること。耳以外は」

 自分の耳を指差す女。

「続きを話していいですか?」

「勝手にして……」

「まず除外すべきは、土堀さん。彼女はホテル爆破事件の時、トイレに隠れていました。のちの本人の証言によると、怪しい電波を見たから張り込んでいた、そのおかげで爆破も予見できた。まあこの真偽は後に考えるとして、私という人物への知識の有無を考えると、同じ大学の生徒でしたから、知っている可能性は十分ありますし、情報屋も日常的に利用しています。ですけどさきほど言ったように、メンテナンスの知識がないし、そもそも犯人の機能と彼女の機能はまったく異質のものです。この機能、電波妨害なんですけど、彼女の証言と照らし合わせると、しっくりくる場面が存在します。それがスーパー。爆破時刻がズレていたこと。なんで時間を厳守していた犯人が、その時だけは時間を守らなかったのか。それは、時間どおりに爆破できなかったからに他なりませんね。つまり、土堀さんの機能がその原因です。まあここまで考えてあげなくても、彼女は眼の前で犯人に襲われていることから、犯人説としてはあんまり現実的ではないんですけど」

「……あらそう」

「残るは三人。次は田久さん。ホテルの時にはいませんでしたが、あの騒ぎの中では紛れることも簡単でしょう。スーパーでは容疑者として挙げられていますし、その理由も、爆発を予見しているような行動をとっていたからでした。彼女を除外するには、私のことを知っているかどうかが鍵になります。彼女は私とはなんの接点もありませんでしたが、彼女の実家の辺りで事件が起きました。二週間前です。私はその時機能を大々的に使ったんですけど、これで私のことを知ったのだと私は思っていました。まあこれは、間違いだったんですけど」

「……どうして」

「田久さんの夫から聞きました。あの時期、彼女は実家ではない場所へ旅行に出かけていましてね。私のことを知る由もないんですよ。ニュースでは、私のことは報道されていませんし、情報屋を使った形跡もありません。夫のことを興信所に頼んでいたくらいですが、私との接点は、ほぼない。姉が私と同じ大学だったようですが、在学時期がまるで違います。機械化に対する偏見を持っており、詳しいようには見えない。情報屋が言うように、家族が家にいるわけでもない。直接自宅に上げてもらいましたが、何もなかった。夫が出ていき、姉が死に、彼女の時間は止まったのかも知れません。以上のことから、彼女は除外しましょう」

「嘘をついてたらどうするの」

「あとで、確認しに行きますか。彼女の胸に耳を当てながら心音を聞けば、さすがに私の機能なら嘘かどうかわかると思いますけど」

「そんな程度で……」

「第一、動機がないんですよ。これは後で説明しますよ」

「動機って……わたしにだって、そんなもの」

「黙って。残る容疑者は二人。あなたか、それ以外か。でもね、ここは難しいんです。具体的な物的証拠がありませんから、私の想像力で補うしかないんですけど」

「そんなことで犯人にされちゃ、冤罪なんか減らないわよ」

「方やホテルのみ。方やスーパーのみ。両方の現場にいたという目撃証言はありません。だけど二人とも、私のことをよく知っているんです。むしろ、人よりも詳しいくらいですね。そして人間工学専攻の生徒と、それを教える教員。メンテナンスの知識はあるでしょう。ですが、家族がいる人物は片方だけ。下方奈々絵さんです。家族とは不仲で家に帰っていなかったんですが、それでも下方奈々絵には家族に類する人物はいます。刑事さんの妹ですね。さあ、俄然怪しくなってきましたよ」

「…………」

「ですけど、待ってください。下方奈々絵がパーツを持ち帰る理由って何なんでしょうね。つまり、動機です。下方奈々絵に動機なんてあるんでしょうか。私には、思いつきませんでした。調査不足? いいえ、これはないものと考えましょう。別にホテルを爆破して仕事の鬱憤を晴らそうって言うなら、パーツを持ち帰る必要もありませんから。下方奈々絵の自室に転がっていたパーツのガラクタの山は、学生時代授業で使用したものでしょう。あれで人を組むのは、少し無理があります。パーツが、壊れすぎているので」

「……残った一人はどうなるの?」

「ええ、では説明しますね。五十田沙也華さん」

 そして、わたしの名前を、気安く呼ぶ茅島ふくみ。

 加賀谷彩佳を見ると、怯えるように鉄パイプを構えていた。

「あなたの問題は、家族がいないことが最大のネックでした。情報屋からの情報を信用すること自体を疑ったりもしました。が、私の耳はきちんと捉えていました。あなたには家族がいるって。どこかで恋人でもいるんじゃないかなって思っていましたが、なんだ、こんな所にいたんですか、ご家族が」

「……触るな」

「あら、そう……」

 ――茅島は、お姉ちゃんを脚で蹴り飛ばした。

 や、

 やめろ

「何するんだ!」

 わたしは、ベッドから落ち、床に倒れ込んだお姉ちゃんに駆け寄った、

「大丈夫!? お姉ちゃん!?」

「痛……なに、この人……?」

 お姉ちゃんは、怪我がなかったみたいで、いつものように喋った。

 許さない。

 お前だけは許さないから――

「怖いですね。まだ目が醒めないんですか、五十田先生」

 けらけら笑う茅島ふくみ。

「そうですね。あなたには家族がいました。あとは……ホテル爆破事件ですか。あれは簡単なんですよ。あの場に居て爆破させたんじゃない。隣のビルから、私を見ていた。それだけなんです。予め、ホームレスを一人使って、私に近づくように仕向けました。手順通りに行けば、閃光弾が炊かれ、私が怯み、ホームレスごと爆死させる予定でした」

「――」

「その際のパーツ回収は、そこの」

 茅島は指をさす。棚の上。

「ドローンを使う予定でした。実際は、スーパー爆破の時などに使用されましたね。それほど大きなパーツではないし、この備え付けのアームでも十分でしょう。現場にはマスコミや野次馬のドローンが飛び交っていますから、闇夜と煙に紛れればそれほど目立つわけじゃない」

「でも茅島さん、爆破地点は、人体のあとも残らなかったって」

「ええ。『人体は』残らなかった。骨も歯も、粉々になったか、あるいはどこかへ吹き飛んだ。だけどパーツは耐熱性。人間の肉や骨よりも遥かに頑丈。爆発くらいなら十分耐えられるわ。精密女の腕を見たでしょう? 爆弾という手法を選んだことも、そもそもはそれが理由。ターゲットからパーツを抜き取るのに、最善の方法だったから。この何も残らなかったことが、捜査の難航を招いたと考えると、解せない気持ちなんですけど。ホームレスに爆弾を搭載していたなんて、そんなの全部吹き飛ばしてしまえば、わかりっこありませんから。そして、なるべく自然に見えるように、爆弾を搭載した箇所にも気を使ってあります。代替品の腕です。これは、中身がほとんど空洞になっていて、動かすことも出来ませんが、外から見てもひと目では判別がつかない。あなたはこの方法で、パーツを集めていった」

「そんなの……パーツなんか集めてどうするんだよ」

「そこが動機の部分です」茅島ふくみが、指を立てる。「下方さんには、動機は見当たりません。そもそも人間一人を組み上げるパーツを用意する動機って、なんなんでしょう。普通に考えれば、人間を作りたい? それとも、代わりの身体がほしい? でもそれって何のためなのか、私には見当も付きませんでしたよ。容疑者三人は、そんな動機なんかないんですよ。ですけど、あなたは違う」

「どうして」

「あなたは、明確な動機があった。それがその……お姉ちゃんですよ」

 小汚い、すらりとした長い指で、わたしのお姉ちゃんを指すな。

 お姉ちゃんも、すっかり怯えた表情で、茅島ふくみを見ていた。

「あなたは、お姉ちゃんのために身体を用意したかったんじゃないですか」

「それは……」

「私がこの部屋で、あなた以外の存在に気づいたのは、二つの理由があります。あなたの趣味とは少し違う、一人分にしては多すぎる衣類と化粧品です。それは、この部屋に誰かもう一人いるということを示していましたが、どれだけ探してもいません。一体どこに隠していたのか、もしかするとあなたが極端に多趣味で、着飾る行為に多大な興味があってそれだけの装飾品が必要だったのかな、とも思ったんですが、なんだ、考えてみたら簡単なことです。そもそも誰かを隠してなんていなかった」

 わたし達を見下す彼女。

「そして、私を殺すのを急いだことも、はっきりとした理由があります。この引っ越しの準備のために纏められた荷物。あなたはこの期日までに、お姉ちゃんに身体を用意してあげたかったんですよね。だって、そのままでは動くことも動かすことも絶大な労力ですから。廃棄という結末に、自ずからなります」

 そして、茅島ふくみは、お姉ちゃんを指さした。

 ああ、やめて……

 わたしたちに興味を持たないで、

 そっとしておいて、

 お姉ちゃんを奪わないで。

 助けて、

「いい加減、言ってもいいですか?」

「やめろ……!」

「そのお姉ちゃん、」

「やめて!」



「――どこが人間なんですか?」



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