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「良いですか、彩佳さん。彼女の場所は正確にはわかりません」

 精密女が、沈黙している爆弾をくぐりながら言う。犯人の目がないところで爆発の心配は薄かったが、それでも心臓に悪い。

「ですが、彼女はあなたの呼びかけになら、答えてくれます。耳の機能を使っている以上、あなたの声は、どれだけ小さくても彼女であれば聞き取れます。三階に着いたら、まずは小声で呼びかけてください。何らかの合図をするように、と」

「……はい」

 階段を上がる。

 三階。私達が、窓から飛び降りた現場。

 また来てしまったのか、という徒労感を少し覚える。

 見渡すが、火が点いているところ意外は、暗くてよくわからない。

 私は、小声で、茅島さんに呼びかける。

「茅島さん……聞いていたら、何か合図をして、場所を教えてください……」

 でも、どうやって伝えてくれるのだろうか。

「ひょっとしたら、犯人に追い詰められていて、合図を出しづらいのかもよ」

 八頭司がそう言うと、精密女は指を鳴らした。金属の音がした。

「なるほど。じゃあ、私が犯人を惹きつけます。演算女は私のサポートを」

「え、大丈夫なの……?」

「爆弾なんて、腕で弾き返せばいいですから」

 消える二人。

 また一人になった。

 騒がしい。精密女が壁を殴っているらしい。

 その直後に、爆発音がする。廊下の奥……

 そっちへ行ったのか。私は反対方向に向かった。

 茅島さん……

 耳を澄ませる。彼女ほどの聴力はないけれど、なにか合図を送ってくれているとを信じて……

 そこで、微かに、耳を揺らす音波があることに気づいた。

 爆発の合間に、わずかに聞こえる。

 なんだ、擦るような音。

 コンクリート片を、床で削るような音。

 そんな音は、自然には発生しない。

 私はその方向に向かう。

 茅島さん……

 客室。

 覗き込む。

 そこには、

 壁に寄りかかって、コンクリートを削っている、女。

 こちらを向いて顔を上げる。

「茅島さん――」

「馬鹿! 馬鹿彩佳の馬鹿! 逃げなかったの!?」

 私の胸ぐらをつかんで、彼女は叫んだ。

 生きていた。生きていることが嬉しくて、何て伝えるのか忘れてしまった。

 それでも彼女の怒りは収まらなかった。

「なんで…………私の言うことが聞けないのよ……私は、あなたを救おうと思ったのに……なんで……」

「な……馬鹿なんて言葉、あなたに全部返しますよ」

 私は真っ直ぐに彼女を睨みながら、口を開く。

「死んで私を救えるなんて…………馬鹿ですよ、馬鹿の考えだってなんでわからないんですか。どう考えても、そんなわけないじゃないですか! 勝手に死ぬなんて、私が許しません!」

「じゃあ、どうしたら良いのよ! 精密女たちまで連れてきちゃって、全滅するしかないわ!」

「そう簡単に諦めないでください! あなたは、自分の命を軽んじてるんですよ! 死んで解決することなんて、何もないんですよ! なんとかします。なんとか、なります。死んだら、そんなことも考えられません」

「わかってるわ! だったらなんで戻ってきたのよ! 頭でもおかしくなったわけ! 私の苦労を、フイにするつもり!」

「そうじゃないんですよ!」

 大声を出すと、彼女が黙った。

「…………あなたに隠していることがあります」

「…………」

「私、死のうとしてました。あなたが現れるまで。ずっと自殺しようと思っていました。休学の本当の原因は、それです」

「…………知らないわよ」

「言ってませんから、当然です。死のうと思ったのは、茅島さんが記憶を失って、私の元から消えたから。あなたが居なくなって、胸から心臓が落ちたみたいな喪失感があって……これ以上生きてる意味なんかないんじゃないかって。大学のビルの屋上に行ったら、なんか……もう飛び降りるしかないんじゃないかなって。そこを先生に見つかって、引き止められて、辛いならと休学を勧められたんです」

「…………」

「そして、あの日、あなたが現れた日も、もう死んじゃおうかなって、朝からずっと考えてて……あの一週間は、ずっと薬の瓶を見ながら過ごしてました。風邪なんて、嘘です。あれは、大量に飲めば、死ぬような薬です。それで、泣くことも出来なくなってきて、もういいやってなったときに、あなたが、帰ってきたんですよ。あなたは……私に居場所をくれた人間……。あなたが居ないと、生きる意味なんて、私にはないんですよ。昔から、ずっと」

「……残念だけど、覚えてないわ。私は、昔の私じゃない」

「違うんです! 私はもう、あなたに救われているんです。過去じゃない、現在のあなたに。あなたが現れたから……ひとまず生きようと思って、こんなところまで来たんですよ。どう考えても死んだほうが楽じゃないですか!」

「……勝手よ。勝手に価値を決めつけてる。その価値っていうのは、過去の私に付随するものよ。それをあなたが、自分で増幅してるの……、決して私を見てるんじゃないの……」

「そうだよ! 過去のあなたを見ていたことは事実だよ! だけど、あなたは現れた、私は死のうとしていたんですけど、それでも引き止められた。こんなことですら悩むこともなかった……それすらも放棄するつもりだったんですよ! あなたが救ってくれたんだ! そのあと過去のことで悩むのは、生きることを選択した私の問題ですよ! でも、これから、そんなもの、塗り替えていけば良いんですよ……私が言える立場じゃないですけど、死んだら解決するなんて、私は思いません。少なくとも……私は、もう死ぬことを、やめます。その後の問題は、その時考えます。ですから、死ぬなんて言わないで……。今のあなたで、私を満たしてください。過去を忘れてしまえるくらいに。勝手に死なれるのは、私が許しません。私の命にかけても、あなたには生きていてもらいますから」

「…………」

「それに今日は……あなたの誕生日なんですよ」

 ――。

「そんなこと…………」

「今日があなたの誕生日だってことは、過去だろうがなんだろうが、変わりないじゃないですか。あなたに楽しんでもらいたかった、その気持ちは、確かに存在しました。過去を押し付ける気持ちもありました。でもあなたを、新しいあなたのことを、もっとよく知りたかった。それだけです」

「誰も……教えてくれなかったな、そんな普通の人間らしいこと……私にも……あったんだ、誕生日……どうして、一度も考えなかったんだろう…………」

 彼女は目を伏せた。

 何か打ちのめされたように、口を利かなくなった。

 そして、噛みしめるようにゆっくりと呟く。

 明らかに威勢がなくなっていた。

「私は……きっと、嫉妬していたのよ、過去の私に……。ええ。おそらくそう。だから、私……自分は、本当は必要じゃないのかと思っていた。世間が望むものは昔の優秀な私だし、あなたを苦しめる害悪だと思っていた。ずっと、会わなければよかったのかな、なんてことも考えていた。私の存在を肯定してくれるものは、任務で耳を使っている時の私くらいだもん。そしてあなたは、私の本当の友達じゃないって、何処かで感じていた……」

 と笑う。

「でも、そんなの、些細な悩みだったんだわ。私達は……今の私達は、そんなの関係なく、出会ってから数日を積み重ねてきた、友達だったんだ。過去の私なんて、関係ない。いえ、過去があったから、今のあなたとの関係が生まれたのね……。町で聞く噂も、チームや施設での評価も、数字や経歴で表されたデータも、私には実感が持てなかったけど、私を見てくれている人は、ずっと近くに居たのね……なんだ、なんでこんなことに気づかなかったんだろう……私って……子供よね…………生後二ヶ月しか経ってないから……?」

 私は彼女の手を取った。

 熱を感じた。

「これは私のわがままです。どうせなら、あなたと頑張って生きられる可能性に、私は賭けたい。一緒に行きませんか」

 手を引っ張って持ち上げようとしたけれど、逆に引っ張られる。

 気がつくと、私は彼女に抱きしめられていた。

 彼女の薄い身体に包まれた。

 鼓動すら感じて、私は狼狽えそうになったけど、そのまま身を任せた。

 そして、耳元で囁かれる。

 吐息に皮膚を、指先みたいに撫でられた。

「…………ごめんね、彩佳」

「……良いんですよ」

「私のことを、覚えていてくれて、ありがとう」

「…………はい」

「これから、今の私をあなたに教えていくから、ずっと一緒に居て……」

「はい……」

 そんな夢みたいなことを、彼女の口から聞いた気がした。



 立ち直った茅島さんに、医師からの情報を伝えると、なるほどね、と笑った。

「そうか。だからあいつ、あんなにしつこいわけね……」

「それで、どうします?」

「長居は無用ってことよ。これから場所を移すわ」

「何処へですか?」

「犯人の自宅よ」

 彼女の腕を掴みながら、速やかに廊下に出る。

 茅島ふくみは叫んだ。

「精密女! 美雪! 逃げるわ!」

 角部屋。私たちが落ちた場所。

「彩佳、また飛べる?」

 真下には草むら。さっき落ちたところ。

 両方共、手負いだった。

 それでも、と私達は手をつなぐ。

「あなたと一緒なら、大丈夫です」

「そう。じゃあ、ここから逃げるわよ」

 窓から身を乗り出して、飛んだ。

 落下していく。

 さっきの草むらに着地する。

 やっぱり痛い……

 本当は結構無理があるんじゃないだろうか。

「大丈夫?」

「平気です……」

 起き上がって、廃墟を見上げる。程なくして顔を見せた精密女たちも、私達に続いて飛び降りた。

「こんなに簡単に逃げられたんですね……」尻餅をつきながら、精密女は漏らした。「蝙蝠女、なんで死のうとしてたんですか」

「別に。ただの青春の一過性よ。車は?」

「あそこです」

「これから犯人の家に行きましょう」

「わかったの?」

 目を輝かせて、八頭司は尋ねた。

 その問いに、茅島さんは答えた。

「当たり前じゃない。私を誰だと思ってるのよ」



      ★3



 まさか、そんな、逃げられるなんて、どういうことだ……

 茅島ふくみが、ここで逃げるなんて、思いもしなかった。わたしを捕まえられるチャンス逃して、保身に走るような女だとは思えなかった。

 妙な乱入者もあって、何がなんだかわからない。

 まさか……

 バレたのか……?

 わたしの正体が……?

 急がないと……

 お姉ちゃんが危ない……!

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