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車に乗って、ホテルから離れた。
久喜宮には知らせた。だけど私は狙われている身だった。その場を離れるのが適切だと思った。
あの程度の高さだと、確かに大した痛みもない。骨も折れていないだろうが、
そんなことはどうでもよかった。死ねればよかったと一瞬本気で思った。
私は後部座席で寝ている。運転は八頭司がやっているが、免許は持っているんだっけ。オートドライブだから、別にそんなことは些細な問題だった。
途中『薬』と書かれた店に寄り、彼女は私のための包帯を買ってきた。それで足を処置したが、もはや興味がない。
そのまま何処へ向かうのかわからなくなって、八頭司も駐車場から動かなくなった。
思い出す。
私はついに言われてしまった。
一番言われたくなかったこと。
茅島ふくみの足手まといだとか、邪魔だとか、そういうことだけは言われたくなかった。
だって、ただ一緒に居たかっただけ。一緒に居ないと、心が押しつぶされそうだった。
彼女の言葉。私が昔の自分と比べている、と。確かにそうだった。そうだったからこそ何も言えない。それが、明確に私を不幸にしていると、彼女は気づいていた。
不幸に、なっていたのだろうか。
確かに、もう彼女なしでは、生きていくことが鉛を身体につけて歩くよりも辛かった。現に今がそうだ。
そういう物が積み重なると、破裂してしまうのだろうか。
私が心配だから、彼女はそういう選択をしたのか?
どっちにしろ、辛い。辛くて死んでしまいそう。
どうでもいいや。
もう、どうでもよかった。
息を止めて死のうとした。
「彩佳……大丈夫?」
茅島ふくみではない女が、私のことを気遣って話しかけた。
返事をする気力がなかった。
「何かいる? 飲み物とか」
飲み物……
なにか…………
押しつぶされる前になにかを……
「お酒…………」
「はあ? こんな時に?」
「ほっといてよ…………」
私を見下すような目をする八頭司。
「……そんなに悲しい?」
「…………」
「そんなに辛い?」
「…………辛い。死にたい。生かされたって、嬉しくない。もともと生にさほど執着なんてない……。茅島さんのいない生って、何の意味があるのか、よくわからない……」
「…………前から思ってたけど、どういう関係だったの、あんたたちって」
私は、思い出す限りざっと説明した。出会いから、顛末まで。楽しいことなんて何もなかった人生の、唯一の価値が、彼女と友人になれたこと。
「まあ、なんとなく医師から聞いたような気がするけど、なるほどね……」
八頭司は、窓の外を見ながら呟く。
「そんなに彩佳にとって、大事な人だったんだ。でもさ、ずっと頼って生きていくつもりだったの?」
「…………うるさい」
「彼女が記憶を失ってから、最近まで一人だったんでしょ? 一人でやっていこうとは思わなかったの?」
「うるさいな……わかってるんだよ…………そんな……いつまでも一緒にいられないことだって、心ではわかってた……でも、もうひとりに戻れないんだよ。私は……また、中途半端に、彼女の暖かさを知ったから……戻りたくないよ、あんな時代に……もうひとりでは生きていけないんだよ……」
「昔と今の彼女は、どこか違うんでしょ?」
「…………」
「それで、百パーセント満たせてたかな」
「……黙れ」
「それで彩佳が苦しむのを、ふくみは見たくなかったんじゃないの?」
「……黙ってよ」
「重いよね、あんたって」
「…………」
「ここは安全みたいだし、落ち着くまでじっとしよう?」
辛い。
しばらくボーッとしていたが、それもだんだんと限界になってきた。
心の隙間を、孤独感は突いてくる。
「茅島さんのところに戻って」
八頭司はため息を吐いた。
「あのね、そんな怪我で動き回られても迷惑だって言われたじゃん?」
「どうでもいい…………一人で死ぬくらいなら……茅島さんの近くで死にたい……」
「向こうは望んでないよ。あんたを生かしたかったんだから」
「だって…………もう会えないんでしょ…………だったら、一緒に死ぬほうが良い……茅島さんは、いつも勝手なんだよ……勝手に記憶を失って、私の前から消えたんだ……一人になりたくないって言ってるのに……なんで勝手になんでも決めるんだよ……」
「今は一人じゃないよ」
「…………」
「私がいるじゃん」
「…………そう」
「だから、落ち着いて、お願い」
■1
茅島ふくみはひとしきり壁を殴った。それで気分が落ち着けばいいと思っていた。
けれど、一向に気は晴れない。
加賀谷彩佳のことが、ずっと心配だった。あんな言葉を使ってでも、彼女を生かしたかった。私とは、関わらないほうが良い、と常々感じていた思いを彼女に発露した。
でも、この気持ちは何?
死んでしまうことを恐れているのではない。
もとより自分の命で事件が終わるというのなら、何のためらいもなく命は捨てる。
加賀谷彩佳。あれだけ突っぱねても、私に着いてきたがっていた彼女。迷惑だ邪魔だとはっきり言ってしまった。もっとやんわりと処理するつもりだったのに。
彼女の私への、私に過去の私を見ているだけの行為。なんだろう。差し出された餌に毒が仕込んであったような気分になった。
彼女は私と一緒に居ないほうが良いんだ。ずっとそう信じていたし、今も疑っていないはずなのに、彼女の悲しい顔を前にすると、本当はそれが間違いなのではないかという気持ちを感じ始めていた。
そんなはずはない。彼女は、茅島ふくみのことで苦しんでいた。それは、茅島ふくみの耳がよく知っている。
これで、彼女への呪縛が、無理矢理にでも解き放たれればよかった。過去の私からと、今の私から。私という概念から、彼女が開放されればいい。それが最良。
間違っているはずがない。
人は、一人では、誰かへの強い思いなんて言うのは、どうにもできないもの。
でもちょっと強引すぎたかな。
茅島ふくみは、そこで後ろを振り返る。
ここは未だに地獄。
彼女は、地獄を選んだ。
その選択が、加賀谷彩佳の未来を救うというのなら、それでいい。
まあ、だけど、
「やるだけやってみるのも、悪いことではないでしょう、彩佳」
むざむざ死ぬつもりがないのは本当だった。勝算が微塵もない事も本当。ただ爆弾を察知できると言うだけの機能と、ただ護身術が使えるというだけの身体能力では、この狂った爆弾魔を止めるなんて出来ない。パワーや練度と言ったものがそもそも違う。
それでも万に一つ。生き残ることが出来たなら、彩佳は喜んでくれるかな。
なんて、生きているだけで彼女を苦しめる、茅島ふくみ自身がそう思っても、まったく意味がないことだったが。
彼女は部屋を飛び出す。同時に、足元に転がる爆弾。
爆風を、飛び込んで避ける。地面に腕を打って傷んだ。
まだ大丈夫。耳の機能は、完全には壊れていない。
耳鳴りが酷いけれど、爆弾の場所や、投擲されるものを探知するくらいなら、造作もなかった。
勝てもしないが、負けることも簡単にはさせない。
せめて、なるべく爆弾を使い切らせれば、装備が貧弱な警察にも勝ち目がある。彼女はそれを目指す。相手の負傷、それも可能であれば。
立ち上がって走った。裏から回ろうか。
いや、待ち伏せよう。茅島ふくみの探知能力なら、かすかな足音でさえも、見逃さない。この戦略が、彼女にとってそれが最良だと言えた。
廊下を曲がって、客室に入る。
コンクリート片を片手に持って、しゃがんだ。
近くに来た瞬間に、これを投げつければいい。場所なら、彼女の耳が何よりも正確に指し示してくれる。
息を止めた。耳を澄ませる。
耳鳴りだけが聞こえる。集中していくと、それすらも気にならなくなる。
外の音すら探知できる。
喧騒。会話。その内容。
彩佳は、逃げられたかしら。
気になる。今は、忘れないと。
足音。これだ。
この足音を、拾っていく。
一歩ずつ近くに。
瓦礫を砕きながら、近づく。
ある程度のところで、止まる。
どうした、来ればいい。
私のことを、殺したいのでしょ。
なにか、衣擦れが聞こえる。
ガサガサ、
爆弾?
投げられても、すぐに飛べばいい。
けれど様子が違う。
もっと、違うものを取り出した。
なんだ?
神経を集中させる。
そして、その何かが投げ込まれ――
軽い。
これは……
気づいた時には遅かった。
故障した耳が命取りになった。
これは、閃光弾。
最初に、茅島ふくみの耳を壊そうとした、手榴弾。
高い音。
強烈な光。
彼女はひるんで倒れ込んだ。
やばい。起き上がらないと。
頭がくらくらする。
天と地がひっくり返ったような感覚。
足を出す、
痛み。
どうして……
そのまま、何も見えないし、聞こえないまま、彼女は走った。
目はすぐに慣れた。
角の部屋。そこに逃げ込む。
まだあんなものを持っていたなんて……
痛んだ足を確認した。火傷を負い、血が流れている。
まるで、彩佳と同じだ。
はは、なんでこんなところで、あなたと一緒の怪我を負わないといけないのかな。
壁にもたれて、彼女はため息を吐いた。
もうだめかな。
保留していたその言葉を、そこでようやく鵜呑みにした。
この人間らしさのなかった借り物の二ヶ月の人生に、意味はあったのかと考えながら。
★2
さすがは茅島ふくみだ。
油断していても、閃光弾を浴びようと、わたしに屈することはなかった。
でも、次出てきたときが最後。
その瞬間を、爆弾を投げて狙う。この部屋から、廊下は一方向にしか延びていない。
予想以上にしぶとかった女とも、もうお別れ。
長かった。月日を反芻した。
過去を振り返る趣味はなかった。
未来だ。未来の話をしよう。
おねえちゃんとの未来を。
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