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階下に降りた途端に、さらに熱風が激しくなった。
地面が爆破され、崩れかかった足場がおぼつかない。危ないと思って身体を引っ張って逃げようとすれば、すかさず爆弾を投げ込まれた。
茅島さんも何かを投げて対抗したが、精密女でもない。さほどの精度も威力もない。
ただ、隠れるしか。
隠れて、相手の出方を見て、その隙を突くしかなかった。
突けるともわからない隙を。
すこし壊れかけた耳を持つ茅島さんと、この状況下では全く役に立たない八頭司。そして何の有用性ももたない私。
不可能。頭はそんな算段をはじき出した。
おとなしく逃げて、警察に頼るほうが賢い。私は思わず口にしたくなった。
それでも冷静に、彼女は状況を分析していた。
「壁を超えては起爆してこないわ。慎重になっているのかしら。見えている範囲でしか起爆しないみたい」
「じゃあ、隠れてたら、安全じゃない? そうしようよ!」
怖いのか、八頭司が焦りながら言う。
「馬鹿ね。こんななにもないところじゃ、何処にも身を隠せないわ。今だって、こっちの様子を窺われてる。顔を見せただけで爆弾が飛んでくるでしょうね。いえ、今に投げ込まれるわ。退路は?」
「……そこと、そっちから逃げられるけど、状況は変わらないよ。追い詰めてるの、これって」
「どちらかと言えば、追い詰められてるわね」
「勝算は……?」
「そうね……爆弾を投げてきたら蹴り返してみる? でも土堀さんがいないと、それも確実じゃないわ」
「現実的じゃないよ、それ」
「……来たわ。足音が聞こえる」
と急に告げる茅島さん。
立ち上がって、
「そっちに逃げて!」
私は、言われた方向に飛んだ。
爆風が身体を切る。
熱い。
距離があったが、こんなに熱いのか。
とにかく走った。茅島さんと八頭司の後を追って、廊下を真っ直ぐに走った。
通り過ぎた時に、後ろの地面が爆発がした。
転びそうになりながら、壁に手をついて身体を保った。
クソ……。
力を入れて、脚を踏み出そうとした。
急に、なぜだろう、
私は立っているのが、辛くなって床に伏した。
あれ。
足が動かない。
「彩佳……!」
茅島さんに駆け寄られる。
自分でもわからない。
神経を巡らせた。
痛い。足が痛い。疲労だろうか。その可能性が高い。
触ってみると、痛みが走る。怪我だ。私はふくらはぎから血を流していた。衣類が焼けて、穴が空いていた。
ああ、やってしまった……
私は、
「私が運ぶ、ふくみは先導して!」
八頭司に背負われて、私達は、廊下の角の部屋に逃げ込んだ。
窓がある。
退廃的な雰囲気すら感じる空間。
床に寝かせられた。
痛みは引かない。当たり前だ。どんどん酷くなる。
血と一緒に、取り返しの付かないことをした時の気分が生み出されていった。
「……どうしよう、ふくみ」
茅島さんは何も言わずに、窓から首を出して、下を見下ろしていた。月明かりに照らされた彼女の顔が、ぼうっと浮かんだ。
八頭司が返事を待っていると、茅島さんは私に話しかける。
「彩佳……痛い?」
「はい……でも、これくらいなら……」
「ここから見下ろしたところにね、車があるの。私達の」
そう言えば、隣のビルの前に停めたっけ。
そんなことは、どうでもいいのに、なんでそんな事を口にするのだろう。
「彩佳……この高さなら、死なないわ。近くに、草むらもある。そこへ落ちれば、助かると思う」
「逃げるんですか……、それが良いですね、こんな状態じゃ、不利ですから……」
「私は行かないわ」
「え……」
「私は、ここに残って犯人を捕まえるか、もしくは殺されて事件を終わらせる。あなたは、美雪と一緒にここから逃げて、警察にでも中の様子を伝えて。ここまでくれば彼らでも対抗できるでしょう」
「何言ってるんですか……言っている意味がわかりませんよ」
彼女は、私を見た。悲しそうな目だった。
「あなたになにかあったら……申し訳が立たないのよ。もし死んじゃったら、私は、どう償ったら良いのよ」
「誰にですか。誰に申し訳が立たないんですか……」
身体を起こして、まっすぐ彼女を睨んだ。
言われたくないことを、彼女の口から一番言われたくないことを、言われてしまいそうで。
「昔の私よ」
――。
「そんなの……」
「彩佳は、私の中に、昔の私を見てるのよ。私達が友達なのって……単に昔の私という繋がりでしかないのよ」
「…………」
「でも……それを、その他人の友人を……傷つけたくないの。私には、そんな資格がないから。そもそもね、あなたに期待されたくないの。だって私は、その人じゃない。他人だもの。記憶を失ってから、ずっと知らない人間を植え付けられていくのが、私は……腑に落ちなかったの。みんなが私を持ち上げるのが、昔の私が優秀だったからだって、言われなくてもわかってた。今生きてる私をちゃんと評価してる人なんて、いないの。この地上の何処にも」
珍しく、少し取り乱して言う彼女を、見ていられなかった。
「そんなことないです……私は、そんなこと……」
「あるわ。あなたが一番そう。昔の私と、誰よりも仲が良かったあなたは、私と昔の私の違いで、ずっと悩んでいるの。私の耳の良さは、あなたが誰よりも知ってるでしょ。あなたぐらいわかりやすいと、いくら機能が落ちようと、呼吸や発音でどういう感情なのか、歴然としてるわよ」
「…………」
「私達、一緒にいないほうが、良かったのよ。私は、あなたをただ苦しめるだけの存在なの」
「そんなことないですよ……」
「食い下がらないで。これはあなたの未練を断ち切るための、ただの言い訳。私のことなんか忘れたほうが、あなたはずっと楽しく生きていけるわ。信じて」
「嫌ですよ……茅島さんを置いていくなんて、出来るわけないじゃないですか……」
私は痛みを殺して立ち上がって、彼女の肩を掴んだ。
細くて、力を込めればへし折れそうだった。
「……じゃあ、あなたに何が出来る? この事件を終わらせられる? あの狂った爆弾魔を取り押さえられる? 私を救える?」
「…………」
「……ね? わかって。あなたには、未来があるわ。私が、それを作る」
「…………嫌です」
「……彩佳」
「嫌ですよ……何にも出来ません。私……何の取り柄もなくて、でただあなたから離れたくなかった……あなたがいないと、その何も出来ない自分に押しつぶされそう」
「……辛いのはわかってる」
彼女が、私の手を握った。
冷たい。
「辛いかも知れないけど、死ぬよりはマシよ」
……。
……それでも、と
私は食い下がった。
「ねえ茅島さん……逃げちゃ、駄目なんですか。なんだって貴方がこんな目に遭わなくちゃいけないんですか……? だって……普通の学生だったんですよ。なんで命をかける必要があるんですか……逃げましょうよ……どうでもいいじゃないですか……」
「誰が事件を止められるの」
「嫌ですよ……楽しかったじゃないですか……一緒に居て、楽しくなかったですか?」
「楽しかったわ……それがどうしたっていうのよ」
「また、一緒に遊びましょうよ…………」
「それよりも、あなたが平和に暮らしてくれればそれでいいわ」
「それが嫌だって言ってるんですよ!」
突き飛ばされた。
八頭司に受け止められる。
「ふくみ……ちょっとやりすぎじゃない」
「黙っててよ……」
茅島さんは壁を向いた。
「そんな怪我で、邪魔なのよ、彩佳。これ以上は。はっきり言いたくなかった。これ以外の方法が取れないから、こうするの。あなたのことは、利用しただけ。昔の私が友達だったから、都合がいいかなって思っただけ。行く場所が、なかっただけよ。心では、私だって、あなたと友達だなんて思ってないわ……私達って、それだけの繋がりなのよ。そんなだけの仲にこだわるなんて、愚かよ」
「取ってつけたような嘘、やめてくださいよ……」
「嘘でもいい。でも…………私がこう告げる事に、意味があるの。これが今の私の本心だということにしなさい」
……。
「行って。お願いだから」
何も言えなくなった。
もう何も言いたくない。
馬鹿。とでも蔑めばよかった。
そんな勇気すら枯れた。
だって、茅島ふくみに言われたことは、真実だから、なにも返す言葉がないのは、当然だったから……
八頭司が私を支える。窓際まで近づいたところで、八頭司が茅島ふくみを向いた。
「ふくみ……」
「ええ。私の手で終わらせるわ、事件を」
「……やっぱり、死ぬつもり?」
「……死ぬつもりはないわ」
「嘘じゃないよね?」
「あなたが気にすることじゃないわよ」
そして彼女は、私を見た。目を合わせることは出来なかった。
「彩佳」
「…………」
「どうかあなたが救われますように」
――
窓から、私達は飛んだ。
この廃墟に、茅島ふくみ一人残して。
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