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 私と八頭司は、身を伏せて目を瞑った。

 それほど大きな爆発ではない。

 でも状況を整理するのに、少し時間がかかった。

 犯人が、直接爆弾を投げ込んで、起爆させた。今まで爆弾とは常に何処かに設置してあるもの、と思い込んでいただけに、その行動は予想できなかった。

 爆発したのは土堀の眼の前……

 彼女らは?

 茅島さんは?

 身体を起こそうとして、私は自制する。

 もう一つ爆弾が投げ込まれたら、私なんかではどうしようもない――

 近くで倒れている八頭司の無事を、とりあえず確認する。

「おい、ねえ、八頭司さん……! 大丈夫……?」

 声を掛けると、後ろで返事があった。

「痛……転んだ……」

 私はうつ伏せだったが、彼女は仰向けにのびた蛙のように倒れていた。

「三人は、無事……?」

「ちょっとまって……」

 私は目を凝らした。廊下が燃えている。煙が立っている。客室から、外国人客たちが覗いていたが、すぐに首を引っ込めた。

 見えてくる。

 精密女が、土堀を庇って倒れている。

 そして茅島さんは――

「精密女! 土堀さん! 大丈夫!」

 非常階段への入り口の脇で、寄りかかっていた。

「茅島さん! 私が確認します!」

 急いで立ち上がって、精密女の方へ歩み寄った。八頭司も私の後に続いた。

 精密女は、頭から血を流していた。

 土堀は腕に、火傷を負っている。

 顔を近づけると、不機嫌そうに精密女が目を開けた。

「…………彩佳さん。私、いまどうですか」

「え、っと……頭から、出血が……」

「しくじったな……。いえ、土堀さんの方に爆弾が飛んできたのが見えたので、殴って弾き飛ばしたつもりだったんですけど、如何せん距離が近すぎました……」

 彼女は重そうに身体を起こした。右腕は土堀を抱きかかえていたが、左腕が動いていない。

「ちょっと神経がおかしくなりましたね。さっきも爆発を浴びましたから、無理も無いんですけど」

「ちょっと見せて!」

 八頭司が彼女の腕を見る。

 全く動かない左腕と、残った右腕。

「……大丈夫。そんな大事じゃない。でもパーツ換装が必要だよ」

「参りましたねえ。特注品だから高いんですけど」彼女は場違いなほどに困ったような顔をした。頭から血を流しながら。「スペアは確か、持ってきていましたっけ。まあとにかく、私はこれ以上着いてはいけません。土堀さんも治療しないといけませんので、一度ここを出ます」

「そんな……」

「大丈夫ですよ。屋上は目の前です。蝙蝠女なら、犯人を制圧するなんて、実は造作もないんですよ。護身術は一応出来ますから」ふう、と息を吐いて、彼女は私を確認するように見つめた。「彩佳さん。あなたは、彼女の側を離れないでください」

「…………」

「私の言ったことは、真実ですよ」

「…………わかりました」

 私は頷いて、そのまま茅島さんのところまで行く。八頭司は躊躇っていたが、結局私の後ろについてくる。

 しゃがんで、と茅島ふくみにジェスチャーされたので、言う通りにすると、彼女は囁き声で私に話した。

「犯人……上に逃げた。足音を聞いたけど、比較的体重が軽い。女だと思う。運動靴を履いていて、息の上がり方から、過度に緊張している。私がもうすぐ殺せる喜びなのか、追い詰められているからなのかは、わからないけれど……」

「体重から、容疑者の誰かっていうのは割り出せないんですか?」

「わからないわ。容疑者全員、それほど体重に違いはないもの。下方さんが一番軽くて田久さんと五十田さんの順に重くなっていくけど、それでも体重差は四キロもないわよ」

「……行くんですか、じゃあ」

「当然よ。どんな形であれ、事件を終わらせる」

 真っ直ぐに、上を見つめたまま、彼女は呟く。

「それが、私の役目だもの」



 屋上。

 久しぶりでもないが、外の空気を吸って、肺から火薬の匂いを、吐き出すように絞った。

 風。喧騒。夜の光。辺りでも一際高いこの建物の屋上からは、街の大凡のものが見渡せる。

 意に反して、屋上には誰もいない。私と、茅島さんと、八頭司。それだけだった。

「おかしい……確かに登ったはず」

 茅島さんが耳を澄ませる。その様子を見て、私はつい息を止めてしまう。

 さっきの惨状からは、考えられないほどの静寂。屋上に大量に設置されたエアコンの室外機が回る虫みたいな音だけが、私の耳を揺らした。

 フェンスに近づいて下界を見下ろすと、パトカーの集まりが見えた。宿泊客の通報を受けたのかもしれない。それでもホテルごと爆破される様子もない。犯人も茅島さんにしか興味が無いのだろう。

「美雪、このホテルの隣って、なに?」

「隣? えーっと、待っててね……」

 端末を触る八頭司。やがて答えが導き出される。

「旧館、だって。このホテルの」

「そこへ逃げたみたい。見てよ」

 茅島さんが指を差さす。

 フェンスが途切れた先に見える、隣のビル。その屋上に入り口が開いている。

「あの中から、物音が聞こえる。私を挑発するみたいに、壁を叩いてるみたい」

 三人で近寄るが、途中で足を止めた。

 屋上と屋上の間には数メートルの隙間がある。こちらのほうが少しだけ高い。階数が多いのだろうか。

「これ、飛び越えたわけ……?」

 八頭司が、恐れるように呟く。不可能な距離でもなさそうだったが、十分な速度も付けられないまま風に煽られれば、地面に落下して十分死に至りそう。

 茅島さんが答えた。

「……違うみたいね。あれを見て。向こうの屋上の上に、板があるわ。あれで渡って、向こうから外したのよ」

「なるほど……え、でもそれじゃあ私達、渡れないじゃん。どうする……?」

「まあ見てなさいよ」

 茅島さんは下がった。何をするのかと思ってずっと眺めていたら、地面に手を付け始めた。落とした眼鏡を探しているときみたいだった。

「クラウチングスタートって、これで良いの?」

「えっと、多分……それがどうしたんですか?」

「飛ぶわ」

「え……ちょっと……!」

 静止する前に、茅島さんは走り出した。

 待って……

 なんでそんな……

 私が文句を言う隙もなく、彼女は片足で床を蹴って、

 宙に舞った。

 その瞬間、時間が止まったように、私は見惚れてしまった。

 揺られる髪の毛、スカート、彼女の身体。

 街の光が彼女を照らすように、浮かび上がらせる。

 空中を歩くように、彼女は足を伸ばす。

 一見すると、飛び降り自殺を思い出させる光景。

 けれど彼女の足は、向かいの屋上を、

 しっかりと踏んでから、転がった。

 顔を上げて、彼女は私達に向かって叫んだ。

「痛い! あーもう、着地は失敗だわ!」

「なにやってるんですか!」

「でもこうするしかないでしょ! 待ってて!」

 茅島さんは、落ちていた板を屋上の間に立て掛ける。

 厚みがあり、思っていたよりも丈夫だった。私達は慎重に渡った。そうそう揺れることもない。折れることもない。衝撃を与えないように、足の運びには気を使った。

 隣のビルに渡りきった時には、変に息が上がった。針に糸を通したような気分だった。

 こちらの屋上は、室外機さえ取り外されていた。なにもない。フェンスすらも。今にも崩れそうと言うほどではないが、古びたコンクリートで成っていた。地上からは、入れないようになっているようだった。

「旧館の構造はわかる? 美雪」

 空中を飛んだ後とは思えないような調子で、茅島さんは尋ねる。

「えっと……駄目だよ。公式サイトからも削除されてる。リニューアルが、三年前だって書いてる。キャッシュかアーカイブでも漁ってみればわかるかも……」

「そこまでは良いわ。もうそんな小細工、通用しなさそうだもの」

 私達は、開いた入り口から中へ下った。



 暗かった。

 電気の消えた廊下は、何も見渡せなかったが、ここがホテルだったという事実だけが、何となく読み取れる程度だった。

 絨毯や、塗装もなにもない、むき出しのコンクリートが地面を覆っている。

 ライトは照らさないで、と茅島ふくみが言った。

 大丈夫。暗闇は、彼女の最も優位に立てる空間。

 私はそれを信じて、彼女に着いていく。

 足音が、奥の方から聞こえる。廊下の先、折れ曲がった方向。

 この向こうに、私達の求める犯人がいる……

 調べてみるわ、と言って、茅島さんは何故か客室を覗き始めた。

 扉すら無い。壁も取り外されている。区切られてはいるが、フロアはすべての部屋が繋がっている。

 中はガラクタや瓦礫で散らかっていて、歩くと不必要な音が鳴りそうだった。

 人間の腐った骨格を、中から覗いているみたいな気分になった。

「後ろから回るわ。表を見張っていて」

 と言い残し一歩踏み出して、茅島さんは足を止める。

「……しまった。駄目だ」

「どうしました」

「あいつの後ろ、爆弾が仕掛けてある。回り込めないわ」

「今何処にいるんですか?」

「この廊下に面した壁の裏」

 あれだけ探し求めた犯人が、こんな近くにいるのに……

 と、

 入り口の方から音が……

「伏せて!」

 爆発――

 私は突き飛ばされて、前に倒れ込む。

 バレた……

 居場所が、犯人に割れてしまった。

 まずい……

「逃がすか……!」

 茅島さんは、入り口の方へ瞬時に駆けた。

 私達もそれに続いた。

 廊下を曲がった先、爆弾地帯の向こう。

 薄明かりに照らされた、人影が見える。

 顔は全くわからない。

「いい加減にしなさい」

 茅島さんは、そう言い放った。

「もう、終わりよ」

 それでも、あいつは、

 すこしだけ笑ったような気がした。

 いや、確実に笑った。

 笑いながら、廊下の爆弾をすべて点火する。

 ――――

 私達は、踵を返して逃げた。屋上の入り口まで、息もしないで必死に走った。

 爆音。

 耳が馬鹿みたいにおかしくなる。

 狂っている……。そんな感想だけがオートマチックに吐き出された。

 頭数を確認する。茅島さん、八頭司、私、全員いる。これだけしかいないのか。

「ここ……全部……あいつの城よ……」

 茅島さんが、壁際で胃液を吐くような格好で、息を切らせながら漏らす。

「いつからかはわからない……だけど、こんなときに備えて、爆弾を大量に仕掛けた逃げ場所を作っていたのよ。爆弾は、あれだけじゃないわ。一階まで敷き詰めてあると思う。ここは、使われなくなった施設だから」

 魔の巣。魔界。

 現代社会ではいささか場違いな連想を、その言葉を聞いて私はした。

「茅島さん、怪我は……?」

「……え?」

「怪我はしてます?」

「ちょっと待って……耳の調子がおかしい」

「見せて」

 八頭司が茅島さんの耳を触る。それだけでわかるのだろうか。

 やがて、八頭司は尋ねた。

「耳鳴り、する?」

「…………ええ、耳鳴り、ね。するわ」

「大きな音を間近で聞きすぎたんだよ。ふくみの耳じゃ、余計にそうなる。リカバーシステムが作動してるから、一時的だろうけど、それでも治るまでは時間がかかるよ」

「じゃあ、どうすればいいの……」

 私はつい叫びだしたくなった。

 こんな状況で茅島さんの耳まで失ったら……

「大丈夫……大丈夫よ。耳鳴りがすると言うだけで、聞こえないことはないわ。精度を上げれば、遜色ないわよ……」



      ★2



 早くしなきゃ……

 早く茅島ふくみを仕留めなくては……

 後もう一歩。あともう一歩頑張るだけで、彼女の息の根を止められる。

 幸い、最後の切り札であるこの旧館は残っている。本当は、警察に追われた時用に用意していたのだけれど、まさかあの女一人のために使うことになるなんて、世の中は何が起こるかわからない。

 旧館の弱点は、監視カメラを使えないこと。ホテルなら、監視カメラを用いて、彼女らの動向を視察できたが、今度はそうは行かない。同等の条件か、むしろあの茅島ふくみ相手では、圧倒的に不利でさえあった。

 この階の爆弾は、先ほど使い切った。これで、彼女の耳にダメージが生じただろう。そんな状況で耳の機能を落とすという判断は、彼女ですらもなかなか出ないだろう。そこを突いたわけだった。

 これで無効化できればいいけれど、そういう訳にはいかないだろう。わたしは知っている。なんといっても、相手はあの茅島ふくみ。その実力や良い噂ならこの街に生きていれば、いくらでも耳に出来た。

 お姉ちゃん……

 待ってて、

 すぐに帰るから……

 時間がないことだけが、はっきりと頭に思い浮かんでいる。

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