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 階段を上がる。

 ただ黙々と歩を進めた。

 そのまま屋上まで登ることが出来ればよかったが、途中の階までしか繋がっていなかった。客が勝手な所をうろつかないように、そういう構造になっているみたいだった。屋上へ出るには、ここからまた非常階段でも探せば良かったけれど、そこに罠がないとも限らない。

 登りきれるところまで行って、扉をくぐるとそこは食堂、いわゆるレストランだった。誰も居ないテーブルだけが、場を支配していた。そもそも明かりすらも点いていなかった。八頭司が電灯のスイッチを探して入れると、煌々と辺りが照らされる。やはり誰の姿も見えない。椅子もテーブルも綺麗に磨かれていて、明日の準備が整えられていた。

「気をつけて」

 茅島さんが、呼吸をしながら私に告げた。私は彼女の後ろをピッタリと着いて行った。

 それにしても広い。私の部屋が二十個くらいすっぽり収まりそうだった。これだけの客数を相手にするのには、この広さが必要なのがひと目で理解できた。茅島さんの泊まっていたホテルの方は、展望レストランになっていたらしいが、そこも同じくらいの規模はあるみたいだった。

 音を鳴らして、茅島さんは辺りを見回す。

 そして八頭司に尋ねた。

「ねえ美雪、非常階段は向こう?」

「待ってね……ああ、うん。そうみたい。そこから屋上に出られるけど、これ一階から回れなかったのかな」

「どうでしょうね。簡単に登らせてくれたかしら」

 厨房を通って、その奥に見えている非常階段に向かった。こんなわかりづらい所にあって、有事の際は大丈夫なのか不思議に思った。

 注意をはらいながら、私はコンロの上に乗っている鍋を覗いた。そこには作りかけのカレーが存在していた。中途半端な状態で置いて帰るとは、常識に照らし合わせてみると到底そうは思えない。

「茅島さん、やっぱり従業員の人って……」

「……きっと、どこかに監禁されているんでしょうね」

「この時間じゃ、いたとしてもフルメンバーじゃないよね」八頭司が端末を見ながら口を開いた。「何人かは私にはわからないけどさ、レストランも営業時間外だから明日の仕込み、明日の予定確認、なんらかの事務作業、掃除の手配、そんなもんかな? 十人も居ないと思う」

「その程度だったら、殺すぞって脅せば何処か一部屋に押し込められますね」

 精密女が物騒なことを口にしたが、誰も笑わなかった。

 私達は、非常階段に足を踏み入れる。

 茅島さんが確認すると、下りは爆弾が敷き詰められているようだった。背筋が凍ったが、どうせ下る用事もなかった。上がると、一つ上の階の扉が、餌を待つ魚みたいに開いていた。さらにその上への階段には、また大量の爆弾が仕掛けてあった。仕掛けてあると言うより、そこに投棄されている、と言った表現のほうが正しかった。品性の欠片もない。さっきみたいに撤去することも、当然難しかった。

 つまり、この階に入る他に、私達に選択肢は与えられていない。

「来い、ってことかしら」茅島さんは、唇を噛む。「上等じゃないの」



 廊下にひらりと出て、茅島さんが奥を方を睨む。

 その方向には、別の非常階段が見えた。分厚い扉が無造作に開いている。高級そうな絨毯が、私達を導くようにまっすぐ伸びていたけれど、すこしも嬉しくはなかった。

「いるわ」

 ぼそりと、独り言のように彼女はそう呟く。

 その語が指し示す意味は、私でもわかった。

 ――犯人がいる。

 屋上で待っているんじゃないのか?

 待ちきれずに下りてきた?

 確実にここで殺す、と死を宣告されているように感じた。

「出てきなさい」

 大きめの声で、彼女は鋭くそう告げたが、反応がない。

 出方を窺う。

 同時に、伺われている。

「精密女、土堀さん、来て。彩佳と美雪はここにいて」

 一歩ずつ、壁際に沿って進んでいく。

 一歩が長く、重い。

 その間、土堀はずっと腕を上げている。つまり、止めずに電波妨害を行っている。

 見守っていると、八頭司が急に話しかけるから驚いた。

「ねえ、彩佳」

「な、なんだよ。脅かさないでよ……」

「いや、ごめん。でも彩佳、気になることがあるんだけど、あそこ見て」

 八頭司は指をさす。

 眼の前。扉の閉じられた部屋。宿泊客が泊まっているのだろう。

「あそこ? なんかある?」

「隅だよ。扉の。なんか出てるでしょ? 五センチぐらい」

 目を凝らすと、銀色のものがうっすらと見えた。

 なんだろう。

 だけど何処かで、

 見たことがあるような、

「よくあんなのが見えるね」

「いや、たぶん彩佳か私じゃないと見えないよ。目、良いじゃん? 私もそうなんだよ。機械化されてるし。でも目ってねえ、メンテが一人じゃ出来なくてさー」

 目が良いという私の存在意義を、根こそぎ奪われたような気がして、私は黙った。

 でもあれは何だ?

 気になる。

 茅島さんの様子もそうだが、今はその変な扉のほうに意識を吸われていた。

 なんでもないと良いけれど、

 この状況で、なんでもないことはありえない。

 犯人の何かの仕掛けか?

 いや単なるホテルに必要ななにかの部品だろうか。

「見てみる?」

 八頭司が私を覗き込んで、そう訊く。

 考えるまでもなく、私は頷く。

「大丈夫かな。爆弾があったりしたら……」

「……じゃあ急いで閉じて離れようか。それなら爆破されても、生き残れる可能性があるし」

「……そうだね。いま犯人はふくみたちへの警戒で手一杯だろうし……」

 そろりと扉に近づいて、速やかに中を確認しよう。

 たったそれだけ。

 腰を上げて、足を踏み出す。扉に近づく。鍵は掛かっていないのか。表示盤を見ると開いている。空き部屋? いやそれでもオートロックは作動するんじゃないか?

 ノブを引っ張ると、開く仕組み。

 私は手をかける。取っ手が変にぬるい。私の手汗の所為か。

「開けるよ」

「うん……」

 引く、

 と、

 目を疑った。

 一人、二人、三人以上、中にいて、

 その誰もが腕を、縛られている。

 目が合った。

 嘆願されたような目が。

 そして周りには、四角いもの。

 爆弾。

 私は、

 急いで扉を閉じて、叫んだ。

 知らせないといけない。そう思った。

「茅島さん! 従業員の人が、人質がこの部屋に!」

「本当!?」

 茅島ふくみは振り返る。

 ――その隙。

 奥の非常階段から、なにかが飛び出してきた。

 危ない、と

 口に出す頃にはもう遅かった。

 投げ込まれたものは爆弾、

 それは彼女たちの近くで、

 土堀の眼の前で、

 綺麗に爆発した。



      ★1



 あははは、あはは、は

 とわたしは笑った。

 こんなに上手く行くなんて、と自分が怖くなった。自分の計算を信じてよかった、それ以上に、茅島ふくみの脆弱性を信じてよかった。

 彼女の弱点は、いつも加賀谷彩佳が作る。加賀谷彩佳を連れているということが、彼女自身の弱点にほかならない。足手まといで、そのくせ変に意地を張り、目だけは良い。

 ほとんど保険として、あの従業員たちを押し込めていた。扉の外に伸びているものは爆弾のアンテナ。もちろん、もしもの時のために起爆しやすいように設置していたのだが、これを利用すれば、加賀谷彩佳の気を引くことが出来る。彼女がこれに気づいた時、二通りの展望を考えられる。

 扉を開けた瞬間、加賀谷彩佳もろとも爆破すること。

 中の様子を茅島ふくみに知らせる時に、隙を作らせてそこを攻め立てること。

 前者はこの場合採用されない。何故なら、加賀谷彩佳を殺すことが、わたしの目的ではないから。もし加賀谷と茅島が一緒にいるという条件を満たす時にのみ、これが適用される。ふたりとも爆死させればそれで済んだ。

 そして後者をわたしは選んだ。茅島のみならず、精密女、さらに土堀綾乃までもを巻き込める可能性があった。あいつらは、早い段階で処理したほうが良い。わたしにとっては、あの機能がなによりも邪魔だった。

 あのふたりを処理、もとい殺害までもいかなくとも、動きを止めることができれば、あとは茅島ふくみが生きていようが、残るは弱点となりうる加賀谷彩佳、よくわからない機能の演算女、それだけだ。取るに足らない。

 お姉ちゃん、待っていてね。

 もうすぐ終わるよ。

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