5章 繋いだ管では救いがたい
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広い後部座席が、妙に心地よかった。
爆破された私のマンションのことは、八頭司がとっくに警察に知らせていた。とどまることは危険だと判断したので、私達は車に乗ってすぐに離れた。警察の事情聴取は、久喜宮に連絡を入れるとそれで済んだ。あまり私達を現場に関わらせると面倒になると、彼もわかっていた。
隣には茅島さん。私の肩に、ずっと見守るように手をかけていた。そうされていると、乱れきった心が胃薬を嚥下した時くらいすっと落ち着いていった。尖った部分をヤスリで削られているみたいな感覚があった。
それにしても……
なんで私が狙われたのか……
そのことを、ずっと飽きもせずに考えていた。私を狙う理由、私を殺す理由、私のことを知った道筋。
少しだけ開けた窓から流れてくる空気が、凍ってしまいそうなくらい冷たかったけれど、次第にそんな些細なことは気にならなくなった。自分の命が死に晒された事実を鼻先に突きつけられると、生活が崩壊していく音がはっきりと聞こえるような感覚を拭いきれなかった。
悪路に体が揺れた。車は何処に向かっているのか、私にはわからなかった。尋ねる気力もなかった。精密女が運転をし、助手席には八頭司が座っていた。土堀は後部座席で茅島さんと私を挟み込むように、ネズミみたいに丸くなってシートに身体を埋めていた。さすがに三人も腰掛けると、狭さを嫌でも感じてしまう。
犯人が私を狙う理由か……。
そんなものは、一つしかなかった。茅島さんを爆死させるための餌に使った、という一点だけだった。私だけを殺したいなら、さっさと爆発させて吹き飛ばせばよかった。あれは茅島さんをおびき寄せて、もろとも粉微塵にするつもりだったのだろうけれど、当の茅島さんには犯人の思惑なんてお見通しだった。私の側はおろか、隣室の空き部屋にさえ近づかなかった。停電させて犯人の目くらましを狙うという選択が、果たして最良だったのかはわからないけれど、とにかく私が助かったのだから、文句も言える立場でもなかった。いや、感謝しかなかった。
そしてはっきりと理解する。犯人はずっと最初から、自分の機能一つで起爆を行っていたらしい。となると大学でも、スーパーでも、ホテルでも、常に人目に触れずに、現場を監視できる位置にいたのだろう。
大学では、非常階段という閉鎖空間だったけれど、あそこの小さな窓から外の景色も伺える。つまりその角度からなら、私達の姿を確認することも可能だった。それが現実的かどうかは置いておいて。
だけれど、私と茅島さんが一緒に住んでいたなんて、何処からそんな情報が漏れるのか、私には見当もつかない。
情報屋に誰かが流した?
いや、もっと単純な条件が一つある。
大学関係者だ。
それなら私と茅島さんが現在一緒にいることまでは、直接にわからないにしても、以前から親密な仲の友人、ということくらいは常識的な範囲だった。そこから、ホテルを爆破されて行き場を無くした茅島ふくみが、私を頼るなんてことは深く考えないでも推測できるだろう。
となると、田久さんは容疑者から外せるだろうか?
残るは下方先輩か、五十田先生。それでもどちらかに絞り込めるわけではない。
五十田先生のことは知らないが、下方先輩なら動機がある。八頭司が言っていたように、あの職場で働くのが嫌になったから。茅島さんを狙う理由は、彼女という特定個人を殺すこと自体がその動機の隠蔽につながるから……、だとすればまあ説明はつく。
五十田先生には、何か、動機があるのか。なにか、私の知らない事情でもあれば良いのだけれど……。
わからない。
そこで考えが完全に立ち止まった。
「もうなにもわからないや……どうして私が狙われるの……」
独り言のように呟くと、茅島さんが不安そうに私を覗き込んだ。
「大丈夫よ、彩佳……。私が、なんとかするから」
その言葉は、不穏な空気を孕んで、私の耳の奥に届いた。
「そうそう、蝙蝠女。こっちも用事があったんですよ」
まっすぐ進行方向を睨んで運転をしながら精密女は、あまりにも唐突に口を開いた。先ほど私達と別れた後、予定通り精密女たちはレンタカーを返す途中だったが、私が危ない目に遭っている、と茅島さんから連絡を受けて、そのまま引き返してきた、と語った。まさか飛び降りた私を受け止めるとは思わなかったけれど、と彼女は嫌味みたいに付け加えた。
「田久さんの夫を見つけました」
「え、本当?」
茅島さんが少し驚いたような表情で訊き返した。田久さんの夫といえば、不鮮明なよくわからない写真で見たきりだったし、さほど重要な人物であるとも、私には思えなかった。なぜこんな嬉しそうに精密女が報告したがるのか、不思議だった。
「何処で?」
「繁華街の隅の、なんて言ったかな、とにかく無人の洋食屋です。ヴィエモッドじゃないやつです。演算女が写真を入手していたので、顔は覚えていました。一応蝙蝠女が気になるだろうと思って、見かけた時に彼に声をかけておきました。田久さんの言っていることの裏付けを取るなり好きに使ってください。ご飯を食べている最中だったのですが、まあそんなことはどうだって良いでしょう」
「今は何処に?」
「用があるので私達が戻ってくるまでずっと食べていてください、と頼んでおきました。大人しく私の言うことを聞いていれば、まだそこで牛丼なんかを召し上がっていると思いますけど。いえ、さすがに食べ終わってますかね」
「……それで、今はそこに向かってるの?」
「もちろんです。伝え忘れていましたが」
しばらくすると停車した。私と、茅島さんと、精密女で彼のもとに急いだ。
私もあまり立ち寄ることはない、なんだか寂れた雰囲気を隠しきれない洋食屋だった。無人と聞いたが、確かに外から望める店内には店員の影もなく、ただもくもくとまだ牛丼を口に運んでいる男が一人だけぽつんと座っていた。
彼だろうか。記憶にある写真の様子ではわからない。そう言われれば、似ているような。
店内に入ると、彼は精密女に気づいて、取り繕うような会釈をした。頭の禿げ上がった、気の弱そうな男性だった。よれた作業着を着ており、見た目で年齢を予想すると、とんでもないことになりそうだったのでやめた。
私達は軽く挨拶を交わして、間髪入れずに精密女が質問を飛ばした。あらかじめ茅島さんから、尋ねて欲しいことをいくつか聞き出していた。彼女に頼む理由としては、一度顔を見てもらっている精密女のほうが、この男には比較的信頼されるだろうと思ったからだった。物騒な腕については考えなかった。
「えっと、では。田久さん。奥さんについて、詳しく訊かせてもらえますか?」
「……良いですけど、あんた、何者ですか」
「興信所の者です。八頭司、と申します。奥さんの依頼であなたの調査を引き受けましたが、奥さんの言動について、私共にとってどうも腑に落ちないところがありまして。それを理由に契約を破棄するつもりなんですけど、その前にあなたに少しお尋ねしたいことが」
よくもまあそんな嘘が並べられるものだ、と私は感心した。偽名を使った精密女を見ると、本物の八頭司の怒る様子が目に浮かんだ。
そこまで堂々と紹介されると、彼は完全に信じてしまったようだった。変に警察関係者です、と言わないほうが良いケースを勉強させられた。
「あいつ……やっぱり探偵使って俺を嗅ぎ回ってやがったのか……。いえ、あいつはね、悪い女ですよ。そうとしか言えない」彼は悔しそうに水を飲みながら話した。「家を追い出されて、別居して、散々ですよ。金にも仕事にも困って、両腕を売りました。あんたみたいに、これはどっちも機械腕でしてね。もっとも、そんな高価そうなパーツじゃなくて、もっと安物ですが……」
よく見ると、右腕の動きが、何処かおかしかった。精確さにかけるというか、箸をきれいに持つことさえ、彼には難しいみたいだった。そして、左腕に至っては、ホームレスがしていたように、ほとんどハリボテみたいな代替え品が装着されていた。
「嗅ぎ回られているのは知っていたんですよ。あいつの家、昔の俺の家なんですけどね、あいつのいない間にこっそり忍び込んだ時に、俺の写った画像データ、プライベートが記されたテキストファイルなんかが大量に見つかったんですよ。裁判の書類にでもするんだろうが、そうか、やっぱり探偵を使ってたんだな……。しばらく帰ってこないってのがわかったんで、数日泊まり込みながらデータを改竄してやりましたよ。あいつ、旅行に出てたみたいで」
「それはいつですか?」
割って入るように、茅島さんが尋ねた。
「ああ……えっと……二週間前だったかな。姉と行っていたらしいんですけど、あいつの姉、その翌週に死んじまったんですよ。例の、爆弾騒ぎに巻き込まれて。あいつの姉は、あいつほど悪い人間じゃなかった。俺も、一応残念には思いましたね。あいつ、俺みたいな幸せからのどん底ってやつを味わったんでしょうね。なんと珍しく、俺にも電話してきたんですよ。表向きは金のことでしたが、姉の死を誰かに聞いてもらいたかったってのもあったんでしょうねえ。ずっと姉の話をされましたよ」
「詳しく教えてくれますか?」精密女が訊いた。
「ああ、良いですよ。なんでもね、あいつ死ぬ直前の姉と電話していたんですよ。よく暇つぶしみたいに電話する仲ですから、それ自体は珍しくないんですけど、その時あいつの姉がね、なにか何処かで言い争いが聞こえるって言ってたんですけど、直後に、爆死ですよ」
言い争いの話は、幾度も出てきた。
それを聞いて茅島さんは、なにかピンときたように、私に囁く。
「それで田久さん、爆発を予見できてスーパーから逃げ出せたのかしら……?」
「……でも、嘘かもしれないですよ」
「……ええ、わかってる」
夫の話はまだ続いた。姉の話になると、多くの分量を必要とするらしい。
「あいつの姉、区の大学に通っていたらしいんですよね。卒業してしばらく経ったあとでも、サークルの様子なんかを時々見に行ってて。それ様子が気に入ったんでしょうな。あいつがこの区に住もうって言い出したのは。あいつは、大学も違う場所だったしそもそもここの出身でもないから、完全に外部の人間ですけど」
「何ていうサークルですか?」
「ああ、クラブミュージックサークルだよ」
それは、あの土堀と同じサークルだった。変なところで共通点があるものだ。
しかし、情報屋によれば、田久さんもうちの大学に通っていたと聞いたが、本当に生徒だったのは姉の方らしい。情報屋の間違い? いや、単に嘘を掴まされた可能性も否定できなかった。
田久さんの夫と別れ、店外に出たところで茅島さんが口を開いた。
「また言い争い、ね」
「そうですね……」私は頷く。「私も聞きましたし、他の事件でも目立ってるらしいじゃないですか」
「ここまで来ると、関係を疑いますね」精密女が指を立てながら言う。「言い争いに発展するような何かが、爆破には必要だったんですよ。それが何かは、わかりませんが」
「……私達を襲ったホームレス。彼らに括り付けられた爆弾……」
茅島ふくみは、腕を組んで考え込んだ。深く何かを考える時の彼女のポーズだった。
「ひょっとして、手口はみんなそれかしら。私達を襲ったときみたいに、誰か指定した人間を連れてくるようにホームレスを脅してやらせた。身体に爆弾を括り付けてね。そうなると、嫌でも実行せざるを得ない。上手く行けば、爆弾は解除してやるなんて事も付け加えてるだろうけど、犯人にそのつもりはない。ホームレスにターゲットに話しかける時間も決めておけば、時間どおりに爆破することも容易だわ。むしろそのために時刻がジャストだったのかも」
端末が鳴った。また医師からだ。今度は私が出た。
『おい、加賀谷さんか。茅島ふくみもいるな? いいか。驚かずに、よく聞いてくれ』
「ど、どうしたんですか……?」
医師の声色は、緊張を無理やり抑え込んでいるみたいだった。
唾を飲み込む。
『犯人がホテルに立て籠もった。下方のホテルだ』
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