7
7
足が痛い。
玄関先でじっと、私は、ミリ単位の移動も許されなかった。風が吹けば身を強張らせたし、息を止めれば効果も上がるだろうと思ったからそうした。
変な汗が、顎先から床に滴った。
鼻の頭に水滴が貯まっていた。
私を狙う爆弾は、もちろん未だ持って健在だった。なり続ける電子音も、チカチカと光るランプも、ずっと変化もなく私を監視していた。
そして、茅島さんは……
「彩佳、爆弾の特徴を教えてくれる?」
少し離れた所から、屈みながら私を伺っていた。『扉を閉めるな』という張り紙があると伝えてから、彼女はそこから動かなくなった。私の端末も握ったままだった。
爆弾の特徴と言っても……
「えっと…………ずっと音が鳴ってます。あと……ランプが光ってて、金属かプラスチックか、そんなような箱に入っています。それが、玄関の真ん中に置かれています……」
「他に特徴は?」
そんなことを言われても、私は専門家じゃない。
狼狽えながら、私は見たくもない爆弾を凝視した。
「至って普通の…………待ってください、なにか、アンテナみたいなものが張ってあります。細くて、見えづらいですけど……」
これでスイッチからの電波を受信して、起爆を行うのだろうか。
だとすれば、センサーは嘘ということになり、私がこうして動けないでいる理由もないんじゃないだろうか……。
いや、待て。犯人は私を見ている。状況は同じだ。気を抜きかけた私に、私は喝を入れた。
「アンテナ? じゃあ電波受信で爆破できるタイプかな。時限式ではない?」
「わ、わかりませんよそんなの! とにかく時計の類はないです!」
「アンテナはダミーで、センサーが本体かしら」
また私は、そう言われて震える腕を掴んだ。
もう、なにがなんなのか、わからない。何もしないことが、全てに対する正解としか思えなかった。
止めていて限界だった呼吸を荒くする。
血が、心臓が血を、意味もなく大量に送り続けている。
吐きそう。
私は落ち着こうとして、息を吸い込んだが、逆にむせ返りそうになった。
「彩佳」
茅島さんが腕を掲げていた。なにかと思って見ていると、こちらにものを投げた。急だったので、私は酷く驚いたが、なんとかその投げられたものを、両手で受け止めた。その程度の動きでは、爆弾は爆発しなかった。
私の端末だった。
なんで?
私が持っててもしょうがないじゃない。あなたが誰かにこれで助けを求めたほうがいいんじゃないか。いや、もう精密女あたりには電話をかけたのかも知れないが、私が端末を持つ必要を感じられなかった。
「良い? 彩佳」
まるで、とても大事なことを打ち明けるように、彼女は私の方を真っ直ぐに見つめて告げた。
「その端末に連絡があるまで、ここから絶対動かないで。連絡があっても、画面は開かないで、会話だけして」
「え? 茅島さんは?」
「私はやることがあるわ」
髪をなびかせて、彼女は階段の方へ駆けた。
「ちょっと! 待ってよ! 茅島さん!」
虚空に向かって叫び続けても、自分の声が耳に障るだけだった。
彼女は、消えた。
何を考えているのか知らないが、私を置いて行った。
こんな状況で、変に動き回るほうが危ないじゃない……
何処に爆弾が仕掛けてあるかわからないし……
それに、私を一人にしないで……
落ち着け。そうはっきりと頭の中で口にした。茅島さんを信じろ。それ以外に、私が出来ることは、生まれてこの方なにもなかった。
端末に連絡があると彼女は言った。
端末をポケットに滑り込ませて、手で触った。起動スイッチがわかる。これを押すと応答できる。指に装着しなければ、画面の表示位置を探知できないのか、画面が開くことはない。そういう設定になっている。
早く……
早くして欲しい……
今にも目の前の爆弾が、吹き飛びそうだった。
これは、犯人の単なるさじ加減に過ぎない。
私を気まぐれで生かしているだけなんだ。相も変わらず、生殺与奪を握られている。
茅島さん、何処行ったんだろう。
私を置いて逃げるなんてことは、無いと思うけど……
私の知らないところで、危険なことをやっているというのなら、それを許せる私でもなかった。
――振動。
指先。微かに音も聞こえる。
電話だ。画面を開けないから、誰から掛かってきたのかもわからない。
恐る恐る、起動ボタンを押した。画面が起動しないか、その瞬間まで心配だったけれど、単なる私の杞憂に終わった。
つながる。
環境音だけが拾われている。返事がない。
私は小さめの声を出した。
「誰、ですか」
『彩佳! 私! 八頭司美雪!』
耳のそばから、彼女の声が聞こえた。そういえばどういう技術なのかは知らないが、今はどうでも良かった。
焦っているような緊張を孕んだ声を聞かされると、こっちまで身を裂かれる思いだった。
「八頭司さん! 茅島さんは!?」
『落ち着いて! ふくみなら、今違うところにいる。良い? 今から言うとおりに行動してね』
「言うとおりって……どうしたら良いの?」
何故か事情に詳しい様子で八頭司は、私に冷静にわかりやすく指示を伝えた。
『停電が起きたら、すぐに扉を閉めてそこから脱出して。その後は隣の部屋と、その向こうの部屋の間から、真下を覗いて。その後は、また指示するよ。わかった?』
「それって、この階から地面を見ろってこと……?」
『そうそう。見るだけだよ。高所恐怖症じゃないよね?』
「そんな症状はないけど……でも停電って、なに……?」
『それはこれからわかる。良い? 停電が起きた瞬間に、なるべく最大の瞬発力で逃げてきて』
そんな無茶な…………
私が言葉を失っていると、電話が切れていた。
停電だからって、センサー式だったら、動いたら爆発するんじゃないか……。こんな作戦、一体誰が考えたのかわからないけど、私は憤った。仮に、犯人の意思で起爆するつもりだとしても、私の反応速度では勝てる見込みのほうが少ないだろう。
死ねと言われている気分だった。
だけど……他に方法もない。
茅島さんを信じろ。
呪文のように、私はそう唱える。
停電が起きたら飛び出す……
停電が起きたら飛び出す……
たったそれだけのことが、私の双肩に、嫌というほど重くのしかかる。
なんだってこんな目に遭うのかもわからないのに、なんだって私の家まで狙われないといけないのか、理解すら出来ないのに……
息を吸う。
まだか……
この間延びした時間が、心臓を針で刺されるように気持ちが悪い。
いつ電気が消えても良い。電気が消えることは、想定できる。
イメージだ。イメージ通りに動いたら、私は生き残れる。
息を吸う。でも、上手く吸えなかった。
歯を噛んだ。
指の骨を鳴らした。
いろいろやって、その瞬間に備えた。
その時というのは、
本当に、疑い始めた頃にやってくる。
頭でも掻こうとしていた時に、
あまりにも突然に、
だけどわかっていたような唐突さで、
電気が、
消えた――
私は、足を動かす。
血が溜まって、上手く動かせない。縺れそうになったけど、倒れるのは後回しにした。
一歩、後ろへ。
身体が、横を向く。四分の一程度の回転。
二歩、外へ出る。
空気の変化を感じる。身体は完全に、反転した。
三歩、扉に手をかけた。
爆発は――まだ。
四歩で扉の後ろに回って、腕に力を込めた。
閉まっていく。
閉じられていく。
だけど、
隙間から、
私は見てしまう。
爆弾が炸裂する瞬間を――
扉から手を離して、後ろに倒れ込んだ。
扉が外れる。
私の部屋の前にある手すりにぶつかって、もたれかかった。
熱い空気が流れてくる。
立ち上がる。
危険だ。早く言われたとおりにしよう。
自分の家がどうなったのかなんて、もはやどうでも良くなっていた。
そして頭上でも爆発が……
火の手が発生する。軽く悲鳴を上げてしまった。
炎が、私を取り囲んでいた。熱さがいやに鬱陶しい。
他の住人を、顔を玄関から覗かせると、急いで部屋に戻った。警察や消防に連絡を入れているのだろう。八頭司がすでにそれは手配済みだと推測できる。
言われた位置まで来る。
爆発がまたあって、頭を抱えて伏せた。
殺される……
その確信だけがある。
手すりから身を乗り出して、地面を覗いた。
六階からの眺め。そこからでもはっきりとわかる。
さっき見たレンタカー。駐車場に泊まっている。そして、私のちょうど真下の位置に、見覚えのある二人が立っている。
精密女、八頭司。
端末が鳴る。
応答。
『彩佳、そこから飛んで』
「ば――」
バカを言うな。
ここは六階だぞ……
『馬鹿なことは言ってないよ。助かりたかったら、言うとおりにして』
「そんなこと言ったって、どう考えてもこの高さじゃ死ぬよ! それとも受け止めてでもくれるのか!?」
『うん。精密女が受け止める』
「そんなこと出来るの!?」
『大丈夫。私があなたの落下の起動を計算するから。彩佳はなるべく真正面に、全力で飛んで』
電話が切れる。
やるしかない……
不思議なほど、決意が固まっていた。
あの二人の機能を信用しているわけではなかった。
ただ、ここで死ぬのも、飛び降りて死ぬのも変わらないと思っただけだった。
元より、生にさほどの興味もなかった。
そして、高いところから飛び降りる想像は、誰よりもしたことがあった。
手すりに足を掛けて、
何のためらいもなく、
私は飛んだ――
高――
死んだ。
絶対死んだ。
落下しながら、そんなことを百度は反芻した。
――身体に触れるもの。
急に、身体の起動がねじ曲がった。
二度三度、振り回される。
そして、
コトリと、人形でも置くみたいに、
私は地面に立っていた。
「こんばんわ、彩佳さん」
そういう精密女の顔は、いつものと同じように、少しだけ叩きたくなるような表情をしていた。
「あ…………」
助かった…………
何も考えられなくなって地面にへたりこんだ。
「彩佳! 大丈夫!?」
茅島さんが何処からともなく現れた。土堀も何故か一緒だった。爆発のタイミングを遅らせてくれたのだろうか。
どうでもいい。
どうでもいいという言葉を、今日だけで何度使ったのかもうわからなくなった。
★4
やられた。
停電を起こされるなんて、想定していなかった。
加賀谷が逃げ出した時用に、仕留められる爆弾もいくつか設置していたが、爆破のタイミングが思うように行かない。まるで土堀に妨害されている時のようだ。あいつもいたのだろうか。
茅島ふくみ……
ここまでしても、届かないのか。
もうなりふり構ってはいられない。
勝負をかけよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます