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 足が痛い。

 玄関先でじっと、私は、ミリ単位の移動も許されなかった。風が吹けば身を強張らせたし、息を止めれば効果も上がるだろうと思ったからそうした。

 変な汗が、顎先から床に滴った。

 鼻の頭に水滴が貯まっていた。

 私を狙う爆弾は、もちろん未だ持って健在だった。なり続ける電子音も、チカチカと光るランプも、ずっと変化もなく私を監視していた。

 そして、茅島さんは……

「彩佳、爆弾の特徴を教えてくれる?」

 少し離れた所から、屈みながら私を伺っていた。『扉を閉めるな』という張り紙があると伝えてから、彼女はそこから動かなくなった。私の端末も握ったままだった。

 爆弾の特徴と言っても……

「えっと…………ずっと音が鳴ってます。あと……ランプが光ってて、金属かプラスチックか、そんなような箱に入っています。それが、玄関の真ん中に置かれています……」

「他に特徴は?」

 そんなことを言われても、私は専門家じゃない。

 狼狽えながら、私は見たくもない爆弾を凝視した。

「至って普通の…………待ってください、なにか、アンテナみたいなものが張ってあります。細くて、見えづらいですけど……」

 これでスイッチからの電波を受信して、起爆を行うのだろうか。

 だとすれば、センサーは嘘ということになり、私がこうして動けないでいる理由もないんじゃないだろうか……。

 いや、待て。犯人は私を見ている。状況は同じだ。気を抜きかけた私に、私は喝を入れた。

「アンテナ? じゃあ電波受信で爆破できるタイプかな。時限式ではない?」

「わ、わかりませんよそんなの! とにかく時計の類はないです!」

「アンテナはダミーで、センサーが本体かしら」

 また私は、そう言われて震える腕を掴んだ。

 もう、なにがなんなのか、わからない。何もしないことが、全てに対する正解としか思えなかった。

 止めていて限界だった呼吸を荒くする。

 血が、心臓が血を、意味もなく大量に送り続けている。

 吐きそう。

 私は落ち着こうとして、息を吸い込んだが、逆にむせ返りそうになった。

「彩佳」

 茅島さんが腕を掲げていた。なにかと思って見ていると、こちらにものを投げた。急だったので、私は酷く驚いたが、なんとかその投げられたものを、両手で受け止めた。その程度の動きでは、爆弾は爆発しなかった。

 私の端末だった。

 なんで?

 私が持っててもしょうがないじゃない。あなたが誰かにこれで助けを求めたほうがいいんじゃないか。いや、もう精密女あたりには電話をかけたのかも知れないが、私が端末を持つ必要を感じられなかった。

「良い? 彩佳」

 まるで、とても大事なことを打ち明けるように、彼女は私の方を真っ直ぐに見つめて告げた。

「その端末に連絡があるまで、ここから絶対動かないで。連絡があっても、画面は開かないで、会話だけして」

「え? 茅島さんは?」

「私はやることがあるわ」

 髪をなびかせて、彼女は階段の方へ駆けた。

「ちょっと! 待ってよ! 茅島さん!」

 虚空に向かって叫び続けても、自分の声が耳に障るだけだった。

 彼女は、消えた。

 何を考えているのか知らないが、私を置いて行った。

 こんな状況で、変に動き回るほうが危ないじゃない……

 何処に爆弾が仕掛けてあるかわからないし……

 それに、私を一人にしないで……

 落ち着け。そうはっきりと頭の中で口にした。茅島さんを信じろ。それ以外に、私が出来ることは、生まれてこの方なにもなかった。

 端末に連絡があると彼女は言った。

 端末をポケットに滑り込ませて、手で触った。起動スイッチがわかる。これを押すと応答できる。指に装着しなければ、画面の表示位置を探知できないのか、画面が開くことはない。そういう設定になっている。

 早く……

 早くして欲しい……

 今にも目の前の爆弾が、吹き飛びそうだった。

 これは、犯人の単なるさじ加減に過ぎない。

 私を気まぐれで生かしているだけなんだ。相も変わらず、生殺与奪を握られている。

 茅島さん、何処行ったんだろう。

 私を置いて逃げるなんてことは、無いと思うけど……

 私の知らないところで、危険なことをやっているというのなら、それを許せる私でもなかった。

 ――振動。

 指先。微かに音も聞こえる。

 電話だ。画面を開けないから、誰から掛かってきたのかもわからない。

 恐る恐る、起動ボタンを押した。画面が起動しないか、その瞬間まで心配だったけれど、単なる私の杞憂に終わった。

 つながる。

 環境音だけが拾われている。返事がない。

 私は小さめの声を出した。

「誰、ですか」

『彩佳! 私! 八頭司美雪!』

 耳のそばから、彼女の声が聞こえた。そういえばどういう技術なのかは知らないが、今はどうでも良かった。

 焦っているような緊張を孕んだ声を聞かされると、こっちまで身を裂かれる思いだった。

「八頭司さん! 茅島さんは!?」

『落ち着いて! ふくみなら、今違うところにいる。良い? 今から言うとおりに行動してね』

「言うとおりって……どうしたら良いの?」

 何故か事情に詳しい様子で八頭司は、私に冷静にわかりやすく指示を伝えた。

『停電が起きたら、すぐに扉を閉めてそこから脱出して。その後は隣の部屋と、その向こうの部屋の間から、真下を覗いて。その後は、また指示するよ。わかった?』

「それって、この階から地面を見ろってこと……?」

『そうそう。見るだけだよ。高所恐怖症じゃないよね?』

「そんな症状はないけど……でも停電って、なに……?」

『それはこれからわかる。良い? 停電が起きた瞬間に、なるべく最大の瞬発力で逃げてきて』

 そんな無茶な…………

 私が言葉を失っていると、電話が切れていた。

 停電だからって、センサー式だったら、動いたら爆発するんじゃないか……。こんな作戦、一体誰が考えたのかわからないけど、私は憤った。仮に、犯人の意思で起爆するつもりだとしても、私の反応速度では勝てる見込みのほうが少ないだろう。

 死ねと言われている気分だった。

 だけど……他に方法もない。

 茅島さんを信じろ。

 呪文のように、私はそう唱える。

 停電が起きたら飛び出す……

 停電が起きたら飛び出す……

 たったそれだけのことが、私の双肩に、嫌というほど重くのしかかる。

 なんだってこんな目に遭うのかもわからないのに、なんだって私の家まで狙われないといけないのか、理解すら出来ないのに……

 息を吸う。

 まだか……

 この間延びした時間が、心臓を針で刺されるように気持ちが悪い。

 いつ電気が消えても良い。電気が消えることは、想定できる。

 イメージだ。イメージ通りに動いたら、私は生き残れる。

 息を吸う。でも、上手く吸えなかった。

 歯を噛んだ。

 指の骨を鳴らした。

 いろいろやって、その瞬間に備えた。

 その時というのは、

 本当に、疑い始めた頃にやってくる。

 頭でも掻こうとしていた時に、

 あまりにも突然に、

 だけどわかっていたような唐突さで、

 電気が、

 消えた――

 私は、足を動かす。

 血が溜まって、上手く動かせない。縺れそうになったけど、倒れるのは後回しにした。

 一歩、後ろへ。

 身体が、横を向く。四分の一程度の回転。

 二歩、外へ出る。

 空気の変化を感じる。身体は完全に、反転した。

 三歩、扉に手をかけた。

 爆発は――まだ。

 四歩で扉の後ろに回って、腕に力を込めた。

 閉まっていく。

 閉じられていく。

 だけど、

 隙間から、

 私は見てしまう。

 爆弾が炸裂する瞬間を――

 扉から手を離して、後ろに倒れ込んだ。

 扉が外れる。

 私の部屋の前にある手すりにぶつかって、もたれかかった。

 熱い空気が流れてくる。

 立ち上がる。

 危険だ。早く言われたとおりにしよう。

 自分の家がどうなったのかなんて、もはやどうでも良くなっていた。

 そして頭上でも爆発が……

 火の手が発生する。軽く悲鳴を上げてしまった。

 炎が、私を取り囲んでいた。熱さがいやに鬱陶しい。

 他の住人を、顔を玄関から覗かせると、急いで部屋に戻った。警察や消防に連絡を入れているのだろう。八頭司がすでにそれは手配済みだと推測できる。

 言われた位置まで来る。

 爆発がまたあって、頭を抱えて伏せた。

 殺される……

 その確信だけがある。

 手すりから身を乗り出して、地面を覗いた。

 六階からの眺め。そこからでもはっきりとわかる。

 さっき見たレンタカー。駐車場に泊まっている。そして、私のちょうど真下の位置に、見覚えのある二人が立っている。

 精密女、八頭司。

 端末が鳴る。

 応答。

『彩佳、そこから飛んで』

「ば――」

 バカを言うな。

 ここは六階だぞ……

『馬鹿なことは言ってないよ。助かりたかったら、言うとおりにして』

「そんなこと言ったって、どう考えてもこの高さじゃ死ぬよ! それとも受け止めてでもくれるのか!?」

『うん。精密女が受け止める』

「そんなこと出来るの!?」

『大丈夫。私があなたの落下の起動を計算するから。彩佳はなるべく真正面に、全力で飛んで』

 電話が切れる。

 やるしかない……

 不思議なほど、決意が固まっていた。

 あの二人の機能を信用しているわけではなかった。

 ただ、ここで死ぬのも、飛び降りて死ぬのも変わらないと思っただけだった。

 元より、生にさほどの興味もなかった。

 そして、高いところから飛び降りる想像は、誰よりもしたことがあった。

 手すりに足を掛けて、

 何のためらいもなく、

 私は飛んだ――

 高――

 死んだ。

 絶対死んだ。

 落下しながら、そんなことを百度は反芻した。

 ――身体に触れるもの。

 急に、身体の起動がねじ曲がった。

 二度三度、振り回される。

 そして、

 コトリと、人形でも置くみたいに、

 私は地面に立っていた。

「こんばんわ、彩佳さん」

 そういう精密女の顔は、いつものと同じように、少しだけ叩きたくなるような表情をしていた。

「あ…………」

 助かった…………

 何も考えられなくなって地面にへたりこんだ。

「彩佳! 大丈夫!?」

 茅島さんが何処からともなく現れた。土堀も何故か一緒だった。爆発のタイミングを遅らせてくれたのだろうか。

 どうでもいい。

 どうでもいいという言葉を、今日だけで何度使ったのかもうわからなくなった。



      ★4



 やられた。

 停電を起こされるなんて、想定していなかった。

 加賀谷が逃げ出した時用に、仕留められる爆弾もいくつか設置していたが、爆破のタイミングが思うように行かない。まるで土堀に妨害されている時のようだ。あいつもいたのだろうか。

 茅島ふくみ……

 ここまでしても、届かないのか。

 もうなりふり構ってはいられない。

 勝負をかけよう。

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