6

      6



 念願の自宅に着いたのは、私がいよいよ本当に眠りの底に落ちようとしていたときだった。

 じゃあ私達は車を返してから自分のホテルに戻りますので、と精密女は言い残して八頭司と共に去っていった。狭い道をそれなりのスピードで消えていったので、私は心配になったが、すぐにどうでも良くなった。

 叩き起こされて少し不機嫌だった私と、至って元気そうな茅島さんは、いつか歩いたときみたいに、何もいわないで私のマンションの方へ向かった。歩き慣れた道なのに、どこか踏みしめづらい。疲れている。それは歴然としていた。もういつの間にか日付も変わっていた。もう少し早く帰ってくるつもりだったのに、これでは大失敗だった。

 それでも彼女がまた私の家に来るという事実を噛み締めて、私は心を落ち着けた。これを、百度ほど反芻した。

 歩いているとまた端末が鳴った。舌打ちの一つでも漏らしたくなるような顔をしながら、渋々表示を見ると、いつもの通り、医師。あとエントランスまで二十メートルもないような距離なのに、電話に出ることが酷く億劫に感じた。

「ああ、医師ね。私が出るわ」茅島さんが察したのかわからないけど、私を覗き込んでそう言った。「あと喉乾いたから、ジュースでも買ってから上がるわ」

「ああ、はい。待ってます……」

 私の端末を受け取ると、速やかに電話に応答して茅島さんは、近くの自動販売機の方向に消えていった。

 眠い。疲れが私の正気を乱している。立っていることすら難しくなってきた。エントランスを抜けて、階段を登る足取りが、ビールを何杯も飲んで酷く酔っているときよりも重たくなっていた。

 明日は、正確には今日だけど、大事な日だと言うのに、さっさとお風呂に入ったら、大人しく眠りたかった。明日のことは、明日考えればいいし、事件だって、それなりに進展しているかも知れない。

 そして、また私は考えてしまう。

 事件が解決すれば、茅島ふくみは何処か遠くに帰ってしまうことを。

 そんなことは、何度考えたって鉄パイプみたいにねじ曲がらないというのに、私はそれをスプーンでも曲げるように、ずっと根本をさすっていた。

 考え直せ。彼女が帰ってしまうことは、ずっとわかっていたじゃないか。そうだ。彼女の自由、実績、そういうものに貢献するほうが、ずっと建設的だろう。彼女の為に身をすりつぶすなら、お前だって本望じゃないか。

 だけど、

 施設を出た後に、彼女は私に会いに来るのだろうか。

 だって、あなたは、私の友達だったあなたじゃないもの。

 ――。

「ふくみ……」

 玄関に、手をかざす。

 認証。そして扉に手をかけると、

 目がさめるような異音が、

 私の耳を刺した。

 断続的な、電子音――

 何……?

 電気が点いていた。茅島さんが、スーパーの爆発音を聞いて飛び出した時が最後だったから、それもしょうがないのかも知れなかった。

 いやそんなことより、

 ありえない光景が、目の前に広がっている。

 見せつけるように、玄関の真ん中に、大きな爆弾が置かれていた。

 そんな……

 いつ……?

 わからない。断続的な電子音は、この爆弾から発せられている。クラブミュージックサークルで見た、あのセンサー式の、ある種地雷のような爆弾だろうか。

 備え付けられた、小さなランプが赤く光っていた。このサイズ、大学の階段に仕掛けてあったものよりも、ずっと大きかった。

 爆発すればこんな部屋なんて、スナック菓子みたいに粉々になるんじゃないか……

 あのときのことを思い出して、私の身体は固まった。正確には、一ミリも動かせなくなった。指先まで意識して、ほとんど呼吸も止めた。

 動けば……爆発する。

少なくとも、その可能性を拭いきれない。

 そんな時、耳が、微かな足音を捉えた。

 茅島さん……!

「駄目! 茅島さん! 駄目です来ちゃ!」

 必死で叫んだ。近所迷惑になるかどうかなんて、どうでもよかったし、なんでそんな心配をしたのかもわからなかった。

「どうしたの!? なにか聞こえるんだけど!」

 階段の下の方から、透き通るような大声が届く。

「爆弾が……! 私の部屋に爆弾が……! 動けません!」

「落ち着いて! なるべくじっとしてて!」

 同じ階まで、彼女は上がってくる。彼女の長い髪が見えた瞬間、泣きそうなくらい安心してしまいそうになったけど、つばを飲み込んで我慢した。

 この階の廊下にだって、まだ爆弾があるのかも……

 茅島さんは慎重に、足で音を鳴らしながら、こっちに近づいてくる。

 そうだ……爆弾、ダミーやもっと小さな爆弾があるかも知れない、確認しなくちゃ……だけど動揺してしまっていて、何から始めたら良いのかわからない。

 首を回すと、紙があった。何だこれ。紙になにか書いてある。それが、靴箱に貼られていた。

 当然、私の字じゃない。見覚えのない、コンピューターを使って入力された文字、文章。

『扉を閉めるな』

 そう書かれている。

 扉を閉めるな……?

 犯人からの指示か?

 だけどなんで……?

 まさか、茅島さんを巻き込もうとしているのでは……

 そして、じっと私を見ているのだろうか、開け放した扉のはるか向こうの方、つまり私の背中の方向から……

 どうすれば……

 どうすればいいの……



      ★3



 ここからは、加賀谷彩佳の姿がよく見えた。

 それは少々の誤算。てっきり、茅島ふくみと一緒に自室に入るものだと思っていたが、なぜか茅島ふくみは大幅に遅れて来た。その間に、加賀谷は爆弾に捉えられて身動きできないでいる。一緒に入ってきたところを、まとめて吹き飛ばそうと思っていたのに、とんだ番狂わせだった。

 だけど、加賀谷は狼狽えている。首をぐるぐる回して、モグラみたいに。

 可愛そうなくらいの、その顔。

 だけど、安心して。

 あなたは、茅島ふくみの接近と共に、爆殺してあげるつもりだから。

 時計を見る。日付が変わっている。なんてことだ。早く帰らないとと言ったのに、これではお姉ちゃんに心配をかけてしまう。

 気を取り直して、加賀谷彩佳の方に視線を戻した。予想に反して、茅島ふくみはなかなか上がってこなかった。

 早く来なさい、茅島ふくみ。わたしは、引き金に指をかけるスナイパーの気分を、擬似的に味わっていた。

 方法は三つ取ってあった。

 もっとも好ましかったのは、さっき述べた通り、茅島と加賀谷が一緒に玄関に入り、そこを爆死させる方法。だけどこれは失敗。ここからが、わたしの策。そもそも加賀谷だけがあの爆弾に引っかかると言う事態を、想定していないわけではなかった。

 そこで次の方法が生きてくる。

 加賀谷を助けようと、茅島ふくみが外の窓から侵入してきたところを、窓側に隠してある爆弾で爆死させる方法。茅島ふくみのことだ。そのくらいの行動力は見せるだろう。窓には階段から飛び移ることも出来る。そのための誘導として、「扉を閉めるな」と書き起こし、見える場所に貼った。爆弾も加賀谷の見える位置に仕掛け、わざとらしく音も鳴るように設定した。こうすることによって、彼女らにはわたしが扉の側から加賀谷の後ろ姿を眺めている、と錯覚させているが、それは大間違い。事実は、窓側から彼女の正面姿を捉えている。見えづらかったが、これで十分。窓側なら犯人が見えていない位置関係にあるので安全、と油断したところを一気に攻める兵法だった。ここに仕掛けた爆弾は、それも小さいものを使った。最悪、茅島をここから地面に叩き落とせれば、それでよかった。彼女とて、一溜まりもないだろう。

 だがこれが失敗した場合の作戦も、わたしは考えてある。茅島ふくみだ。対策は多いに越したことはない。

 最後の作戦はこう。

 隣の部屋から壁に穴を開けて加賀谷を助け出す方法を、彼女なら思いつくだろうと想定し、隣の部屋にも大量に爆弾を仕掛けてある。幸い空き家だったので、わたしとしては爆弾を仕掛けやすく、茅島も遠慮なく壁に穴を開けて助けるという発想に至るだろうと思われた。玄関の上に、大型の爆弾を仕掛けた。耳で感知出来ようが、逃げ切れないくらい強力な物だ。

 ここまで仕掛けても、まだ十分と言えない。

 ここから見える範囲や、見えなくても把握しやすい廊下にも、感知しづらい程度の小さな爆弾を置いた。

 ここまでやった。

 ここまでやったのに。

 まだ……

 まだ足りないかも知れない。

 一人の人間を殺すことに対して、十分すぎるほど対策をとっているのに、

 なんでこんなに心が騒ぐの。

 わたしの心の何処かに、貴様に乗り越えられたいという思いが、あるのかもしれない。

 茅島ふくみなら、こんな程度で死んでもらっては困る、なんて。

 そんな趣味、わたしにはないって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る