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『おい、なにか進展はあったか?』
車内。焦っているような様子を隠しきれない医師の声が、電話越しに私達の耳を突き刺した。夜も深い時間になると、その声も心臓に悪かった。耳栓を探したくなったけど、車内の何処にもそんなものはなかった。
「今容疑者の話を順番に聞いているとこ」私の端末を握りしめながら、茅島さんが面倒くさそうに応答する。「次下方さんに会ったら最後よ」
『そうか……。いや、不味いことになったんだが』
「なによ」
『上層部の圧力さ。早く解決しろ、と煩い。警察署まで爆破されて、もはや軍隊が出るような事態だろう。これ以上ことが大きくならないうちに、早く処理しろ、だとさ。そうでないと、お前たちは敵に同情している敵性機械化能力者だ、とでも言いたいらしいね』
「なによ。こっちだって頑張ってるんだから……」
『それと警察に先を越されるのも気に入らないらしい。あいつら、こっちの協力要請にも適当な返事しやがって。我々とは仲が良くないことは、君たちも肌で感じてもらってると思うが』
「ええ、飽きるほど理解したわ。でも警察だって、もうなりふり構ってられないんじゃない」
「私達の出る幕なんてあるのかな」八頭司が悩みみたいに呟く。「機械化能力者だって言っても、ただの一般人が三人いるだけのチームだよ」
電話の向こうから、電気的に変換された歯ぎしりが聞こえた。私は苦虫を噛んだような顔をしている医師の顔を、脳裏に描いた。
『……それよりも、さっきようやく警察から直接連絡があってな。容疑者全員の、警察署が爆破された時のアリバイがわかったそうだが』
話題を反らせた医師は、概要を淡々と説明した。機械音声の朗読を聞いている気分になった。
土堀さんは取調べ中だったので除外。その時間はトイレにも立っていなかったらしい。彼女をかばって死んだ警察官が、ずっと付きっきりだった。
五十田先生は買い物をしていた。証明してくれる者はいないが、あの後でまた買い物にでかけたのか、と私は不審というか、心配になった。結構お酒を飲んでいた記憶があるけど……。
下方さんは仕事中だったが、その時間は休憩をとっていた。これも誰も証明してくれない。和海さんの家にはもちろん帰っていないが、休憩時間に何をしていたかは、わかっていない。
田久さんは家にずっといたが、その場所がそもそも警察署の近くだった。犯行は十分可能な距離だろう。つまりアテにはならない証言だった。
土堀を除けば、全員にアリバイがない状況だけがあった。
やっぱり彼女たちの中に、真犯人がいてもおかしくはないのかもしれないが、私では、その見当すらつかない。茅島さんは、こういう推理は得意なんだっけ。昔の彼女はよく暇つぶしのように本は読んでいたが、今の彼女が一定の推理力を有している保証は何処にもなかった。
何を疑ってるんだ私は。
茅島さんだぞ、彼女は。私なんか足元にも及ばないくらい、凄いはずだった。
医師の口うるさい電話が切れて、八頭司がホッとしていたけれど、私はそんな気分にはなれなかった。これでまた、茅島さんが、家に帰らないで犯人を捕まえようなんて言い出すに決まっていた。気が遠くなる。彼女は、ひょっとしたら死ぬまで止まらないつもりだった。
死からすくい上げられた女は、死を恐れなくなる。
私が一番知っている。
不躾なホテルが、目の前にそびえ立っている。
茅島さんが爆破に巻き込まれた例のホテルとは似たような外観だったが、こちらのほうが比べるまでもなく大きかった。同じ系列だとは聞いた。看板を確かめるまでもなくそう思った。こちらのほうが、観光客が多く集まっていることはわかる。
下方さんには、車内で連絡をとった。和海さんが予め話を通してくれていたらしく、下方さんは嫌そうな態度を隠そうともしなかったが、それでも最後には了承した。茅島ふくみと話せる機会が訪れることを餌に釣った甲斐があった。
変に威圧するだろうと思って、金髪の八頭司と物騒な腕をした精密女を車内に残して、私と茅島さんは車を降りてエントランスに向かった。するとその前に、見覚えのある女が立っていた。
「下方先輩」
茅島ふくみはその女に気づき、私よりもずっと早くに声をかけた。
女、つまり下方先輩は、不機嫌そうに缶コーヒーをすすっていたが、茅島ふくみを見るととたんに表情を取り繕った。
短めの髪を更に結んでおり、天然水みたいな清らかさを感じた。従業員の制服も、この業界に入ってどれくらいなのかは知らない(一年か、二年かその辺だろう)が、よく似合っていた。そして、整った顔面には、どうあがいても隠しきれない疲れのあとが、墨で塗ったように見て取れた。
私よりも背が高く、その印象は、疲れていることを除けば、学生時代からそう変わらない。
私にも気づいたようだったので軽く会釈をしたが、しかし彼女からの反応は何もなかった。
下方さんは茅島さんに向き合って、おもむろに口を開いた。ここで話をし始めるようだが、邪魔にならないか心配だった。
「……久しぶり、って言っても、覚えてないのよね? 前のホテルでそう言ってた」
「……はい。記憶喪失なもので」
自己紹介のような気軽さで、茅島さんは笑顔を見せながらそう言う。
「ふうん……。なんであなたが事件の捜査なんかを?」
「まあ警察にこの機能を買われたので」
「ああ……あなた、まだ耳良いんだ」
「急に悪くはなりませんよ」
「そうなんだ……」
ぎゅっと、缶コーヒーを握りしめながら、下方さんは遠くに漏らすように、そう呟いた。その目は茅島ふくみを見ていない。彼女の目から地面に投影される、この世から消えてしまった女の顔を見つめていた。
そんなことも何も気にしない様子で、茅島さんが下方さんに尋ねた。
「先輩、これまで爆破事件が起きた時間帯、何をしていましたか? 十八時か十九時ちょうどなんですけど」
「十九時ぐらいってことは……だいたい家に居たわ。朝早いこともあるけど、最近は特に夜勤が多くて。過剰なサービスよね、ホテルの深夜営業なんて。でも、たまたまあの時、あなたを見かけたときだけは、最近じゃ珍しく、昼間に出勤してあの時間にホテルにいたわ」
私は、話している彼女の腕をじっと見る。袖口から覗くのは、人間の生身そのもののような、血色の良い肌。人工皮膜でもこれくらいのものは、容易に作成可能だということはもはや常識ではあった。だけど、どこに機械らしい相違点があれば、と思ってじっと失礼なくらいに凝視した。それでも、私の目ではよくわからなかった。そんなことでわかったら苦労はしないし、なにも機械化部分が腕とは限らない。
「先輩。ご家族とは、どうなんですか?」
単刀直入に茅島さんがそう尋ねると、下方さんはバツが悪そうに眉をひそめたが、それでも口を開いた。不味そうにコーヒーを飲み干しながら。
「……見てきたわけ? そうよ。仲は悪い。昔から、私の将来のことで口出してきて、それがたまらなく嫌だった。この仕事に就いた時も、散々文句言われたっけ。夜勤だって言ってるのに、門限守れだ何だ。馬鹿じゃないのって思って、飛び出してきちゃった。そこからはずっと和海の家に泊まってる」
「お姉さんはそんな様子じゃなかったと思いますが」
「ええ。お姉ちゃんとは、まあ他の家庭ほどじゃないけど、私にしては仲は良いと思う。両親とが最悪だから、比較してそう見えるだけかも知れないわ。とりあえず、最低限の連絡だけはしてる。じゃないと、両親が煩いし、お姉ちゃんも心配するから」
「下方先輩は、大学では何を?」
「聞いてない? 人間工学を主にやってきたわ。それ以外はてんで駄目。なんで警察は、私が爆弾作れるなんて、思うのかしら。そんな器用じゃないっての。それでも人間工学は、機械化技術なんかが幅を利かせるこれから先の時代、絶対必要だと思ったんだけど、それを生かせる職場なんて、区内じゃめったになかったわ。いっそ闇医者にでもなろうかとも思ったけどやめたわ。路頭に迷った私には、こんな労働環境のホテルしか無かった。そうそう、今もこれ休憩扱いだから給料出てないんだけど」
「すみません、時間取らせて」
「いえ、良いの。久しぶりに、あなたと話したかったから」
そう言う下方さんは、ちょっと楽しそうな顔を見せた。前のホテルでは、自ら茅島さんに話しかけていた。以前から彼女に興味を持っていたと言う話。私と彼女が一緒にいる所に、割り込んできたこともあった。
「私のこと、ずっと覚えてるんですか?」
「忘れるわけ無いわよ。あなた、学校じゃ有名だったし、私はその耳がずっと気になっていた。歌手になりたかったって話、誰かから聞いた?」
「はい」
ふっ、と彼女は自嘲気味に目を伏せた。自ら着込んでいる制服を見下ろすと、それが重苦しい物であるかのように、壁にもたれかかった。
「あなたに興味を持って話しかけたのは事実。だって、ある時いきなり疎開しましたって言われたあなたが、急に目の前に、しかも馬鹿みたいに目立つ格好でいるんだもん。そりゃ、話しかけるわよ。しかも……加賀谷さんの姿もなかった」
彼女は私を、睨むでもなく見やる。
縫い付けられたように、私はその場から動けなくなった。
「私、ずっと加賀谷さんのことを、妬ましく思っていた。その実、憧れてたのよ。あの茅島さんと、なんでここまで親しくなれるんだろうってね。私なんて、歌手になりたいとさえ言えなかった。あなたの耳に、私の歌声を聞いてほしかった。それで将来を決定してほしかった。そんな、図々しい考えさえ持っていたんだけど、そんなことしたって、加賀谷さんの居場所に私をねじ込むことなんて出来なかった。それは、茅島さん、あなたを見ればわかった。あなたが真に拒まなかったのは、加賀谷さんだけだもの」
……。
「……本庄谷、和海さんから、大体のことは聞きました」
「そう……和海がね。あの娘は、私の親友なのよ。加賀谷さんと茅島さんほどじゃないけど、ずっと一緒に居たわ。お互い、そう信頼できる人が多くなかったから、必然的にそうなったようなものよ。だけど感謝してる。大学からの付き合いなんだけど、ここまでしてくれるのは、彼女しかいない。だけど……それに応えることが、ずっと出来ないまま、私は死んじゃうんだろうなって……少しだけ思うわ」
なんて言って、喉を擦る彼女。歌手を諦めた理由もわからないし、歌声だって一度も聞いたことはなかったけど、確実に前だけを向いていた瞬間が彼女にもあったことを、私は感じ取った。それが振るわなかった時、それだけを頼りにしていた人間は、どうなってしまうのか。
「最後に、一つだけ良いですか?」
「……ええ。もう良いの?」
「情報屋のことは、知っていますか?」
「ええ。使ったこともあるわ」
「そうですか。ありがとうございました」
下方先輩の思いを他人事のように処理して、茅島さんは去った。
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