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 土堀さんのことは救急の人に任せたところで、私の端末が見計らったように鳴った。

 電話を取ると、精密女に追い払われたはずの久喜宮だった。本庄谷の妹を連れてきたから、話を聞きたいなら角を曲がったところに止めてあるパトカーに来い、とだけ告げられて、一方的に電話が切れた。

 騒然とした現場を横切って、四人でそこへ向かうと、パトカーのそばでコーヒーだかを飲んでいる久喜宮、不機嫌そうに端末を触っている本庄谷、そしてその隣になんだか状況を何も理解してなさそうな女がいた。

 本庄谷和海、だと言ったか。

 こっちに気づいた久喜宮に、簡単に私達のことを紹介してもらう(警察に協力してる一般人だ、と久喜宮はのうのうと説明した)と、本庄谷妹も丁寧に会釈をした。兄と違って、人当たりの良さそうな、なんていうか柔和でお淑やかな、薄ピンク色の気体で身体が出来ているみたいな印象のある女だった。

 兄である本庄谷は何も言わず、黙って眺めているだけだった。茅島さんは構わずに、早速質問を飛ばした。

「下方奈々絵さんの友人で間違いないですか?」

「はい。確かに、奈々絵は私の親友です」和海さんは話し方まで、私達とはテンポが違った。兄とはもっと大違いだった。「最近ずっとうちに泊まってますけど……あの、奈々絵、なにか悪いことしたんですか?」

「それをこれから調べるんですよ」茅島さんの髪が、風で揺れた。「どうしてずっとあなたのお家に?」

 言いづらいことを訊かれたのか、苦そうな顔を露骨に見せる本庄谷和海だったが、兄のほうをちらりと見て、悩んだ末に答える。

「あの……奈々絵、家族と仲が悪くて。お姉さんとはまだ時折話すみたいですけど、両親とは最悪です。私、あの娘と長いんですけど、昔から心配してて、最近になってついに耐えきれなくなったみたいで……。こんなことぐらいしか私にはしてあげられないけど、奈々絵の助けになればと思って、私の家に泊めてます。別に嫌じゃないんです。私も、一人でいると寂しかったので」

「そうなのか?」

 本庄谷がそう尋ねると、和海さんは肘で突いて「黙って」とだけ吐いた。

「疑われてるのかも知れませんけど、奈々絵がそんな……爆弾魔だなんて、バカバカしいにも程があるわ。彼女……そんな人を殺すような人間には見えないんですよ」

「ずっと泊まってるって、着替えはどうしてるんですか? 新しく買ったとか?」

「私のを貸しています。私達、サイズがあまり変わらなくて」

 何処かで聞いたような話だ。私と茅島さんはサイズが違うが、私の方が大きかったので、彼女には我慢してもらえば問題もなく着ることは着れた。現在も私が貸した、少し大きめの衣類を、着心地が悪そうに裾を折りながら、上下共に着込んでいた。

「彼女……仕事もずっと忙しくて、あんな事件があったのに、今だって同じ系列の違うホテルに行かされてて。服買う暇も無いみたいで、そもそも私物もほとんど持ち込んでないですよ。身体壊さないかなって、いつも心配で……」

 はあ、と手を合わせて、誰もいない上空を見上げる和海さん。彼女の頭の中では、下方奈々絵が鮮明に見えているのだろう。なんというか、その気持はわからないでもなかったけれど、少し心配性がすぎるんじゃないかと、私は心の中で呟いた。

「お前、下方を匿ってるんじゃないだろうか」

 兄がそう問うと、妹は膨れた。

「なんてこと言うのよ。奈々絵は私が保証するけど、絶対犯人じゃありません!」

「それはまだ確定事項じゃねえんだよ。お前、下方が犯人だったらわかってるんだろうな。その場合は俺の立場まで――」

「まあまあまあまあ、不躾なこと言うもんじゃないぜ本庄谷くん、力抜けよ」

 久喜宮がにたにた笑いながら、間に割り込んだ。

「いや、あんたは他人事だから良いですけど、俺にとっては……」

「なんだよお前水臭いな、もっと人に言えないようなことしてきたじゃねえかよ。俺もお前も共犯さ。今更そんなこと気にすんなよ。知り合いに手ぐらい回してやるよ」

「嫌ですよ、一緒にしないでください」

「もう兄さん」和海さんが眉を曲げた。「久喜宮さんとは仲良くしてって、いつも言ってるじゃない」

「馬鹿野郎、屈辱だろそれこそ」

 そうは言うものの、急に楽しそうな表情になる本庄谷兄。後ろで八頭司と精密女が「やっぱりあの二人、どう見てもいいコンビだよね」と話しているのが聞こえた。改めて、否定すらできなかった。

 コホンと咳払いをしてから、茅島さんは再び尋ねた。

「和海さん、私のことはご存知?」

 彼女ははい、と予想以上に素直な頷きを見せた。

「知ってます。茅島ふくみさん、ですよね。大学の時、ずっと奈々絵が話したかったみたいですけど、そんな機会もあんまりなくて……。彼女、あの頃は半ば本気で歌手を目指してて、あなたの機能に興味があったんでしょう。私も力になれたらと思って、音響のことを勉強してみたこともあるけど、なんだか結局さっぱりで。奈々絵にそこまで望まれる、あなたがちょっと羨ましかったな」

 目を細めて、じっと茅島さんを見つめる彼女。

「下方さんって、どんな人なんですか?」

「別に、そう特別じゃなくて、ただ明るいだけの人です。明るくて、いつも楽しい話を私にしてくれた、私の大切な親友です。性格も正反対だったけど、なんだかウマが合ったのね、私達。素を見せていいって所が、私は居心地が良かったんです。だけど彼女、最近ずっと疲れて帰ってきてて……二人でゆっくり話すなんてことも、あまり無くなっちゃったな」

「そうなんですか」

「それでも、なるべく早く帰るわ、なんていつも言ってくれるんです。それもどこか無理させてるような気がするんですよね」

 なんて、何故か泣きそうになる和海さんを見ていると、こっちまで妙に心配になった。本当に大切な友達だ、ということだけは、なによりも空気を介して伝わってきた。

「なるほどね。ありがとうございます。下方さんと連絡取りたいんですけど、番号と、勤務先を教えて貰えますか?」

「なんだよ俺に聞けば教えてやったのに」久喜宮が横槍を入れたが、無視をした。

 私の端末に下方さんの連絡先を入力して、茅島さんは満足そうに和海さんにお礼を言って、この場を後にした。現場のことも含めて、あとは久喜宮がなんとかしてくれるだろう。

 四人で歩きながら、茅島さんは活気に溢れた表情で言った。

「じゃあ、下方さんに会いに行きましょうか。この時間は……今日は夜勤だからまだ仕事って言っていたわね。忙しいみたい」

 私は思わず時計を見た。二十三時半。彼女の体力は底がないのだろうか。なんとなく八頭司の方を見やると、彼女も平気そうな表情をして、背筋をぴんと伸ばして歩いていた。普段この時間は、彼女もクラブで遊んでいるような時間なのかもしれない。

 言いづらかったが、私はなけなしの勇気を振り絞って、茅島さんに言った。

「あの……もう、帰りませんか?」

「あら、どうして?」

 寝るという概念から解き放たれたような顔をして、彼女が首を傾げる。

「夜も遅いですし……犯人が捕まらなくて、おちおち眠れないっていうのもわかるんですけど、ほら、無理はいけませんよ。一旦寝て、整理してから明日また考えれば案外すぐに追い詰められるかも知れませんよ」

 うーん、なんて唸りながら、彼女は腕を組んで悩んだ。本当に寝ないで犯人を捕まえるつもりだったようだ。いつから、そんな自分を軽んじるようになったのか、きっと私の知らないところで、変な人達と組むようになってから、そうなってしまったとしか思えなかった。

 それでも彼女は、思ったよりもずっと素直に、首を縦に振った。

「…………そうね。眠れる時に寝ておかなくちゃ……。今は、警察の現場検証が済むまでは、待機しておいたほうが良いのかも……」

 やった、と心の中では大声で叫んだ。

だけど、八頭司が横から不躾なことを突き刺した。

「ええー。だって、警察もそんな大事な情報、教えてくれないかも知れないじゃん。私達のこと、ほとんど邪魔者みたいに扱われてたでしょ。寝てる分遅れは絶対取るよ。その間に、警察の奴ら、私達を出し抜くかも知れないじゃん。そうなったら……医師からの評価はだだ下がりだよ」

「ちょっと、余計なこと言うなよ」

「いやだな彩佳。そんなに怒らないでよ」

「ですがまあ……」じっと立っていた精密女が、首をぐるりと回しながら口を開いた。肩でも凝ったみたいだ。「流石にこれだけ事件に巻き込まれれば、少々精神的にも肉体的にも疲れましたね。どうしますか、蝙蝠女」

「そうね……彩佳も疲れてるだろうし、いまならそう捜査も進展してないでしょう。だけど、下方さんから何も聞けないのは、決まりが悪いわ。彼女に会うだけ会って、その後のことは明日考えましょう」

「文句ないです」

 私と八頭司も、茅島さんの提案に賛成だった。何より、家に帰るという選択肢が、彼女に当てはめられたことが、私にとっては何よりも喜ばしいことだった。

 また私の家に、彼女が来るんだ。

 彼女との日々は、まだ終わってないんだ。



 置きっぱなしだったレンタカーに戻ると、四人でそれに乗り込んだ。

 助手席には私、後部座席には茅島さんと八頭司。そしてなんと、運転は精密女が座った。本人が車を前にして急にそう言いだした。腕の動作は不安定だなんて、自分が言っていたのだけれど、本当にオートドライブと言えども無事に帰れるのだろうか心配になった。

「あんた、運転できるの?」

 不安そうに、茅島さんが尋ねた。精密女が、機械の両腕を合わせて音を鳴らした。任せろ、というジェスチャーだろうか。

「いやですねえ。免許はありますけど、オートドライブですよ、今頃は。私が操作するのは、アクセルとブレーキと、ハンドルの微調整です」

「その微調整が心配だってのよ……」

「まあそう言わずに。運転は慣れっこですから。車はあとで私がお店に返しておきますので、彩佳さんの家まで行きますよ。まずは……下方さんの勤務しているホテルですね」

 精密女の代わりに、私が行き先を車に入力すると、車体がゆっくりと動き始めた。そのままスピードが乗ってくると、あっけないほど危なげなく、精密女は運転をこなしていた。私よりも、ずっと安定していた。



      ★2



 時として、情報屋というものは、インターネット検索よりも、遥かに便利なものとなる。

 あるーざ・ふぁらくす。この区で最大の情報収集力を持ち、人脈も広く裏社会を取り仕切っているとさえも言われる情報屋だが、とてもそんな風には見えない店構えが、いつもわたしを面食らわせた。

 そんなプロ御用達と言っても良いくらいの深い情報を取り扱っているが、客のほとんどは意外なことに学生、近所の主婦、そして老人や子供までもが利用する。

 圧倒的な間口の広さ。それが、さらに連鎖的に情報網を広げていく。情報を買った者から、新しい情報を仕入れて、それを高値で売る。客は増え、商品の幅と質が高まり、同業の中でも他の追随を許さないくらいの規模に進歩した。

 わたしも、そんな一般客のうちの一人として利用していたのだが、今日はいつもの用途とは、少し違ったことを尋ねるつもりだった。

 あの加賀谷彩佳。

 加賀谷彩佳のことを聞き出そうと思い、足を運んだ。彼女のことを調べ上げて、茅島ふくみを爆殺する出汁にする。自分で調べると、足がつくかも知れなかったから、情報屋に頼った。

 情報屋の人間はいつも同じだったが、もしかすれば格好が同じだけで、中身は入れ替わっているのかも知れなかったけど、わたしには確かめるすべすら無い。

 さて、住所等にあたる機密性の高い個人情報を彼から売ってもらうには、少々高額なお金と共に信用のある情報も提供しなければならない。これは彼の決めたルールで、おいそれと明かすことの出来ない深刻な個人情報を売ると、売られた人間からの情報屋への信用が失われ、客が減る。その代償として、人に売れるだけの情報をもってこい、というのが条件だった。

「で、なにか売る情報はあるんですか?」

 さっそく加賀谷彩佳の個人情報を尋ねると、その答えがカウンターのように飛んできた。

 わたしは一言、口に出して言うことをずっと練習していた言葉を、そのとおりに発音した。

「連続爆破事件の犯人はわたしです」

「……なるほど。結構」

「信じてくれるんですか?」

「それはもう。拾い集めた情報から裏付けを取っていくと、信憑性は十分にある」

 わたしが売れる、最大限に価値のある情報であると同時に、わたしのひとつの切り札だった。これでもう、わたしはいつ捕まってしまってもおかしくない。だけど、直接爆弾魔の犯人は誰だと尋ねる馬鹿も逆に存在しない、という保険も意識した行動だった。情報屋も、そう安々とこの情報は売らないだろう。

 つまり、さほどリスクにすらならない。わたしはそう判断していた。

「えっと……加賀谷彩佳の個人情報ですね。そんな事でいいんですか? あなたのもたらした物はもっと重要な、国家機密の一端でも買えるレベルですよ」

「あなたは、通報しないんですか?」

「警察に関わると厄介なんでね」

 そして彼は、加賀谷彩佳の住所と、詳しい経歴を添えて教えてくれた。

 家庭環境に嫌気が差して田舎から出てきたこと、引っ込み思案で友達も少ないこと、あの大学の生徒であること、茅島ふくみの大切な友人であること。茅島ふくみに対して、独占欲にも似た感情を抱いていること。

 そして、最近未遂に終わったが自殺を図っていたこと。それだけわかれば十分だった。

 さらに情報屋は、茅島ふくみとその仲間の詳細も教えてくれる。どうせ尋ねるつもりだったから、丁度良かった。それくらいの情報を売ったつもりだった。

 精密女と呼ばれる危険な腕を持った女と、それのサポートをする演算女と呼ばれる女。本名は八頭司美雪。茅島ふくみを入れて、チーム『戦慄』というまとまりに属していること。警察の捜査に協力するように派遣されているが、肝心の警察からの評判は芳しく無く、衝突が絶えないこと。

「それから加賀谷彩佳ですけど」

「まだなにかあるんですか?」

「茅島ふくみは今、彼女の家に泊まり込んでいます。このことから察するに……彼女、実際事件なんて解決したくないようですね、態度にも現れています」

 情報屋の説明は、納得の行くものだった。

 加賀谷彩佳は、わたしを捕まえたくない。捕まって欲しくないのか。茅島ふくみと離れることになることを指すから。

 なにかに利用できるかも知れない。わたしは、その情報を、宝物のように胸にしまいこんだ。

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