2

 土堀綾乃は無事に助かった。

 精密女は近くに停めてあったパトカーのそばに、そのまま土堀を座らせると、救助隊に知らせに消えた。残された私達は、土堀を見守ることにしたが、途中で警察に取り調べを受けた。大したことは訊かれなかったが、わりとこっぴどく叱られた。だけど久喜宮の名前を出すと、それも突然大人しくはなった。

 土堀綾乃は、話の通りだった。真っ赤な頭に、すこし頭の悪そうな格好と顔をしていて、その実怒ると怖そうという風評だけが一人歩きをしていた。そんな威圧感のある女がじっと膝を立てて座って、辺りをぼーっと見つめていた。放心している、と言った表現が適切だった。無理もない。大規模な爆発と、眼の前で人が自分を助けて死んだのだから。

 だけど、そうなると彼女は犯人からは外れるのだろう。自分への疑いを払拭するために、自らを傷つけるというのは常套句かも知れないが、そこまで疑えばキリがなかった。とにかく、彼女の機能を尋ねてみなければならなかったけれど、今はどうもそんな気分になれなかった。少しだけそっとしておこう、素直にそう思った。

 しばらくすると、久喜宮と本庄谷が姿を見せた。心配だったけれど、彼らも大きな怪我はないみたいだった。

 彼らは、土堀の様子なんて構わないで、彼女に質問をした。

 土堀は音読でもするみたいに淡々と答える。取り調べを受けていたら、突然爆発音がして、部屋が吹き飛んだ、と。咄嗟に反応した、彼女を担当していた警察官が、土堀を助けるために犠牲になったこと。それでも足を怪我して、その場から動けなくなっていたところを、私達に助けられたこと。

「尋問中に、ねえ……」久喜宮は唸る。「たしかにこれは、あのホームレス一人分の爆発の規模じゃない。他にもいくつか爆薬が仕掛けられていたことは歴然としているが、土堀にそんな隙があると思うか? 俺は土堀さんのことはシロだと思うね」

「……トイレに立った記録はあるんですか?」

 本庄谷が質問すると、久喜宮は何も見ないで答えた。

「二度ほどあるが、いずれも付き添いに警官が着いていた。爆弾を仕掛けるなんて不可能さ。土堀さんは私物すら持ち込めていない。これ以上疑うのは労力の無駄じゃないのか」

「じゃあ他の三人は? 容疑者の」

 と茅島さんが尋ねると、久喜宮は楽しそうに頷く。

「なんと、取り調べが終わったら即開放だ。トイレにも自由に立てるし、警察の付き添いもない。署内で怪しい動きをしていても、はっきり言ってよくわからんな。こんな所に呼び出されて、堂々としてるほうが逆に怪しいだろう。まったくなんてセキュリティだ、と君は思うかも知れないが、もちろん俺もそう思う」

「同意を求められても困るわ……」

「つまり……ずっと土堀さんだけをマークしていたんですか?」

 私が意を決して尋ねた。意外そうに久喜宮は鼻を鳴らした。なんだか今まで舐められていたのかも知れない態度だった。

「うん、ああ、そうだよ。だから、他の容疑者なんて、参考人程度の扱いしかしていなかったが、土堀さんは別さ。始めから犯人だと決めつけていた。他の容疑者は罪も確定していない以上、あまり過剰に犯人だと決めつけて取り調べることも出来ないが、彼女は別なんだよ。元よりそのつもりで捜査していた。上からはそうするように指示されている。ま、見事に外れだったようだがな。この落とし前はどうつけるのか、ちょっと楽しみではあるがな」

 土堀綾乃は無実だった。

 そんな確定情報が、私を悩ませる。候補が消えたことよりも、真犯人に近づきつつあった思考が途切れたことのほうが、ずっと気分が悪かった。

 そして、解決が長引けばいいと思っている自分が、少しだけ喜んでいることにも気がついた。

「刑事さん。土堀さんに質問しても良いかしら」と茅島さんが訊いた。

「おい、許可だろうが被害者に負担掛けるわけには……」

「まあまあ本庄谷くん。土堀さんなら、もう大丈夫さ。お嬢さんの好きにしな」

 茅島さんはお礼を言って、屈んで土堀と目線を合わせると、彼女に対して口を開いた。土堀はさっきからずっと同じ格好で、私達の話を聞いているのか聞いていないのかすらよくわからなかった。

「ねえ、土堀さん。犯人について、なにか知っていることが、あれば教えてほしいんだけど」

「…………ここじゃ嫌だ」

「どうして?」

 土堀は警察の二人を、ハエでも見るように横目で睨んだ。それに気づいた精密女が刑事二人を、物騒な機械の腕を回して追い払った。本庄谷の顔が、更に不満そうに歪んでいたのがかすかに見えた。

「……これで良い?」

 と首をひねりながら、茅島さんは笑顔で尋ねた。ものすごい美人特有の特権だった。

 そこでようやく安心したのか、土堀さんはゆっくりと話し始める。

「…………犯人の機能は、多分遠隔操作だよ。電波で、遠くから爆弾を操ってる。あたし、自分の機能の関係で、電波が薄っすらと見えるんだ。それを辿って、犯人を捕まえるなんてことは、無理だけどさ」

「それ、確かなの?」

「あなた、クラブで会ったことあるよね?」パトカーに軽く腰掛けながら、八頭司が口を挟んだ。「そのとき、自分の機能は電波に関係するって言ってたけど……」

「ああ、うん……あんた、あの時の娘なんだ……。あたしの機能は、電波の軌道を変えること。つまり、電波妨害。その影響で、電波が薄く見えるようになったんだけど……。ある日さ、変な、見たこともない電波が目についたんだよね。なんだろうと思ってて、普段なら全然気にしないんだけど、それだけは他と全然タイプが違った。何ていうか、よくわかんないけど。とにかく気になって、次の日も見に行ったら、その場所が爆破されたんだよ」

「それは……」

「うん。ガソリンスタンドから続いてる、連続爆破事件の一部だって言うことは、あたしにだってわかった。犯人は、予行練習でもやってたんだと思う。だから、あたしは気になって、その変な電波を見つけた場所をずっと張り込んでいった。この間のホテルなんか、中まで入ったんだけど、結局収穫はなかった。危ないと思って、トイレに逃げ込んだんだけどね。だけど、犯人を追っていくと、わかることもあった。爆破時刻はいつも十八時ちょうど、もしくは十九時ちょうどだった。警察が知り得る前から、あたしは知ってた。爆発がこのジャストの時間から、ズレたことはない。さっきの爆発だって、二十三時ちょうど。だけど時限式じゃないことは確かだし、なんでそんなことをしてるのか、あたしにはわからなかった」

「スーパーの時は十九時過ぎ、と聞きましたけど」精密女が尋ねる。「これは模倣犯ですか?」

「ううん。違う。あれはあたしが、電波を妨害したんだ。慣れてきたから、ずっと見てるだけなのは嫌だし、誰かを救えると思って。妨害自体は成功してたんだけど、だけど、どんどん犯人の電波の出力が強くなって……爆発の時刻はずらせたけど、結局防ぐことは出来なかった。あんな力があるなんて、思わなかった」

 それであの事件だけ、時刻がおかしなことになったのか。とにかく時限式でないことは、はっきりとした形で提示された。

 あそこにいた誰かが犯人か? 外を通りかかった五十田先生。本当はもっと遠くに隠れていたが、電波妨害のために近くまでこざるを得なかったとしたら……。

 そして爆発前に逃げ出した田久さん。妨害によって時間どおりに爆破して、自分は脱出できない事に焦って出力を上げて、走って逃げ出したのだろうか。

 だけど下方先輩は……まだよくわからない。本人に会うのが一番いい。

 とにかく犯人の機能が、彼女の口から判明した。電子機器を遠隔操作できるという。爆弾に受信装置を取り付けておけば、十分機能での爆破も可能だろう。そしてその機能を利用すれば、監視カメラのスイッチや証明を落とすことも、まったく不可能な話でもない。

「なんで、そんな大事なことを、誰にも言わなかったの? 警察だって、知らないじゃない」

 そう茅島さんが問い詰めると、土堀は舌を出して、大学生らしく笑った。

「だって…………警察嫌いなんですよ、あたし」

「あんた……それ本庄谷刑事の前で言っちゃ駄目よ。絶対真っ赤になって怒るから、あの人」

「はは、ごめんなさい……。今言ったこと、別に警察に言ってくれてもいいです。ただ、あたしが、自分から警察に言うのが嫌だっただけで」

「そう言えば、土堀さん。私のことは知ってる?」

「……いいえ。名前も知らないんだけど」

 茅島さんの顔を見て、キョトンとしている彼女。あの大学にいながら、茅島さんのことを知らないなんて、そんな人間もいるものか。私は意味もなく憤った。

「ああ、ごめんね。私は茅島ふくみ。その……警察に協力する立場なんだけど」

「茅島……なんか聞いたことはありますけど、有名人?」

「いいえ。思い出せないなら、それでいいわ。私も知らないから。あなた、今は一人暮らし?」

「はい。親も実家にいますから、そう簡単にはこっちに来ません。そんな事聞いて、どうするんですか?」

「あなたの無実を証明するのに必要なのよ」茅島さんは、さらに笑顔を作る。「情報屋は、利用したことある?」

「ああー、あるーざなんとか言う情報屋ですか」彼女は、悪さをしたことを恥じるように頭をかく。「使いましたよ。当たり前じゃないですか。あたし、見たままの不良なんで。テストなんか真面目に受けるわけないんですけど、単位は落としたくなくて。でも使ったことがバレたんですよね、あいつに」

「誰に?」

「五十田」

 先生。

 その名前を聞くと、点がつながるような感覚があった。私はつばを飲み込んだ。

「みんな情報屋使ってるってこと、知ってるんですよ、あいつ。知ってて、情報屋にダミーの問題を流すんです。おかげで散々な点数取ったうえに怒られました。卑怯だと思いませんか? こっちは一つの単位でも命くらい大事だって言うのにさ……」

 五十田先生も、情報屋を利用したことがあるのか。同じことを考えたのかは知らないが、茅島さんも、彼女の話にわざとらしいくらい深く頷いた。

「意外な使い道ね。情報屋にそんな融通効くの?」

「あそこ、値段次第でなんでもやりそうですよ。あいつ、あの歳で結婚もしてないから、金余ってるんですよ、そうに違いない」

「まあ、それはわかんないけどさ……」茅島さんは呆れたように言った。「クラブミュージックサークルの部室に爆弾があったんだけど、あなた、誰かに恨まれてるってことはない?」

「ええ……そうなんですか。あたし、所属はしてるけど、そんなに顔出さないから、恨みとかは買うことはないと思いますけど……他の部員も、目立たない人ばっかりですし」

「ふうん。ありがとう。他に知ってることはない?」

「……うーん、特にはないと思いますけど」

「そう。ありがとうね。また何かあったら話を聞きに行くわ」



      ★1



 こんな時間だ。こんな時間に活動することは、わたしの道理に反していた。

 理由は、あの男がうるさいこと。もう一つは、明日までに必要な人数を殺さないといけないこと。予定は組んでいたが、そう簡単に滞りなく進むわけでもなく、予定というものは、往々にしてわたしを裏切ることがある。

 そのツケを、期日と決めた今日取り返そうとしているのは、間違っているのかも知れないが、わたしには、他に捻出出来るような時間もなかった。

 警察署を爆破するのは、いささか抵抗があった。まだ、一般市民としての良識と善意と帰属意識があるのだろう。そんなもの、早く捨ててしまいたかったのに、わたしは最後まで人であろうとした。

 警察署を選んだのには、これも理由があった。殺すと決めた人間が、警察署に集まっていたからに他ならないし、上手く行けば茅島ふくみをおびき寄せることも出来る。まあ、おびき寄せたところで、処理できるものでもなかったけれど。

 土堀も巻き込んで殺そう。そう考えた時から、わたしの計画は定まった。彼女を殺す理由は、単に邪魔だったから、というのが大きい。もちろん、わたしの代わりに疑われてくれる立場は、非常に好ましい部分もあったけど、それ以上にデメリットが目立った。どうせ、もうこれ以上は茅島ふくみを殺すことしか考えていないから、彼女が疑われようが疑われていましが、わたしには興味がなかった。

 取り調べを受けた際に、自然な動作で小型の爆弾を仕掛けた。手荷物検査も受けなかったので、持ち込みは容易だった。変に屈んだりしなければ、それほど目立つこともなかったし、主な爆薬はもっと別に用意していた。これはただ、土堀を殺す確率を上げるための保険だったし、規模を広げることによって、警察を妨害することにもつながった。

 だけどこの計画は、失敗した。いや、途中までは上手く行っていた。仮にこれで土堀を殺せなくても、さほど問題はないと思っていた。

 しかしそうではない。もっと最悪の結果だ。

 茅島ふくみが、わざわざ土堀を救出した。待っていれば警察がいずれ飛び込んでいただろうが、彼女はそんな事に期待せずに、自ら崩れかかった建物に飛び込んだ。

 馬鹿だ。わたしはそう思った。馬鹿としか言いようがない。

 でも、そこが彼女の、良いところ。最高の女。なにもかも、わたしの予想を超えてくる。こんなにドキドキすることはない。爆破や犯罪を娯楽にしているつもりはなかったのに、彼女の行動を見ていると、胸が高鳴ってくる。

 ああ、早くあなたを爆殺したい。耳の奥の方で、手段が目的に変わっていく音が聞こえる。

 それだけに、そんなあなたの近くを、ずっとうろちょろしている女が、たまらなく目障りだった。

 加賀谷彩佳。

 見ている限り、茅島ふくみの大事な知人の女。少なくとも、加賀谷本人はそう思っているみたいだった。

 ただ目障りなだけの女が、わたしには狙い目に見えた。

 そうだ。ここが狙い目。ここを狙って、崩して、葬り去らないと、わたしは永久に、茅島ふくみに勝てない。

 加賀谷だ。加賀谷彩佳を狙え。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る