4章 へし折られるフロート

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 混雑が凝縮された地下鉄をあとにして、走っていた。

 地下鉄に乗ることは困難だと私達は判断して、それなら徒歩で向かう他ないと茅島さんは言ったけれど、私は自分が運転免許を持っていることに気づいた。

 レンタカー。その日常ではあまり使わない単語が出てくるまでに、およそ数秒必要だった。

 最近のレンタカーは、待ち時間をほぼ必要とせずに借りられる、と聞いたことがあった。道路のほうこそずっと混んでいるのかと思いきや、こんな入り組んだ街を毎日運転するような人間のほうが少ないのか、予想よりも交通量は少なかった。

 どこでも良いからと最も近くにあったレンタカーショップに駆け込み、コンピューターに向かって手続きを始めると、ものの三十秒後には、隣の車庫から呼び出されただろう車が、店の前に用意されていた。

 車種はなんだって良かったので、適当に空いているものが選ばれたのだろうが、古臭い、とにかく乗れれば良いという層に向けて貸し出される車だった。

「念の為聞くけど、彩佳、運転できるの?」

 車を前にしてもまだ疑っているのか、茅島さんにそんなことを訊かれた。

「はい。まあ、オートドライブ使いますから、そんなに難しいことはないんですけど」

「お酒飲んでるんじゃないの?」

「それも、オートドライブなら大丈夫ですよ。たかが人工ビール一杯ですし、法には触れませんよ」

「美雪は?」

「私は免許持ってないよ。精密女なら持ってたと思うけど……。ふくみは?」

「私も当然無いわ。いつも身分証に困るもの」

 車に乗り込んだ。ドアを閉めると、外との空間が区切られるような感覚を思い出した。運転席が私、サポートに優れているという理由で助手席に八頭司、後部座席には茅島さんが座った。

 息を深く吸って、手順を思い出す。大丈夫。そう複雑なものではない。震えそうな指で、エンジンを点火した。久しぶりの運転は、身体に嫌な汗を一滴、筆でなぞるように滲ませた。

 何か、過去に事故を起こしたことがあるわけではなかった。ただ、私なんかが車に乗って交通を妨げてしまうことを考えると、あまり積極的にはなれなかった。

 パネルを操作して目的地を設定した。極めて常識的な手順。八頭司にも手伝ってもらったから、間違いはない。アクセルを踏み込むと、遠慮がちに車が動き出した。この感覚。かつては何度か味わった、大きな物を動かしているというか、自分自身の身体が鉄と同化してしまったような、そんなに面白くもないような手触りだった。

「行けそう? 彩佳」

 初めて車に揺られるような顔をしながら、茅島さんは私を覗き込んだ。

「はい……。後は気をつけてハンドルを握って、必要な時にブレーキを踏むだけで到着します……」

 車はスピードを上げる。

 しばらくそのまま道なりに進むと、大通りの方へ出る。車の数が一気に多くなる。私はブレーキを嫌いな人物の顔みたいに踏んだ。車体が止まる。信号待ちの渋滞に連なった。ぴたりと動かない。まるでタイヤを糊でくっつけたみたいだった。

 ただ窓から、悪趣味なネオンと、塗りつぶしたような暗闇だけが浮かぶ。

 参ったな……。

 私は誰にも聞こえないように、そう呟いた。

「ちょっと、混んでるじゃん。なんだよこれ」

 八頭司が端末を開きながら、不満そうに漏らした。

 確かにこれでは、地下鉄とそう変わらない。歩道から見る限りでは空いていると思ったのに、このあたりはそうは行かなかった。自分の判断が失敗だったのかと悔やんだ。

「駄目よ、これ向こうの方まで渋滞になってるみたい」

 茅島さんが窓を開けて、顔を出しながら言った。耳を使ったらしい。

 地下鉄よりもひどい状況になった。

 私が車を使おうなんて言わなければ今頃は……

 指の間から水みたいに流れていく時間が、私を苛んでいた。焦りで押し殺されそうになっていると、八頭司が備え付けのナビを操作していた。

「この道って、行けないの? すぐそこじゃん」

 彼女が指さしたのは、数メートル先の路地裏だった。

 確かに車両が通ってはいけないということではないが、ここはオートドライブの管轄外だった。こんなところを無理やり通るほどの技量が、私にあるわけがない。

「そこは……危ないよ。ぶつけるかも」

「でも、ここから、ここに抜ければ警察署まですぐじゃん」

「すぐって言っても……」

「彩佳、難しいの?」

 茅島さんが、私を心配するように見つめる。

 私には、断る理由も選択権もない。

「……なんとか、やってみます」

 オートドライブを切った。これでハンドル制御もアクセルもギアチェンジも、何もかもが私の意思を反映する。逆に言えば、間違えれば取り返しがつかない。

 酔いはもう覚めていた。判断に差し支えはなかった。

 ゆっくりと指示器を出して、列からはみ出た。そのまま頭から路地裏に突っ込んだ。

 狭い。道が悪い。ブランクがある私をこんなところで走らせるなんて、命知らずな連中だな、と心の中で呆れる。

 だけど不可能じゃない。無理をすれば通れないことはなかった。

 車体が壁に触れる。本当に車が通れるようになっているのかどうかを疑った。

 大丈夫……

 私は今、茅島さんを乗せている。失敗は、絶対に許されない。そう思うことで自分を縛った。

「ちょっと、これ、ごめん、やっぱり無理じゃない!?」

 八頭司が急に弱気になって、声を上げ始める。

 茅島さんは手すりに捕まって怯えながらじっとしていた。怖いのだろう。

「……行けるよ、こんな程度……行かなきゃ……」

 私にしかできないことを見つけて、ほんの少しだけ、私は気分が良くなっていた。



 警察署にたどり着いた頃には、車体が削れて細くなっているんじゃないかという懸念に囚われたが、車を降りてみるとそんな幼稚な妄想のことはどうでも良くなった。

 警察署が燃えていた。火を吹いて、窓ガラスは所々破れている。その周りを、倒れて怪我をした人や、辛うじて元気そうな警察が取り囲んで、慌ただしそうにしていた。

 本当に、爆破したのか……。

 もう犯人は、なりふりを気にしている段階ではないのかもしれないが、それにしてもやり方が強引すぎる。

 焦っている。

 犯人からは、そんな感情を感じないでもなかった。

「……スーパーの比じゃないわよ、これ」

 見上げながら、悔しそうに茅島さんが呟いた。

「そうだ、精密女。何処行ったんだろう」八頭司が周りを見回す。「まさか……死んじゃったんじゃ……」

「私はゴキブリよりもしぶといですよ」

 驚くと、車の直ぐ側に精密女が立っていた。黒い腕をぶらぶらさせながら手を降っていた。いつもの長い鞄も肩から下げている。

「あんた無事だったの!?」八頭司が彼女に詰め寄った。「無事なら、連絡のひとつくらい返せばいいだろ!」

「連絡?」

 精密女は自分の端末を開いて確認すると、苦笑いを浮かべた。

「あー、ごめんなさいね。気づきませんでした」

「…………あんたらしいよ」

「精密女。何があったの?」

 茅島さんが尋ねると、精密女は急に取り繕ったような真剣な表情で、告げた。

「私は警察にここへ呼び出されて、医師に伝えたいことがあるから待っていてくれ、と言われました。多分、土堀さんの情報を、医師に流そうという動きでしょう。医師本人になぜ直接連絡しないのかは、まあ嫌がらせの意味もあるんでしょうけど今のところは置いておきましょう。とにかく入ったところにある受付で、私はずっと座って待っていたんですけど、すると変な男が入ってきたんです。いかにも見た感じというか……」

「ホームレス?」

「ああ、はい。そういう風貌です。で、受付に執拗におかしなことを言ってたんですよ。着いてこいだとか、なんだとか。私も流石に不審に思って、じっと眺めていたんですけど、そうしたらその男が……」

「…………」

「爆発しました。私は離れていたので、怪我はないんですけど、受付の人は、亡くなりました。先程調べられたようですが、破片も残ってないそうです。今まで用いられた火薬と、同一のものでしょうね」

 さっき、久喜宮たちに任せてきたホームレスと同様だった。

「犯人は……人間を爆弾の代わりにでもしてるってわけ?」

「他の事件はわかりませんが、今回は明らかにそうです。私がこの目で見ましたから」

「爆破時刻は?」

「二十三時ちょうど。時間は遅いですが、今までの事件と同様に、正確な時間を刺しています。今は、二十三時三十分ですね」

 その返事も聞かずに、茅島さんはあたりを見回した。救急、消防、マスコミなどが遅れて到着している。スーパーの時に見たような光景。だけど、その倍ほどの規模だった。

「……土堀さんがいない」

 茅島ふくみは呟く。

「土堀さん? おかしいな、もうとっくに助けられたと思ったんですが」

「ふくみ……もしかして、まだ中にいるんじゃない?」

「そんな馬鹿な……」

 救助隊の方を見やると、素人が見ても分かる程度には滞っていた。手が回っていない。予想以上に多くの怪我人と、この建物の状況。消防のおかげで鎮火しつつあるが酷い火災のうえに、コンクリート片が散らばるようにして転がっていた。

「取調室って何処?」

「確か……一階の端ですよ」

 それだけ聞くと、茅島さんは恐ろしい速さで飛び出していった。

 目を疑った。

 土堀を助けに行くのか……?

 そんなこと、救助隊に任せればいいのに、なんで自分がそんな危険を背負うのだろう。

「待ってよふくみ! 危ないって!」

 八頭司がそれを追い、さらに精密女が追従した。私もためらいがちに、その背中を追った。誰かに止められそうになったが、そんなことはどうでもよかった。怒られたら、あとで謝ればいい。

 建物内に入ると、惨状が目に入る。

 崩れた椅子、机、破壊された器具。元の原形さえ、よくわからない。煙で周りがよく見えない。死体も転がっているのだろうが、幸いにも視界には入らなかった。

 こうして見ると、火力は異常だが確かに爆破の範囲自体はそう広いものでもない。それだけにこの状況から鑑みると、爆弾は一つではないらしい。

 何してたんだ警察は……。

「取調室は、あっち?」

 振り返って、精密女に茅島さんが訊いた。

「この奥か……反対、どちらかです。忘れました、すみませんね」

「まったく……。まあ見てなさいよ」

 茅島さんは足を踏み鳴らした。音が建物の中を響いていく。その反響を拾って、土堀の場所を割り出す彼女。

「やっぱり……こっちだわ。こっちのほうが、物が多いみたい……」

 廊下の奥を突き進む。煙が酷い。ハンカチで口を抑えながら進んだ。なんでこんなこと私がやってるんだろう、という疑問が降って湧いたが無視した。とにかく茅島ふくみに着いていけばいい。

 やがて、瓦礫に塞がれたドアが見える。プレートをよく見ると、取調室と書かれていた。

「クソ……これじゃあ開かないわ。瓦礫をどけましょう」

「じゃあ私に任せてくださいな」

 精密女が、茅島さんを下がらせて、扉を塞いでいる瓦礫に手をかける。手の甲のランプが光ると、さほど力も入れないような様子で、彼女は瓦礫を持ち上げて、投げ捨てた。耳障りな程の大きな音が鳴った。

 礼を言って、茅島さんがドアを開けた。

 中は、瓦礫が積まれていた。特に脆くなっていたみたいだ。所々黒く焦げており、ここでも小型の爆弾が爆破したらしい。

 その脇に、一人の女が蹲っていた。

 髪が赤い。私の記憶した情報通りの女がそこにいる。

 土堀綾乃。探していたその不良学生は、足を怪我していた。

 彼女は顔を上げて、泣きそうな顔で、茅島さんに訴えた。

「あの…………警察の人が…………そこに……下敷きになって…………助けて……助けてください……」

 瓦礫を指差す彼女を、茅島さんは優しく諭した。

「…………ごめん。もうその人は、助からないわ」

「だって…………あたしを助けてくれて…………」

「……じゃあ、感謝しなくちゃね」

「蝙蝠女。私が運びます」

 精密女が土堀を持ち上げて、出口まで急いだ。

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