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この時間の電車は、ところてんのように敷き詰められていた。
たった数分の距離だったが、私には苦痛で永遠とも言える時間だった。息ができないくらいの、大量の人間の中に押し込められる。そういうのが嫌で、大学の近くに住んでいるのに、茅島さんはどうでも良さそうに、この電車の移動を楽しんでいた。
田久さんの家は輪をかけて大きな集合住宅だった。数人の家族で暮らしていることが、外観からでもわかる。確か、主婦だと聞いた。仕事は何をやっているのか、そこまでは教えられていない。
二階に彼女の部屋はあり、エントランスのインターフォンで呼び出すと、田久本人が応答した。モニターには顔が写っている。顔写真も入手していたので、照らし合わせると同じ人間ということがわかった。
部屋に上げてもらうと、居間に通された。彼女はそのまま、私達を座らせると自分はその目の前に気だるそうに腰を下ろした。適当に用意されたお茶も眼の前に置かれた。
田久多香子。飛び抜けたわけでもない容姿だった。だけど、噛むと柔らかそうな肉付きをしていた。髪は適当に纏めてあり、年齢は予想できなかったが、四十代とまでは行かないくらいだろうか。
この事件の中で、最も疑われていないだろう人物だった。
「なんでしょう……?」
と明らかに怪訝そうな顔を向けられたけど、私たちは警察関係者で、これは捜査の一環だ、ということを伝えると、彼女は簡単に信じ切った。下方の姉といい、こんな物騒な時代だと言うのに、防犯意識が相当低いんじゃないだろうかと思ったけど、茅島ふくみの持つ人に好かれる雰囲気の賜物なのかも知れない。勧めたくはなかったけど、詐欺師に向いてそうだった。
古風な造りだった。居間には、低いテーブルが中央に置かれているのが目立つ。椅子はなく、座布団が敷いてある。私達はそこへ腰を下ろしている。部屋の隅には、数世代前の家庭用のノートパソコンが、地蔵みたいに一台だけ置かれている。埃も被っておらず、一応日常的には使用されているようだ。思い出したが、祖母の家がこんな感じだった。田舎によくある光景だったけど、まさか都会のアパートの一室がこうなっているなんて、夢にも思わなかった。里帰りはもうここで済ませたくなった。
茅島ふくみは、ずるずるとお茶を飲みながら、単刀直入に切り出した。
「事件のことを訊かせて欲しいんですけど、スーパー爆破事件のときのことを、教えてもらえますか」
「はい…………」
申し訳無さそうな顔をして、田久が頷く。自分に自信がない人間、という趣が読み取れる。私自身がそうだから、親近感と言うか、同情というか、一種の哀れみを抱いた。
「……普通に買い物に行ったんです。買い置きが、なくなっていましたから。近所にもスーパーはあるんですけど、やめておいて、ちょっと遠かったですけど、あそこにしか売ってない物がいくつかありましたので、電車に乗ってあのスーパーへ行きました。普段から、よくそうすることがあります。あそこの牛乳じゃないと、私駄目なんで……。それで、至って普通に買い物してたんですけど、そこで爆破に巻き込まれて……警察に取り調べを受ける羽目に……」
「爆破前に逃げ出したんですよね?」茅島さんが真っ直ぐに田久さんを見つめながら、話した。「どうしてですか?」
「近くで、喧嘩が始まったんです。中年男性と、もうひとりも同じ年頃の男性でした。それが怖くなって……巻き込まれても嫌ですし、さっさと逃げようと思ったら、爆発が……あの人達、どうなったんでしょうか」
そう言えば、私もその争いの声は聞いていた。内容はわからないけど、確かになるべく距離を取りたくなるような類のものだった。
「どんな内容でした?」
「……すみません、よく覚えてませんので……ただ、中年男性が腕を引っ張ってるみたいに見えたので、暴力を振るうタイプなんだなって思ったら、怖くなって……」
「そうなんですか……」
茅島さんは飲み込むように頷いた。そして周りを見渡して、また尋ねた。
「ご家族はいらっしゃらないんですか?」
「…………今は、いません」
もったいぶった口調で、田久さんは答えた。明らかに、なにかがある。隠し事が下手なのかも知れない。
「夫がいるんですけど、もう帰ってきません。仕事はしてるみたいですし、生活費も少量ですがくれます。でも、一人でこんなところ住んでてもなんですから、実家に帰ろうかと思ってて。子供もいませんし……あの人のものも、もうなにもないですから」
「…………」
「一応写真もありますが、これです」
彼女は端末から、写真を表示させた。男が写っているが、こちらを向いておらず、人相はよくわからない。なんでこんな写真しかないんだろう。
家庭崩壊。私の脳裏にはそんな文字しか浮かばなかった。
人の暗部に触れると、なんだか胸が苦しくなった。
「ご実家の場所は?」
「ここから電車で数十分のところにある、
そう言って、更に暗い顔をする田久さん。
その変化を茅島さんは見逃さなかった。
「だれか、亡くなったんですか?」
少し飛躍したような質問を飛ばしたが、田久さんはゆっくりと、理解者を見つけたときみたいにそれに頷いた。
「…………はい、姉を」
「……ご病気ですか?」
「いえ、爆破事件に巻き込まれて」
……。
「ご愁傷様です」
「…………まだ全然立ち直れなくて。もう一週間以上も経つのに……」
目を伏せた田久さん。
端末から、彼女はまた写真を表示させた。今度はまっすぐにこちらを、笑いかけるように見ている女の人だった。田久さんとは、双子かというくらいによく似ている。場所はよくわからない。彼女の実家だろうか。見たこともない風景だったが、わざわざ見に行っても良いくらいには綺麗だった。
「……すみませんでした。無粋なことを訊いてしまって……」
「いえ、良いんですよ……悪いのは犯人ですから……あんな機械化能力者なんて……街から出ていけば良いのに…………なんで野放しにするんでしょう。国が、もう少し責任を持って管理してくれたら、こんなことには……」
その言葉を聞いた茅島ふくみから、奥歯を噛む音がした。
「周囲や交友関係の範囲内に、機械化能力者はいませんか?」
「……いません」
まああなたには言うわけ無いでしょうね、と茅島さんは、私の耳元で、あまりにも小さい声で、そう呟いた。
田久さんの家を出る。
これで容疑者の家は全員回った。本人から話を聞けていないのは、下方先輩と土堀だけだった。この後は下方さんの知人らしい、本庄谷の妹かなにかの人の家にでも行くんだろうか、と私は漠然と考える。
階段で下りながら、茅島さんは漏らす。
「彼女の実家の近く、行ったことがあるわ。任務で」
「本当ですか?」
「ええ。二週間以上も前のことだけど」
「……機能は使いました?」
「ええ。大勢の前でバッチリ」
もう少し、警戒心というものを覚えて欲しい、と私は心の中で嘆いた。
「じゃあ……田久さんだって、茅島さんの機能を知ってる可能性があるじゃないですか」
「そう。つまり、捜査は何も進展していない。全員が私を殺そうとした可能性があるままよ。だけど田久さんは、機械化能力への知識も聞く限りではなさそうだし、家に家族もいない。あの時間に用事があるとも思えないわ。ちょっと除外したいかな……でもな……」
「二週間前って、何の事件ですか?」
「亜通区で起きた、銃撃事件よ。知らない? ひと目もくれずに機能をガンガン使ったんだけど、そのことはニュースには載らなかったわ。医師の力かしら」
知っている。十人あまりの死者が出たという、連続無差別銃撃事件。
そんな危険な事件くらい、茅島さんを派遣しなくたって良いじゃないか。
何かあったら、取り返しがつかないのに……
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