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最寄り駅を超えて。
下方先輩の家は聞いていた通り、私の近所に存在した。この目で見るまでは信じられなかったけれど、表札を見ると確かに下方と書かれていた。他に同じ名字の人間は、この辺りでは聞いたことがない。確かめたことはなかったけれど。
私の家よりも家賃の張りそうなマンションの七階。このランクともなると、廊下も綺麗に磨かれており、入り組んでいた。それでいて十分に広い。どう見ても、学生が一人で住むようなマンションではなかった。
また躊躇いもなくインターフォンを押す茅島ふくみ。「仕事先が爆破したのだから、この時間はいるはずよ」なんて、彼女は自信満々に言ったが、出てきたのは知らない女の人だった。
「はい? どちらさま?」
髪が長くて、スラリとした、可憐で逞しそうな女だった。寝間着を羽織っていて、これからはプライベートな時間である、と身体の隅々がそう訴えていた。
てっきり先輩は一人暮らしだと思っていたから、下方先輩以外の人物が顔を見せることを全く想定していなかった。私は狼狽えたが、茅島さんが努めて冷静に答えた。
「えっと、下方奈々絵さん、いらっしゃいますか? 私達、大学の後輩なんですけど」
「奈々絵? ああ、ごめん、帰ってないんだ」
「まだ仕事ですか?」
「ええっと、多分、そうだと思うよ」
仕事場が吹き飛んだというのに何処へ働きに出ているのか、私にはよくわからなかった。それにしても、この女の答えの歯切れの悪さが気になった。嘘付いてるんじゃないだろうか。
「何時頃に戻られます?」
「さあ…………ここ一週間は帰ってきてないからな」
「一週間も?」
「うん。いや原因は仕事じゃないんだけど。あの子、ずっと友達の家に泊まりっぱなしで、全然帰ってこないんだ」
「そうなんですか。その友達というのは?」
「ごめん、そこまではわからないな」女は苦虫を噛んだような顔をした。「姉の私にも、自分の交友関係のことは全然言わなかったし……」
「それは……どうして?」
「ああ……あの子、あんまりこの家が好きじゃないんだよ。親と仲悪くてさ。家では私としか喋ってなかったな、そういえば……」
意外な家庭環境を耳にして、私は少し驚く。いい意味で、なんでも人生に悩みなんてなさそうな様子だった、あの下方先輩のことを思い出すと、その事実との乖離の激しさに目がクラクラした。
そこまで聞いて、茅島さんが意を決したように尋ねた。
「あの、失礼かもしれませんが、奈々絵さんの部屋を見せてもらっていいですか」
「え、なんで?」
「私、実はあまり公にできませんが、警察関係者でして」とんでもない度合いの嘘を吐く茅島さん。「奈々絵さんが事件に関わってないことを、調べて証明しないといけないんですけど」
「あ、そうなの……えっと、じゃあ少し待ってもらえる? リビングとか、片付けてくるから」
下方奈々絵の部屋に通された私達。
至って普通の四角い形状の個室。そこにベッド、大きな机、押入れ。主要なものはそれだけだったが。五十田先生の部屋よりも生活感を感じるが、決定的に違うのは、ガラクタが散らかっていることだった。
近づいて、茅島さんがそのガラクタを一つ手に取った。薄黒い風船状の電子回路に管がついたような物体だった。大きさは掌より大きい程度。
「……機械の部品?」
「爆弾、ですか……?」
「いえ、違うと思う……。これは……機械化能力者に使われる部品の一部に似てるわね。筋肉みたいな役割を果たす部分だと思うけど」
彼女は自分の耳を指差す。彼女にも、サイズは違えど似たようなパーツが埋め込まれているのだろう。
なんでそんな物が、下方先輩の部屋に転がっているのかがわからなかった。見ると床ばかりか、ベッド、机、押し入れの近くにまで散乱していた。片付けるつもりもないらしい。
「彼女、専門は?」
「えっと…………人間工学、ですっけ。本人がそう言っていたような」
「ふうん……機械にも詳しいわけ?」
「この様子を見るに、その筈ですけど……」
見渡すと、似たような機械片が大量にある。腕、の部品のようにも見えなくもなかった。私の思い込みかもしれない。そういえば、機械部品を作成させる授業があったような気がしないでもなかったが、私は受けたことがなかった。そもそも専門が違う。履修する意味がない。
下方奈々絵は一つ上の先輩で、明るい性格の、それでも悲しいくらい普通の人間だった。とても裏で爆弾を作っているようには見えなかった。だけど、私は何かを忘れている気がした。なんだっけ。思い出せない。興味がなかった所為だろうか。どうでもいいので、そんなことすらも記憶になかった。
「でもホテル勤務って、なんだかね。人間工学学んでて、そういうのが活かせるところ、ないのかな。本人が気に入ってるなら、それで良いんだろうけど……」
茅島さんがそう寂しそうに囁くと、そこで私は思い出した。下方先輩の趣味。将来目指すところ。そして、茅島ふくみに近づいた理由を。
「そうだ、茅島さん。思い出したんですけど、あの人、歌手になりたかったみたいなんですよ」
「歌手……? そりゃまあ随分と珍しい夢ね」そんな人間を初めて見るような目をして、彼女は言う。「歌手って……そんな人だったんだ。へえ。何歌いたいのかしら。音楽の種類なんて、全然知らないけど」
「学生時代に茅島さんに近づいたのも、それが理由だったんですよ」私は思い出しながら話す。「茅島さんの耳が良いことを知って、自分の歌を聞いて評価して貰おうと思ってたみたいで」
「そうなんだ。昔の私は、どう言ってた?」
「いえ、なんだかんだあって、その話は立ち消えに」
あまり思い出したくないことまで思い出してしまったが、顔には出さないようにした。
「ふうん。私がちゃんと指導してあげれば、歌手になれたかも知れないのにね。無責任なやつだな……」
「でも、茅島さん忙しかったですし、休み時間はずっと私が近くにいましたから。多分、私のこと邪魔だって思ってましたよ、下方先輩。一度睨まれたことがあって……」
「そんな過激な人なわけ? 怖いわね……」茅島さんは、肩を抱いた。「だけど、彼女は、私の機能を知ってる側の人間ってことか。一緒の大学にいたら、当然よね」
「除外できなくなりましたね。機械化にもおそらく詳しいですし……」
「それにこんな部屋じゃ、ますます疑うなって方が無理よ。帰っても来ないんだから、土堀さんよりよほど疑ってかかるべきでしょ」
言いながら、二人で下方先輩の部屋を後にした。これ以上得るものはなさそうだった。
すると、下方の姉が、廊下の先から私達を呼び止めた。少しだけ、嬉しそうな表情をしていた。
彼女は端末を開いて、私達に見せた。
「聞いてよ! 仲良かった友達が見つかったよ。私の友達で妹を知ってる子に聞いたんだけど、住所まで知ってるってさ」
「本当ですか」
嬉しそうに茅島ふくみは弾んだ。
「えっと、待ってね……ここ。これよ。本庄谷
その名字に、妙な聞き覚えがあった。
「本庄谷?」
私が口に出して言うと、茅島さんも私を指さした。
「まさか、本庄谷刑事の家族かしら?」
「わかりません……でも、妹がいたら……それくらいの歳でもおかしくないですね」
「ちょっと訊いてみるわ」
茅島さんが私の端末を取り上げて、なぜか演算女に連絡を入れた。てっきり久喜宮刑事に電話するのかと思っていたので、裏切られたような気分を味わった。
茅島さんが一折話し終えると、演算女は嫌そうにだったが了承した。
『うーん。まあ、調べてみるけどさ、警察って苦手だな……本人に直接聞けないの?』
「あまり事件に関係なさそうなことを尋ねて、不審に思われたくないのよ。あなたなら、すぐ調べられるでしょ」
『まあそうだけどさ……わかったらあとで連絡するから、気長に待ってて』
「期待してるわ」
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