6

      6



 暗い。

 暗いというのに、爆弾に囲まれていることだけはわかる。

 いつでも生殺を左右されるという状況に、私は実験動物の気持ちを理解した。

 完全に罠にはめられている。

 茅島さんが壁に手をついて立ち上がって、辺りを見回す。月明かりに浮かんだ、彼女の横顔が、いつもより凛々しく見える。

「さて、どうやってここから逃げ出す?」

 茅島さんが、私達に向かって言う。私はまだ、地面にへたりこんだままだった。

「暗闇じゃ視認できませんしねえ……」精密女が、壁にもたれかかりながら、呟く。「こういう時こそ、あなたの出番かと。どうですか? 爆弾は?」

「……エレベーターの方は駄目。ガラクタに紛れてて、はっきりわからないけど、少し怪しいわ。非常階段を使いましょう」

 クラブミュージック部の部室のそばには、非常階段への入り口があった。普段は、利用する機会はないし、わざわざ階段を登る趣味がある生徒もいないだろう。

 茅島さんが旧時代的なその重い扉を押し開けて、するりと中に入ったので、私は立ち上がって後を追った。精密女はその後ろからついてきた。一応逃げ場を確保するために、扉は開け放した。

 ここも同様に暗い。仕方ないので、端末のライトで先を照らした。

 浮かび上がったのは、コンクリート製の階段。それが上下に伸びている。あまり立ち入っていい場所でもなかったので、言いようのない罪悪感を私は覚えた。程よく広い踊り場には、窓が付いており、ここからでも外を眺めることは出来た。

 咳をすると、面白いように音が反響した。それを聞いて茅島さんが、眉をひそめた。

「待って、彩佳。下り階段に爆弾が仕掛けてある。こっちは駄目。爆弾の無い階まで上がって、エレベーターから一階に下りましょう」

「入念ですね。大丈夫ですか? 上におびき寄せられてませんか?」

 精密女が、腕を組みながらそう言う。

「何なら望むところよ。そうだ、精密女は警察に――」

 言いながら、彼女がのぼり階段に足をかけた時、

 また爆発が――

 ――何?

 心臓が驚いて、私の身体を地面に縛りつかせた。

 咄嗟に耳をふさいで、足を折ってしゃがみながら、音のした方に目を向けた。

 茅島さんが、投げ出されて、床に叩きつけられていた。

「茅島さん!」

 何……?

 なんで?

 確か、こっちには爆弾はないはずじゃ……

「蝙蝠女……!」

 慌てて精密女が駆け寄った。彼女のそんな様子、私は初めて見た。

 うずくまりながら、そして呻きながら、茅島ふくみは腕を伸ばして、精密女の肩を掴みながら、のろりと足に力を込めて、立った。

「畜生…………なんで……」

「怪我は、ないですか?」肩を貸しながら、精密女が尋ねた。

「ええ…………ちょっと、身体を打っただけ。そうだ、彩佳は? 怪我ない?」

 自分のほうが深刻そうなのに、なんで私なんかを心配するんだろう。

「あ、はい……大丈夫です」しゃがんだままの姿勢で、そう答えた。「茅島さんこそ、本当に大丈夫ですか?」

「ええ……。信管の落ちる音が聞こえて、咄嗟に飛んだんだけど、流石に人間の反応速度じゃ限界だわ。ごめん、靴の先が焦げちゃった。借り物なのに」

 彼女が足を私に向けた。いつ買ったかもわからないような、古くなった、彼女には大きめの白いスニーカーだった。その先端が黒くなっている。

「そんなの……気にしないでください。靴なんて、いくらでも買えますから……」

「よかった。ごめんね」彼女は微笑みながら、足を揃えて、話題を戻した。「それにしても……何が起こったの? こっちには爆弾なんて、探知できなかったわ」

 私達は、爆発がしたほうを、恐る恐る覗き込む。

 階段の最初の数段。その端が、火でも着けたみたいに、黒く焦げていた。どう見ても爆発の跡だった。どうしてそれを茅島ふくみが見つけられなかったのか、それがわからない。

「小さかったんですよ、それ」

 精密女が、腕を上着のポケットに入れて、そう言った。程よく低い、透き通った声が、階段中に響いていた。

「……いつも事件で使われるクラスの爆薬だったら、私達は今頃消し飛んでるわね」

「ええ。その焦げ跡から判断するに、クラブミュージックサークルだかの部室にあったものよりも、随分小さいタイプでしょうね。あなたの言う通り威力は大したことはありませんが、これじゃあ、反響を耳で捉えきれなくても、不思議ではありません。そして、私達の意識は、始めからずっと大きい爆弾の方に向けられていますから、要するに盲点を突かれたってことです」

「してやられたわ。こんな爆弾でも、一歩間違えてたら脚ぐらいは失ってもおかしくないもの」

「じゃあ……そんなのどうしろっていうんですか!」私は、つい怖くなって叫んでしまった。「茅島さんの耳でもわからないんじゃ……どうしたら……」

「彩佳」

 彼女は私の目の前にまっすぐに立って、私をじっと見つめる。

 そして、不意に両手で、私の手をぎゅっと握った。

 震えもしない、綺麗で、たくましい手だった。

「大丈夫。落ち着いて。私から離れなきゃ、大した問題じゃないわよ」

「でも……爆弾は……」

「……私に考えがある。あなた、目は良かったわね?」

 そうですけど、と答える前に、廊下の方に生徒らが集まっていた。暗かったが、生徒たちが不躾にも端末で私達を照らしていた。爆発音を聞きつけて集まってきたのだろう。さっきの茅島ふくみのファンらしき女たちもいた。

 茅島ふくみは、それを見て狼狽えた。

「ちょっと。まずいわよ。下手に騒いで変なスイッチでも入ったら……」

「……仕方ありませんね」

 と言って精密女が、そそくさと廊下に出て、生徒たちに向かって声をかけた。唇に人差し指も当てている。静かにしろ、という意味だった。

「皆さん、この学校には、今爆弾が仕掛けられています。危ないですから、教室に戻ってじっとしていてください。それから、誰か警察には連絡しましたか?」

「は、はい」と答える声があった。よく見ると、さっきのファンの一人だった。危機意識の高さに、少しだけ感激した。「爆発音がしたって言ったら、すぐに向かいます、って……」

「では、警察が来るまで、そこを動かないように。怪しい物を見つけた場合も、触らず、そのままにして、なんなら机の下にでも隠れていてください。良いですか。絶対動かないで」

 女生徒が頷くと、他の生徒もそれに続くように、教室へ戻っていった。大人しいものだ。私の同窓には、こういう事に首を突っ込みたがる厄介な女が一人いた。今頃何をしているのか、私にはわからないけど。

「はい、これで完了です」

 と振り返って精密女は、軽やかに踊り場に戻ってきた。こういう時の対処は、茅島さんよりも慣れていた。少し意外だ。もっと世間から離れた変人だと、私は勝手に決めつけていた。茅島さんと双頭をなすのも、納得してしまう。

「さ、後は警察が来る前に逃げるだけですね。未だ正式な協力関係が築けていない以上、見つかると厄介ですよ。特にあの本庄谷とかいう刑事は我々を嫌っていますから」

「確かに、出来れば顔を合わせないで逃げたいところよね……」

「なんか……犯罪者みたいですね」私はそう口にしてしまった。

「あはは。何もかも全部、医師のコネクションの不確かさが悪いのよ。顔が利くって言ったくせにさ、全然話が通ってないじゃないの……」茅島さんは、それでも楽しそうにそう答えた。「それで、さっきの考えだけど、聞いてくれる?」

 彼女は、作戦とやらを私達に説明した。

 それを耳にして、私と精密女は面食らった。この女と意見が合うこともあるんだな。そのくらい、茅島さんの言っていることは、常識を超えていた。

「物をぶつけて、爆弾を階下まで弾き飛ばすって正気ですかあんた」

 あまりに嫌そうな顔をして、精密女が怒る。

「だって、他に方法がないでしょ。起爆方法がわからない以上、下手に近づくのは危険。遠くから衝撃を与えて、爆破できればそればそれでよし。階段も下れて、速やかに脱出できる。私達に、爆弾を処理する義務はなし。そんな道具もない。あなたの腕なら、目標に物を確実に当てることくらい可能でしょ」

「そうですけど……。演算女がいないと、精度は下がりますよ。出来るとして、大きい爆弾は良いですけど、さっきのような小さい爆弾があったらどうするんですか。探知できないでしょ」

「落ち着いてライトで照らせば、彩佳の目なら見えるはずよ。いくら小さいと言えども、幸い階段では、隠し所が限られるわ。私が先導して降りる。いざって時も避けられる可能性が高いし」

 ……。

「そんな無茶な……」

「でも他に方法は?」

「ないんですよね……」



 精密女は、近くの部室に行き、なんだかよくわからない沢山のガラクタを、引っ張り出した。クラブミュージックサークルの隣に位置するその部室は、幸いにも爆弾の影響もなく、ただ緊張感の欠けた生徒が数名、暇そうに端末をいじっていただけだった。ガラクタは、いらないなら処分してきてあげます、と精密女が言うと、何も答えずに生徒たちは頷いた。

 ガラクタが押し込まれているダンボール箱には、ネジ等の細かいものから、何に使うのかもわからない、四角いつまみの付いた箱状のものまで(これこそ爆弾なんじゃないかとは思った)。様々な不要物が押し込められていた。結構な重さがありそうだったが、それを精密女は表情すら変えずに一人で持ち運んだ。しかも片手だった。とんでもない腕だ、と私は思う。

 私は今、階段をライトで照らしている。

 なんだか腰が引けてくる。本当に私なんかの目で、爆弾を見つけることが出来るのだろうか。騙されているような気がしないでもなかった。そもそもの話、精密女が自分の目で確認すれば良いんじゃないのか。そう思って私が訴えると、彼女は「私鳥目なんですよ」とだけ答えた。難癖ももう何も出なくなった。

 失敗すれば……

 ただそれだけを意識して、目を集中させた。私の命なんてものは、勘定に入れていなかった。

 ざっと見たところ、茅島さんの言う小さな爆弾は何処にも見当たらない。ここは安全である可能性が高い。

 いや、犯人はきっと、そこを突いてくる。明細を確認する時みたいな疑いの目で、階段の隅を照らす。さっきの登り階段にも、隅の方にひっそりと仕掛けてあった。

 問題は、私の肉眼で確認できるか、ということだった。

 大学の健康診断では、両目ともに非常に良いという結果を出している。というのも視力の問題には、金銭面からあまり関わりたくなかったことが理由で、子供の頃から目を使うことを意識していた。目を悪くしたことは、生まれてから一度もなかった。

 まさかその視力を使って、爆弾を探させられるなんて、考えたこともなかったけれど。

「彩佳、見える?」

 肩を叩きながら、彼女が囁く。吐息がかかって、くすぐったい。

 精密女はなにかの体操か、後ろで腕を回していた。

「待ってくださいね……階段の端のところが気になるんですけど……」

「さっきと同じところ?」

 眉をしかめて、目を凝らす。なんだか、少しコンクリートから盛り上がっているようにも見える。塗装の剥がれか何かだろうか。いや、気のせいだろうか。迷ってしまったら、抜け出せなくなってきた。

「どこですか」

 精密女がずいと身体を乗り出して、私に尋ねた。

「えっと……あそこです」

「鳥目だから指で方向を示してください。すみませんね」

 真っ直ぐに指を指して伝えると、精密女は、なるほどねと口にして、後ろから大きめのジャンクパーツを持ち出してきて、「よし、これでなんとかしましょう」と高らかに言った。

「そんなんで当てられるの?」

 怪訝そうに茅島さんがそう尋ねたが、精密女は変わらず自信満々で答えた。

「私の腕を信用してくださいよ」

 言うと同時に、彼女の腕が光る。手の甲にランプのようなものが灯っていた。

 真っ暗な中で、黒い腕から真っ赤な光が漏れ出している。

 刹那に空気が変わっていく。

 光が、闇に水に浸けた絵の具みたいに溶けていく。

 窒素を通して、彼女の腕に喉を掴まれそうな感覚があった。

「そう言えば、彩佳さんには私の機能、まだ教えていませんでしたね」

 指先を開閉させながら、精密女は私に禍々しい機械の腕を見せた。いくら観察しても、仕組みすらよくわからない。人間の指と遜色なく動く義手なら、今どきは高いお金を出せば買えるものだったが、これは人間の能力を確実に超えている。こんな機敏な動きは、人間の指では見たことがなかった。

 一言で言えば、凄い。

「私の機能、それは精密動作です。なにも絵を描くためだけの、くだらない機能じゃないんですよ」

「精密動作?」

 だから『精密女』と呼ばれるのだろうか。知ってしまえばあまりにも直接的だ。

「はい。これは筋肉で動かしているのではありません。脳波です。つまり、私の想像どおりに、寸分の違いもなく動くんですけど、まあ、脳波そのものがそう安定したものではないので、まだ動作は不安定なんですけどね。出力も高くて、まだ細かい作業なんかが苦手で……。あとは誤作動も多くて。よほどの時じゃない限り、セイフティーを掛けてほとんど動かないようにしてるんですけど、今は解除しましたから、気をつけてください。手の甲が光ったら、私に近づかないでくださいね」

「…………」

「例えば後ろから殴りかかられると、咄嗟に殴り殺しますから。私の意思に関係なく」

 そう冷たい声色で言われて、私は五歩ほど後ろに下がった。茅島さんも隣に来て、精密女を見守った。

「あのあたり、ですね」

 赤色に照らされて浮かび上がった指で、彼女は指す。

「はい……」

 そう答えた瞬間に、

 ジャンクパーツを掴んでいる右腕を肩ごと持ち上げて、

 目に見えないくらいのスピードで振り抜いた。

 一秒にも満たないうちに、着弾する。

 カランカラン……

 玩具みたいな、滑稽な音が耳に届く。

「当たりですね。やっぱり爆弾がありました」

「相変わらずすごいわね……」

 茅島さんが、少し怖気づきながら、そう呟く。

「こういう激しい動作のほうが、制御しやすいんですよ」

 そう言えば、ヴィエモッドで精密女が食べていたのは、寿司。手掴みで簡単に食べられる食事だった。

 爆弾が弾かれて、転がったであろう方向に目を向けると、なにか四角い物体が、コンクリートの地面に横たわっていた。想像したよりも随分小さいし、それに本体は半分だけ、灰色で塗装が施されていた。

「あれで見えづらくしてたのね……背景色と同じ色に塗って」

 茅島さんが拳を作って、悔しそうに呟いた。

「ありがとうね、彩佳。無理させてごめん」

「いいえ、別に……大したことないですよ」

 目で良いなら、いくらでも使ってください。あなたに必要とされるなら、なんだって苦じゃない。そう言える勇気もなく。

 ガチャガチャとまた音がした。精密女が、今度は腕いっぱいに細かいパーツを抱えていた。

「では、ちゃっちゃとこの調子で脱出しましょう」

 それからずっと、精密女と私のやりとりは続いた。途中で、私ですら見えづらい爆弾もあったが、怪しい箇所にいくつか大雑把に当てていけば、それも解決した。力技だ。地面に叩き落とした爆弾は、さらに物を当てて、階下に飛ばした。それでも爆破しないんだから、思ったよりもかなり丈夫なものだ。私は少し感心した。

 でも結局、起爆方法はなんだったんだろうか。

 そして、何も出来なくてもどかしそうにしている茅島さんを、私は見つめていた。

 六階まで下りたところで、扉を押し開いて、廊下の爆弾の有無を確認した。この階は明かりが点いていた。靴で音を鳴らしても、茅島さんの耳にはなんの反応もなく、私たちは一直線にエレベーターに乗り込んだ。

 間一髪……

 安堵の息が漏れる。神経をすり減らした私は、エレベーターの床に座り込んだ。

 一気に疲れが回ってきた。



      ★2



 散らかった部屋。

 適当に、押し込めればいいやという程度の片付けしか、わたしはしない。片付けてやる義理もない。

 だけどお姉ちゃんの部屋だけは清潔に保っていた。埃を隅々まで拭き取り、換気も良くした。空気清浄機を二台もつけっぱなしにし、わたしがいない間も、お姉ちゃんが苦しまないようにした。

 お姉ちゃんの病気はそれでも、良くならない。寝込んでいるのが、だんだん昼間だけではなくなってきた。わたしが帰る時間になっても、まだ眠っていることが多くなった。あの父親は、昼間ですら大人しく眠らないというのに。

 通帳を開く。今月も貯金がない。わたしの稼ぎは、全てお姉ちゃんとその父親の治療費に消えていく。先が見えない未来。のたれ死んだほうがマシとさえ思ったこともあった。だけど、父親をそのまま楽に見殺しにするつもりもなく、お姉ちゃんはなんとしても生存させなければならなかった。故に、わたしの稼ぎは露と消える。

 母親は死んだ。大昔のことだが、わたしは、母はあの父親に殺されたのだと確信していた。理由はない。ただ、あの男の態度が、どこか明らかにおかしいと感じただけだった。わたしにとっては、あの男を恨む理由ができれば、なんでもよかったんだけど。

 肥溜めのような父親の部屋をあとにして、姉の部屋をノックする。

 扉を開くと、薄い柑橘系の香りが鼻を突いた。わたしが撒いた、芳香剤の香りだ。この匂いが、頭の中でお姉ちゃんのイメージと一致して、嗅いでいると少し頭がクラクラしてくる。

 お姉ちゃん。

 ベッドに横たわる、わたしのお姉ちゃん。

 様子を見ようと近づくと、彼女は目を覚ます。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「いえ…………眠れなかったの。一日中寝ていたから、もう限界みたい」

 かと言ってすることもないわ、とすこし悔しそうに、お姉ちゃんは零す。

 危なっかしいので、歩き回ることができても、そうしないで欲しいのだけれど、とわたしは思う。

「ねえ。最近、お父さん、どう?」

「どう、って……」

 暴行の音が漏れていたのだろうか。お姉ちゃんには何も告げていないけど、察されているのかも知れず、わたしは何も言えなくなった。

 一応、お姉ちゃんと父親は、そう不仲というわけでもない。だけどお互い一歩も動けないので、同じ家にいながら顔を見合わせることすら、長い間していない。その所為か、お姉ちゃんの方も、父親に対する思い入れ自体が、薄れているように感じた。私に合わせて、悪口を言うことさえある。

 なのに、あんな男のことを、心配なんてしないで欲しい。

 黙ってわたしは、タオルでお姉ちゃんの身体を拭き続けた。

「病気、どうなの?」

「……だから、どうって?」

 意地悪にそう訊き返すと、お姉ちゃんは不機嫌そうに唸った。汚いもの、つまり私と父親の関係に、不用意に素手で触ってしまった時の顔だった。

「具合よ。顔だってしばらく見てないわ」

「知らない。どうでもいいじゃん」

「良くないわよ。あんな人でも、一応家族なんだから、死なれたら後が困るわ。届け出に、葬式に、お墓に……」

「それでも死んでくれたほうが都合いいよ」

「バカ」

 そう言って、叱ったような顔をしたけど、口では笑うお姉ちゃん。

 あの人なんかどうなってもいいよ。

 誰にも聞こえないように、わたしはいつもそう呟く。

 治療費が貯まったら、迷わず全額をお姉ちゃんに回すつもりだけど、今はその見通しさえ立たない。

「お姉ちゃん」

「なに?」

「もうすぐだからね」

「なにがよ」

「……なんでもない。早く元気になってね」

 私の力。

 万物を吹き飛ばす、私だけの力。

 神様が与えてくれた私の力を、愛おしく私は撫でた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る