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 土堀さんがよく出入りしていたとされるサークルの部室を見に、エレベーターで一気に八階まで上がった。なにか手がかりや、証拠品、土堀の人格を分析するものがあればいいな、と考えたからだった。

 エレベーターの文字盤を見つめる。土堀綾乃は確か、クラブミュージック部だったっけ。何をするサークルなのかは知らない。何らかの音楽を聴くらしいことだけはわかったが、私も茅島さんも音楽を微塵も聞かないので、それがどういうジャンルのものなのかは、予想すらできなかった。

 八階に上がると、扉が開いた先の教室の前に、生徒が数名たむろしていた。五十田先生が言うような、まだ帰っていない物好きな生徒たちのようだ。サークル活動にでも勤しんでいるのだろう。私にはその価値観がよくわからない。早く帰ったほうが、何倍も得だと思うけど。

 数名の女生徒だった。それが、こちらをちらりと見てから、明らかに私達についての何かを、小声で話している。

 嫌だな……。

 私のことだろうか。

 休学したのに、顔を見せたから、私を馬鹿にしているんだ。

 自分たちは、何も否がない潔白な人間だっていう傲慢さが、人をあざ笑うような性格を生み出しているんだ。

 こっちを見ないで。

 そんな消極的なことを考えていると、茅島さんが私に耳打ちをしてくる。

「あの娘たち、私のファン?」

「ファン……?」

「私のことを、楽しそうに喋ってるわ」

 茅島さんは耳が良いから、些細な噂話すらも聞こえるんだった。そんなことすら、すっかり忘れていた。

 それにしてもファンか。私は彼女の顔を改めて眺めて、納得した。あまりにも美しい造形。そして優雅な佇まい。てっきり私のことを馬鹿にしているのかと思っていたけど、私なんて彼女に比べれば、そもそも話題にする価値すら無いんだろうと思い知った。それでいい。

「確かに、茅島さん、友達は多かったですね……」

「妬いてるの?」

「馬鹿言わないでください」

 顔をしかめると、彼女が楽しそうに吹き出す。

 その後も真っ直ぐに伸びる、サークルの物が散乱した、あまりにも長い廊下をずっと進んで行くと、通りがかりの教室の中から、生徒が何人か首をのぞかせて、茅島さんを珍しい虫でも見るみたいに観察した。見世物じゃないんだけどな、と私は少し歯がゆい思いをする。

 それに答えるように、髪をなびかせて、綺麗に歩く茅島ふくみ。

「ふうん。この様子じゃ、校内でも私を知らない人はいないみたいね。私が帰ってきたのが嬉しいのかしら。記憶喪失です、って告げてみようかしら。どんな顔するかな」

「あー、まあ、茅島さん、有名人でしたから、無理ないですね。……なにより、すごい美人なので」

「男女問わず虜にしちゃったらどうしよう」

「…………」

「嘘だって」

 でも、彼女が現役の時代に、そういう状況が図らずとも作られていたことは事実だった。茅島ふくみ目当てで講義を受ける生徒すら、私の学年では珍しいものではなかった。それに私なんて、彼女と仲良くしているだけで、彼女の過激なファンとやらに謂れのない因縁をつけられたこともあったが、愚かしいと思って全部無視した。そのことは、今の茅島さんには絶対言わないけど。

 この圧倒的な容姿に、バランスをとるように親しみやすい性格。その上特殊な機能まで兼ね備えて、まさに人間のあこがれを凝縮したような存在。

 だから余計に、友人としては誇らしかった。

 それも、私だけが群を抜いて、深い関係の……。

「私なんて、茅島さんに比べたら、天体とスペースデブリぐらいの差がありますよ」

「何よ、突然どうしたの。そんな事、あんまり言うもんじゃないわ」

「でも……自分のことが嫌いなんです」

「どうして?」

「……あまり褒められたことがないので」

「料理、美味しかったわ」

「取ってつけたようなことを言わないでくださいよ」

 それでも私は笑った。



 窓から滲み出る闇夜を感じながら、廊下を歩いていると、少し気になるものを見つけた。

 窓の間に立っている柱の側面に、なにか変な模様みたいなものが書いてある。ただの落書きとは違う。近づくと、はっきりとした文字であることが次第にわかった。余計に私の目と興味を引いた。

 こんな落書き、昔からあったっけ。サークルがすし詰めにされている階には、なるべく近寄らないようにしていたから、私では判別がつかない。確か何かの用事で通ることは何度かあったけど……

 気になって、顔を近づけて読んでみた。

『あるーざ・ふぁらっくす 電気街 IAMCEビル 四階 テストのことならここへ』

 なんだろう。塾かなにかだろうか。だけど、人の噂ですら聞いたこともないし、そもそも落書きでそんなものを宣伝するだろうか。

 どう見てもイリーガルな営業。

「茅島さん、これ……」

 私が指を指しながら呼びかけると、彼女も顔をしかめながら近づけて、落書きに注目する。髪が触れそうになって、少し私は下がった。

「テストのことならここへ? なにこれ。テスト限定?」

「そうなんですかね……」

「勉強を教えるって雰囲気じゃないわよ。なんか……答えを教えてやる、みたいな」

 そう言われると妙だった。指でこすると、文字が消えそうになる。鉛筆で書かれたものだろうか。わざわざそんなもので書いたということは、いつでも消せるようにという予防線を張っていることが読み取れた。

 ただの質の悪い落書きかな、と私は一人で納得していると、いつの間にか茅島さんが隣からいなくなっていた。驚いて頭を持ち上げると、彼女はふらふらと、近くの女生徒たちに、なんの躊躇いもなく声をかけていた。

 さっき見かけた、茅島ふくみのファンらしき女生徒たちだった。

 何してるんですか、と私は後ろから呼び止めようとしたけど、彼女は楽しそうに女生徒たちに尋ねている。

「ねえ、あなたたち。『あるーざ・ふぁらっくす』って知ってる?」

「ええ、あるふぁらを知らないんですか?」

 女生徒の一人が、驚いたように言う。余り目立つ顔立ちではない娘だった。というか、そんな常識扱いされるくらいのものなのか。私では『あるふぁら』なんて略語すら聞いたこともない。

「情報屋ですよ、情報屋。今どきはみんな使ってますよ」

「情報屋?」怪訝そうに首を傾げる茅島さん。

「はい。テストのこととか、生徒の個人情報とか、あんまりプライベートなものは高くて買えないんですけど、結構何でも売ってますよ。わたしも、この間初めて使ったんですけど、おかげで単位落とさずに済みましたよー」

「あ、ずるい! だから評価良かったんだあんた!」もう一人後ろにいた女生徒が言った。派手な外見の、目立つタイプだった。「私にも紹介してよ。どこにあんのその情報屋。あんまりそういうの使ったこと無くてさ」

 今どきみんな使ってる、と地味な娘が言ったのに、すぐ近くに例外がいた。

「電気街の隅っこだったよ確か。ああ、でも一人で行くのは止めたほうが良いかも」

「それは、どうして?」

 首を傾げながら、茅島さんが尋ねた。すっかり普通に話し込んでいる。

 地味な娘が、頭をかきながら、言いづらそうに呟いた。

「ちょっと……便利なんですけど、その……暗くて、変な所にあって、陰気臭くて……。そんなところで変な人に見つかったら、何されるかわからないじゃないですか。その情報屋も、見た目は普通ですけど、ちょっと中身は変っていうか。まあ、情報売ってくれるなら、なんでも良いんですけど」

「情報一つでいくらくらい?」

「えっと……テストの問題全問で、三万円くらいかな。答えつけるともう一万円」

「あら、結構すんのね……何時まで開いてる?」

「前行ったのが夜中の二時とかだったからー、夜中はずっと開いてるんじゃないですかね。情報屋なんて、夜のほうが都合よくないですか?」

「それはたしかにそうね……。なるほど。ありがとうね」

「あ、使うんでしたら、紹介状送っときますよ。これないと利用できないんで」

 地味な女生徒が端末から、一つの画像を表示させた。変な模様の上に、紹介状、あるーざ・ふぁらっくす、とだけ手書きの文字で書かれていた。

 こんなものコピーしてインターネットで配れば誰でも手に入ると思うが、逆にそれも戦略のうちなのかもしれない。アングラ、違法さをまず客に植え付けさせて、威圧させようっていう魂胆が見えなくもない。

 茅島さんは、女生徒の画像を私の端末に保存させて、手まで振って女たちと別れた。

「楽しそうでしたね」

 クラブミュージック部の部室に向かいながら、私は彼女に話しかけた。思った以上にぶっきらぼうな口調になった自分が、少し気に入らない。

「そうかしら。情報を得るってのもなんか、どっと疲れるわね。私だって情報屋に頼りたいな。彩佳は使ったことあるの?」

「ないですよ、そんなの。私は正攻法が好きなので……」

「あなたらしいわね。成績は良いの?」

「まあ……落ちこぼれではないですよ。留学の話もらえる程度には」

「へえ。悪くないじゃない」

「それは、いろいろあって白紙になったんですけどね……。でも、あの時はせめて勉強してないと、田舎に帰されると思ってたんで……」

 八階の最も奥まった所に、その部室はあった。他と同じような、鉄で作られたドア。節電のためか、手動のドア。年季が入っているのだろう、所々に細かい傷が目立つ。そして扉の上には、クラブミュージック部、とダンボールにサインペンで、湾曲しながら書かれていた。指でたどれば、迷路になりそうだった。そんな文字を見て、私は無性に帰りたくなる。

 ちなみにクラブミュージックのことを、茅島さんがさっきインターネットで調べたが、なんでもクラブで流す音楽のことらしい。まず私はそのクラブがなんなのか、という所から勉強しなければならなかった。

 硬い扉をノックしても、誰も出ない。土堀はまだ取調べ中だろうか。警察が最も疑っているだけある。そもそもこんな時間に部活動なんて、するとは思えなかったけど、こういうサークルの連中こそ、夜中にこっそり、部室で夜を明かしていたりするものだ。

「開いてますね」私は取っ手に手をかけて、茅島さんに言った。力を込めないでも、わずかに隙間が開く。「やっぱりロック掛かってないみたいですね」

「不用心ねえ。そんなものなの?」

「多分、面倒くさくて、いちいちロック掛けないサークルも多いんですよ。一度、掲示板に張り出されたこともありますね。ちゃんと鍵をかけて退出するように、って。私には関係なかったんですけど」

「なにそれ……ずぼらね」

「まあ、盗られて困るようなものも、そうありませんけどね……」

 呆れながら、私は大きな音を立てながら扉に力を込めて、室内に足を踏み入れた。

 そこで、私達は、我が目を疑うものを見つける。

「か、茅島さん――」

「これは……」

 チカチカと光る、かなり小さなボックス。

 それが部屋の中央のテーブルの上に置いてある。スピーカーや、再生機器の近くにあると、これもそういう類の機材だと思われるが、何処かがおかしい。何とも繋がっていない。このボックスが、ひとりでに光っている。

 これは一体……

 私の知識では、答えは一つしか導かれなかった。

「まさか爆……」

「しっ。彩佳、じっとしててよ……」

 そう言われて、私は口をふさいだ。そこまでする必要があるのかさえわからない。

 部屋に一歩踏み入れたまま、私は固まった。茅島さんは、その真後ろ数歩のところにいる。

 時間が止められたみたい。

 遠くから、人の話し声だけが、遠い次元のことのように聞こえてくる。

「これは爆弾だと仮定しましょう。センサー式かもしれないし、時限式かもしれない。音に反応する場合だってあるけど、それだったら今頃死んでるわ。爆発してないんだから、このまま動かないのが、今の所正解……」

 恐る恐る、そう口にする茅島さん。

 息だけを吸って、私は頷く。

 銃口を向けられる気分って、こんな感じなんだろうか。

「これ、爆弾……だと思う?」

「私には……そうだとしか……」

 声が震えていた。

 スーパーでのことを思い出す。あのときの恐怖が、今頃になって、質感を持って私を襲ってきた。

「なんですぐに爆発しないんですか……?」

「……私達が餌になってるとか」

「誰を誘うんですか?」

「さあ。私を誘おうとして、先に彩佳が引っかかっちゃっただけ、なのかもね……」

 茅島さんはじっと立ったまま、つま先を立てて背伸びをして、首だけを動かして、部屋の中に視線を向けた。手を叩いて音も鳴らしている。これで彼女は反響を拾って爆弾の位置を探知できる。

 散らかった部屋だ。本当に目の前のこれだけが爆弾であるのかも、疑わしくなってくる。私の建っているところから奥に向かって、テーブル(私達が今話題にしている爆弾が乗ってる)、そして大きめのスピーカー。ダミーヘッドマイクや、何かの楽器のアンプなんかもある。右手奥の備え付けモニターの方向にもスピーカー、机にはデスクトップ型のパソコン。クラブミュージックサークルとは名ばかりでもなかったようだ。

「この扉の上にも、一つあるみたい。後は……奥のモニターの下かな。なにかはあるわ。廊下は……ちょっとわからないわ」

 廊下には、ただごちゃごちゃとしたガラクタが転がっており、爆弾が隠されていたとしても、見つけるのは困難だろう。

「もう少しなにか、高い音でもあれば良いんだけど、手じゃ限界だわ。彩佳、なにか、持ってない?」

「そう言われても……」

「こうですか?」

 その声とともに、カチン、と鋭い音が耳に届いた。壁中に反響して、エレベーターの方まで響いて行ったことが、私にもわかった。

 驚いて、私と茅島さんが一斉に振り返ると、そこには機械の手を振っている精密女が立っていた。なんだってわざわざ、こんな危険地帯に来たのか、理解できなかった。

 精密女は、私達をじっと見ると、状況を理解したような顔をしてから言う。

「助けに来ましたよ」

「ずっと隣りにいたの……?」

「ええ。見てましたよ。この教室を開けるところも……」精密女は言いながら眉をひそめた。「いやね、ここの生徒に土堀さんのことを訊いても、特になんの収穫もなかったんですけどね。それで、廊下に爆弾は?」

「多分……確実に複数個あるわね。失敗したわ、気づかずに通り過ぎてた」

「甘いですね。機能をフルに可動させてないからですよ。まあ、あまり使うなとも言いましたけど。かくいう私も爆弾の存在なんて知りませんでしたけど」

 ふふふ、と状況から乖離した含み笑いを漏らした精密女のことが、私はまた怖くなった。

「それで、どうして動かないんですか? 足が地面にくっついてる、とか?」

「何で爆発するかわからないからよ。部屋の真ん中に爆弾があって、こっちを向いてるの。地雷みたいな仕組みだったら、一度捉えた反応がなくなったときに爆発するじゃない」

「うーん」精密女はしばらく唸った後に、晩御飯のメニューが思いついた程度の話し方で、続けた。「じゃあ、私が死角から思いっきり二人を引っ張りますよ。時限式だったら、引っ張る前に時間が来たとしたら、すぐに死にますけど」

 言いながら、精密女はドアのそばの壁に張り付きながら、私達にゆっくり手を伸ばす。機械の腕に、自分の手を握られると、ひんやりとして、奇妙な感覚を覚える。そういえば、彼女の機能のことを、絵を描ける以外には、何も聞いていない。彼女の顔を見ても、何か教えてくれそうな気がしなかった。

 茅島ふくみは機械の腕をしっかり握りながら、足に力を込めていた。私はそんな準備も何もせずに、ただ引っ張られることだけを頭に思い描いた。

「いけますか?」

「いつでも良いわ。彩佳も?」

「はい……」

「よし、じゃあ行きますよ。せーの、」

 心の準備をする前に、身体が浮いた。

 力強い。

 肩が抜けそうなくらい、私に負荷がかかる。

 一瞬にして私達は、その場を動くことが出来たが、

 同時に、耳を劈かれた。

 ――爆発。

視界が揺れる。

 センサー式?

 時限式だったのだろうか。

 それとも遠隔操作で。

 わからない。

 いろいろなことを考えているうちに、私は地面に投げ捨てられるように転がった。変な痛みはない。恐る恐る、瞼を持ち上げるけど、それでも何も見えない。さらに首に力を入れると、窓の外に、夜空に浮かぶ月明かりが見えた。綺麗だ、なんてどうでもいいことを、頭に浮かべた。

「痛…………なによ……」

 茅島さんの声。真横から聞こえた。よかった。無事だった。

 それでも状況は全く理解できない。ただ、鼻をつくのは、火薬の香り。スーパーでも嗅いだ、死を孕む匂い……。

「うーん。センサー式だったんですかね」脳天気な精密女の声が聞こえる。

「じゃあ、なんで廊下の明かりまで……」

「さあ。同時に爆発するようになっていたとか」

「ふざけやがって…………」

 茅島さんが、呪詛でも吐くように、そう呟いた。

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