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 大学を見てみたい、と茅島ふくみが言った。

 私は休学中の身だから、なるべく顔を見せたくないのだけれど、挙げられた容疑者が殆どこの大学に関係している以上、やっぱり避けては通れないんだろうな、と私は早々に諦めた。

 先ほど説明した通り、展望タワーから西へまっすぐ向かえば、私の通っていた大学が見えてくる。

 程よく広い敷地だった。駐輪場や駐車場、用途のわからないプレハブなどがあり、それらに囲まれるように位置する、三つある建物のうちの、中央の幅の広い大型の建造物。二十階建の内、その三階から八階が大学だった。一階と二階はエントランス、そしてコンビニエンスストア。九階より上は、私達の大学とは無関係の別の教育機関が入っていた。用事もなく上がることは禁止されているので、詳しいことはわからないし、同時に他校の生徒も、私達のフロアには足も踏み入れない。

 なんだか、顔を見せることすら久しい。それでも先月の頭に休学の申請に来た時が最後だから、一ヶ月程度しか経っていないのか。

 エントランスのくぐり方も忘れていたが、とにかく敷地内へ足を入れた。確かに、身体は歩き慣れている。この石畳の感触が嫌で仕方がなくなっていたことも、私はある程度の鮮明さで記憶に呼び起こした。

「あの建物の、三階から八階だって?」

 茅島さんが、隣で私の顔を覗き込みながら尋ねた。

 彼女がまた、大学にいる。それが私の認識では、どうしても狂って感じた。

「うん、はい、そうです。もう一ヶ月は来てませんけど……」

 建物の入り口に入ると、備え付けられたゲートで、学生証の有無がチェックされる。といっても端末を読み取られるだけなので、私からなにかをする必要はなかったが。ちなみに学生証がない場合は、単にゲストという扱いになって、立ち入ることを拒否されるわけでもない。

 誰かと会うのも面倒だし、物珍しそうに首を回している茅島さんには悪いが、さっさとエレベーターに乗って大学まで上がろうと先を急ぐと、後ろから声をかけられた。

 私は驚いて声を上げた。

「ちょっと、なんですか人を化物みたいに」

「げ、精密女」茅島さんが漏らす。

「げ、とはなんですか……。あなたたちもここの調査ですか? 奇遇ですねえ。でも残念ですけど、これから私が調べるところですから……なんだったら任せますが」

 精密女が、相変わらず機械の腕をむき出しにして立っていた。

 びっくりした。まさかこの女がこんな所にいるなんて……。

「あんた、私達が来る前に先回りしてたの?」

「失礼ですね。あなた達より先に調べて、自分一人で手柄を立てよう、なんて願望があるほど、私はそれほど医師の評価に興味はありませんよ。ただ、関係者が多すぎるので、調べるのは必然ですよ」

「誰も抜け駆けなんて気にしてないわよ……」

 エレベーターが来た。精密女を加えた三人で乗り込んだ。妙に静かに、箱が上昇する。静音タイプだとか外に書いてあった。気にしたことはないけど。

「演算女は?」

「置いてきました」

「何処によ」

「ホテルにです。捜査なら、別に私一人でも出来ますし、むしろそのほうが都合が良いんですよ。一人で自由にできますから。あなた達は何をしに? 容疑者の調査ですか?」

「まあそんなところよ。彩佳に教えてもらって、地理を覚えてるの」

「関心ですね」

 エレベーターが開くと、「じゃあ頑張ってくださいね」と言って、精密女はそそくさと廊下の奥へ消えていった。

 三階。大学の窓口となる。明かりが点いていることから、まだ人は何人か残っているみたいだった。普段から、遅くまで残る学生もままいた。学生課などが含まれる事務所も、この階に存在していた。出来ることなら、なるべく避けて通りたかった。

 窓からは綺麗でもない敷地が見渡せた。その窓の向かいには、講義室が立ち並んでいる。私も、一年の頃はよくここで行われる授業を取ったこともあった。

 既に見飽きた光景だった。私が受け入れなかったのか、大学が私を受け入れなかったのかはわからないが、じっと見ていると、なんだか腹が立ってきた。

 自分はまだ、ここに戻ってこれる人間じゃない。

 何をやってるんだ自分は。

「彩佳、ここで良いの?」

 ぼーっと窓を見ていた茅島さんが、私に振り返る。

「はい。ここが、大学です。私の通っていた」

「そして、私も在籍していた、と」

「はい……」

「それで、どんな大学なの? 土堀って人みたいなのって、いっぱいいるの?」

「いえ、そんなことはないんですけど……。あの人は悪目立ちしすぎてるっていうか……。べつに、そんな入った人がみんな不良になるみたいなこともなくて、普通の大学ですよ。問題のある生徒なんか、彼女以外にそういません。だから余計に、土堀さんは目立つんですよ」

「ふうん……そんな人が、なんであのホテルにいたのかしら。どちらかと言えば、値段の高いホテルだっていうのに、その娘、何してたのかな。土堀さんって、お金持ち?」

「さあ……授業も一緒になったことないですし……下級生ですからね。あんまり真面目に学校来てたとも聞きませんし……」

「じゃあ下方さんは?」

「下方先輩は…………よく覚えていません。でもそんな悪い生徒じゃなくて、ちゃんと授業は受けてましたよ。普通の、どこにでもいる先輩です……」

 不思議と、話しながら私自身が目を伏せていることに気づいた。

 気を使ってか、茅島さんは窓にもたれながら、私に訊いた。

「ねえ。彩佳が……休学、した理由、詳しく教えてくれる?」

「……いいですけど。昨日話したとおりですよ」

「もっと、ちゃんと知りたいわ」

 茅島さんの隣に立って、私も窓に寄りかかった。ひんやりとしていた。気持ちが落ち着くといいな、と思う。

 言いたくないというわけではないけど、口が乾いてきた。

「理由は、話した通り、茅島さんがいなくなったことが引き金なんですけど、それから、学業に打ち込めなくなったんです。もともとそんな真剣に、勉学に励むほうじゃないんですけど、とにかく、もう、無理になったんです。茅島さんもそうでしたけど、やっぱり前に巻き込まれた事件の所為だとも思ったんで、九月、つまり先月の始めの方に、そのことを先生にも告げて、休学させてもらったんですけど……」

「うん……」

「家で一人でいると、わかりました。巻き込まれた事件なんか、実際どうでも良かった。それで誰か同級生が死んだってわけでもなかったし、別にそれ自体は、こんな事を言うとおかしいですけど、私の中ではどうでも良かったんです。死ぬような目にも遭ったんですけど、もう過ぎたことですから」

「でも、元の自分に戻れない」

 ……。

「あなたが、いないからなんです」

「言っていたわね」

「茅島さんは……前の茅島さんは、私にとって、思い出の全てでした。こんな人間ですから、友達もいませんし、家族だって仲が悪いんです。だけど、茅島さんだけは仲良くしてくれた。こんな楽しい気持ちは、初めてだったんです。でも、あなたはいなくなった。そりゃ、学校に来る意味、なくなりますよね……」

 服を握った。

「あなたは、大学で、何がしたかったの?」

「それもわからないんです……そんなもの、なかったのかも知れません。ただ田舎から出てきたかった。私の嫌なことを、絞り出した糊みたいに頭にベタベタ貼り付けて覚えてる同級生たちとも離れたかった。私を肯定してくれるものも、何もなかった。それ以外に、ここに来た理由なんてありません……。そしてここへ通う理由は、茅島さんがいるから。それだけです」

「私なんて、そんな価値のある人間じゃないわよ」

 彼女は場を和ませるように、微笑んだ。

「でも、茅島さんは、ずっと、自分のやりたい事があって、そのために勉強してました。私みたいにビクビクしてないし、堂々としていて、自分に自信があった。そして……私なんかにも、優しく話しかけてくれた。それだけで、誰よりも価値のある人間なんです」

「そう買いかぶられちゃ困るな……。今ではそんなことだって、すっかり忘れちゃったんだから、その程度の人間なのよ。いやあ、それにしても大変だったのよ、ここまで自我を戻すのさえ」

「茅島さんって、施設ではどうなんですか?」

 逆に私は尋ねた。気になっていたことだった。

「そうねえ……ああ、訓練はやってた。記憶を戻すリハビリとは別に、身体訓練。言ったでしょ、チームに入れられるって決まった時から、変な訓練させられたって。施設にいる時は、だいたいそれで一日終わってたわ。もちろん休みは二日おきぐらいにあるけど、その日はその日で違う事してる。まあとにかく、護身術くらいは一通り教え込まされたけど、期待しないでね。もともとそんなに運動の才能ないのよ。犯人と取っ組み合いになったら、多分殺されて終わりね」

 不吉なことをははは、と言う彼女。

 私の知っている茅島ふくみからは、そんな言葉はとても想像できない。彼女は運動もある程度得意だった。

「あの人達とは、いつ頃知り合ったんですか?」

「チーム組まされるってわかった時から。あの二人、以前から一緒にいたみたい。機能の組み合わせが都合いいからね。で、チームを組むって決まったときに、もうひとり必要になって、あの二人を補えるからっていう理由で、私が選ばれたってわけ。この間説明したとおりよ。入院してから二週間も経ってないくらいじゃないかしら」

「身体の調子はどうだったんですか? 怪我、してたと思うんですけど」

「うん、まあ、お腹に深い傷があったくらいだけど、私が気づいたときには、それほど大事でもなかったわ」

 そうそう、と彼女は続けた。

「彩佳のことは、覚えてた」

「え?」

「ああ、と言っても、そういう概念として覚えてはいたってだけの話なんだけど。私には友達がいて、その人だけが、私のことを知ってるって。顔も何も覚えていなかったけど、医師に頼んで、調べてもらった。あなたもあそこに入院してたんだから、それなりのデータは保管してあるってわけ」

 医師と初めて会ったときのことを思い出す。

 怖くて、それでも大人で、全てのことを事務処理として考えているような印象があった。

 近くの教室に入った。誰も居ない。だけどここは覚えている。私の取っていた講義の大半が、ここで行われていた。茅島さんと講義を受け、私語が多いと注意されたことがあった。

 椅子に座ってみた。部屋の奥の巨大なモニターが、真っ直ぐに望めた。

 夜にこんな所にいることなんて、なかった。

 茅島ふくみは立ったまま、部屋を見渡した。私は、彼女が目の前に座っていた時のことを思い出した。

「今回の事件って、学校でも話題になってる?」

「そりゃあ、当然ですよ。世間と一緒です。SNSで見たんですけど、みんなそのことばっかり喋ってました。学校休みにしようかって話もあったみたいですけど、私休学中なので関係ありませんが……」

 自嘲気味に笑ったが、茅島さんの反応はなかった。

 座っているのに、妙に落ち着かない。無意識に首を回す。会いたくない人物がそうそういるわけではないが、誰にも見られたくない、という意識だけはハッキリしていた。

 そう思っていると、急にガラッと扉が開かれた。私の心臓が高鳴った。

「ちょっと、まだ残ってる? いい加減帰りなよ」

 現れた人物は、聞き覚えのある声をしていた。精密女や演算女のものではない。すると誰だろう。私の記憶には、ほとんど限られた人物しかいないが……

「あれ? 加賀谷さんじゃない。それと……茅島さん? なんで?」

 ああ、と思い出す。件の人物じゃないか。

 彼女がこちらに近づくと、はっきりと輪郭が浮かび上がってきた。

 五十田沙也華。スーパーの事件で、容疑者として取り調べを受けた、ここの教員。少しだけ背が高く、長いくせにきっちりと前髪を分けて、見映えの良いスーツを着込んだ、私のあんまり得意じゃない先生だった。

 声をかけられた茅島さんは会釈をしたが、私に向かって小声で話した。

「ねえ、私って、この人とも知り合いなの?」

「一応、講義は受けたことあります」

 五十田先生は、顎に手を当てながら、まじまじと茅島さんを眺めた。美術品の値踏みをしているみたいだった。

「びっくりした……。本物?」

「ええ、血肉の通った一品物です」茅島ふくみは微笑みかけた。

「驚いたあ……。疎開したって聞いてたんだけど、どうしたの? 復学でもする?」

 そんなカバーストーリーが流れていたことを、私は初めて知った。

 疎開。そう言えば、茅島さんの実家や両親のことすら、私は彼女の口から聞いたこともないし、本人ももう覚えていない。

「ああ、いいえ。観光です」

「そうなんだ。でも危ないよ今は。爆破事件知ってる? 私もさっきまで警察に捕まっててさ……私のこと犯人だって思ってるんだよ、あいつら。ちゃんと仕事しろよ」

 机に腰掛けて、彼女は愚痴をこぼす。授業中はともかく、それ以外はよくこういう砕けた態度を取ることがある。それ故に生徒に好かれることもあるが、馴れ馴れしいとして嫌う生徒も多い。私などはもちろん後者だった。彼女と話していると、何処か馬鹿にされているような気がしてならなかった。授業こそ受けるが、あまり日常会話はしないようにしていた。

「そうそう。加賀谷さんも取り調べ受けたんだって? 大変だったね。いや、休学したって聞いて、友達も少ないし、いっつも一人で居たから、私心配でさ」

 本心なのか、業務上見せる必要がある心配なのかわからないが、私の顔を覗き込みながら、そんなことを言ってくる五十田先生。

「ああ、まあ……はい。先生こそお怪我は……」

「私は外から偶然見てただけだから、身体は大丈夫だけど、でもそれだけで疑うなんて、酷い話よね。何人の人間が、あの近くを通ってると思ってるんだよ」

 久喜宮刑事が言っていた。外にいた奴と、爆破前に逃げた奴が容疑者だと。彼女は外に居た側の人間だった。となると、爆発前に逃げたもうひとりは……なんとか言った名前の人だ。失念した。

 容疑者ということは、つまりこの先生が、犯人であるという可能性も、消去できないのだろう。まさかこんな先生まで、人には言えない裏側があるなんて、この世はちょっとしたパズルゲームだった。

 だけど、先生には話で聞くような特殊な機能が搭載されている、という噂すら耳にしなかったし、爆弾に詳しいようにも到底見えない。この人が本当に容疑者なのか? まあそんな大事なことは、犯人ならわざわざ言うはずもなかったけれど。

 私は少しだけ、先生への警戒を強めた。

 もうただの先生じゃないことを、念頭に置く。

「その時の様子、教えてくれませんか?」

 茅島さんがそう尋ねると、五十田先生は訝しんで嫌そうな顔をした。

「なんでよ。もう警察に散々話したから、勘弁してよ……。気になるわけ? 誰か知り合いでも現場に居たの?」

「そうじゃないんですけど、私、警察官志望ですから、その……好奇心が」

「なによ。余計なことに首突っ込むと、いつか痛い目見るよ」呆れたように言う五十田先生。「まあ……良いか。今日は早く帰らないとだめだから、またの機会にならいくらでも教えてあげるわ」

 意外なほどあっさりと、先生は頷いた。一応これでも教師という職業の強迫観念でもあるのか、生徒への協力は惜しみたくない様子だった。茅島さんが警察志望だというのは真っ赤な嘘だったが、先生は信じているのだろう。

「ありがとうございます。住所と電話番号を教えてくれますか?」

「しっかりしてるなあ……まあ茅島さんなら良いか」

 しぶしぶ先生は口でそれを伝えた。記録するのは私の係だった。聞き漏らさないように入力していると、講義の際に必死でノートを取っていたときのことが、私の脳裏によぎった。

「えーっと、そうね。昼間は来ないで。私、いないから。夜なら良いよ。晩酌に突き合わせるけど」

「わかりました。お酒なら彩佳が飲みます」

「そんな飲めないですよ……」

 ふふふ、と笑いながら、「じゃあ来期にはちゃんと復学出来るように頑張ってね」と言い残して、五十田先生は教室を去った。

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