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 ヴィエモッドを出て、私達は夜風を切って歩いていた。

 精密女と演算女はそれぞれの仕事に帰った。つまり今は、私と茅島さんのふたりきり。時刻は夜八時。この街では、さして深い時間でもない。

 前を私が行って、茅島さんは着いて来た。

 茅島さんが、街を詳しく案内して欲しいと言ったので、とりあえず主要なところを回ってみようと私は提案した。

 なんか、久しぶりだ。ぶらぶら街を歩くなんて、最近じゃ滅多になかった。

 繁華街は人が多く、多く設置された看板は、奇妙な点滅を繰り返しながら、ごはん処、という案内を表示している。それが余計に迷う原因になった。場所の区別がつかない。私ですら、ちゃんとした案内はできなかった。

 それでも記憶を頼りに口を開いた。これでも、食べ歩きは真剣に好きだった。見くびられないようにしないと、私の価値が廃ると思った。

「えっと、ここがステーキが美味しくて……そうなると、この近くには結構美味しい寿司屋がありますね。えっと……そこを左折したところだったかな。ほら、看板が出てます」

「へえ……ほんとに詳しいのね」

「まあ、住んで数年経ちますから……」

「ふぅん……」

 近くに建っているドラッグストアの光を浴びながら、意外なものを見るような目を私に向ける彼女。茅島さんが来てから外出は殆どしていなかったから、そう思われるのも仕方がなかった。

 心が沈んでいた時期は、こんな電飾だらけの綺羅びやかで不健全な町中を、ゆっくり歩こうという気にもならなかった。私なんかにはふさわしくないと何処かで感じていたのだろう。

 彼女となら……

 茅島さんとなら、少しだけ、そんな気持ちを消し去ることができる。こんな感覚を初めて覚えたのは、彼女と最初に仲良くなった時。今まで得たことすらなかった承認欲求というものを、私は人生も二十年になろうという時にようやく理解した。

 まあ、彼女はもう、そんなことを覚えていないのだけど。

 なんでその記憶が無いのに、私と仲良く振る舞えるのか、今になってそれが妙に不思議になった。

「ここって、賑やかねー。あの陰気な施設とは比べ物にならないわ。そりゃ演算女も毎週来たくなるっての」

「そんなに外出ってできるんですか?」

「ああ、あの娘は特別。医師に気に入られてるの。あんな見た目だけど、素行は良いから。それにまだ若いし、外の世界を見たほうが良いって医師も思ってるんじゃないの。あの娘、下手すると私より世の中のこと詳しいかもよ」

 いつの間にか、彼女が真横に立っている。距離を詰められると嬉しい半面、穿ったものを感じる。

 ――形式上そうしているだけなのかも知れない。

 私を利用するのに、最も都合がいい振る舞いなのだろうか。友人という形式を利用して、自分だけ益を得ようなんて、思ってるんじゃないか。

 何だってそんなことを考えるんだ、お前は。

 私は私を刺したくなった。

「彩佳?」

「え? は、はい」

「展望タワーってこっちでいいの?」

「ああ、はい……。駅を越えて、電気街が見えてきますから、そこから通りをなぞって行けば、見えてきます……」

 展望タワーへ行ってみましょう、とは私が言い出した。地理を理解するには良いかも知れないと考えたからだった。本当はもっと別の理由だったが、とりあえずはそういうことにした。

 地下鉄を通り過ぎて、繁華街よりも更に鬱屈した、気味の悪い電気街を通る。人気が一気に少なくなった。そうして私の口にしたとおりの手順を取ると、一際大きな展望タワーが見えてくる。どうにも形容し難い奇妙で長細い形をした建物が、電気街からの露光で、着色されて浮かび上がっていた。まるで異次元の物体が不具合で表示されているみたいだった。

 入場料はゲートをくぐり抜けた瞬間、端末から勝手に徴収される。茅島さんは端末がなかったので入り口で入場券を買って入った。一人分で合成ビールが三本買える程度の値段だった。その恩恵か、二十四時間いつでも入り放題だったが、中には誰もいなかった。薄く電気がついていて、それが逆に気持ち悪い。ポスターも数枚、見えるところに貼ってあり、施設周辺の飲食店や、展望タワーの歴史が記されていたが、さほど興味もなかったので無視して進んだ。

 奥まったところにあった、古びたエレベーターで心配になりながら展望デッキへ上がる。

 扉が開けた先には、外周すべてをガラスで覆った、展望デッキ。

 夜は人入りが昼間に比べて多いと聞いたことはあったが、誰もいなかった。爆破事件の影響だろうか。なんだかんだ言って、やっぱりみんな、爆発に巻き込まれて死ぬのが怖いんだ。変なところで、他人の人間味を知った。

「ここから、街が見渡せます」

 北の双眼鏡の傍まで行って、私は説明した。

 この展望タワーはちょうどこの街(そういえば、海把かいぱ区という区分名があるのだけど、思い出されることは日常ではほぼ無い)の中央に位置しており、主要な建造物を観察するには、考えられる中で最も適した場所だった。高さも並のビルの倍ほどある。一望、という言葉がふさわしい場所は、ここ以外には私には思いつかなかった。

 北の方向には大きなホテル、眼下には広がるオフィス街と住宅ビル群。そこから東に目を向けていくと、警察署がある。あの奇妙な刑事二人が、あそこからスーパーまでわざわざ出向いてきたのかと考えると、少しだけ同情した。警察署の近くにもマンションがたくさん並んでいることは覚えているが、詳しいことは知らない。確か、その付近に隣の駅があった。

 そして南東の方角。こここそが茅島ふくみの泊まっていた、つい数日前に爆撃されたホテル。今はどうなっているのか、ニュースサイトでも確認すれば済むことだが、なんとなく彼女が危険にあった場所を、わざわざ確認する気にもなれなかった。

 南は先程の繁華街。ここから見ると、ガラスをハンマーで砕いたみたいに華々しく綺麗に映る。実際はもっと全てを鍋で煮込んだような形になっている。スーパーはここから西の方に位置し、そこからさらに西へ行くと私の家。この辺りは学生マンションが多く、駅にも近い。当然のことながら大学が手の届くところにありり、利便性という意味ではいい土地だった。

 大学は私の家から北にある。駅を越えて、十分程度歩けばたどり着く。こっちの方のマンションに住んでいる学生、及び教員も多いが、大多数と生活圏を同じにするのが嫌だった私は、少し離れた場所を選んだ。休学中では、それが救いになったのかも知れない。

 そしてこの街は海辺が近い。漁業なんかも無くはない程度に栄えてはいるようだったけど、海までは用事も出来ないので足を伸ばしたことはない。確か南の、繁華街を越えた方にある。

 一通り私の説明を聞いた茅島さんは、へえ、なんて気のない返事をした。望遠鏡を覗きながら。

「うーん。綺麗だけど、ガラス張りじゃない所が良いわ。音を覚えたいの。そういう展望台って、まあ無いわよね。何処かの屋上とかで良いんだけど」

 ――目で見るっていうのも、悪くないじゃない。

 以前来たときに、そう言っていたあなたは、何処へ消えてしまったのだろうか。

「気に入りませんか?」

「いえ、そういう意味じゃないけど」誤魔化すように、茅島さんは笑った。「あなたの説明で、地理はだいたいわかった。ありがとうね」

 一通り双眼鏡を覗いたが、それきり展望タワーでの進展はなかった。もうここにはいたくなくなって、私達は近くのデパートの屋上へ移動した。タワーの付近だった。歩いて五分程度しかかからない。

 さっきの圧倒的な夜景からは、比べるのがおこがましいくらいに、大したことのない風景。デパートなんかよりも高くて無骨なビルが、このあたりには数え切れないくらいあった。

 こんなところで、良いのだろうか。

 デパートは、無人の店だけ開いていたが、客足は少ない。もちろん、屋上になんて、用事がある人間はそうそういない。ここは単なる駐車場になっていて、この時間は車一台止まっていない。つまりここも、今は私達しかいない。

 終末感を帯びた夜景。この世の終わりの景色を、歴史上最も体現していると私は思う。赤に、緑に、黄色。目がチカチカして、確かに耳で聞くほうが、街の真実の姿を感じ取れるのかも知れなかった。

「静かね……あんな事件が起きてるんじゃ、活気も失われれるでしょうけど」

 茅島ふくみは、フェンスに手をかけながら、階下を見下ろしている。隣にはデパートよりも高い建造物があって、夜景もクソもない。

 湿気と多少の塩分を含んだ風が凪いで、彼女の髪をふわりと遊ばせた。

「なにか、聴こえます?」

 後ろから私は声をかけた。私にとっては、展望タワー以上に価値のある場所だとは思えなかった。

「うーん、車通りが多すぎてよくわからない。まあ街の構造は把握できるから、役には立ってる」

「車種は、わかります?」

「車種? そんなのどうでもいいじゃない。あ、彩佳って車、好きだったの?」

「いえ……別に……」

 ――彩佳。ここでずっとエンジン音を聞いていたら、耳で車種がわかるようになったわよ。

 ――車、好きなの?

 ――眺める分には好き。運転は……向いてないんじゃないの。ほら、耳が聞こえすぎて。

 ――じゃあ、私、免許取ろうかな。私が運転するよ。二人で何処か行こうよ。オートドライブ前提ならすぐ取れるし。

 ――いいわね。じゃあ、彩佳の実家にでも行く?

 ――もう。なんだよそれ。嫌がらせ?

 ――彩佳の生まれたところ、見たいじゃない。

 ――見るだけだよ。親に会うのは禁止。

 ――ちぇ。気になるんだけどな。

「彩佳?」

「……あ、はい」

 顔は同じあなたが、昔とは違うことを言う。

 あまり気にしないようにしていたのに、今は妙に歯がゆい。精密女が、変なことを吹き込んで来た所為だ、これも。

「案外こう歩いてみると、意外に楽しいわね、この街。いろんな物がいっぱいあって。色んな人が居て、頭のおかしい爆弾魔だっているし、退屈しなさそうじゃない」

「爆弾魔なんかいりませんけど……でも、茅島さんも住んでたんですよ」

「でも、忘れちゃったわ。だから新鮮なの」

 そうやって、何度も見た笑顔で、一番言って欲しくないことを、彼女は口にした。

 ふわふわと舞った彼女の髪が、毛先から溶けて、最後には身体まで全て泡になってしまうような気がした。

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